Ⅳ 猪突猛進
王国兵士の胡乱な目もなんのその、ペルゼィックは大股に歩みを進めた。
太陽のように燦々(さんさん)とした金髪、情熱に燃える赤い瞳。骨組みの逞しい精悍とした体つきの青年。その腰にあるのは二振りの剣。
王国における大胆不敵なる剣士にして、奇想天外の発想を以て、奇妙奇天烈な武器を打つ鍛冶屋。今もその手には、装飾の施された先端が回転する長大な杖を手に、砦内を練り歩いていた。
王国内で彼の名が轟かなかった日は無い!! ……と、少なくとも本人はそう自負している。実際、熱烈な視線を自分に向けてくるメイドが目に入り、「ふっ、流石俺様だな」と気を良くしていた。そのメイドが近づいてきて、恭しくお辞儀した。
「ぺ、ペルゼィック様、お久しぶりでございます……」
「ガハハ!! ……エー……、そうだな!」
誰だこの女? そんな思考がよぎるも、話を合わせておく。自分の事を敬う者をがっかりさせてしまうような事を言うわけないはいかない。頭をフル回転させてこのメイドといつどこで出会ったのかを思い出そうとする――そんな必死さが表情に思いっきり出ていたのだろう。メイドは我慢しきれずに吹き出してしまう。
「ふふ、この姿でお会いするのは初めてですわね。以前あなたに助けて頂きました。ヴォルゴール領の山奥で……覚えておいでではないでしょうが、キアラです」
「あーっ! 思い出し……じゃない! 覚えてるに決まってんだろ! 山で倒れていたところを助けたあの時の娘だろ?」
イズルが治めている今の領地――当時は父のベネディクト――の山に魔人が出たと言うので数名の兵士と共に討伐した。その帰り、山奥で獣を討った。その時傍に娘がいた筈だ。保護したのは兵士で、自分は獣の検分をしていたから、気が付くはずもない。
しかも、その時の彼女はボロボロの布を纏っていて、髪も血に濡れてぐしゃぐしゃだったし、怯えていて目は見開き、がちがちと歯も震わせていた――と思う。
心身共に綺麗に整った今の姿とは似ても似つかない。。こちらのことを憶えていたことにむしろ驚いてしまう。名前なんぞ聞いたっけかとすら思う。
「はい、その時の娘でございます。覚えていて頂き、キアラは感激です。その節は本当に――」
「ふはは、礼なんぞ不要だ。武人として当然のことをしたまでだからな!」
声がデカい。周囲の兵士達が「うるさいなぁ」という視線を向けるも、やはりペルゼィックは気にも留めなかった。遅れてペルゼィックの後ろから荷車を積んだ部隊が到着した。
「ペルゼィック様も、魔王軍討伐の軍としてこちらへ……?」
「あぁ、そうだ。今回は長距離の行軍になるからな。戦場に鍛冶屋は不可欠、そして王国で最も腕が立つ鍛冶屋といえば俺だ!」
びしっと親指を自分の胸に突きつける。後から来た荷車の部隊は「またなんか言ってる」とか言っていたが、やはりペルゼィックがそれを気にすることは無かった。
「さ、流石です、ペルゼィック様」
「そうだろうそうだろう!」
ナハハ! と笑いすっかり鼻高々になってしまっているペルゼィック。その彼を誰よりも知る者が「またやってる」とばかりに声を掛けてきた。
「相変わらず絶好調だね、ジーク」
「おうよ! お前も相変わらず……元気そうだな!」
イズル・ヴォルゴール。ペルゼウィックをジークの愛称で呼ぶ親友に対し、気の利いた一言が思いつかなかったが、イズルはペルゼウィックの壮健な姿が見れただけで満足な様子だった。
「またなんか……変わった武器を作ってるみたいだけど」
「こいつか? すげぇだろう? 魔道部隊の連中にコイツの凄さを売り込もうと思ってな!」
何がどう凄いかは一切教えない。実戦でアッと驚かせる楽しみが減るからだ。
その結果、幾度と失敗した事は忘れている。何故ならペルゼィックは過去を振り返らない男だからだ!
