Ⅵ 流星高原
ヘレンとペルゼィックの二人が向かった時点で、戦いはすぐに終わると、イズルは確信していた。だからと、部下も連れずに向かおうとして、副団長リアムに止められた。もしもの事があってはというだけでなく、騎士団団長――一軍の長がそう奔放に動かれては兵が困るという。
――最近はヘレン達と一緒に動いている時の方が長かったからな。
自由に動く方に慣れてしまっていたし、そちらの方が気も楽だというのが本音だった。大分ヘレンに当てられた――彼女の自由さに影響を受けていたと見るべきか。
「わ、私が見てきてあげる!」
とエフィルミアが駆けだしてくれた。程なくしてエフィルミアはヘレンを背負い、おいおい泣きながら帰って来た。その後ろには不機嫌そうなペルゼィックの姿も。その後ろに見慣れない銀髪の青年がいた。報告があった魔物に襲われていた現地人だろう。
「おかえり、襲われていた人も無事なようで安心したよ」
「はっ、当然、俺様の手に掛かればこんなもんよ。なぁ、勇者サマ?」
ペルゼィックが露悪的な笑みを銀髪の青年へと向けている。勇者? と、イズルは怪訝そうな顔で青年を見る。だが、青年はすっかり機嫌を損ねているようで、フンと顔を逸らしてしまった。またペルゼィックが迷惑を掛けたのだろうと、イズルは溜息を吐いた。
続いてエフィルミアの方を見る。こっちはこっちで何があったのやら、エフィルミアはヘレンを背負っていた。ヘレンは当たり前のように眠っている。が、いつもの健やかかつ幸せそうな感じが無かった。それを的確に表現するとすれば、そう――不貞寝。
――一体、この短い時間で何があったのやら。
説明を求めるように視線を向けると、エフィルミアは困り果てたように泣きついてきた。
「ヘレンちゃん、機嫌が悪いから寝るって――」
「……三日後に起こしてぇばばば!!」
文字通りの寝言にイズルは問答無用でヘレンの頬を捻り上げて彼女を起こした。が、いつもただ起こされるままに引っ張られている彼女だが、顔を逸らしてイズルの手から逃れた。
「ヘレン、何が起きたのかちゃんと説明してくれないと」
「なんでもな……くは無いけど、ここでは言いたくない」
イズルの表情をおずおずと見ながらヘレンは言った。こんなに不機嫌なのは珍しい。エフィルミアも何か知っているようだが、口を閉ざしてしまっている。唯一話してくれたのはペルゼィックだ。銀髪の青年を指さす。
「この野郎が、魔物を倒したのはその女じゃなくて、自分だと言い張るもんだからよ。馬鹿だよなぁ、尻もちついてたのも、情けない声出してたのも、ばっちり俺が見ていたし、聞いてたってのによ!」
「ふむ……、そうなんですか? えっと」
「そこの見麗しい姫は貴方様のお連れですかな? 拙者、アロンソ・ディ・キホーテと申す。流星のようにこの地に舞い降りし、勇者。姫様を窮地よりお救いいたしました!」
気障な恰好を付けて、青年――アロンソはそう名乗りをあげた。成程、ヘレンが怒っているのはそういうことかと、イズルは察しがついた。見るに、この男は……控えめに言って頭がおかしいように見える。妄想にでも取り付かれているのではないだろうか。
「ヘレン、この男の言う事は気にしなくていい。君も、君の仲間の強さも、彼は知らない。想像すらできないんだろう。だからこんな大法螺が吹けるんだ」
視線を逸らしていたヘレンが、控えめな笑みを浮かべて応えた。彼女は勇者――ジェイソンに、複雑な感情を抱いている。その事をイズルは知っている。時たま、彼女が語る勇者とその仲間の話は憧憬に満ちた物で、自分が彼らについていけなくなったことに対する後悔と一種の諦めの混じった気持ちがあった。
イズルの言葉は偽勇者にも聞こえている。彼に抗議せんと口を開こうとしている。その後ろ、兵士達の間を縫って誰かが出てくるのが見えた。
「む、聞き捨てならぬ! 其方、一体なにもんぐぁ!?」
「こんなところにいた! 人様に迷惑を掛けるんじゃないの!」
茶髪を大きな三つ編みのツインテールにした少女だ。多くの農民と同様に簡素なエプロン、ウールで出来たチュニックを身にまとっていた。彼女はずんずんとアロンソの前にまで行くと、彼の後頭部、毛の生え際辺りを蕪でも掴むようにむんずと掴むと、前に思いっきり倒した。
「皆様、大変ご迷惑をお掛けしましたぁっ!」
「いだだだだっ、いだい! ドルシネア・ルクセリア嬢! これでは髪が! 髪が抜けるぅっ!」
全員目を点にしてその光景を見つめた。そのまま頭を地面にでも突っ込み平伏しそうな勢いだった。
――あれ、これ、俺がなんか言わないと収まらない感じかな。
イズルはこれでも貴族なので、こういった過剰に――少なくとも彼個人としてはそう感じる――へりくだられた物言いへの対処も慣れてはいる。
「どうかお顔を上げて……、あなたはこの男の身内の方でしょうか?」
「えっと……ただのご近所さんです」
「あー……随分厄介なご近所さんだね、同情するよ。ドルネシアさんで、いいのかな?」
「ドルネシアとお呼びください。は、はい、それはもう……絵空事ばっかりの勇者のお話を読んで、自分も勇者だと思い込んでいるみたいで――」
