1 孤立する令嬢と諦めない王子様1
周りがあまりにも眩しすぎる。
広く豪華なパーティー会場の片隅で、ぽつんと1人立ちつくす、ダニエル男爵家の令嬢エルは、眩しさのあまり目を伏せた。原因は、シャンデリアの明かりだけではない。女性たちのドレスの飾りが反射する光だけではない。優雅に、そして楽しそうにこの華やかな場に溶け込む周りの参加者たちが、今のエルにはあまりにも眩しすぎるのだ。
「(パーク侯爵のご令嬢のお誕生日を祝うパーティー、だなんて、本来なら私には無縁のはず、本来なら……)」
エルは死んだ目をしたまま、心の内側で重いため息をつく。エルの生家であるダニエル男爵家は、所謂没落貴族というもので、権力も財力も、このパーティーに参加している貴族たちとは比べものにならないほど小さい。その上、エルの両親は約7年前、エルが8歳の頃に2人とも不幸な事故によって命を落としている。ダニエル家は父の弟でエルの叔父にあたるジャンが継ぐこととなったが、両親を亡くしたエルの立場はなんとも不安定で、余計にこんな上級貴族たちばかりが集まる場に彼女は不釣り合いなのである。
ならばなぜ、彼女はここにいるのか。
エルははたと、周りの参加者たちの空気が変わるのを感じた。エルが他の参加者たちの視線の先を辿れば、1人の少年がいた。年端もいかない彼が持つ、綺麗な金髪に青い瞳、そしてすらりと高い身長と端正な顔立ちは、大人たちすらたじろがせるほどだ。
周りの貴族たち、とりわけ同年代の令嬢たちは熱い視線をその少年に送る。一方その少年は、そんな視線には気にもとめず、別の誰かを探しているように見える。
その少年に気がついたエルは、心臓が嫌な脈を打つのを感じる。気持ちがずんと沈み、彼女の表情は曇る。
辺りを見渡す少年は、その綺麗な瞳にエルを映すと、花が咲いたような微笑みを浮かべた。そして、周りには目もくれず、彼女の方へ当然のように真っ直ぐ歩いてくる。エルはその光景に、まるで深海に沈められたような気持ちになる。
「エル、こんなところにいたのか」
少年に声をかけられて、エルは反射的に息が詰まる。周囲の嫌悪感丸出しの視線に、彼女の身が固く縮こまる。しかしなんとか笑顔を作り上げると、エルは少年を見上げた。
「アラン様。私も探しておりました」
エルはそんな大嘘をつく。アランと呼ばれた少年はエルを見つめて嬉しそうに微笑むと、エルの手を優しく取って、自身の両手で包んだ。そして、目の前の彼女が愛おしくて仕方がないというような優しい瞳でエルを見つめる。エルは、その瞳に映る自分を見つめる。
「ああ似合わない、釣り合わない、なんて厚かましい、無恥なご令嬢」
瞳の中に映る自分が、そう言われている声がエルの頭に響く。背中に冷や汗が伝うけれど、実際にはそんな声は聞こえない。それでも、視界に入る、自分たちを見る貴族たちの顔が揃いも揃って、言葉にこそ出さずとも、そう言いたくて仕方がない顔をしており、エルは頭の中がサーッと真っ白になる。
アランは片手でエルの手を掴んだまま、会場の辺りを見回した。アランの視線に気がつくと、周りの貴族たちはすぐに好意的な顔色に変える。そんな彼らにエルは背筋がぞっとする。エルは、繋がれた手を横目に、この人は今日もずっと自分の側にいるつもりだと悟る。
「しまったな、またマイクを置いてきてしまった」
アランはそう言って苦笑いを漏らす。そのとき、背後から、アラン様!という声が聞こえた。エルとアランが振り向くと、アレンの世話係であるマイクが背中で息をしながらこちらへ向かってくるのが見えた。
マイクはアランの前に来ると息を少しだけ整えたあと、厳しい表情をアランに向ける。しかし、小柄でアランと同い年にも関わらず幼く可愛らしい顔立ちの彼には余り迫力がない。
「私が目を離した隙に、お1人で勝手に行かないでください!」
「すまない、エルに少しでも早く会いたくて」
「もう!」
マイクは困ったようにため息をついたあと、うらめしそうにアランを見た。まったく悪びれないアランは小さく笑ったあと、でもさ、と口を開いた。
「こういう場に執事が付きっきりじゃあぜんぜん楽しめないよ。最愛の婚約者と2人きりになれやしない」
アランの口から出た婚約者という言葉に、エルの瞳からまた光が消える。そして、先ほどよりさらに周りが眩しくなる。
マイクは、はあ、とため息をつく。
「まだ殿下は子どもなんですから、お守り役が必要なんですよ」
「俺も半年後には16歳だぞ?立派な大人だ」
「殿下はまだ15歳です」
マイクはまたため息をつく。アランは、はいはい、とつまらなさそうに相槌を打つ。エルは、殿下と呼ばれたアランを横目で見つめる。
そう、アランはこの国の王子なのである。現国王の3男で、れっきとした王位継承権のある人物なのである。