――だが、親友は彼の失敗を悉く覚えている。ついこの前も勇者の元仲間である戦士の少女に回転する斧を使わせて、訓練場の一角を粉微塵にしたことを忘れていない。
生温かい視線を感じてペルゼィックは「疑ってやがるな! 今回もマジもんだぞっ!」と息巻き、
「あ、今回『は』じゃないんだ……」とイズルに飽きられた。
「当たり前だ。お前の神材の戦鎚《フロルの涓滴》だって俺が打ってやった一級品で――」
「勿論忘れてないよ……あれがジーク、君だけの技量で作られたわけじゃないのも含めてね」
痛いところを突かれて「うぐぅっ!」とペルゼィックは唸った。そして今イズルが言った事は全て真実なので、言い返す事も出来ない。彼は武器鍛冶屋の息子であり、今まで作ってきた武器種は多岐に渡る。今回のように魔法武器の精製も一度や二度ではない。
どれも自信作ではあるのだが、周囲にそれを認められたことは少ない。なんなら硝子細工の方が向いていると言われる。硝子細工の技術が高いことが称されることは素直に嬉しいものだ。だが、武器の鍛錬とて、それに勝るとも劣らない技術力があるものと、ペルゼィックは考えていた。
だからこそ親友に得物を造る依頼が実家に舞い込んだ時は、自分が受けるつもりでいた。だが、実際に彼が手掛けたのは、戦槌の先端にある聖杯を象った銀色の器部分のみ……。
ペルゼィックはそれまでの元気が嘘のように項垂れた。さっき話しかけてきたメイドのキアラがおろおろと動揺している。
「えっとさ……俺はジーク、君とその家族が造ってくれたフロルの涓滴を気に入っているんだ」
「フッ……、下手な慰めはいらねぇぜ」
「いや……その体勢でいくら恰好つけても、強がってるようにしか見えないんだけど」
イズルに言われて、がばりと立ち上がる。慰めようと近づいてきたキアラが小さく悲鳴をあげた。ペルゼィックは小さなことでくよくよとし――はするが、立ち直りも早いのだ。
「強がってなんざいねぇぜ! いいか、今度お前の武器作る時が来たら覚悟してやがれ、俺自身の至高にまで鍛え上げられた技と斬新かつ洗練された美しさで見返してやるからよぉ!」
話聞いてた? と言わんばかりのイズルの顔も、高笑いするペルゼィックの視界には入らなかった。
「それで、君がここにいるということは、輜重隊は全て揃ったということだね」
輜重隊――それは行軍の兵站を担う部隊であり、食料や医薬品を中心とした物資の運搬が主任務ではあるが、ペルゼィックのような『鍛冶屋』は武器の補給と整備を任されていた。
「おうよ、俺らが来たからには、末端の雑兵にだって一流の武器を渡してやんからな!」
「あぁ……二流でもいいから、ちゃんと使える物を渡して貰えると助かるんだけど」
イズルの全体を見る「将」としての頼みは聞き流されてしまった。「それはそうと、だ」と、ペルゼィックは周囲を見回す。その瞳は以前にイズルと一緒にいた若緑色の少女を探している。
「あの女はどこだ? お前が以前拾ってきたっていう――俺の愛しい武器をオシャカにしたアイツ!」
「拾ってきたって……ヘレンは犬じゃないんだぞ」
あまりにギャーギャー騒ぎ過ぎたからだろうか。テントの一角が開いて「うるさーい!!」という黄色い声がペルゼィックの鼓膜を刺激した。桃色の髪をした耳の尖った少女だ。ペルゼィックの知識が正しければ、その耳はエルフの物だが、彼女はペルゼィックが想像するような一般的なエルフとはどこか違った。
そしてその膝元では、森の中に茂る木々の葉のような髪を持つ少女が、安らかに眠っていた。
「こ、こらぁ、誰だか知りませんが、静かにしなさーい!! ヘレンちゃんが起きちゃうでしょー!!」
エルフの少女が必死になって威嚇してくる。その様子を見てペルゼィックは一言、
「女が増えてやがる……」
「人聞きの悪い事を言うんじゃない」
言った直後、イズルに後頭部に拳骨を振り下された。ますます騒がしくなる中、一人の兵士が切羽詰まった様子で駆け寄ってきた。一瞬にしてその場の雰囲気が変わる。
緩み切った弦が引き延ばされるように。
「申し上げます! 駐屯地より北西方面にて魔物を確認。現地人が追い回されているようでして――」
ペルゼィックの行動は早かった。武芸も工芸も「猪突猛進」それこそ彼の真骨頂。
杖をイズルに預けるや、腰から装飾付き刺突剣と斬撃長剣の二振りを抜きつつ、報告にあった位置へと猛進。その姿はさながら大猪の如く。
駐屯地を飛び出し、高原を駆け抜ける。
――はははっ、我に追いつく兵無し!!
