3 そして巡り合う3
王国軍の軍事演習が始まって、エルの働く食堂は目が回る忙しさになった。稼ぎ時であるため、エメラルドから、悪いけどしばらく休み返上よ!と言われたエルは、毎日開店する食堂で休まずにずっと働いた。
昼の営業を終えて、エルは少しの休憩の時間を与えられた。くたくたの体と、自分顔に見覚えのある人物が現れないかという不安で固まる頭をほぐすために、海沿いをのんびり歩いた。昼間には基本的に騎士や兵士たちは姿を見せないため、何の心配もなく歩くことができて、それがエルには嬉しかった。
エルは、よく晴れた空を見上げる。この町の少し先のところで、どうやら王国軍の兵士たちは演習を毎日行っているらしい。平和なこの町の少し先で、戦争の練習をしている。そして、夜になると兵士たちは静かで平和なこの町に溶け込んで、食堂に来て楽しく酒を飲む。エルにはそれがとても不思議だった。
エルは、港のそばで立ち止まり、海の上で止まる船を見つめる。漁師たちは朝の漁から帰ってきて、今は魚を売りに出かけているのだろうか。そんな他愛のないことをエルは考える。
「あれ、食堂の」
聞き覚えのある声がした。振り向くと、先日食堂に来ていたフィリップスがいた。その隣にはハロルドもいた。エルは2人の方を見て軽く会釈をした。
フィリップスは、銀色の髪を潮風になびかせながら、笑顔でエルに近づいた。透けるような白い肌に、優しそうな表情、そして、細長い手足。こんな身体で彼は戦地で戦えるのだろうかと心配になるけれど、身長は女性のエルよりもずっと高くて、自分よりはずっと強そうか、なんてエルは思い直す。
「前にお勧めしてもらったスープ、とってもおいしかったよ」
フィリップスはそう気さくにエルに話しかけた。エルは、ありがとうございます、となんとなくぎこちなく返す。エルはフィリップスを前にして、何とも落ち着かない気持ちになる。
「(…この人、前の私と会ったことがあるのかもしれない。…でも、こんな方と会ったことがあるだろうか…)」
エルは、目の前の類まれなる美貌のフィリップスをおそるおそる見上げて、いや、こんな人一度見たら忘れるわけがない、と思い直す。なら、向こうが一方的に自分を知っているのだろうか。エルは、目を泳がして、あの、私はこれで…と切り上げようとした。しかし、でも残念だな、と続けた。
「明日で演習は終わりなんだ。明後日の朝、ここを発つんだ。もうあのスープが食べられないかと思うと残念だよ」
フィリップスの言葉に、彼らはやっとこの町から去ってくれるのか、と内心エルは安堵した。
フィリップスは少し黙った後、ねえ、と口を開いた。
「その…、君の店にいる…」
「はい?」
「…ごめん、いや、なんでもないんだ」
フィリップスはそう笑顔でごまかした。エルはよく分からずに首を傾げた。
すると、横からハロルドが、おい、と話に入ってきた。
「もう行くぞ。休憩も終わる」
「そうだったね。それじゃあね、ええっと…」
フィリップスはエルの方を見て名前を聞きたそうな顔をした。エルはそんなフィリップスに戸惑いつつ、え、エリィです…、と答えた。フィリップスは微笑むと、うん、エリィ、と笑った。そんなフィリップスに、ハロルドは不機嫌そうな顔をする。
「由緒正しい貴族の人間が、庶民の女を口説くなよ」
「口説いてないよ。それに、それは彼女に対しても失礼だよ、ハロルド」
「…」
フィリップスにたしなめられて、ハロルドは不服そうに鼻を鳴らした。エルは、自分がフィリップスと話していると常に不機嫌そうにするハロルドが苦手に思えて、早くこの場から去ろうと、それでは、と会釈をした。
「あっ、あーっ!!いた!!!」
前方からそんな大きな声がした。驚いて声のする方を見ると、そこにいた人物に、エルは目を丸くした。
