ⅩⅩⅧ 希望の形は羽となりて
「全く呑気なものだ、パレードなんぞしてる場合でもないだろうに」
祝勝会をやると決定した際、そんな気分にはなれないという気持ちが勝った。それに一度は魔人を退けたものの、結界が無い状態のジェミニ評議界共和国は無防備だ。魔導式自立人形を一体でも多く製造して各所へ配備すべきだろう。
だから、その防衛の要となるゴーレムをパレードの行進に参加させると聞いた時、チュチーリアは心底呆れた。怒るだけの気力も湧かなかったが。
祝勝会の提案自体はレナッタによるものらしい。評議界が承認し、その為の準備まで数日で迅速に済ませた。いつもならば数週間は議論しているような体たらくなのだが、結界が無くなった影響――民衆の混乱と暴動を恐れているのだろう。だが、テンプルナイツや衛兵はポルックス大聖堂の戦いの事後処理に追われており、祝勝会の準備にまで手が回っていなかった。
そこでチュチーリアのゴーレムにまたしても白羽の矢が立ったというわけだ。
エフィルミアが「城が動いている」と表現した岩壁の巨人、そして甲冑型のゴーレムが多数が道を行進する姿は壮観であり、言葉に反して、内心昂る気持ちはあった。
「仕方あるまい、今は誰も彼もが不安なのだ。結界が無くとも、我らが盤石であることを示さねば」
「フン……、ご立派な考えだ」
テンプルナイツの騎士団長コルラードは腕を組んだまま、チュチーリアの皮肉を受け流した。ポルックス街で開催された祝勝会はつつがなく進んだ。民衆は歓声を上げて、ゴーレム軍団とそれらの前後方を行く騎馬に跨ったテンプルナイツの面々を称えた。
ゴーレム達の先頭に立って先導しているのはコルラードの弟子、セレーネ・ヒュペリオンだ。儀礼用の真っ白な服とマントに身を包んだ彼女は堂々としているように見えるが、コルラード曰く「ガチガチに緊張している」とのことだ。
――だとしても、立派なものだ。
コルラードの教えが良かったからだろうとチュチーリアは素直に思う。同時に自分自身の「無能」さが嫌でもチラつく。
「それに、この戦いの区切りを付ける必要はあるだろう。何か失った者にとっては特に」
「フ……なんだ? 私への当てつけか?」
言葉は静かだが、しっとりとした苛立ちが乗っていた。ここまできつい言い方にするつもりは無かったが、心の底から激情が這い上がり、その一端が口を突いて出てしまった。
観客には聞こえていないだろうが、この男は騎士団長であり、無礼で侮蔑的な物言いはそれだけで重罪となるだろう。尤もコルラード本人は「何を今更」と苦笑するかもしれないが。
コルラードは武人、チュチーリアはゴーレムを扱う魔法使いとして子どもの頃から鍛錬を続けてきた。交わりようの無さそうな二人だが、何かと関わる事が多かった。腐れ縁というやつだ。騎士団に入らないかと誘ったのもコルラードだった。チュチーリアが一番本音を話せるのもこの男だった。
「いや、すまない。そんなつもりでは」
「……謝るのはこちらだ。申し訳ない、騎士団長殿」
だが、今ここで全てをぶちまけるわけにはいかない。喉元にまで来ていた激情を心の奥底へ押し込み、蓋をする。コルラードは動じた様子はない。この男は昔からそうだ。チュチーリアが怒ると静かに謝り、それ以上話を膨らませる事も無い。だが、今日は違った。
「此度の戦いでセレーネは、ニコロ様をお守りし、魔人の撃退に大きく貢献した」
「君の教えを活かしたのだろう。喜ばしいことではないか」
「そうかもしれん。だが、私が何を教えたか、それは左程重要ではない。何をどう決断し、戦うと決めたのは彼女自身であり、私ではない。その選択までを決めることはできない。弟子の活躍は弟子自身の努力の賜物だ。我々に出来るのはその決断をするに足る実力を付けさせる事だけなのだろうな」
それは慰めのつもりか?と再び言葉が喉元まで出かかったが、呑み込んだ。彼なりの不器用な優しさだろう。
脳裏にジネーヴラの最期が思い浮かぶ。自分にはやはり誰かを教えるとか鍛える才能は無かったのだと、チュチーリアは思う。確かに魔人に魂を売ると決めたのは彼女の決断かもしれない。だが、別の誰かなら道を踏み外さずに済んだのではないかと考えてしまう。
そう、例えばヘレン・ワーグナーならばなどと。
その彼女はパレードの先、双星の御子の二人が立つ広場――その隣にいる。相変わらず締まらない眠そうな顔をしていて、イズル・ヴォルゴールにそれとなく腕を抓られて、どうにか起きていた。
