Ⅲ メイドの憂鬱
ヴォルゴール家の現当主であるイズル、その父であるベネディクト・ヴォルゴールには三人の妻がいる。貴族らしく、純血――男の跡取りを求めた結果だが、彼は三人を分け隔てなく愛しており、優しく接している。公共の場に立つのは正妻と役割は分けられていたものの、それはあくまでも対外的な物だ。
13人もの娘達は外に嫁入、領地内に降嫁、自立する等々、様々な道を歩んでいる。
だが、イズルは――彼は特別なのだと、栗色の髪をサイドテールに結んだ侍女は聞かされていた。
アリエス王国は、長い魔王軍との戦いで跡取りが死亡する事態が少なからずあり、一夫多妻が制度として存在する国ではあったが、その条件は国王と貴族評議会に認められた者に限るとされていた。身内内の権力争い、規律の乱れ、貴族の腐敗を避ける為である。
その厳しい条件を乗り越え、ようやく得た跡取り息子。
ヴォルゴール家を継ぐ男。それがイズル・ヴォルゴール。
――だと言うのに。
「いだい……」
「自業自得でございます」
ヴォルゴール家の侍女であるキアラは淡々と――内心ではとっても呆れながら――事実をヘレン・ワーグナーに告げる。最近ではこの寝坊助娘が寝落ちた後に世話をするのがすっかり板についてしまっていた。
伯爵にあだ名を付けて呼び、あまつさえそのお言葉に指摘を入れる等、本来なら牢にぶち込まれてもおかしくない所業だ。
とはいえ、キアラは最早この程度では驚きすらしなくなっているが。ヘレンは極めて無法者というわけではない。最低限の礼儀を弁えていないわけでもない。だが、あまりにも天然なのだ。
睡眠が絡むと特にそうだ。
テントの中で昼間から寝ていたので追い出してすぐ後、荷車の下で眠っていたというのだから、キアラとしては冷や汗物だ。何かの間違いで飛び火して自分が罰せられるのではないか――という利己的な思いがつい湧いて出る。
――何故、イズル様はこの娘をお側に‥‥…。
最初は熊退治で雇っただけの狩人だった筈だ。それが家臣或いはお抱えの戦士……とも違う、イズルは友人だと誰かに紹介する際に言っていた。自分の家のベッドで気が済むまで寝かせて、食事も共にし、ジェミニ評議界共和国の任務の際は一緒に旅にまで出た。
――熊を退治してくれたこと、領内に潜んでいた魔人を倒してくれたこと、それは本当に感謝しているんだけども。
キアラにとっては魔人も熊も大差は無い。もう何年も前、家族を殺したのが魔人で、森に逃げ込んだ自分の命を奪おうとしたのが熊。そして、行く当てが無い自分を拾ってくれたのがヴォルゴール家だ。
だから、領内に熊が入り込んだと聞いた時は内心脚が震えた。実は魔人が入り込んでいたということを聞いた時は、寒気に包まれた。
そのどちらも討伐してくれたのがヘレン・ワーグナー。そう、分かってはいる。
けれども、ヴォルゴール家当主であるイズルとの距離があまりにも近い気がした。それが気がかりで無かったらこんなところにまで来たりはしなかった。案の定、ヘレンは相も変わらず、イズルに対して遠慮のない接し方をし、イズル自身がそれを許してしまっている。
「今後はもう少し言動に気を付けくださいまし。一体この汚れたお召し物は誰が洗濯するとお思いで――」
「ごめんってぇ……」
――友達か!という言葉が喉元まで出かかる。そこそこ長い付き合いになったせいか、どうにも馴れ馴れしい。洗濯そのものは実はそこまで大変ではない。四大魔法の内の水を応用した洗浄魔法により、泥や砂まみれの服もあっという間に綺麗にできる。これは当てつけのようなものだ。
「もういいです――ところで、その、ヘレン様は」
「ヘレンでいいよー……えっと、メイドサン」
「……キアラでいいです、ヘレン」
名乗った事は確かに無かった。もしかすると、ずっと自分の事をメイド=サンその1くらいとして認識していたんだろうか、とキアラは捻くれた思いを抱く。
「イズル様とは結局のところ、どのようなご関係なのですか?」
「どのようなご関係……友達? 仲間ってところ?」
