4 元令嬢、王都へ1
長い長い旅を経て、貯めたお金が底を尽きるというハプニングもありつつ、なんとかエルは王都へたどり着くことができた。
久しぶりに訪れた王都は、目が回りそうなほど活気にあふれる、華やかな世界だった。エルは久しく田舎にいたせいで忘れていたこのにぎやかさに足元がフラフラとした。
王都へ来たものの、どうやってアランの立ち直る姿を見届けられるのか、とエルは今更考えた。マイクの言う通り、お城でメイドとして働くか。今のエルは身分が低すぎるから、お城で働けたとて、王家の人間と接することができるわけのない下働きに違いないのだけれど、そんな立場でどうやってアランを見届けられるというのか。仕事の種類は置いておいても、どうしたら雇ってもらえるのか。
エルはここにきて路頭に迷ってしまった。お金はもちろんない。にぎやかな街にはじかれてしまったように、人混みの中エルはぽつんと立ち尽くす。
「(…ああ…こんな決断をするのなら、マイクに誘われたときにその話に乗ればよかった…)」
エルは、自分の判断力のなさに嫌気がして、はあ、とため息をついた後、遠くに見える大きなお城を見上げた。お城はこの街を見下ろすように高いところにそびえ立っている。周りは広大な水堀に囲まれていて、入るのにも頑丈な警備がありそうだ。これまでよりもさらにとてつもなく大きく見えるお城に、自分はあそこへ本当にたどり着けるのだろうか、という一抹の不安がエルの頭によぎった。
「(…とりあえず歩いて門の前に向かおうか…。門番に聞いたら、どうしたらいいのか教えてもらえるだろうか)」
エルはそう考えて、とりあえず城に向かって歩き始めた。
「理由のわからんことを言うな。帰れ」
用件を伝えたエルは、城の大きな門の前に立つ兵士に、相手にもされずにそう追い払われた。
それはそうか、とエルは今の自分を客観的に見て納得する。着の身着のままで田舎の町から出てきたエルは、とてもお城で働けるような人には見えなかった。しかしエルは、ここで引くわけには行かなかった。
今までの自分ならきっと諦めてすごすごと引き返しただろうが、何分、エルには帰る場所はあるとはいえ、そこへたどり着くお金がない。だからなんとか雇ってもらうしかない。エルは、そんなことおっしゃらずに、と食い下がりながら、我ながら逞しくなった、なんて自分で自分に感心した。
門番はしつこいエルに眉をひそめると、手に持った槍をエルに向けて彼女を威嚇した。逞しくなったエルとて、さすがに体をびくりとさせて後ずさった。
「それ以上言えば、タダでは済まさないぞ」
兵士はそう凄む。エルの背中に冷や汗が伝う。ここは諦めるしかないのか、そう頭によぎったとき、馬車の音が聞こえた。兵士は槍を下げると頭を深々と下げた。エルが、状況がわからずにもたもたしていると、早くどかんか!と兵士にどなられた。エルは慌てて道の端に体をどけた。
すると、エルのそばで馬車が急に止まった。かと思ったら、中にいた女性が、降りる手伝いをしようとした使用人の準備すら待たず、慌てて降りてきた。そして、エルの目の前に立つと、まじまじとエルの顔を見た。エルは、目の前の女性のことを知っていた。優しそうな雰囲気、柔らかな茶色の髪。彼女はこの国の第一王子の妃であり、エルの義姉になるはずだった女性、ヘレナだった。
以前からエルに優しくしてくれる数少ない人物だったヘレナに数年ぶりに会えた喜びは、今のエルにはわかず、ただだた焦りと動揺から背中に汗が伝った。
ヘレナは、震える両手でエルの頬を包んだ。信じられない、という感情をにじませる彼女の瞳に、エルは彼女の思っていることを察して心臓がどきりとした。
「(…あのとき、私を見たことがあるというハロルドは私の顔を忘れていた。だから、ほとんどの人たちは特に気にしなくても私の顔など覚えていないだろうと高をくくっていたのに、まさか、数少ない私の顔を覚えていた人に遭遇してしまうなんて……)」
エルは、自分の運の悪さに嫌気がした。お城で働けたとして、ヘレナのような高い身分の人間と自分とが、こんなふうにまじまじと顔を見られる距離で出会うことなどないと考えていたが、まさかお城で雇われる前から出くわしてしまうとは。