「(まっ…マイク……)」
茶色い髪と可愛らしい顔立ちと、男性にしては小柄な体躯の、よく見覚えのある青年が、走ってエルたちのもとへやってきた。そして、エルの前に来ると、彼女のことを無遠慮にまじまじとみつめた。エルは、まずい、という気持ちで後ずさる。すると、怯えていると思ったらしいフィリップスが、エルを背中でかばうようにしてマイクの前に立った。しかしマイクはあきらめずに、フィリップスの腕の間からエルをのぞき込んだ。するとハロルドが、そんなマイクの腕を引っ張りエルから距離を取らせた。
「突然なんだよマイク。殿下のお世話は?」
「今殿下は鍛錬中です」
「はあ…相変わらず奇特なお方だ。あのお立場で、こんなところまで来てしまうし。おかげで俺らまでこんなところまで駆り出されて…」
「実際に現地を見たほうが作戦を立てやすいからって…、って、それより、…間違いない、あなたが、殿下がおっしゃっていた片だ…」
「殿下が?この女に?何を?」
ハロルドが素っ頓狂な声を上げた。マイクは辺りを見渡したあと、詳しい話は、もう少し人気のないところに移動しましょう、と言った。エルは不安そうに3人を見上げた。アラン絡みの話をされる、そう察したエルは早急に逃げたかった。しかし、エルの話を聞く気が全くなさそうなマイクに連れ去られて、エルは彼の話を聞くために移動を余儀なくされてしまった。
「それで、話というのは…って、なんでお二人までついてきているんですか?」
町の中でも人気のない森のそばへエルを連れてきたマイクは、後からついてきた2人に呆れながら言った。ハロルドが、だって、と興味深そうにエルを見ながら言った。
「殿下とこの田舎娘、どんな話なのか気になってさ」
「まあハロルド様はともかく、フィリップス様までついてくるなんて…」
「私は、エリィが不安がるだろうから、万が一何かされそうになった場合は、私が切り捨てるから安心して、という意味でね」
「…まあ、もう良いです、お二人なら。……ええと、エリィ、でしたか?」
マイクはエルの方を見た。エルはおずおずと頷いた。
「あなた、最近金髪の男性に遭遇しませんでしたか?」
「え、…ええ、まあ、…はい」
「そのお方は、実はなんと、この国の第三王子であらせられる、アラン殿下なのです」
「は、はあ…」
「……あれ、存外驚きませんね」
マイクが不思議そうにエルを見た。エルは慌てて、お、驚きすぎて…、と誤魔化した。
「まあ、わけがわからないよね。まさか突然王子と遭遇するなんてさ」
あはは、とフィリップスが言ってくれたため、エルは救われた。マイクは、まあ、それはそうですよね、と納得したあと、それでですね、と続けた。
「あなたが、アラン殿下のかつての婚約者の女性と、瓜二つなんです」
マイクの言葉に、瓜二つというか…、という言葉をエルは飲み込む。
するとハロルドが、あれ、とエルの顔をまじまじと見た。
「エル嬢ってこんな顔だったっけ?」
「そうです!よくお会いしていた私が言うんですから!」
「よーく悪評を聞いてたから、パーティーにいたときは面白半分で顔を見に行ったりしたけど、今はもうよく彼女の顔は覚えてないな」
ハロルドの、悪評、という言葉がエルの胸に刺さる。フィリップスが、はあ、と呆れたようにため息をつく。
「ハロルド、結構悪趣味だね」
「は、はあっ?!他の貴族たちもみんな似たようなことしてただろ?!」
「まあ、そうだったかもしれないけどさ…」
フィリップスは、しかし少し軽蔑した顔をハロルドに見せる。そんなフィリップスに、ハロルドはとても慌てふためいていた。マイクは、とにかく、と二人の会話を遮った。
「あなたはもう、本当にそっくりなんです!」
「あの、…それが何か…」
