ⅩⅩⅣ 寝堕ちの姫
戦いは未だ続いていた。魔人が生きている限りは続く。スキュラの腹に空いた傷は瞬時に塞がり、戦いは完全に振り出しに戻ったかのようにも見える。
だが、スキュラとレナッタの間にあった歪な繋がりは消えていた。脱出を果たしたニコロとレナッタの間に見える金と銀の光。それが波のように寄せては添って、同調していた。
この双子の絆は単なる姉弟以上の物のようにイズルには見えた。
そして、ニコロを助け出したセレーネ……この短時間で何があったのか、セレーネの片刃剣の刀身は紫電の光を帯びていた。
雷は四大精霊魔法の中でも炎と水の二つの元素を用いる非常に高度かつ危険な物だ。前日テンプルナイツのゴーレム使い、チュチーリアがうっかり漏らした話が頭をよぎる。
――魔光鉱石を加工した結晶を仕込んだ鞘さ。結晶は、魔力を自然と回復する生きた鉱石といった代物でね。
――そして、結晶として加工する過程として、魔力が込められた血を受ける必要があるんだけど――その子の結晶は、その子の父上のもので、
元々、魔光鉱石に込められているのは、『魔法』として使われる前の単なる魔力だ。
“火を付ける前の油”に過ぎない。
それを魔法として使う為には、エフィルミアのように武器や杖に特定の魔法を起動する為の仕組みを作った上で、それを扱う知識を要する。もしくは魔法の才のある物が自身の体内の魔力を消費しないことを目的とした補助的な使い方もある。
結晶加工は、使い手自身の魔力を文字通り血肉として分け与えることで成り立ち、使い手によって性質が大きく異なるのだろう。
そして、セレーネは今まで父親の結晶を用いていたが、それは本来の使い手ではないが故に使いこなせているとは言えなかった。それが自身の魔力によってつくられた結晶に変わったことで、これまでとは比べ物にならない程に強力な物となった。
師のコルラードと共に隙の無い連携に加えて、エミリオが部屋中に張り巡らせた鋼線が敵の動きを制限し、じわじわと追い詰めていた。
二人の御子の隣ではエフィルミアが拳を構え、指一本触れさせまいと意気込んでいる。
そして当然一騎当千のヘレンもいる。最早イズルが何か手を下す必要すらない。この戦いは間もなく終わる。ここに居る誰もがそう思った事だろう。だが――、
「……ヘレン?」
異変に真っ先に気が付いたのはイズルだけだろう。若草色の少女から寝息が途絶え、続いて力の抜けた指の間から大斧が床に転がり落ちた。
スキュラがこの機を逃すわけがなかった。下半身から飛び出した顔面は牙を剝きだした猛犬へと変化し、ヘレンの喉笛に喰らい付かんと飛び掛かる。
「ヘレンちゃん!?」
倒れ伏したヘレンを護るようにエフィルミアが拳を突き出し、スキュラの攻撃を弾いた。すかさずイズルが杖を向け星天の神霊術をもって浄化する。
ヘレンへの攻撃を逸らすべくセレーネとコルラードは言葉一つ無く、攻めに転じる。対してスキュラは下半身の触手を床に突き立てた。石造りの床が肉塊に侵蝕され、それは徐々に部屋全体へと及ぶ。二人は同時に武器を叩きつけ、稲妻と衝撃波が嵐のように床の肉塊を薙ぎ払う。凄まじい攻撃だが、スキュラ自体には近づくことすらままならない。
イズルは四方八方からの攻撃を潜り抜けてヘレンを抱きかかえた。
「ヘレン? どうしたんだ……一体」
返事が無い。寝息は微かながら聞こえる。だが、それで安堵することはできなかった。彼女に掛けられている呪い――その本来あるべき影響を考えれば当然だ。
「あぁ、やっとあるべき姿に戻ったか、ヘレン・ワーグナーよ――魔王様が眠れと命じれば、眠る。死ねと命じれば命を差し出す。あのお方の作り出す秩序こそがこの世界の絶対よ!」
「戯言だ」
スキュラの歓喜をイズルは即座に否定する。
――魔王が掛けた呪いが修行したくらいで抵抗できると思うのかい? きっと何かからくりがある。それが分からないまま、戦い続けるのは……おすすめしないね。
エルフの国でスーディルに言われた事が頭をよぎる。これが彼の言っていた「取返しの付かない事」なのか? イズルは頭を回転させどうにかこの状況を――ヘレンが目を覚ますかを考える。勇者一行の僧侶と魔女は彼女に掛けられた呪いを緩和させることに成功した。
後の世になれば伝説或いは子どもに語るおとぎ話に名を刻むであろう勇者の仲間達。その二人と同じ事が自分にもできるとは思えなかった。
無防備なイズルとヘレンをエフィルミアが必死に守るが、スキュラの攻撃の激しさと速さは次第に苛烈さを極め、防ぎ切れなくなっていく。壁から天井から鞭のように風を切って飛んでくる触手がイズルの頭を打ち、流れる血が視界を塞いだ。
それでもイズルは考える。
(たとえ、俺の力が及ばずとも、僅かでも可能性があるなら――)
イズルはパニックになりかける心を落ち着かせ、杖をそっとヘレンに向けた。
眼を閉じて、彼女の心へと手を伸ばす。すると瞼の裏――意識の向こう側に白い靄が見えた。それはこことは違うどこか別の光景のように見えた。常に形を変え、動き、全体を捉えることができない。
これを晴らす事が出来れば、ヘレンの心に辿り着ける。
勘とも違う、自分では無い何か――強いて言うならそれは星天からの神霊の声だろう――が囁く。だが、一体どうすればいいのか見当すら付かない。
すると再び声がイズルの頭に響く。今度ははっきりとした現世の人間の声だ。
「私達が」
「僕達が」
「手伝うわ」
「手伝うよ」