ⅩⅩⅥ 運命は星の流れるままに
「先程報告がありました。国内外に展開していた魔物は一匹残らず駆逐されたようです。まだ警戒を解くには早計でしょうが、ひとまずの安息は得られたというところでしょう」
部屋に入ってくると、セレーネは静かに、芝居掛かったような言葉で言った。ちらっとイズルの隣のベッドに目線をやり、「ヘレンはまだ起きないんですね」と一言。努めて冷静な様子に見えるが、本当は心配で仕方がないのだろう。イズルが「いつものことだよ」と告げるも、安堵していいものかと戸惑っているのが傍から見ても分かった。
イズルの隣でヘレンは健やかに眠っていた。穏やかな寝息が聞こえる。あの戦いを経て一夜を通り越して朝――というか昼に差し掛かっている――、未だ彼女は目覚める気配はない。
朝に2,3度程、様々な人物が起こそうと試みるも無駄だった。偶に意味を為さない寝言が聞こえるばかりだ。
「羊が一匹ぃ……羊が二匹ぃ……羊が三匹ぃ……どこまで数えたっけぇ」
「…………夢の中で羊数えてる」
ヘレンの寝言にセレーネが心底呆れた声を漏らすのを聞いて、イズルは小さく笑った。実家のメイドにも散々呆れられていたものだと思い出す。
(実家の方は大丈夫だろうか……父上、姉上が領地の面倒を見ているとはいえ)
イズルは貴族であり、国王に任された領地がある。ありがたいことに領民との関係は良好であり、彼が留守にしていることで、何か大きな問題が起きることもないだろう。だが、それでもイズルは心配で仕方がない。この責任感の強さと思いやりが領民に好かれる要因と言えた。
「それで、話はそれだけじゃないんだろ?」
イズルの言葉に、セレーネは再びヘレンの方を見、それからイズルに疑問を投げかけた。
「なぜ分かったんですか?」
「推測だよ。ヘレンの方をずっと気にしていたからね。報告は俺かヘレンと話す為の口実じゃないかな?」
「イズル様は聡明ですね。図星ですよ。ただ、その――ヘレンにはまだ明かしたくない話でして。外で話しませんか?」
ヘレンが反応する様子は一切無かった。イズルはセレーネの呼びかけに応じて、部屋の外に出た。宿屋は先日利用した場所と同じであり、そろそろここでの暮らしにも馴染が出来つつあった。
「それで、話というのは」
「まずどこから話したらいいものか……貴方方が来る前、私はある任務で国の外にいました。キャンサー帝国に魔王軍の手が掛かっているのは、もうご存知ですよね?」
「俺がアリエスで聞いた時は既に滅んだと……、皇帝一族は落ち延び、僅かに残った民が抵抗を続けているという話はこの国に来てから知った」
最初に聞いたのは出国前、アリエス王国にて国王の口からだった。より正確な情報は、ジェミニ評議界共和国に来てから、ルーカ議員から聞いたのだった。
セレーネは「概ねその通りです」と答える。イズル達が来る前にかの国を訪れたという事は、ジェミニ評議界議員も彼女の報告によってより正確な情報を得たということなのだろう。
「皇帝と大多数の親族はレオ大帝国、我が国には皇帝陛下の末子である皇子が亡命されていますね」
その皇子は今回の騒動の際は、他の評議員と共に避難していたとのことだ。
「支配者がいなくても民は残されています。私が派遣された時、未だ城塞都市は機能しており、残存する兵と市民が魔人や魔物と戦っておりました」
「心苦しいことだね。我が国としても、魔王軍が勢いを増すことを良しとはしていない。どんな手が取れるか、ジェミニの人とも協議を重ねて――」
果たしてセレーネが話したいと言った事は、こんなことだろうか。セレーネの微妙な表情にふと思い至り、イズルが黙ると、彼女は含みのある表情で告げた。
「えぇ、勿論、その事もお願いしたいことではありますが、私が話したいのは、ヘレンに関係することでして」
「ヘレンに……?」
イズルは眉をひそめた。ヘレンがキャンサー帝国に行った事があるかは知らないが、彼女が勇者との旅を諦めたのはジェミニに行ってからすぐ後の事ではないかと想像していた。セレーネやレナッタ達のこれまでの彼女に対する接し方を見ての考察。だとすれば、彼女に関係することとは――。
「私は直接見たわけではありません。ですが、キャンサー帝国での魔王軍の侵攻の折、国の存亡の危機に現れたそうです」
その先をイズルは予測できた。それがどれだけヘレンと関係するのか、今の彼女にとってどれだけ影響するかさえも。そして同時に想像もした。彼女を戦場から日常へと返した彼らが、今のヘレンを――彼女が為そうとしていることを見て何を思うか……?
「勇者ジェイソンとその同胞達――彼らは一度魔王軍を押し返したそうです」
「……なら、何故」
問うたのはセレーネに対してではない。勇者一行、ヘレンと同等か或いはより強いかもしれない彼らであれば、有象無象の魔族は勿論、今回ジェミニを襲ってきたスキュラのような魔人でさえ殺せないだろう。そこに願望が混じっていないとは言わないが、ヘレンの信じた彼らが人知れず戦場で散ったとは考えにくい。
「分かりません。ですが、魔王軍の第一次攻撃を凌いだ後、一行はキャンサーを去ったという話です――噂では、レオ大帝国の者と共に去ったとかで」
セレーネがキャンサーへ派遣されることが決まった時には、既に魔王軍の攻撃は再開した後であり、皇帝一家が国から亡命を始めた頃なのだという。
「実を言うと……私の兄も、魔王軍の最初の攻撃の際、キャンサーに派遣されていましたが……行方が分からなくなっていて、コルラード師匠に無理を言って行かせてもらったんです――もしかしたら勇者様と一緒にいるやも……あ、余計な話でしたね」
「そんなことはないさ。お兄さんが見つかるといいね」
セレーネの気落ちした言葉にイズルはそう言って慰めた。彼女のひたむきな生真面目さ、人を想う気持ちは本物だ。それが、双星の守護聖人を守り切り、スキュラに対する反撃の糸口となり得た。
「しかし、そうか……積極的に探していたわけではないけど、勇者一行の動向が掴めそうだな」
そっと扉を開けるとヘレンは未だベッドの上で眠っていた。
「うーん、イズル……熊肉もっと食べていいよぉ」
「……どんな夢だよ」
……彼女は勇者の居場所を知ったら、会いに行くと言うだろうか? ばったりと会ってしまったら何を思うだろうか?
――今、ここで告げるべきだろうか?
イズルは思案する。あくまでも冷静に考える。いずれこの寝坊助娘は、勇者と再会する時が来るだろう。けれど、それは運命に任せるべきだ。
変に期待させるのも、落胆させるのも、彼女にとって益あることではない。
「彼女には伝えないでいて貰えると助かるよ」
イズルの判断にセレーネは静かに頷いた。