エルはそうマイクに尋ねた。マイクはエルの瞳を見て、あなたにお願いがあるんです、と言った。
「どうかお城で働いて、アラン王子の心を取り戻してくださいませんか?」
「……えっ、え?」
マイクの真面目なお願いに、エルは目を丸くする。
「心を取り戻す…ということはつまり、…あの……その、アラン殿下は、心が、ないんですか?」
エルは、よくわからずに混乱する。エルの知るアランは、誰からも好かれて、誰にでも温厚に接する、心優しい少年だったからだ。
エルの質問に、3人は表情を暗くした。エルは、えっ、と、声を漏らして、3人を順番に見た。
「…どこから話せばいいでしょう、…3年ほど前に、殿下の婚約者だったエル様という女性が、不幸にも泊まっていた宿の火事に巻き込まれて死亡してしまったんです」
マイクは、暗い顔でそう話した。
「殿下は、エル様の死にすっかりお心を沈ませていらっしゃいました。あの火事については、宿屋の主人の証言と現場検証により、宿屋の主人の火の不始末によるところだと結論づきました。エル様のみならず、他の宿泊者たちの命も奪ったこの悲しい事故の罪は、裁判によって宿屋の主人に重く課されましたが、彼は自責の念に耐えきれず、牢に入り罪を償う前に、妻と一緒に自ら命を絶ちました」
エルは、マイクの言葉に目を丸くする。あの日助けてくれた男は、まるでこの火事は仕組まれたものだとでもいうような口調だったのだ。エルはそれを信じて今日まで来た。この火事がほんとうにただの事故だったのか、もしくは、真相は闇に葬られてしまったのか。エルは内心混乱しながらもマイクの話に耳を傾けた。マイクは暗い表情のまま続けた。
「事故が片付くやいなや、貴族たちはすぐにアラン殿下の新しい婚約者の話をはじめました。エル様の死を悼むアラン殿下を置き去りにして、空いた殿下の婚約者の席をどうするかと言い争う貴族たちの姿は、まるでエル様の死を待ち望んでいたかのように殿下の目に見えたでしょう」
マイクの説明に、エルはオーバーキルのようなダメージを受けた。しかし、3人の前ではエルの話は彼女には関係のない話ということになっているので、傷ついた気持ちをなんとか隠して話を聞いた。
「その貴族たちの様子を見たアラン殿下は、…完全に心を壊してしまったんです」
「…え」
エルは声を漏らした。マイクは、眉をひそめて苦しそうに口を開いた。
「以前までの快活な王子はもう姿かたちもなくなってしまいました。必要最低限の言葉もお話にならなくなりました。誰に対しても心を閉ざしてしまい、長年おそばでお世話をしてきた私にすら、何もお話しにならなくなってしまいました。殿下は、優秀な成績をおさめていた学校をやめてしまい、そのまま王国軍に入ることを志願しました。殿下はこれまで続けていた文官としての政治の勉強をやめて、そこでずっと、軍の指揮や自身の兵士としての鍛錬にのみ執心しています。今の殿下は、王子でありながら人との関わりを絶ち、人として生きる道を自ら途絶えさせてしまったようになってしまったのです」
マイクはどんどん目に涙をためて、言葉を詰まらせた。エルは、今聞いた言葉が理解できずに息すら止まる。
思い返せば、あの日、再会したアランはどこかかつての雰囲気とは違っていた。最後に会った時よりも少し大人になったからだと思っていた。それがまさか、そんなことになっていたとは。エルにはとても信じられないことだった。
「それが、つい先日殿下が、ほんとうにほんとうに久しぶりに、私に話しかけてくださったんです。…エルによく似た人がいた、別人だったが、って…」
鼻をすすると、涙をためた目でマイクはエルの瞳を真っすぐに見つめた。
