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3 そして巡り合う1

自分の本当の名前を呼ぶ青年を、エルはしばらく硬直したまま見つめてしまった。寝転がるエルの頭側に、小川を挟んで立って見下ろすその青年も同じく、固まったまま彼女を見つめていた。


「(あ…あ…アラン…様…)」


エルは動揺から、心拍数が上がるのを感じた。

2人の間は静かで、せせらぎの音すらもはっきりと聞こえる。風が吹くと、あいも変わらず綺麗なアランの金髪が揺らされた。

エルはとりあえずのろのろと起き上がった。そして、向きを変えてまた、アランを見上げた。3年前よりも精悍な印象になったアランは、王国の紋章をつけた軍服を着ていた。


「(…自分をエルだと認めるわけにはいかない…)」


エルは直感的にそう思った。この国で、ダニエル家の令嬢は死んだことになっている。それに、目の前の元婚約者も、もうエルのいない生活が当たり前になっているだろう。彼は王子なのだから、新しい婚約者だっているだろう。そこに、逃げ出した自分が今さらどの面を下げて戻れるだろうか。優しい彼を無駄に悩ませるだけである。エルは静かに呼吸をして、しらばっくれる覚悟を決めた。そして、小首を傾げてみせた。


「…私は、エリィです。この村の食堂で働いています」


エルはそう言うと立ち上がり、スカートについたほこりや土を払った。そして、くしゃくしゃになっていた髪を手で整えた。その時、葉っぱが頭についていたことに気が付き、エルは気まずそうに指で葉っぱを払った。そして、小川を挟んだ向かい側に立つアランに頭を深々と下げて、お見苦しいところを失礼いたしました、と言うとその場から逃げるように立ち去った。

アランに何か突っ込まれるかと危惧していたが、彼は何も追及せず、黙ってエルを見送った。エルはとりあえずほっと胸を撫で下ろした。



アランが見えなくなったところで、エルは歩きながら空を見上げた。

久しぶりに対峙したアランに、エルは遠い人になったと身にしみた。国の要人の格好をするアランに対して、つぎはぎだらけの汚れた服をまとった自分。


「(…まあ、貴族だったときも、外出しない日はボロボロの服を着ていたけれど)」


エルはそう思い出して苦笑する。

あの火事の日が彼女にとって恐らくこれまでで一番の人生の岐路だったように思う。


「(…あの火事の日、あのまま戻ったって殺されていた…。あの日助けてくれた人は、そう言っていた)」


エルはそう思った時、そういえば、自分を殺そうとしたのは誰だろうと疑問に思った。そして、自分を助けてくれた男性は何者だろう、とも。

エルは、自分が昔好んで読んでいた本たちの定番のストーリーから、その答えを類推した。殺そうとした人はきっと自分が邪魔だった人だろう。そんな人など、山程いそうで頭が痛くなる。逆に自分を助けてれた人は自分を必要としてくれた人だろう。そんな人など1人と浮かばない。エルは考え始めてすぐに、思考をやめるように頭を振った。


「(…考えてもわからない。もういまさらの話よ)」


エルはそう心の中でつぶやいたあとゆっくり深呼吸をした。そして、そろそろ仕事の時間だと思い出すと、慌てて食堂に戻った。






食堂に戻ると、エメラルドとダンはもう仕込みの準備をしていた。エルは、ごめんなさい、と謝ると、その作業に加わった。エメラルドはエルに気がつくと、ねえ、と声をかけた。


「今日から忙しくなるわよ」

「え?」

「王国軍が演習のためにしばらくこっちに滞在するんだって」


もっと早く言ってほしいわ、とぶつぶつ言うエメラルド。エルは、王国軍が演習に来る、という言葉に、ようやく軍服を来たアランがこの村にいた理由が分かった。


「(…アラン様、王国軍にいるんだ…)」


エルは食材を刻みながらそんなことを考える。剣の腕も磨いていたけれど、それ以上に文官として働くために政治や経済の勉強を頑張っていた記憶があったエルは、彼が軍の方で仕事をしていることが意外だった。


