Ⅶ もしも、あの時言葉を掛ける事が出来ればという夢
長い行軍に慣れていないテンプルナイツ配下の兵達の顔には、疲労の色が見て取れた。国外への偵察任務が多いセレーネは息一つ乱していない。
移動の殆どをゴーレム任せにしていたチュチーリアは一部の兵士から白い目で見られている。だが、彼女はジェミニ評議界共和国からここまで、多数のゴーレムを自前の魔力だけでここまで行進させてきた。魔力の長時間の消費は身体にもかなりの負担が掛かる。
ここまで行進してきた兵士を遥かに凌駕する体力と集中力が無ければ為せない……のだが、魔法使いでない者がその感覚を理解できるわけもない。そして、チュチーリアも誤解を自ら解こうとしない。そんなことは時間の無駄だとも言わんばかりに、ゴーレムの肩の上で羊皮紙を睨んでいた。
――もう少し他人に興味を持って欲しいものだ……。
セレーネは額に手をやり、苦悩する。頭の天辺で結んだ栗色に橙色の混じった独特な色の髪が揺れる。ジェミニ国内の動乱以降、気持ちを切り替えるつもりで髪型を変えた。国を護る守護聖人の双子からは好評だったが、彼女は気が付いてくれるだろうかと、アリエス王国兵の中に若緑色の少女を探す。
ヘレン・ワーグナーはすぐに見つかった。流星高原、そこを拠点とする流星の旅団の長老と仲良さそうに話している。その後ろには、悠然と歩くイズルと横で喧しく喋っている青年。彼らを楽しそうに見守っているエフィルミアの姿があった。
そして彼ら一行の後ろから地元民と思われる少女が、傷らだけの男を引きずるように連行している。住民が魔物に襲われているという報告があったのがついさっき。恐らくヘレン達が解決したのだろう。
――相変わらず、人助けしているのね。
ヘレンの国に縛られない動きはセレーネにとっては羨ましいものであった。
「やっと来たか、相変わらず騒がしい連中だ」
チュチーリアが羊皮紙から顔も逸らさずにそう言った。彼女の興味は今、新しいゴーレムの開発に向いている。人型の採掘用ゴーレムだ。流星高原付近には魔光鉱石が採れる鉱山が各所にあり、その採掘には地元民が多く参加している。
鉱床の採掘には毒ガスの発生、坑道の崩落等々、危険が伴う。彼らが安全に作業が出来るようにと考えての事なのだろうと、セレーネはその目的に感銘を受けていたのだが、チュチーリア自身は「貴重な人材資源を無駄にはできんからな」と嘯いている。
「あ、セレーネにチュチーだー」
ヘレンがようやくこちらに気が付き、屈託なく手を振ってくる。セレーネは控えめに返し、チュチーリアは――言うまでも無く、ちらっと目を向けただけで、手を振ったり等しない。
ヘレンとイズルに同行していた青年がゴーレムを見て目を輝かせていた。
「おぉっ、スゲェなぁ。これがゴーレムの権威――チュチーリア・ヘファイストス作の巨大ゴーレムかよっ!」
純粋な少年のような眼だ。恐る恐るチュチーリアの方を見る。彼女は無表情だった。彼女が感情を表すのは未知の魔法に対する知的好奇心もしくは自らの魔法に対する「粗相」を罰する時くらいなものだ。
彼女は頑固なまでに賞賛を受けるのを避ける。曰く「魔法の研究を続けるのは承認欲求が故ではない」だからだそう。
――ちょっと褒められていい気になっても罰なんか当たらないでしょうに。
セレーネも生真面目なので、チュチーリアの気持ちが分からないでもないのだが、それにしても心を開かな過ぎる。青年がゴーレムに肌が密着しかねない所まで近づき、穴が開きそうなくらいに見入っても、チュチーリアは眉一つ動かさず、衛兵に命じた。
「あの無礼者を摘まみだせ」
「ま、待ってください、チュチーリア様、この方は恐らくイズル様の連れの方で――」