「お願いします!今は亡きエル様に代わって、どうか、アラン殿下のお心をなんとか開いていただけませんか?これほどに瓜二つなあなたなら、他の誰もできなかったアラン様の心を動かすことができるかもしれない。あなたしかいないんです、どうかお願いします!人助け…ひいては、国助けだと思って…!!」
「いや…殿下の心を動かすって、好きにさせるとか、恋人になれっての?殿下が?この田舎娘と??それはちょっと王国軍の騎士として聞き捨てならないぜ?こんな庶民とそんな仲になられちゃ、国の威厳にかかわる」
ハロルドが厳しい表情でマイクを見下ろした。マイクは慌てて両手を振った。
「そんなことまで申し上げておりません!殿下とて、彼女とは身分が余りにも違うということはわきまえられるはずです!とにかく少しでも、殿下と対話ができるようになりたいのです!今のとりつく島もない状況じゃ、もうどうにもならないんです…!」
マイクの必死の言葉に、それはまあ、そうだろうけど…、とハロルドが、しかし納得のいかない顔で呟く。
「…明るくて人当たりのいい長男より人柄がよくて、頭の切れる次男より聡明で、いいとこ取りの3男、なんて周りから言われていた王子が、今は見る影もないところをみてるのは、辛いものがあるよね」
フィリップスがそうぽつりと呟く。フィリップスの言葉に、またマイクが目に涙をためる。
「お願いします、エリィさん、どうかお城に来てください、お願いします…!」
「……」
エルは、呆然とマイクを見る。エルはしばらく黙ったあと、頭を横に振った。
「…私には、できません」
エルの心臓は痛いほど震えた。
「…私には、何もない。自分の考えも、言葉も。自分がどう思っているのか、本当はどうしたいのか、考えることがずっとできなくて、今も上手くできない。私は恥ずかしいくらい薄っぺらくて、情けない人間です。…殿下の心を動かすことなんて、到底できないと思います」
エルは、そう本心で返した。アランの婚約者という立場から逃げ出した自分に、一体何ができるというのか。どこにのこのことあの城に戻る権利があるのか。自分にはそもそも、アランにそこまで思われる価値などない。アランがエルの死に立ち直れていないとしても、まだ3年しか経っていない。これから必ず時間が解決してくれる。それに、きっと彼にはこれから素晴らしい出会いがあって、立ち直る機会など何度でも来るだろう。その時に立ち会うのは自分ではない。そう、エルは思う。自分でなくてはいけない理由などエルには見つけられなかった。
マイクは、む、と口をつぐむんだあと、別にいいんです!とエルを見た。
「あなたのその、エル様そっくりな見た目さえあればそれでもう良いんです!中身なんていりません!!空っぽ上等です!!!」
「…それは、誘い文句としてどうなのかな…」
マイクの言葉にフィリップスは顔を引き攣らせる。エルは、マイクの思いがけない言葉にずっこけそうになった。
マイクはエルの方を見て、とにかく、考えてみてください!また明日来ます!!と言った。エルはその言葉に慌てて、もう来ないでください!と告げた。そんなエルにマイクは、え?と不思議そうな顔をした。
「どうしてですか?お城で働かないか、なんて、とっても良い話ですよ?王都で働けるんですよ?給料もここよりずっと良いですし、ご家族に多く仕送りができますよ!今後の縁談だって有利になります!一度考えてください」
「…あなたが私にその話を言いに来るのを誰かに聞かれて、この狭い町で、私が王家の方の元婚約者に似てるなんて知られたら、変なふうに婉曲しておかしな噂が回るかもしれません…」
「それは…そう、かもしれませんが…」
「とにかく、私にはできません。私はお城へは行きません。この話はこれで終わりにさせてください」
エルはそう断ると、逃げるようにこの場から去った。マイクはまだ何か言いたげな顔をしていたが、エルは気が付かないふりをした。




