Ⅴ 自称勇者の英雄譚
寝起きは最悪だった。頭が揺さぶられ、耳元で誰かが咽び泣いている。うぇぇと吐き出すような声と共に、ヘレン・ワーグナーが起きると、隣にはエフィルミアがいた。なんで泣いているのかは分からない。
――そういえば、
先程、夢の中で嫌な気配を感じた。鈍痛の走る頭を撫でつつヘレンは、辺りを見回す。地面に斧の傷痕。そして毒々しい体液の痕跡が残っていた。魔物は死ぬと身体が消滅するが、体液を元とした毒々しい瘴気が後に残る事もある。それらを浄化するのは神聖術を扱える聖職者、魔法使い或いは大地の自然的な魔力でも、時間を掛ければ消失する。
生物が瘴気に侵され、尚且つ生物側が瘴気を受け入れる事で、魔物へと変じる――それが魔物の誕生経緯の一つとされる。討伐した後の魔物の瘴気は薄く、脅威にはならないが、それでも警戒するに越したことはない。
「うぅう、ヘレンちゃん、また寝たまま戦っちゃってぇ!」
「あー……それでこのアリサマ……。へーき、へーき……エフィはおおげさだねぇ」
「そんなこと言って!! この前もそれで大変な事になったの覚えてないのぉっ!?」
もう、寝たまま出て行ってはいけません! とお母さんみたいな怒られ方をしてしまった。とはいえ、ヘレンにとって眠っている時の行動は反射的な物。それをある程度自分で制御する為の修業はしてきたものの、基本的にヘレンの眠っている間の戦い方は殺気を察知しての条件反射だ。
時折、起きている時と同じか、それ以上に頭が働くこともあるが、そんなことは稀だ。
泣いているエフィルミアをどうにか宥めようとしたその時だった。
風が吹き、一人の青年が優雅に銀髪を手で靡かせながら近づいてきた。泥だらけ血だらけの服でなければ、貴族ですと言って、田舎者くらいなら騙せるかもしれない――そんな胡散臭さが隠しきれていない男だ。
自信に満ちた表情で彼は言う。
「お嬢さん、いえ、眠り姫。ようやくお目覚めですか」
「え、ダレこの人、エフィルミアの友達?」
「ここここんなキザっぽい友達いないよ!」
ヘレンは困惑して指差すも、エフィルミアはぶんぶんと首を横に振っている。だが、青年は指を差されようが、それとなく貶されようが、気にした様子もなく、気障ったらしくポーズを取った。
「……危ないところでしたね、眠り姫よ。拙者が助けに入らなければ、君は今頃あの恐ろしい翼蛇に嚙み殺されていたことでしょう」
何かの冗談で言っているのだろうかと、ヘレンはぽかーんとその男の整った顔を見つめ返した。戦闘において無類の強さを発揮する彼女だが、人の感情については、極々有り触れた事しか知らない。
会った事すらない男が馴れ馴れしく話しかけてくる経験等――そういえば、アリエス王国の近衛騎士団の団長も大分馴れ馴れしかったなと、ヘレンは思い出すも、こういった時にどう対処したらいいのか彼女には皆目見当もつかない。
ただただ意味が分からず、警戒心だけが高まっていくのだが、男は一切気づく様子が無い。一方的で気まずい空気を破ったのは、思いっきりの良い声だった。
「おい、弱虫っ! 怪我の治療がまだ終わってねぇだろうが!」
巻かれた包帯が男の後頭部を直撃し、首が直角に曲がる。涼しい顔が一瞬にして沸騰する。頭の上に水でも置いたら、一瞬でお湯ができちゃいそうだとヘレンは思った。
「えぇいっ! 勇者に対する畏敬の念というものが君には無いのかっ!!」
「あぁん!?」
「ひぃっ!?」
元気のいい声の主――明るいキラキラとした金髪に、メラメラ燃えるような赤い瞳の青年をヘレンは知っていた。確かイズルの友達でペルゼィックと言った筈だ。面白い武器を作ってる人。それを思い出して、ヘレンの口元が緩む。
「あ、イズルのともだちだー。確か……ペル君?」
「その呼び方止めろって前に言ったよなぁ!? 女っ!」
言われた気がする。確か、イズルはジークと呼んでいたが、そもそもペルゼィックは気難しく、親しい人間以外から愛称で呼ばれる事を嫌っていた。じゃあ、なんと呼んだらいいものか。やり取りを聞いていたエフィルミアが怒って長い耳をピコピコ動かして抗議する。
「ちょっと! 世界の半分は女の子なのよ! イズル君の友達だかなんだか知らないけど、そんな呼び方無いよっ!」
「あ、なんだ女その2」
「そ、その2!? 私にはエフィルミアって言う由緒正しい名前があるんですけどぉ!?」
雑な呼び方にショックと怒りで、更にヒートアップするエフィルミアをどうどうと馬でも宥めるように、ヘレンが鎮める。3人でぎゃーぎゃー言い合いをしている間、青年(銀髪)は蚊帳の外であった。
