Ⅰ 金羊毛(トワゾン・ドオル)騎士団
一面の緑の草原にひとしきりの風が吹き流れる。彼方には湖が見え、そこから先は巨大な山々が厳かに聳え立っていた。一見穏やかに見えるそこは、かつて人類にとっての「防波堤」の役割を担っていた。山の向こうにあるのは「深淵の穴」――多くの人間は単に「穴」と読んでいる――がある。
「穴」の実態はよく分かっていない。実際に覗いたという勇者が極僅かながら存在するが、いずれも悲惨な末路を辿ったと伝説で語られている。そこは「死の世界」に繋がっているとされ、天に召されることを許されずに彷徨う魂が行く場所であり、そこから這いがってきた魂が魔族――魔人や魔物として地上を闊歩するのだという。
それらを統べるのが魔王であり、勇者によって討伐される度に、その称号は暗黒の力と共に後継者を探す悪霊と化すのだという。
流星高原に住まう人々――流星の旅団はそんな魔族達から人類を守るべく「守護聖人」を置き、聖なる武器と魔法をもって彼らを封じ込めていた。だが、それも遠い昔の話だ。幾度となく魔王軍と衝突し、その力と規模は徐々に弱まり、今では自分達の身を護るので精一杯となっていた。旅団は周囲の国家群と合併し、都市国家連合を形成することになる。
数か月前も彷徨える屍の群団に襲撃され、勇者一行の助けを得て撃退したばかり。
新たに出現したのは巨人の群れ。旅団が討伐を都市国家連合へと依頼してから数週間。
流星高原に金色の旗が掲げられた。黄金の羊毛、王冠をかぶった黒い獅子の荘厳な旗だ。ずらりと並ぶは騎馬隊――そして巨大な天秤だった。
彼らはアリエス王国で最近結成された騎士団であり、率いるは若き領主イズル・ヴォルゴール。騎士団総長などという大層な肩書を得たが、彼自身はどうにもそれがしっくりと来ていなかった。諸々の作戦立案はするものの、現場の指揮は副総長のリアム・マルスという若く実直な――イズルよりは年上だが――騎士に任せていた。
高原に並んだ巨大な天秤は、組み立て式の遠距離投石器と呼ばれるもので、本来は城攻めに使われる攻城兵器だ。
巨大な2つの車輪を軸とし、支えとなる脚、長大なアームとその先には大きな籠が設置されていた。見た目通り、天秤を応用したもので片方の籠には、凄まじい重さ……具体的には、20000lb――一日に消費する大麦の重さを基準とした単位――もの錘が入っていて、反対側でロープをとめておく。ローブを離すだけで錘は下に落ち、反対側は勢いよく跳ね上がり、石を遠距離に飛ばすことができた。
発射準備を整える為には踏み車を使って錘を持ち上げる必要がある。
錘を巻き上げ、アームを充分に押し下げたところでストッパ―で固定。スリングに投擲物を入れる袋をつけた後、接続を外す。
スリングは鞭のようにしなり、凄まじい速度で投射されるという仕組みだ。
攻城兵器とあってその威力は凄まじい物があるが、これは文字通り“城を攻める”兵器であり、魔物のような動き回る標的相手に対してとてもではないが使える代物ではなかった。命中させる為には最低でもこの兵器が命中する射程と範囲に敵を収めなければいけない。
「総員突撃!――で、よろしいですよね、イズル様」
「あぁ」
それはなんとも珍妙な光景であった。イズルは他の騎士と同様、馬に跨っていた。黒と金を基調としたマント、魔法の護りを得た甲冑は太陽の輝きを得て濃く赤いルビーのような輝きを放っていた。実に立派な姿だ。
その後ろに寝落ち寸前の娘を同伴していなければ。
「ヘレン、ちゃんと起きててくれよ?」
「んあっ! だ、大丈夫、起きてる起きてる」
凄く不安そうな視線を副団長リアムは一瞬向けてきたが、イズルは構わず突撃を指示する。騎士団は一糸乱れぬ隊列で槍を構え、キュクロープス目掛けて突撃を敢行する。
大地が震える。騎馬軍団はリアムを中心として一団が一つの巨大な槍と化した。彼の後ろでイズルは戦槌を構えた。伝説上にある聖杯を思わせる銀色の器とそれを満たすように嵌めこまれた赤色の結晶。イズルの親友とその一族が打ち出した神聖魔法の真髄を発揮する“神材の戦鎚――フロルの涓滴