「(…そういえば、エメラルドさん、しばらく滞在って言ってたよね…)」


エルは、心臓が嫌な鼓動を打つのを感じた。先ほど再会したアランに否定したとはいえ、もしこの町で何度か顔を合わせることがあったら勘付かれるかもしれない。エルは、隣にいるエメラルドにあの、と口を開いた。


「演習の間、軍の人がこの村のお店とか、来たりするんですか?」

「だからこんなに慌てて仕込んでんじゃない。夜とかは時間があれば気晴らしに来たりするわよ」

「そうですか…」


エルはエメラルドの回答にげんなりした。王国軍の兵士たちの中には貴族の子息がたくさんいるだろうから、中にはエルの顔を覚えている人もいるかも知れない。せっかく静かにこの村で生活できたのに、変な噂が立ったら台無しになりそうだ。


「町の女の子たちが浮かれてたわよ。王都から騎士様が来るって。都会からくる男性なんて、みんな憧れるわよね」

「そうなんですか…」

「あら、エリィは興味ないの?」

「え、ええと、はい、そこまで…」

「あら、アンタのそういうとこ好きよ」


エメラルドはそう言って笑った。そんなエメラルドの横顔を見上げて、エルはつられるように笑った。しかしすぐに、これからしばらく続く王国軍の滞在というイベントに、エルは内心穏やかではいられなった。



エルは厨房でエメラルドとダンと一緒に作業を続けた。すると、食堂のドアが開く音がした。エメラルドは、まだ開店前なのに…、と面倒くさそうな顔をして厨房から客が見えるカウンターに向かった。すると、あらあ、というエメラルドのうれしそうな声が聞こえた。エルは、厨房の調理した料理を配膳のために渡す窓から店の中をこっそりのぞいた。そこにはなんと、先ほど再会したアランの姿があった。


「(あ、怪しまれている…!私のこと、怪しんで食堂まで来たんだ……!!)」


エルは心臓の鼓動が嫌な痛さで打つのを感じる。顔を青くするエルに気がついて、ダンも彼女の隣にきて、窓から店の中をのぞきはじめた。


「こんな田舎には絶対にいないような、いい男ね。営業時間前だけど、特別に開けてあげるわ」

「…ここに、…エリィ、という女は居るか」

「エリィ?」


エメラルドは不思議そうに首を傾げる。

エルは、嫌な予感が当たり、どんどん顔を青くした。そんなエルを少し心配そうに、隣のダンが横目でちらちらと見た。


「いるわよ。呼びましょうか?」

「…いつからその女はここにいる」

「いつから?ええと…いつだったかしら…」


エルは、背中に冷や汗が伝うのを感じた。これで完全にここでの生活は終わった…と、そうエルは覚悟した。エメラルドに答えられたら、あの事件の日と辻褄が合って、エリィと名乗って生活していた女が実はエルという貴族の人間だとわかってしまう。そうしたら家に連れ戻されるのだろうか。またアランとの婚約者になるのだろうか。アランに新しく他の家の令嬢との婚約がもう決まっていたのだとしたら、エルはより一層陰口を叩かれる。またあの生活に戻る。そう思うとエルは体が震えてきた。


「さあ…いつからだったかしらねえ…」


エメラルドは口元に手を当てて、うーん、と考え込んだ。


「細かくは覚えてないわ。ずいぶん小さいころからよ。あの子、アタシの姪なのよ。姉さんの子どもでね、ガキのくせにいっちょまえに店の手伝いしてくれてね。ほんとに可愛かったんだから。今もだけどさ」


エメラルドは笑いながらそう話し続けた。アランは黙ってその話を聞くと、そうか、とだけ静かに返した。そして、何かをカウンターの上に置いた。


「彼女に返しておいてくれ。…邪魔をした」


アランはそう言うと店から去っていった。エメラルドはカウンターに置かれたものを手にとりながら、男前だけど、愛想のない男ね、とため息をついた。そして、エリィ、と呼んだ。エリィは、は、はい…と言いながらおずおずとエメラルドのもとへ向かった。