「あ、あのー……拙者の話も聞いて貰えねーかなー……?」
「そもそもあなたはなんなんですかっ!?」
「あ、いや、だから、拙者は――」
「ヘレンちゃんが蛇に噛み殺されるとか! そんなこと万が一にもあり得るわけないでしょ!! 蛇の魔物なんて何百何千、何万と押し寄せようとなぎ倒すわ!」
過大評価だとばかりにヘレンは照れて「それほどでもー」と頭を掻いたが、銀髪(一人称が拙者の胡散臭い青年)は「いやいやいや、かくも麗しくぼんやりとした姫君が、一騎当千の猛者みたいなことできるわけ!」と否定する。
「……てめぇも見てただろうが。アンピプテラの群れをなぎ倒して、短剣で頭ぶち抜いたこいつの姿をよ」
「眠ったまま戦える人間などいるものか! 先程のあれ、実は拙者の勇者としての真の力が発揮された結果であってだな」
短剣はヘレンがイズルから貰った物だし、銀髪(一人称が拙者の胡散臭いホラ吹き)の言っている事はあまりにでたらめだ。尤も、相手からしたらヘレンの戦い方の方がよっぽど、『デタラメ』で、信じがたいかもしれないが。
いや、そんなことよりも、この男は気になることを言っている。ヘレンが音も無く近づき、静かに風が巻き起こる。
「今、自分の事『勇者』って言った?」
「ぬわぁっ!?――……フ、フフフ。よくぞ聞いた、眠り姫よ。勇者としての使命を胸にこの世に舞い降りた転生者、アロンソ・ディ・キホーテとは拙者の事」
ヘレンの言い知れぬ圧力に驚愕こそしたものの、自尊心と承認欲求がそれを上回ったようだ。ホラ吹き改めアロンソは自己紹介しつつ、顔に手を当てて、ウィンクで魅力(♡)を振り撒いた。
ヘレンはハエでも掃うように手を振って、漂ってくるようなアロンソのハートをべしっと弾き、胡乱な目を向ける。
ヘレンにとって勇者とは特別な存在だ。
世界には色んな英雄がいる。
その目でヘレンは彼らの輝きを見てきたし、多くの人が救われてきたのを知っている。彼らもある意味では勇者と呼んでしかるべき人達だし、そこに疑問の余地はない。
だが、彼女にとって真の勇者とは――ただ一人。
ジェイソンは絶望の闇を照らす光、太陽のような存在だった。彼の往く所、魔人や魔物はたちまちのうちに討伐されて闇は祓われれる。不可能だと、絶対助からないと人々が諦めるような修羅場を幾つも潜り抜けてきた。
数ヶ月前、魔王と対峙する直前、この地をアンデッド軍団から解放した時もそうだった。大地を埋め尽くさんとしていたアンデッドの集団に、ジェイソン、ヘレン、キルケ―、メディアの四人で立ち向かってその殆どを全滅させ、死者を操っていた魔人を討伐することで、平和を取り戻した。
絶望し恐怖する人々に、ジェイソンは彼らに希望を抱かせることが出来た。たった一太刀で、彼は自分が勇者であることを証明し、言葉で彼らを奮い立たせる事が出来た。
「……あなたはジェイソンと同じことができる?」
「そ、それは……」
この地の人間であるなら、見た事が無かったとしても、その偉業は聞いた事があるはずだ。仮に勇者の姿を見た事があるなら、傍にいたヘレンの事も見ているだろうが、恐らく直接見た事はないのだろう。
アロンソ・ディ・キホーテは明らかに動揺した。やはりその程度かと思ったが、彼は意を決したように大きく出た。
「出来る!!」
「ゾンビの群れを一太刀で薙ぎ払ったり」
「あぁ! ゾンビだろうがトンビだろうがドンときたまえ!」
「稲妻みたいな速度で移動したり」
「逃げ足なら自信がある!!」
「言葉で震えている人々を湧き立たせたり」
「泣いている子をあやしたことなら――」
なんだか話していて疲れる人だと、ヘレンは溜息を吐いた。傍で聞いていたエフィルミアがハラハラとし、対照的にペルゼィックことジークは、ヘレンのこだわりように首を傾げている。
「なんだ、女、勇者の熱烈なファンかなんかかぁ?」
「えっと……そんなところ」
一瞬、仲間だよと言いかけてヘレンは俯いた。彼女が『仲間だった』のはついこの前。今ではただ憧れている存在でしかないと言われても反論は出来なかった。
「ハッ、どうやら逆鱗を踏んじまったようだな、偽物!」
「……ファン?」
偽物と言われて怒るかと思われたアロンソだったが、まるで正気に戻ったかのような声音で怪訝気にヘレンを見た。その視線の意味をヘレンは図りかねる。とはいえその真意を聞く気にもなれなかった。
アロンソはイズルの騎士団に保護された。流星高原にある集落出身の人間であるということで、そこまで送り届けられることになる。
アリエス王国とジェミニ評議界共和国両軍の集結地点でもあるそこで、一騒動起こることを、ヘレンが知る由はない。




