表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/65

3 そして巡り合う4

王国軍の兵士たちが帰る前日となった。目が回るような忙しさももうすぐ終わるだろうこと、そして、自分が誰かから変な詮索をされないだろうかという心配事がようやくなくなる、ということに、エルには心臓が震えるほど安心した。



昼の営業を終えて、エルは休憩時間の前に残った皿洗いをしていた。お金の勘定をしているエメラルドが、はあ、とため息をついた。


「この町の女の子たちが可哀想だわ。兵士の男たちと涙のお別れをしちゃって。王都に帰るまでそのことを本気で覚えてる男が、一体何人いるんだか」


はあ、とため息を重ねるエメラルド。エルはダンの方を見た。ダンは眉をひそめたあと、エルが洗った皿を黙って片付けた。エルは、エメラルドの方を見た。


「その…遊びってことですか?」

「当たり前じゃない。王都の男が、本気でこんな田舎の女を相手にするわけないでしょ」


アタシも母親たちに混ざって女の子たちに注意したのに誰も聞き入れないし…、とまたため息をつくエメラルド。エルは、楽しそうに兵士との逢瀬を楽しんでいた女の子たちの顔を思い出して、胸が痛む。そして、マイクに頼まれた話をまた思い出す。


「(…私なんかに、ましてや平民になった私に、何もできるわけがない。貴族だったエル・ダニエルはもう死んだんだもの)」


そう考えたあと、エルはまた皿洗いを再開した。








仕事を終えて、エルはようやく休憩時間になった。天気の良い空の下をのんびり歩いて、頭を空っぽにしたい気持ちだったけれど、どうにも胸がモヤモヤとした。エルはここしばらく、ずっと謎の陰鬱感に苛まれている。


「あっ…!」


後ろから声がした。振り向くとマイクがいた。マイクはエルの顔を見ると気まずそうにしたあと、意を決して、あの!と口を開いた。


「…殿下を見ませんでしたか?」


マイクは周りを気にしたあと、小声でそう尋ねた。エルは、え、と声を漏らした。そして、頭を横に振った。


「…いいえ」

「そうですか。…今朝からお姿が見当たらなくて。…もしも見かけることがあったら、私に連絡してください」


お願いします、とマイクは頭を下げたあと、エルの返事を待たずに走り出した。エルはその背中をしばらく見つめた後、無意識のうちに歩きだした。






「(…なんで私は、探しているんだ…なんで…)」


エルは、そう自分を非難しながらも、しかし足は止めずに歩いていた。森の小道をどんどん進んで、エルは、よく訪れる、自分のお気に入りの場所に到着した。

町人もほとんど訪れない、静かな川辺には、今日も柔らかな木漏れ日が差し込む。小さな野花がぽつぽつと咲いている。エルは、そこで目に入った光景に、少しだけ目を見開いた。あの日、エルとアランが再会した時に、エルが寝転んでいた場所と同じところで寝転ぶ人物がいた。


「(…どうして、あなたはここにいるんだ…)」


少し遠くの方で、小川の側で寝転ぶ男性の姿が見えた。差し込む小さな太陽の光に照らされた金髪が、きらきらと輝く。エルは無意識に眉に力が入り、唇がこわばる。エルは、目を閉じて寝転ぶアランから少し距離をとって、しかし声の届く近さにゆっくり歩みを進めた。小川を挟んで反対側に立って、エルはアランを見下ろす。記憶にあるよりも大人になったアランを見つめながら、エルは短くなった自分の黒髪を一度触った。

エルは、アランにかける言葉を探す。しかし、何も見つからない。何かを言いかけてはやめて、エルはとうとう口を閉じた。


「……君は、」


目を閉じたままのアランが、口を動かした。エルは息を呑んで肩を揺らす。アランはゆっくりと目を開くと、木々の隙間から覗く青い空をその青い瞳に映した。


「…君は本当に、エルじゃないのか」


ほとんど感情のこもらない彼の声に、エルは、本当に彼はマイクの言う通り心を失ったのだろうか、と不安になる。アランの質問に、エルは固まる。

もしも今、正直に生きていたことを伝えれば、アランはもとに戻るのだろうか。そんな考えがエルの頭によぎるけれど、すぐに、だめだ、と頭の中で自分が自分に忠告した。


「(…もとに戻ったところで、また殺されるかもしれない。その時にまた、あの日助けてくれた人が同じように助けてくれる保証なんてない)」


あの火事は事故として処理されたけれど、本当は真犯人がいるのかもしれない。助けてくれたあの人の言葉を信じるのなら。


「(……それに、またあの生活には戻りたくない)」


エルは、この気持ちが一番自分の正直なところかもしれない、と思った。

周りの皆から嫌われて、傷つけられる日々。自分自身でさえ、アランの婚約者という事実に自信を持てず、消えたいと思う毎日。あんな日々に戻るなんて絶対に嫌だと、エルはそう心の底から思った。