それを掲げると、神聖なる光が騎士達に、命を預けた騎乗馬に降り注いだ。光を纏った彼らは更に速度を上げ、キュクロープスが反応するよりも先に、槍をその巨体へと一斉に突き立てた。
間髪入れずに突き立てた槍から光が溢れ、キュクロープスは浄化された。すかさず騎士団は槍を引き抜き、別のキュクロープスへと向かう。反応が遅れたキュクロープスだったが、怒りの咆哮と共に騎士に拳を振るい薙ぎ払う。
騎士団は犠牲を恐れず、編隊を組んでキュクロープスへと当たっていた。その中で一人、群を抜いた戦いをする者がいた。
若草色の髪の娘が大斧を振り回しながら跳躍する。
ヘレン・ワーグナー、先程今にも夢の世界に旅立たんとしていたその少女が、次々にキュクロープスの首を落として回る。片腕で大斧を、もう片方の腕で投げつけた二対の戦斧がそれぞれ独自の軌道を描いて、キュクロープスの身体から腕を、脚を捥いでいく。
大斧を背中に戻すと、戦斧はまるで自らの意志があるかのように回転しながら彼女の手へと戻る。まさに三面六臂の働きで、先程まで呆れていた騎士の面々は度肝を抜かれた。
イズルが笛を鳴らした。撤退の合図だ。ヘレンは音もなくイズルの背後に着地し、そして先程の奮戦が嘘のように眠り始めた。
「……まだ戦いは終わってないんだけど?」
「ちょっとだけ……少しだけ寝かせてー」
両手が手綱と得物で塞がっていなかったら、その柔らかそうな頬を思いっきり引っ張っていたことだろう。だが今は作戦を優先させることにした。イズルを中心に騎馬隊は来た時と同じように凄まじい速度で戻っていく。
殆ど一方的に攻撃を受けたキュクロープス達は憎悪に任せて騎馬を追う。その距離は段々と広がっていくが、彼らは諦める様子はない。
イズルはポケットから護符を取り出した。以前ソル王子が開発した伝達用の護符――風の木霊と命名されたそれに声を掛ける。
「今だ、 エフィルミア」
するとイズルの視線の先で”天秤”が傾くのが見えた。天高く撓るアーム、放物線を描いて飛んできたのは岩石だ。石工達を総動員させて削らせ、魔法使い達によって刻印がされたそれは、等間隔にイズル達の頭上を通り過ぎ、キュクロープスへと降り注ぐ。
岩石は着弾する直前に真っ赤に燃え始め、内側から破裂した。無数の小石へと分裂したそれは、破片の雨と化してキュクロープス達の体を穿ち、膝を突かせた。刺さった破片はキュクロープスの身体に魔力と共に浸透して印を刻んだ。
続く二射目は風を纏い、キュクロープスへと襲い掛かる。先の一射で穿たれた印目掛けて降り注ぎ、巨人の頭が弾け、巨体を幾つもの岩石が圧し潰した。
二射目が終わる頃には騎士団は取って返し、再び突撃を敢行していた。かろうじて生き残っていたキュクロープス達は回避も反撃することもできないまま、聖槍の元に貫かれた。
「……ひとまずは終わったか、緊張した」
イズルは汗を拭い、戦槌を副団長のリアムに預けて降りると、背後のヘレンを慎重に馬から降ろして、御付きの侍女――普段はヴォルゴール家の屋敷に仕えている――に任せる。
「しかしまぁ、不思議な娘ですね、あれだけの大立ち回りをしたのが嘘のようというか……夢でも見ていたんじゃないかとすら思います」
リアムの言葉にイズルは苦笑する。初めて会った時、彼女が大斧を棒切れでも持つかのように持ち上げた時に、彼も同じような感覚に陥ったからだ。
「俺がどれだけ鍛錬しても、ああはなれなかったからね。生まれもっての才能もあるのかな?」
「イズル様は十分強くなられましたよ。鍛錬した私が保証致します。神材の戦鎚とも言われるこのフロルの涓滴を使いこなすには単なる魔力だけなく、鍛え上げられた腕力が無ければ持ち上げるのもままらならないでしょう」
リアムの賞賛をイズルは素直に受け取り、笑みをこぼした。リアムは以前イズルを鍛えてくれた騎士だ。家族では上に姉しかいないイズルにとっては兄のような存在だ。
元は平民出だがレイ王の元で魔人討伐の功績を上げたことで、騎士として重用されるに至った王族直属の叩き上げの武人だ。貴族であるイズルの方が階級は上ではあるが、リアムに対しては尊敬の念を抱いていた。