「誰であろうと、私の作品に触るのは許さない……」
その声には静かな怒気が込められていた。青年は他人の感情の機微に疎いようで、まるで気づかず、「おぉ、もしやあんたがチュチーリアか!」等と言っている。
胃腸が鷲掴みにされたかのように痛い。今のチュチーリアはいつ噴火するか分からない火山そのものだ。爆発秒読みの危機的状況を救ったのはイズルだった。
「こら、ジーク……ペルゼィック! 他国の重要機密に手を触れない」
「あぁん!? 手は触れてないだろうが!」
イズルが青年――ペルゼィックというらしい――に言葉を掛けて尚離れなかったので、両腕で引き離した。チュチーリアの表情は変わらなかったが、怒りの気配はすっと下がった。
一触即発だった様子をまるで察してないヘレンがトコトコと、セレーネ達の方に歩み寄ってきた。
「おー、セレーネ、髪変えたんだぁ、すっごく似合ってるよ!」
「え、えぇ……心機一転というやつね」
褒められて純粋に嬉しかったが、セレーネも中々どうして素直ではない。
「今のセレーネにぴったりだと思うよ」とイズルもペルゼィックを抑えつけながら爽やかな笑顔で言ってくれた。セレーネは思わず吹き出してしまった。
二軍が集結した今、改めて今後の作戦を確認する必要があるとセレーネが提案すると、イズルはペルゼィックを落ち着かせ、仲間達と離れ、テンプルナイツの陣地へと同行した。イズルとは別のアリエス王国のガルディアン・ド・レキリーブル騎士団団長のガルディアン・デ・レーヴ伯も後から合流した。
仮設の陣地にテント張りの駐留を目的とした質素な物だ。その中にある巨大な机の上に、地図が広げられていた。魔法で描かれたそれにはセレーネ達のいる地点、そこから点々とキャンサー帝国に繋がる道にインクで出来た道が記されている。そしてそれは今も広がり続けている。
「これがエミリオが率いている斥候部隊。数名の精鋭からなる部隊で、定期的に呪符を用いた念話による定期連絡をさせている。今は順調に進路を確保しているよ」
「進軍するのは数千単位だ。彼らが通る事を前提としているか……、途中経由できる砦も幾つか欲しい。補給と連絡を絶やす事の無いように。後は、本国との連絡――ここからだとジェミニが近いからジェミニとの定期的な連絡も欠かないように――」
作戦――というよりも作戦前の詰めるべき点を四人は淡々と洗い出していく。戦において最も肝要なのは英雄の勇猛さでも、卓越なる指揮で軍を導く将軍でもない。作戦を実行する為の下準備。これが無ければ英雄は無駄死に、将軍の策は無に帰する。
とりわけ、魔王軍との戦いは道中で予想外の妨害を受ける事が考えられ、進路の確保と維持が求められる。その話し合いと地図を睨み続けていると、いつの間にか日が暮れていた。
「皆さん、あまり根を詰め過ぎて頭から湯気が出てますよ」
テントの中に入って来たのは長老イザヨイだ。お盆に人数分の湯飲みを載せていた。粘土由来の陶器で作られているようで、中には薬草を煎じたのか緑色のお茶が入っていた。
「東の大陸のその先の島国のお茶よ、心がほっとするの」
「そんな果てに国なんてあるんですね」とセレーネはお茶の説明よりもそんなところに国があることに驚いた。
今自分達がいる大陸には十二の星座の神それぞれの星に因んだ国が存在している。キャンサーよりも東の海を渡ると、それと同じ規模の大陸そして、巨大な帝国が存在するというのは聞いた事がある。だが、さらにその先の場所は未知領域とされており、詳しく知っている者は冒険者や学者の中でも少ないだろう。
「一体どんな場所なんですか?」
イズルが食いつくように質問する。彼がそんな場所の事にそこまで興味がある事にセレーネは少し意外に思った。
