ⅩⅩⅦ 戦後処理
戦いは終わった。そう、少なくとも殺し合いで命を奪い合う段階は過ぎ去った。政はここからが地獄だ。被害状況の把握、民衆の鎮定、残敵の捜索と掃討。中でも国民の不安は各所で噴出し、中々収まる事が無かった。
主だった原因は国土結界の崩壊、そしてその結界がある状態であるにも関わらず魔人の侵入を許してしまったことだろう。
自分達の安寧が足元から崩れ……否、元々それすら絶対の物ではなかった。脆く儚い地盤の上に成り立っていたという事実を眼前に突きつけられ、素直に受け入れられる者はどれ程いただろうか。
恐怖は伝染し、湧き起こる数々の情動は留まる事を知らない。
その感情の矛先は評議界の面々には勿論の事、双星の御子にまで向いた。
――これから誰が私達を護ってくれるのか?
――もうこの国は終わりなのか?
そんな言葉を余所に双星の片割である姉レナッタ・クストーデは、
「皆でね、祝勝会を開くべきだと思うの、うん、そうするべきだわ」
呑気にそんなことを言った。まるで小さな女の子の思い付きのように提案されたそれに、イズルは久々に表情が和らいだ。彼女は当たり前のようにイズル達が泊まっている宿に遊びに来ており、後ろでニコロが居心地が悪そうに縮こまっているのが見えた。
当然、周囲は困惑している。彼女の護衛に付いているテンプルナイツのエミリオ・アマトは頭を抱えていた。同じく護衛に付いているセレーネ・ヒュペリオンは成り行きを見守るように腕を組み、壁に寄りかかっている。
「そんなことをしていられる状況じゃないだろ。一刻も早く結界を再展開しないとっていう時なんだぞ」
「こんな時だからこそよ。大聖堂は壊れちゃったおかげで、ニコロと私はしばらく一緒に過ごせる。二人で皆と思い出を残せるチャンスは今しかないの!」
レナッタの熱弁はそれだけ聞けば、自分の我儘のように聞こえる。だが、そこにあるのが弟への熱い情であることを、この場にいる全員が理解できた。
「あ、あのぉ、部外者の私がさしでがましいと思うかもだけど、わ、私はレナッタさんの提案に賛成といいますかー……」
イズルの後ろで小さくなっているエフィルミアがおずおずと手を挙げて賛同の意を示していた。彼女もまた今回の戦いでこの国の為に戦った戦士であることに違いはない。ジェミニ評議界共和国の人間でもアリエス王国の人間でもない、一般的には人間に好意的でないと言われているエルフ族の者がである。彼女はその働きでこの国の人間達の信頼を勝ち取ったと言っていい。勿論、イズル自身も彼女をこれまで以上に頼りにしている。
「今、この国の人々は不安に駆られている。魔人を撃退したというのにね。多分皆、自分達が魔王軍に勝ったという自覚よりも、攻め込まれたという意識が強いからだと思う」
エフィルミアを助けるように、イズルはその賛同に説得力を持たす言葉を付け足す。
「戦いに皆で勝ったんだってことを示すのはこの国にとってもいいことだと思います。民衆をひとまず安心させる為にも」
イズルの言葉にレナッタは「そうそう!」と目を輝かせ、「悪くないと思う」と呟いたセレーネに抱き着いていた。そしてもう一人、イズルの話に賛同する者が一人。
「相変わらず聡明だねぇ、イズルちゃんだねぇ」
ルーカ・エンディミオン、この戦いの陰の立役者。彼には色々と助けられたものの、やはりイズルは彼が苦手だ。妙に褒められるのも何か裏があるようにしか思えてならない。
「デカい戦いの後だ。民の不満を有耶無耶にするのにもうってつけの手だぜ。というか、別に何か誤魔化しているわけでもない。事実を事実として伝えるまでだもんな」
これが仮に魔王軍に負けた戦いであっても、同じような事をしたという事だろう。その場合は誰かの死を糧に、戦意高揚を狙った演説でもかましたのだろうか。そうならなかった事をイズルは星天に感謝した。
「そういう政治的な考えは分からないし、あまり好きじゃないんだけど――私はただ、皆はまだ生きているんだってことを伝えたいわ」
「……姉さん」
夜空の一辺を切り取ったかのような黒い瞳には強い意志が宿っていた。レナッタの本気に呼応するかのようにニコロが決意を固めるのをイズルは感じた。二人の繋がりを示す魔力の糸が今は、よりはっきりと見えた。
「ん……、私もレナッタに賛成ぃ」