アリエス国国王レイから新たな騎士団の設立とその騎士団総長が自分であると聞かされた時は、どうなることかと不安だったが、副総長にリアムを付けて貰った事で、幾分か解消された。
元はヴォルゴール騎士団と名付けられる予定だったが、イズルは自分の名前を付けられるのは……と渋ると、ヘレンが一言。
「金羊毛騎士団はどう……? よく眠れそうな名前だよー……」
その名が余程面白かったのか、国王に大層気にいれられてしまい、正式名称となった。
イズル達は現在、アリエス王国の命により流星高原へと赴いていた。ジェミニ評議界共和国との盟約条件を果たす為に。
星の盟約――星々の導きによって結成された同盟には現在、アリエス王国、エルフの国、ジェミニ評議界共和国が参加しており、同じく大陸にある国々へと呼び掛けている魔王討伐の為の同盟だ。
イズルがジェミニへと交渉に赴き、同盟を結ぶに至ったが、評議界の重鎮であるルーカからジェミニ周辺の魔族討伐に兵を出す事、魔王の手に落ちたキャンサー帝国の救出を条件として出され、レイ国王はそれを承認した。
とはいえ、アリエス王国にも余裕があるわけではなかった。アストレア村への遠征で兵を多く失い、“王子の叛乱”によって有力な騎士団を一つ封じざるを得ない状況にあった。
イズルを筆頭にした騎士団は、アストレア村の戦いを経験していない者――あの戦いの際、王国の留守にあった部隊――を中心に結成されている。リアムもその一人だ。
そしてこの騎士団にはもう一つ、他と違う点があった。
「あ、イズルくん!! どうだった、どうだった? タイミングばっちりだったよね?」
イズル達の視線の向こう、整列した遠距離投石器の方から桃色の髪のエルフの少女が駆け寄ってくる。草木の爽やかな香りがするローブに身を纏った彼女はエフィルミア・アグラディア。春の宝石の意味を持つ彼女は、イズルが旅路で出会ったエルフで、今では大切な仲間だ。アリエス王国に住居を与えられた初のエルフでもある。
戦場に似つかわしくないその天真爛漫さにリアムは若干押されていた。こういった経験は普通の騎士にはまずないだろう。
「あぁ、”ばっちり”だったよ。おかげで、楽に魔物を討伐することができたし」
「えへへ……、でも魔道部隊の人達が仕込んだ魔法には驚いちゃった。ただの石ころを武器にするだけじゃなくて、それを次の魔法の為の仕掛けにするなんて――」
エフィルミアが力説する後ろで、その魔道部隊の隊長である若き魔女エメリナ・ベルリーニが会釈してくる。その顔が若干にやけているのは気のせいだろうか。彼女とはアストレア村の死闘で一緒に戦った戦友の仲だ。エフィルミアを紹介した時は大層驚かれたが
「お前、ヘレンというものがあろうなか、別の女をたらしこんだのか?」
等と色んな意味での誤解を受け、弁明するのに四苦八苦した。エフィルミアのことは仲間として見ているし、ヘレンも……仲間であり、妹のような存在として見ている。断じてエメリナが考えているような仲ではない。
抗議の目線を向けるも、エメリナは意に介さず笑いながら背を向けて遠距離投石器の解体を指示して取り掛かる。
魔道部隊もまた金毛羊騎士団直属の部隊となっていた。
リアムやエメリナのような優秀な騎士や魔法使いに加えて、勇者の仲間だったヘレン、エルフのエフィルミアを加え、騎士団は規模ではアリエス王国近衛騎士団にも匹敵する程の一大勢力へと化していた。
――果たして、俺は彼らを纏め上げることができるだろうか。
一癖も二癖もある者達に振り回されてしまうのではないか……という懸念に、イズルは頭を悩ませていたが、初戦はひとまず大きな混乱も無く勝利することができた。とはいえ一抹の不安は残っている。事前に彼は国王に無茶を承知で援軍を要請していた……のだが、
――なんでよりによってあの人を……。
「イズル様、ガルディアン・ド・レキリーブル騎士団、ガルディアン・デ・レーヴ伯がご到着なされました」
部下からの伝達を聞き、イズルは顔を硬直させた。その隣でリアムは苦笑し、場を和らげようと声を掛けた。
「前に言っていた援軍ですかな。ガルディアン様……噂では大層変わり者の奥方様がおられるとか」
「……その変わり者の奥方様とは俺の“姉様”だよ」