「東は、龍が星と共に降り、人と交わる場所。私もそこの生まれなのよ」
ふとチュチーリアが立ち上がった。
「大分詰められるところは詰めた。作戦内容はまた明日――そうだな、昼過ぎにでもどうかな。私は私で朝のうちにやりたいことがあるんでな」
恐らく新型のゴーレム開発に時間を割きたいのだろう。イズルはイズルでやっておきたいことがあるらしく、それを了承した。「それでは、良い夜を」とチュチーリアはその場を後にした。
湯飲みはその場に置き去りに、寂しげに湯気が漂っていた。
星も降る夜に染まった空。ゴーレムの設計、挙動を見直し、自分のテントに戻り、蝋燭の灯りを元に羊皮紙にペンを走らせる。微かな明かり、夜に住む野性の動物達の囁きが聞こえてくる。他には見張りの兵士達の足音が聞こえるのみ。
この静けさをチュチーリアは好ましく思っていた。頭がすっきりとし、あらゆるしがらみから解放されたような気がする。……それでも脳裏に微かにちらつく悲鳴と、元弟子の最期の言葉。
――やっぱり……あなたは天才です。だって。
「あらあら、夜遅くまであなたは勤勉ね」
気配を一切感じなかった。その穏やかな声にチュチーリアは振り返る。流星の旅団の長老イザヨイはその手の湯飲みを机の上に置き、チュチーリアが座っている横の椅子にちょこんと座った。
「……夜の方が頭がよく働くので」
「頭も体の一部よ、しっかり休ませないとね」
すすっと湯飲みを寄せられる。流石にこれを断るのは礼を失すると見て受け取る。口当たりが良く、程よい渋み、飲み干すと身体の芯から熱がじんわりと広がる感覚がした。
「貴方、何か心に引っ掛かりがあるように思うわ。だから夜も眠れない、違うかしら?」
「……まぁ、そうかもしれません」
普段なら意固地に否定しただろうが、穏やかな声音にチュチーリアも自然と認めていた。もしくは誰かに話したかったのかもしれない。知合いでなく、それでいて彼女の話をよく聞いてくれそうな存在に。
「……弟子がいました。凡才で、不器用で――努力家の弟子」
自分よりもずっと高い身長なのに、いつもおどおどとした態度だった弟子。キャンサー帝国から亡命してきた者達の一人で、初めて会った時は酷く怯えていた。魔法の才があったので、弟子にした。何故そうしたのかと聞かれたら気紛れだと答えるようにしていた。
助けたいから等と口にすると嘘っぽく聞こえてしまう。自分ではどうにも出来ない運命の中に置かれた者達にチャンスを与えているのだと考えるようにした。孤独で行く当ても無かった自分にチャンスを与えてくれた自分の師匠のように。
「彼女を失くしたのは……、私の無理解、不干渉のせい。何度も何度もあの時どうすれば良かったのか? 等と無駄な事を考えてしまう」
湯飲みが手の中で無意味に揺れる。チュチーリアの言葉をイザヨイは静かに聞いていた。
「人は誰しも喪失に対して考えるものよ。自分が何かしていれば変わったかもしれない、と」
仮に時を戻したところで、きっと何も変わらなかっただろう。彼女の不安を取り除くことは自分には出来なかった。そう結論づけるしかない。
「きっとそのお弟子さんは幸せだったわ。こんなに思われているんだもの」
「……そうでしょうか」
彼女を否定し、トドメを刺したのは自分。最期に彼女が見せた哀しそうな笑み。
「きっとあなたには前を見ていて欲しいと思っている筈。だから今は」
意識が遠ざかる。イザヨイが毛布を掛けてくれる気配がした。どうやらあの茶には安眠効果もあるらしい。
――研究の続きは……朝早くからすればいいか。
弟子の……ジネーヴラが静かに頷く幻覚を最後に彼女は眠りの世界へと身体を委ねた。