そんな彼と、先に説明したような下級貴族の出であるエルがなぜ婚約者なのかというと、先代の国王とエルの祖父が幼馴染であり親友であったため、許嫁にしようと2人で決めてしまったからである。ただそれだけの理由である。
普通であれば、未来の王になるかもしれない王子の婚約者というものは、それなりの格が必要である。他国の姫と政治的な理由で結婚するケースも少なくない。しかし、エルの家は完全に王子の婚約者となるには不足している。けれども、アランは幼少の頃、体が大変弱く、王としては相応しくないというのが周囲の評価であり、例外的に周りから認められていた。そして、先代の国王であるアランの祖父が、先が長くないとまで言われたアランを不憫に思って、エルの祖父に同い年の孫を許嫁にしてもらえないかと打診したということもあり、周りはあまり口を出せなかったようであった。
アランの療養所の近くにダニエル男爵家の屋敷があったこともあり、エルはアランと頻繁に顔を合わせて、そして親しくしていた。身分違いの婚約者ということも、幼いエルには意味がわからなかったし、体の弱かったアランに王子として関心を持たなかった周りから何も言われることはなかったため、そんなあり得ないような婚約だなんて知りもしなかった。
しかし、アランは成長するにつれてどんどん体が丈夫になっていった。その過程で聡明で、武芸にも秀でた才能を開花させてきた彼に、彼に対して諦めていた周りの貴族たちの態度はガラリと変わった。この婚約の発端である先代の国王が亡くなったことも大きかったかもしれない。
それからがエルの地獄の始まりだった。
国王周りの貴族たちは、アランとダニエル家の婚約は取り消すべきだという姿勢をはっきりとしだした。王家の人間が、なんの得もない下級貴族と結婚してどうするのだと、今更口々に言い始めた。それだけではなく、実際に他のアランに似合う家柄の令嬢をどんどん候補に挙げて、エルとアランを引き離そうとした。
「(…その時に、私を手放してくれたらよかったのに…)」
エルは、アランが自分の手を握ったままの離さないところを見つめた。アランはエルの視線に気がつくと、握る手の力をまた少し込める。エルがはたと視線を上げると、アランと目が合った。するとアランは嬉しそうに微笑む。
アランのエルへの深い愛情が周りからの言葉で覆ることなどなく、そして、家の再興を狙う叔父が王家との縁を切らせるわけもなく、エルの望まないところで今日まで2人の婚約者という関係は続いている。
「(…そのせいで、私はもうめちゃくちゃ……)」
エルは、アランの澄んだ瞳に虚無の視線しか返せない。アランのエルへの執着に対する非難は、立場の弱いエルにばかり浴びせられた。
エルが身を引かないのが悪い。
自分の立場を分かっていない。
恥を知らない。
矢のように降りかかる非難に、エルは傷だらけになるばかりだ。
今日のパーク侯爵家のパーティーだって、エルがアランの婚約者だから呼ばれたものである。こうやってアランによって身の丈に合わない場にエルは立たされて、非難を浴びて、傷つけられる。そんなエルのことをもちろんアランはわかっていて、だからアランはエルを過剰なほど守る態度をとる。それが余計にエルへの風当たりを強くする。国王周りの貴族たちはどんどんエルを嫌い、その態度は他の貴族たちにどんどん伝播した。エルは数週間前に、とうとう最後の1人となっていた友人にすら縁を切られた。
エルは視線を上げる。自分にはあまりにも眩しい光に目が痛いとすら思う。
すると、このパーティーの主役である、パーク公爵家の令嬢シェリーがこちらへやってきた。彼女はアランの新しい婚約者候補としてよく名前が挙がる人物で、周りは何故彼女が婚約者ではなく、このエル・ダニエルが婚約者なのか理解しがたいという雰囲気だった。
彼女もアランのことを気に入っているようで、親しげにアランに近づく様子は今日以外にも何度もエルは見てきた。アランはそれにいつも通り対応する。アラン本人はシェリーに全く気がないけれど、邪険には扱わずに上辺だけの紳士的な笑顔で彼女に接する。彼女は花が咲いたような可愛い笑顔でアランを見上げる。女であるエルが見ても、動揺するほどに素敵な表情と仕草を見せるシェリーに、エルはどんな顔をしてアランの隣に立てばいいのかいつもわからない。足元がおぼつかなくて、自分はどうやって立っているのだろうと、エルは混乱してしまう。
「(…いっそこの光に焼き尽くされたい。何も残さず消えてなくなりたい。こんなに嫌な光に当て続けられるのなんて、あまりにも苦痛すぎる)」
そんなありもしない妄想にほんの少しだけ心が助けられたエルは、早く時間が過ぎ去って、このパーティーが終わってしまうことを祈ることにした。