ヘレナはエルを頭から爪先まで何度もみつめた後、震える唇で、エル……?と尋ねた。
「(…もし私の顔を覚えている人に出くわしたとしても、しらばっくれるしかない…)」
エルはそう、あの町から出るときに決めていた。もし自分のことを知っている人と出くわしても、しらを切り通すと決めたのだ。知らないフリをすれば、だれもが他人なのだと信じるに違いないと思っていたからである。なぜなら、貴族の地位を捨ててまで、ましてや王子の婚約者の立場を捨ててまで平民のふりをするなど、あの城にいる貴族たちは誰も思わないと思ったからだ。
そう決意してきたエルは、いいえ…、と頭を振った。以前からよくしてもらっていたヘレナにつく嘘は、心が絞られるほど苦しかった。ヘレナは、そんなエルの言葉を信じられないような顔で見つめ続ける。ヘレナは、しばらくの間のあと、諦めたようにゆっくりエルの頬に当てた手を離した。
「奥様、エル…って、アラン様の婚約者だった方ですか?」
慌てて馬車から降りてきた侍女がヘレナに尋ねた。彼女はエルの顔を見て、こんなお顔でしたか?と怪訝そうにつぶやいた。
「奥様、まったくの別人ですよ。エル様はもうお亡くなりになられました。ご葬儀にも参列されましたでしょう。…奥様の信じたくないお気持ちはわかりますけれど。…それに、こんな者がエル様のわけがありません。冷静になってください」
侍女は汚いものを見るような目で、みすぼらしい姿のエルを一瞥した。エルは、彼女の視線に急に自分が恥ずかしくなった。
「…突然ごめんなさいね。あなたはなぜここへ?」
ヘレナは目を伏せて悲しげな顔をしたあと、無理に明るい顔をエルに見せた。ヘレナが見ず知らずのみすぼらしい平民に話しはじめたことに慌てた侍女が、奥様!とヘレナを諌めた。
「おやめください。この者は奥様とこんなふうに気安くお話できる人間ではありません」
「私が突然この方にご迷惑をかけてしまったんだもの。ねえ、ご用は?」
ヘレナはそうエルに尋ねた。エルは、もしかしたらこれは千載一遇のチャンスなのでは、と気がつくと、あの、と食いついた。横目で侍女が嫌そうな顔をしているのが見えたが、この機会を逃すわけにはいかなかった。
「ここで、働かせていただきたくて。でも、どうしたらいいのかわからなくって…」
「あら、そうだったの。リズ、私からだとメイド長に話を通して差し上げて」
「おっ、奥様…?!」
「それでは。ええと…」
ヘレナは名前を聞きたそうにエルの顔を見た。エルは戸惑いつつも、エリィと申します、と返した。ヘレナは、そう、エリィ、と微笑んだ。
「ほんとうにごめんなさい。あなたがとても、私の死んだ…義妹になるはずだった子に似ていたものだから」
そう言ったヘレナの表情は、笑っているけれど悲しげだった。エルは、自分に対してそんなふうに思ってくれる人の存在に胸が締め付けられる。エルは、ヘレナの言葉に小さな相槌を打つことが精一杯だった。
「その子とまた話せたみたいで、嬉しかったわ。とっても。…それじゃあ、お城でのお仕事、がんばってね」
ヘレナはエルにそう言うと、馬車に乗り込んだ。エルは、お礼をまだ言っていなかったことに慌てるが、ヘレナに話しかけようものなら怒り狂いそうな侍女を前に勇気が出ず、エルは口を噤む。
何か言いたげにヘレナの背中を見送ったリズは、あからさまに不機嫌そうな顔でエルの方を振り返った。
「……今から話を通してくるから、しばらくここで待っていなさい」
「はっ…はい、ありがとうございま、」
エルの言葉など聞かず、怒った歩調でリズは馬車に乗り込んだ。エルは頭を深々と下げて馬車を見送った。
エルは、ヘレナの寂しそうな笑顔を思い出して胸が締め付けられた。間違いなくエルはたくさんの人達から嫌われてきたけれど、それでも確かに、エルの死を悲しんでくれるような人も存在していたのだ。エルはまた、あの日逃げる選択をしたことへの自信が揺らいだ。
とにもかくにも、こうしてエルはなんとか、お城で働くことができるようになった。