「これ、アンタの好きなクッキーじゃない。返しておいて、だってさ」


エルは、エメラルドに手渡された物を見た。それは、今日買ったクッキーだった。アランに再会したときに、驚いて落としてきてしまったようだった。エルは、あ…、と呟いて目を伏せた。エメラルドはそんなエルを横目で見たあと、お礼言いに行く?と言った。エルは、ばっと顔を上げてエメラルドを見た。


「今ならまだ間に合うかもよ?アタシが勝手についた嘘を訂正したければさ」

「……いえ、いいんです、ありがとうございます」

「ああそう。…さあ、仕事ね」


エメラルドはそう言うとあっさり厨房に戻った。エルは、何も聞かないでくれるエメラルドに痛いほどの罪悪感を覚える。結局自分は嘘に塗り固められて、親切な目の前の人たちにすら、自分を偽って接することしかできない。やっぱり自分には、生まれ変わるなどという綺麗な命の息吹など感じられない。ただただ死ねなかった体が幽霊みたいに彷徨っているたけだ。


「あの、わたし、あの…」


何が言えるわけでもないのにエルは、そんなふうに切り出していた。しかしやはり、何も言えずにエルは口籠る。自分は昔から、自分の言葉で何も言えやしない。そう思うとエルは自分が情けない。

しかし、そんな情けないエルの背中を、エメラルドはぽんと優しく叩いた。


「言いたくないことは言わなくて良い。全部さらけ出す必要なんかない。誰にだって、言いたくないことの一つや二つはある。もちろんアタシにだって」

「…エメラルドさん…」

「アタシにとっては、アンタがのろまで、グズで、でも素直で、一生懸命働く子だって、それだけわかってたら、それで十分なの。それ以上は無理に言わなくていい」

「……」


エメラルドの言葉に、またエルは胸が震える。口をへの字に曲げて涙をこらえるエルに、エメラルドは優しく微笑む。

すると、常連客である老いた男性が店に入ってきた。エメラルドは、まだ開店前だけど、と老人に話しかけた。すると、知ってるよ、と男性は言った。エメラルドはそんな客に不思議そうな顔をした。


「ならなんの用さ?」

「いまこの店から軍人さんがでてきたからさ、あんたんとこ、なんかやらかしたんかと思ってよ」


へへへ、と笑う老人に、エメラルドが、なにもないわよ、と軽くあしらった。


「あんたと一緒で、開店前に来たから追い返しただけよ」

「ほー!あんた肝が据わってるとは思ってたけど、軍人さんを追い返すなんてとんでもねえな!」

「それくらいできなきゃ店なんかやってけないわよ」

「にしたってよお、あの軍人さんあんなに若いのにすんごい紋章つけてたぞ?ありゃとんでもねえ上流貴族だな。それに、すんげえ男前だったなあ…。あんな顔はこの田舎町にはいねえなあ。まあ、オレも若い頃は……」

「はいはいはい、営業時間になったら聞いてあげるから、今仕込みで忙しいんだよ」


エメラルドはそういうと、客に帰るように促した。客は、へえへえ、と言うと大人しく店から去った。ダンは、小さく息を吐いた。


「あんな嘘、他の人間に聞かれたら一発でばれるだろ。ただでさえあんなおしゃべりな人間がたくさんいるのに」

「聞かれたら、でしょ。そのへんの貴族ならまだしも、あんな身分の男がそうやすやすと平民に話しかけたりするわけないでしょ。これ以上詮索もしないでしょ」


エメラルドはまるで貴族の世界をわかっているかのようにそうはっきりと言い切った。その様子に納得してか、ダンもそれ以上追及しなかった。

エルは、先程の客の話をエメラルドが気にしていないかと心配そうに彼女の顔をうかがった。アランがこの国の王子だと知ったら、そんな彼が探す自分が何者なのか気にならないのか。さすがにエメラルドに聞かれたら答えなくてはいけないか。でも、答えた時、せっかく手に入れた今の生活を失ってしまわないか、エルはそれが不安で仕方がなかった。

そんなエルの不安を察してか、エメラルドは切り替えるように、さっ、仕事よ仕事、と言って手を叩いた。エルもダンも、さっと仕込みの準備に切り替えた。エルは自分自身をもどかしく思いながらも、自分も作業に取りかかった。

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