アロンソがデタラメな名前を言っていたとしても、驚きはしなかったのだが、ドルネシアは本名らしい。勇者の英雄譚は数多くある。その活躍に関する話は誇張……というよりも、脚色がなされており、読む者に多かれ少なかれ「もしも自分が勇者だったら」という想像を掻き立てさせる。
かくいうイズルもそう言った妄想を一度もしたことがないとは言い切れない。なので、アロンソの事は多少共感できる部分が無いとも言い切れない。まぁ、ごくごく僅か、小麦一粒分くらいは。
アロンソの髪の毛を根から滅さんと、捻り上げるドルネシアに対しイズルはどうどうと収める。
「まぁまぁ、ドルネシアさん。人には自分が何か特別な存在だと思い込みたい年頃というものがあるんだ」
「いいえ! いい加減夢から覚めて、ちゃんと仕事して貰わないと、村の皆が困りますので!!」
ぐいぐいと髪を引っ張る勢いは止まらない。そろそろ放してやらないと頭皮が手遅れになる。どうしたものかと思っていると、部下から流星の旅団の大長老が参られたとの報告が入った。
その方は今どこにいるのかと聞き返そうとした時だった。
「まぁまぁ、ドルネシア、その辺にしておきなさい。さもないと、彼は20を迎える前に髪が全滅してしまうわ」
一人の老婆が杖も無しに陣地の中を歩いてきた。その背丈はかなり小柄で、恐らくそこらへんの子どもと比べて尚も小さい。にも拘らず、イズルは存在感で圧倒されるのを感じた。
この老婆は生気に満ちていた。背筋をしっかりと伸ばし、長い茶髪を風になびかせ、その瞳は好意的で、興味深く周囲を観察している。尖った耳と細く鱗のある短い尻尾から人間とは別の種族であることが窺える。
もしや、この方が? とイズルが気づく横で、ヘレンのそれまでの不機嫌顔がパッと輝いた。
「イザヨイおばあちゃん!」
「あらあら、ヘレンちゃんじゃないの、元気にしていたかしら?」
イザヨイと呼ばれた老婆は、ヘレンがしゃがむと、その頭を優しくそっと撫でた。まるで孫娘と祖母の交流そのもの。イズルはイザヨイが気を悪くしない程度に、ヘレンをそっと引き戻して挨拶する。
「私はアリエス王国諸侯、金羊毛騎士団のイズル・ヴォルゴールと申します。失礼ながら貴女様は、流星の旅団の大長老様でいらっしゃいますか?」
「ふふ、これはどうもご丁寧に。それに大変聡明ね。いかにも、流星の旅団イザヨイとは私のこと。うちのものが大変迷惑を掛けましたね」
居心地悪そうにしているアロンソにちらっと視線を送り、イザヨイはそう言った。その表情は穏やかそのもので、無謀な妄想男を責める色は無い。隣のドルネシアが「イザヨイお婆ちゃんはほんと甘いんだからっ」とアロンソの耳を引っ張り、イズル達に口早にお礼と謝罪をして、その場を去っていく。
「ごめんなさいね、あの子はこの地に降りた星の子――あなた達風に言うのであれば転生者いえ、それとも転移者かしら? 嘘か誠か、自分は勇者であるという天啓を受けたと言っているの」
時折、星と共に別の世界から転生する者がいるという。そして強い霊力を持った女性の腹へと受胎する。殆どの転生者は前の世界の事を憶えてはいない。憶えていたとしても、朧気で断片的な物しかないのだそうだ。
それに対し、転移者は前の世界で生きていた姿をそのまま保ったまま、この地に降り立った者を指す。転移者もやはり前の世界の記憶が失われている事が殆どだが、前の世界で得た体に染みついた経験や技は覚えている事があるという。
そして、星と共に降り立った者は、星天から天啓を受ける事がある。イズルがパッと思いつくのが、アリエス王国ソル王子。
――民を護り、魔を払いて、王としてこの地に平和を導け。
それを愚直なまでに実行しようとしたが、彼はその使命そのものに呑まれかけた。
「でも、あなた達が御覧になった通り。何か特別な力に目覚める気配も無かったから、本人の思い込みというのが旅団長老会の見解ね」
流星の旅団は、経験豊富な賢者達によって統治されている。それを束ねるのが大長老のイザヨイなのだという。
「まぁ、ともかく、重ね重ね感謝を。我々はあなたがたを迎え入れる準備が出来ているわ」
間もなく、金羊毛騎士団は移動の準備が整い、一行はイザヨイと数人の旅団の住人に誘導され、彼らが拠点とする流星高原――都市国家連合の中心地に辿り着いた。
高原に幾つものテントが並び、幾重もの魔法の光が天辺で輝き、辺りを照らしていた。近くにはゴーレムの群団が集結していた。その内の一体の肩に見慣れた女性の姿も見える。
小柄で、足元まで伸びた栗色の髪、ジェミニ評議界共和国テンプルナイツのチュチーリア・ヘファイストスだ。彼女はちらっとイズル達の方を見て軽く会釈した。今回、ジェミニ軍を率いるのは彼女であると聞いていた。以前の戦いでは大分彼女に助けられた。今回の遠征でも非常に心強い仲間となってくれるだろう。
その傍には生真面目に歩兵へ訓示を下している少女の姿もある。真っ白なマントルとチュニック、栗色にオレンジの混ざった特徴的な髪――セレーネ・ヒュペリオンだ。訓示の途中だからか、イズル達の姿を見て綻びそうになる顔を必死に抑えていた。彼女の剣の腕と不屈の精神もまた信頼に値する。
一陣の風に髪をなびかせながら、イザヨイはイズル達を迎え入れた。
「ようこそ、星降る大地へ。我々はあなたがたを歓迎するわ」