そこには何かを隠すような様子は無い。仮に何か「友」以上の思いを秘めていたとして、それを隠せるような器用な娘でないことは、殆ど喋ったことがないキアラにも分かった。
「先程、ユーゴ様が仰っりかけた事に対するあの返答は――」
「あの髭……じゃなかった――えっと貴族様?が聞きたかったのは私がイズルと、ショーフ? とかアイジン? みたいな関係なんじゃないかってことでしょ?」
「……いえ、あの方はそんな下品な想像をされる方ではございません。少なくとも私が聞いた評判通りならば、ですが」
以前にも同じようなことを聞かれた事があるか、或いは噂を耳にしたのかもしれない。だが、ヘレンは恐らく誤解している。ユーゴは、イズルとヘレンの間にもっと深い関係を見たのではないかと、キアラは考えた。
「一時の関係ではない。より深い男女の仲を想像したのではないかと」
「うーん……よくわかんないなぁ」
ヘレンは今一つピンと来ていない様子で腕を組み、んーっとまるで頭から知恵を絞るような声で、目を細めた。
「けど、イズルはヴォルゴール家の当主様……なんでしょー……?」
「えぇ、そうですとも――ですから」
あなたとは不釣り合いなお方なのですという言葉が喉元まで出かけたが、言えなかった。流石にその事実を突きつけるのはあまりに残酷なような気がしたからだ。
「だったら、もっとふさわしい人がいるよ」
だが、ヘレンは変に悲観する様子も無く、欠伸と共に背伸びする。「あれ……」とキアラが拍子抜けする程に彼女は分別を弁えていた。いや、考えてみれば彼女は以前から一定の距離は保っていたように思える。
――……そーゆうことは、奥さんとかにでも言ってあげなよー。
熊を退治したあの日、解体作業で血まみれになって着る物が無くなってしまい、ドレスに着替えさせられた時、イズルが褒めたのに対してヘレンは素っ気なくそう言っていた。あの時は単に照れているだけかとも思ったのだが。
「私は戦うことしかできないし――んん!?」
ヘレンが物陰から現れた何者かに後ろから抱きしめられ、キアラはびっくりするあまり、もう少しで侍女にあるまじき顔を晒すところだった。ピンク髪のエルフ――名は確かエフィルミアだ。
イズルが旅路で出会い、エルフの国との国交のきっかけになった少女だ。そのあまりの奇行は止めるべきかとも思ったが、相手が相手だけに無礼は働けない。というか、あまりの馬鹿力で近寄り難い。ヘレンから人間からしちゃいけないような音がしてるので猶更。
――まぁ、ヘレンなら大丈夫でしょ。
という雑な信頼で見守る。
「うぅっ、そんなことないよ! ヘレンちゃんは優しいし、かわいいし、気持ちよさそうな顔で寝るし!」
「……この場合、伝えるべきは愛らしさではないのでは――後、そのままだとヘレンが締め落ちてしまうので解放してあげてください」
泡を吹いて気絶ではなく――案の定すやすや眠っているヘレンに「きゃああ、ヘレンちゃん!」とエフィルミアが叫んでいるのを尻目にキアラは馬鹿馬鹿しくなってテントを後にする。
――結局私の杞憂でしたか。
ヘレンはイズルに対して特別な感情を抱いていない。これはヴォルゴール家の事を思えば安堵すべきことだろう。だが、同時に胸にちくりと刺すような痛みもあった。貴族の跡取りと狩人の娘では不釣り合いであると、キアラが告げるまでもなくヘレンは知っていた。
意識するでもなく、言い聞かせるでもなく。
――むしろ、意識していたのは私の方なのです。
難民で、親無しの自分などはヘレン以上に選べる相手も限られる。そう、密かに思っている相手がキアラにもいるのだ。恐らく相手は気づいてすらいないどころか覚えてすらいないだろう。
――私の命を救ってくれた……。
「アリエス王国お抱え鍛冶屋、シモン=ファン・レーヴェン=ペルゼィック様、ここに参上したぜっ!」
馬鹿みたいに大きな声が腹の底まで響いて、キアラは飛び上がった。その顔が取り繕う間もなく真っ赤に染まる。
様々なテントが張られた向こう、太陽のように燦々(さんさん)とした金髪、情熱に燃える赤い瞳。骨組みの逞しい精悍とした体つきの青年がそこにはいた。