「……かもしれないな」
色々と湧きあがった言葉を呑み込んで静かに呟いた。コルラードはそれ以上は何も言わなかった。
――もう弟子は取らん。
静かにチュチーリアはそう決断する。
セレーネを先頭に騎士団の面々が広場へと到達する。双子の描かれたジェミニの旗を前にして、姉は騎士団への労い、そしてこの戦いで亡くなった者の名――その中にはチュチーリアの弟子であるジネーヴラも含まれている――を哀悼の意と共に告げていく。
ニコロは隣で静かにしていた。大勢を前にして話すのは苦手だったし、自分の出る幕等ないと思っていたからだ。こうして二人で前に出る事も何年ぶりだろうかと感傷に浸る。
セレーネがいなければ、今こうして二人でいることすら出来なかった。ヘレンやレナッタがいなければ、そのセレーネもどうなっていたか分からない。そしてヘレンはイズルやエフィルミアの二人のおかげでここまで来れたという。ここにいる誰か一人でも欠けていたら今は無かったのだ。
「そして、最後に――国土結界ですが、大聖堂の修復作業は間もなく終わり、程なくして結界も展開が出来るようになるでしょう――ですが」
おっとニコロは姉の雰囲気が変わったのを感じた。真面目な演説はもう終わり、悪戯好きの妖精を思わせるような顔が覗かせている。
「そろそろ私! 一日中結界を張るのは疲れちゃいました! なので、ずーっと大聖堂に籠るのはもう止めにします!」
観衆がどよめいた。日夜当然のようにあった結界の護り、それが無くなる――というか、無くすと宣言するのは、彼らからすれば絶対の安全を――日常を放棄しろと言うことに等しく聞こえる筈だ。
民衆は動揺し、中には怒りの声を上げる者もいた。が、そこはセレーネが睨みを利かせて黙らせた。これ以上何か変な事を言い出さないように、ニコロは勇気を振り絞って声を上げる。
「あ、あの、姉が言った事は評議界の皆様も承認してくださったことでして――僕達が一日中結界を展開し続けるのはやはり負担が大きく、いざという時に結界が展開できないのは困ると……も、勿論、定期的に結界を張りますし、魔王軍はじめ魔族の動きが活発したりだとか、そういうのがあったら、長期間結界を張ったりします」
ニコロは口下手ながらも、懸命に言葉を紡ぐ。まずは人々を安心させる言葉を。そして、自分達の思いを。
「で、ですが、僕達も家族の時間が欲しくて――守護聖人だとか双星の御子だとか、大層な名が付いていますが、僕達も人並みの生活は欲しいんです。義務は果たしますので、どうか――」
「ニコロ、頭下げる必要は無いわよ? むしろ皆が私達に頭を下げてお願いする立場なんだから! さっき、文句言った人達が頭下げるまで絶対働かないわ、私!!」
レナッタが得意げに胸を張り、ニコロは自分の努力が無に帰したのを悟り、がくりと肩を落とした。我慢だとか、耐えるだとかそういった事と姉は無縁の存在なのだと思い知る。むしろ、今まで守護者の役目を果たしてこれた事の方が奇跡だったのだ。
「というわけでー」と、レナッタが隣に目配せする。ヘレンがパッとレナッタを抱きかかえた。「へ?」と呆気に取られていたニコロにいつの間にか近づいたセレーネが耳元で囁いた。
「今日はうんと羽根を伸ばそうというのがレナッタ様のご提案でして――正直ゆっくりとはできそうにないですが」
二人が跳躍する。レナッタはヘレンの腕から更に飛び上がり、杖――この前の戦いの後、正式に双星の物となった――を翳し、手を伸ばした。
太陽の光と重なる姉の姿は眩しく、生命を輝かせていた。両親を喪い、孤児となった時もそうだった。姉はいつも自分に手を差し伸べてくれた。
この世界に転生するよりも前も――どんな世界でもきっと同じだっただろう。
その手を取ると杖が輝きを増した。
双星の背中から光が生じる。それは翼を象り、大きく羽を伸ばした。
「わぁ……本当に羽を伸ばすとは思わなかったー」
ヘレンの体が落ちていく。その手をニコロは姉と共に取る。もう片方の手でセレーネを掴み、四人は一つの輪となって空をゆったりと廻る。
空は静かそのもので、世界から隔絶したかのような平穏さだった。勿論そんなものは錯覚――束の間の夢に過ぎない。
――けれど、今はそれでいい。
気持ちの良い風を受けながらニコロは朗らかな笑みを浮かべた。この残酷で救いがあるかも分からない世界と向き合うには、どうしようもなくくだらない夢が必要なのだから