ベッドからもそもそと聞こえてきた声に、イズルは誰よりも早く振り返る。ヘレンがぼさぼさになった若草色の髪を揺らし、目を擦りながら上半身を起き上がらせていた。
「ヘレン、起き」
「ヘレン! ありがと! 大好きよ!!」
「わわっ、ヘレンちゃん、起きてたなら言ってよぉ!!」
彼女を労わる声は女性陣の黄色い歓声にかき消され、イズル自身も彼女達の勢いに押し出されてしまった。当の本人はまだ寝惚けているらしく、レナッタとエフィルミアに抱き着かれて幸せそうだ。
「ドンマイだ、イズルちゃんよ」
「うちの御子様がすんません」
ルーカやエミリオの言葉は慰めにはならなかったが、とりあえず今回も無事に目覚めることができたヘレンの姿にイズルは安堵した。そんな彼の心情等察しもしていないのだろう。倒れているイズルに気づいたヘレンは「あれ、どうしたのイズル、そんなとこで」等と呑気な事を言っている。
「いや別に……」
「お、怒ってる?」
「いや?そんなことはないけど?」
イズルはとてもとても優しい笑みを浮かべた。だが、ヘレンは知っているだろう。この笑みの裏に渦巻く色々と面倒な感情を。ベッドの中でプルプル震えていた。このまま感情に任せてその頬を左右に限界まで引っ張ってしまうこともできただろうが、イズルはそうはしなかった。その代わりに他の者達にこう告げた。
「少し彼女と話をさせてもらえませんか?」
騒がしかったのも一瞬の事、部屋にはヘレンとイズル、それにエフィルミアの三人だけが残った。エフィルミアは最初気を使ってか、出ていこうとしたのだが、ヘレンが止めた。イズルも「一緒に聞いていて欲しい」と頼んだ。
――エフィも私達の仲間だもんね。
ヘレンは満足そうに頷いてみせたが、エフィルミアはやはり居心地が悪そうにお互いの顔を忙しなく見ていた。
「エフィにも聞いておいて欲しい。大事なことだからさ」
「は、はい!」 とエフィルミアは何故か畏まっている。
「ヘレン……、もう起きても大丈夫? どこか身体が痛んだりとか」
イズルの問いかけに、ヘレンはふん!と腕を曲げ「この通り、元気ー……」とアピールして見せる。だが、イズルは半信半疑な様子で、じっとヘレンを見つめている。
「ほんとに?」
「ほんとほんと」
「実はまだ頭が痛いとか傷が痛むとか――」
「頭はすっきり、傷もすっかり治ってるからー」
二人の何処となく意固地なやり取りに、エフィルミアがぷっと噴き出した。頬を秋の林檎のようにほんのり赤く染めながらヘレンは詰め寄るイズルに抗議する。
「イズルは心配しすぎぃ」
「君があまりにも自分の事心配しないもんだからね」
イズルがそっと視線を逸らしたのを見て、ふとヘレンは戦いの時の事を思い出す。スキュラをどうにか退けた時にイズルに抱きしめられた時の事。自分の頬をそっと撫でて、ヘレンは聞いてみる。
「イズルあの時、心配しすぎて泣」
「あれは血だ」
まだ言い終えていないのに、イズルは咳払いしてヘレンの言葉を遮った。エフィルミアが「えぇ!?」と驚愕の声を上げるも、イズルは断固として譲らない。
「その……怪我してたからね……」
イズルが茶髪を上げると確かに傷があった。あったが、ヘレンは納得しなかった。無表情のまま、じーっとイズルを見つめる。それでも澄ました顔で流されてしまう。
「むぅ……今度イズルが泣いてる時は、言い逃れできないようにちゃんと起きて見届けるから」
「……さて、果たしてできるかなぁ?」
イズルがふっと鼻で笑い、ヘレンは静かに頬を膨らませた。エフィルミアが苦笑しながらヘレンを抱きしめ、その頭を撫でた。
「で、でもほんとに大丈夫? ヘレンちゃん、突然倒れたし……そこから意識を取り戻す為にイズルさんに御子様達が力を貸してくれたんだよ?」
その時の事をヘレンはぼんやりとしか感知していない。
色んな人達に導かれるように夢の中で戦っていたこと、巨大な影に立ち向かった事――そして血のように滾る紅色の煌めき、破滅する瞬間の星の光を見た。その事を話すと、イズルは腕を組んで考え込んだ。
「……俺達は君の意識を引き戻そうと必死だった。そしてそれはどうにか功を奏した。星の光に見えたのは周りで戦っていた俺達だろう。スキュラの中に見えたその……紅色の光ってやつ、ヘレンはそれが何だと思う?」
「魔王」
ヘレンは即答した。エフィルミアが小さく驚きの声を発したが、イズルは動じず、じっと何か考え込むようにヘレンを見つめている。