イズルが聞いていたら頭を抱えていただろう決め台詞を心の中で叫ぶ。が、その彼を何かが追い越した。ペルゼィックの得意顔がゆっくりと驚愕に変わる。
一瞬捉えたそれは若緑色に流れる癖の強い髪の毛、ともすれば愛らしいとすら表現できそうな顔立ちに相反して華奢、か弱さを全く感じさせない強さとしなやかさ、たくましさを感じさせる身体。
それが大斧を”片手”で担ぎ、尚且つ俊足と称されたこともあるペルゼィックを追い抜いて行った。一瞬だったからよく見えないが、すまし顔で目すら開けていなかった――気がする。
ヘレン・ワーグナー、その強さをペルゼィックは訓練場で垣間見た。彼が造った武器の性能を限界以上まで引き出し、結果、魔法で強化された障壁をまるで砂山でも崩すかのように、粉々にしてしまった。
以来、ペルゼィックはこの娘を只者ではないと睨み、勝手に――誠に勝手ながら、武芸の好敵手として認めたのだった。
「やるなぁ、イズルの侍女ぃっ! 俺も本気で勝負させてもらうぜぇええ!」
ヘレンはイズルの侍女でもなければ、勝負しているつもりもない――どころか意識も無いのだが、ペルゼィックにとっては些事に過ぎない。それまでは彼も準備運動でもしていたかのように、“久々”に本気を出して駆ける。
大地を疾風の如く駆けて、ヘレンの背に追いつき「どうだ参ったか!」と息を上げながら叫ぼうとした瞬間だった。
「ぐわぁあああああっ、助けてくれぇええ!」
恐ろしく大きく情けない悲鳴が高原に響いた。見ると目の前で青年――悲壮さで歪んでいるが、爽やかな銀髪に、大分整った顔つきの男だ――が翼蛇の群れに追い回されていた。
アンピプテラ――翼の生えた蛇の魔物であり、その身体は人間を丸々呑み込めそうなくらいに大きいのだが、単体では大した脅威にはならない。具体的には農民が農具で打ち殺したという話すらあるくらいには弱い。
巨大な翼による威嚇は、「か弱い女子供相手」であれば、恐慌状態に陥れることもあるとも聞くが、どの道、ペルゼィックのこの戦の初手柄となる相手としては役不足もいいところだろう。
「うわぁあああっ!!」
ペルゼィックにとっては、目の前にいる魔物よりも逃げ回っている男の声の方が不愉快だった。頭が痛くなる程デカい声だ。
「ちっ、情けねぇ声出してんじゃねぇぞ!!」
刺突剣の切っ先がアンピプテラの胴体に吸い込まれて、背中を突き破る。のたうち回るそれを地面に叩き付けると、今度は左右から別の二体が迫る。
身体を回して放った斬撃長剣の一閃が、首を刎ねる。最初に仕留めた奴から刺突剣を引き抜くや、逃げ惑う青年にしつこく追いすがろうとしていた奴に投擲――脳天をぶち抜き、動かなくなる。
怒りに満ちたアンピプテラが、シュウシュウという煙のような音に憎悪の滲んだ独特な鳴き声を上げて、更にペルゼィックへと迫る。
――上等っ
長く蠢く胴で包囲しようとした翼蛇の首を素手で締め上げて、魚でも捌くかのように、その腹を長剣でかっさばく。
アンピプテラ達はその翼で空を滑空することもできた。宙を自在に鬱陶しく飛び回って、人間達を捕えようとする。
魔族は生きとし生ける者が発する、闇の感情から力を得る事が出来る。単体ではまるで脅威にならない翼蛇ですらもその例外ではない。個々の死に――己の死すらも――関心すら無く、大群でもってひたすら獲物を追い詰め……。
幾つもの刃が弧を描いて、翼蛇の大群から噴き出した血飛沫が天空を朱に染める。斬撃と惨劇の中心に立つはヘレン・ワーグナー。その目の前で唯一斬られなかった翼蛇は、ヘレンに睨まれたまま微動だにしない。
真の捕食者が誰であるか――それを悟ることすらなく、翼蛇は地面に突っ伏した。その後頭部には、いつの間に投擲したのか、短剣が深々と突き刺さっていた。
――あの得物はイズルの物だ。アイツ、相当信頼置いてやがんだな。
そして、それも納得できる程の実力の持ち主だと、ペルゼィックは思った。燃え滾るこの感情は嫉妬とは似て異なる炎。
対抗心。それでこそ好敵手としてふさわしいと、謎の上から目線でペルゼィックは満足そうに笑う。
「やるなぁ、女っ! 次は負けねぇからなぁ!!」
その威勢のいい啖呵にヘレンはと言うと、
「すぴー」
寝息と鼻提灯で答えるのであった。
――そして二人は気づかない。今しがた助けた青年の憧憬そして――嫉妬の入り混じった熱く歪んだ視線を。彼がこの世界に期待されて“落ちてきた星”であることも。