エルは、少し黙った後、はい、違います、と恐る恐る答えた。エルの返事を聞くと、アランはゆっくりと上半身を起こした。アランはエルに背中を見せたまま遠くの方を眺めた。静かな2人の間に、川のせせらぎの音が響く。

エルはしばらく困惑したまま黙った後、恐る恐る、あの、と口を開いた。


「マイク…さん、という方が、あなたを探していました。その、戻られた方が…」


エルはアランの背中にそうぽつりぽつりと話しかけた。アランは聞いていないのか、反応する気がないのか、黙って遠くの方を見ている。

マイクから聞いていた通り、最後に会った日から人が変わったような態度を取るアランに、エルはまた不安になる。自分のせいで、自分が死んでしまったせいで、あの誰からも好かれたアランをこんなふうに変えてしまったのだというのだろうか。


「(…そもそも何をそんなに、私に執着するんだこの人は…)」


エルは自責の念から一転して、アランを責めるような気持ちになった。嫌われている自分と違って、恵まれた才能に容姿を持つ彼ならば、普通にしていればたくさんの人に囲まれる幸せな人生を送ることができるというのに、それなのになぜこんな、周りから孤立する道を選ぶのか。死んでしまった自分のことなんかとっとと忘れてしまえばいいのに。そうしたら自分は、こんな罪悪感を抱くこともないのに。健やかにこの町で、新しく生き直せるというのに。


「(…と、いうか、アラン様の婚約者という立場のせいで周りからどんどん嫌われていく私を見て、さっさと私を諦めてくれたら、そうしたら私はあんな思いをせずにすんでいたのでは?)」


エルは、あの頃の自分では心の底では思っていても、こんなふうに、はっきり胸の中で言うことはしなかった不満をふつふつと沸かせた。自分はもう死んでしまった幽霊だ。けれど、言葉が発せられるのなら、文句の一つでも言いたい。エルはそんな勢いのまま、あの、と口を開いた。


「マイクさんから、少しだけ話を聞きました。私があなたの婚約者だった人とよく似てるって」


エルの言葉に、アランは少しだけ反応したようにエルには見えた。エルは話を続けた。


「どれだけその人を好きだったのか、愛してたのか、私にはそれはわかりません。でも、エルという人はもう死んだ人です。故人のことを忘れないのは良いとしても、囚われるのはどうかと思います。あなたは生きているんだもの。そんなふうに、死人のことを気にして、あなたまで死人のような振る舞いをするのは間違ってる」


エルはそう言い切ると、胸の奥が少しだけ空くような気持ちになった。こんなふうに、自分の思ったことをきちんと言えたことが、彼女には久しくなかったように思うからだ。いつも周りの目を気にして、家の事を気にして、自分の心に嘘偽り続けてきた。

でも今は違う。いまのエルには何もない。何も取り繕うものがない。そんな彼女はようやく、蓋をしていた自分の心を少しだけ開けられたような気がした。幽霊のくせに、生まれ変われたような爽快感がエルの胸を通り抜ける。

ふと風が吹いて、木の葉がかさかさと揺れる。その合間から漏れる光がゆらゆらと揺れる。アランはようやくエルの方をゆっくり振り返った。変わらないその綺麗な瞳には生気がなく、エルは見てはいけないものを見たような気がしてぞっとした。


「…本当に君は、顔のよく似たただの他人のようだな」

「…え?」

「…少しだけ期待していたんだ。もしかしたら、って」


アランの光を失った瞳から、一粒だけ涙がこぼれた。その雫が、木漏れ日の光を反射して一瞬だけ輝いた。エルは、その悲しい輝きに言葉を失った。

アランは立ち上がると、それ以上何も言わずにエルの前から去った。エルは一人になった後もしばらくその場に立ち尽くしてしまった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