「……恐らく、ヘレンはスキュラの中に魔王の気配を見たんだと思う。似たような霊視をした者が過去の歴史の中にもいたと聞いている……大抵の場合『深淵』、『黄昏』或いは『冥暗』なんて表現されることが殆どだけど」
「ギラギラ光ってた……でも、あれは皆のと違う光。触れたら燃えてしまう危険な……破滅の火」
それをヘレンは上手く表現できない。一番近いのは山火事の時の炎だろうか。全てを呑み込んでしまうような炎。だが、その表現すら慈悲を感じる。
生まれて初めて星の光に心がざわついた。
星は迷い子にとっての希望の印であると、森の住人なら本能的に知っている。その光が、
光に寄せられたあまねく命を静かに死に導く。
そんなものを自分達は相手にしている。
「ヘレン……君はそんなやつと戦って勝てると思うか?」
「分かんない」
イズルの問いにヘレンは素直に答えた。これまで色んな勇者の伝説を聞いてきた。どれも現実離れし過ぎていて御伽噺のような話に感じた。
だが、一度対峙し、惨敗を喫したあの時でさえその片鱗を見たに過ぎなかったと知った時。今まで聞いてきた『御伽噺』が『御伽噺』ではないのだと悟った。
魔王を倒すには勇者と奇跡の2つが必要なのだ。
「そ、そんなぁ!」
「おぉおおお……」
絶望に青ざめたエフィルミアが身体を揺さぶるので、ヘレンの顔が分身でもしているのではないかという速度で左右に揺れる。とはいえここで下手に希望を持たせてはいけない。脅威を正しく脅威と認識できなければ死ぬのは自分や自分の大切な人なのだから。
「でも‥‥…」とヘレンは変な角度に曲がった首を直しながら続ける。
「少しずつ、魔王について分かって来た気がする」
「それが魔王を倒す鍵になるかもしれないと?」
それも分からない。だが、魔王はそれ程の力を持ちながら、何故自分を殺さずに眠り続ける呪い等という回りくどい事をしたのか、そしてその力で人類を一気に滅ぼすなり支配しようとしないのは何故なのか。
あの光について知る必要がある。固く結んだ拳にイズルが手を落とした。エフィルミアが慌てたようにヘレンを解放する。
「ヘレンが一人で抱える必要はないよ」
イズルの言葉は優しかった。
「今回だって、本当に大勢の人のおかげで守り切ることができたんだ」
勇者達と一緒に旅をしてきた頃はそこまで意識していなかったと思う。ヘレンにとって人々――テンプルナイツのような騎士団でさえも、「護る」べき存在だった。勇者が剣となり盾となって魔王と戦う事が当たり前の事のように思っていた。
そういう意味では勇者一行と双星の御子は似た存在なのかもしれない。
だが、戦っているのは自分だけではない。決意を固めたセレーネ、大切な物を失って尚戦うチュチーリア、それに自らの意志で進むレナッタとニコロを見た。
そして、それはこの国に来るよりも前からずっとそうだった。
――イズルとの出会いがヘレンを決定的に変えた。
「ん……大事な事忘れてた。思い出させてくれてありがと」
ヘレンの笑顔にイズルも釣られて微笑む。ところで、とヘレンは部屋の隅に目をやった。エルフの少女は膝を抱えてじっと二人のやり取りを見つめていた。
「エフィはなんでそんなところで縮こまってるの?」
「え、えっとぉ……やっぱり私お邪魔虫だったなぁって……どうか私の事は忘れて続けて貰って」
「え、邪魔じゃないよ? ね?」
「あぁ……もしかしてエフィルミア」とイズルは至って冷静に考え込むような姿勢になり、エフィルミアは顔を真っ赤にした。頭からは今にも湯気が出そうな勢いだ。
「君はまだ自分が本当に仲間として認められているか不安なのかい?」
「え、そうなの!? 大丈夫だよ、エフィは私達の仲間で――」
エフィルミアは魂が抜けたようにこてんと床に倒れ込んでしまった。その姿はさながら悲劇のヒロインのよう。「駄目だこの二人、どっちも自覚が無いんだ」とか「私の事はいいから」とか呟いている。イズルはイズルで「自分だけがエルフだとやはりそこは心配になるよな」と種族の壁に対する理解を示そうとして、更に「違う、違うんだよぉ」とエフィルミアを泣かせてしまっていた。
可哀想にと、ヘレンは静かにエフィルミアの頭を撫でてあげた。
陽が傾き始める。レナッタが提案した祝勝会が決まったのはその日の夜のことだった。




