ⅩⅩⅠ 御子の決意とイズルの意志
まだ稼働するゴーレムをかき集めると言ってチュチーリアが離脱してすぐ、大聖堂に辿り着くよりも前に、レナッタはそれが『視えた』
迫りくる触手から咲いた悍ましい花に呑まれるその瞬間も、ニコロが魔人に取り込まれて尚諦めないと決めたその決意も『視た』
弟の命の危機に心が凍り付き、立ち竦みそうになる。顔色に出たのだろう、傍にいたエミリオが真っ先に気が付いて、「大丈夫か?」と声を掛ける。
「いる……、魔人が大聖堂の中にいるわ。ニコロが危ない」
「だろうな……」と、傍でルーカは鼻を鳴らした。ドッペルゲンガーは今、ヘレンが戦っている。彼女は自分が倒すと宣言した。普段は少し心配になる程にぼんやりとしているが、戦いの時のヘレン程心強い者はいない。そちらは安心して任せられるだろう。
「中にいるのはどんな奴です?」
「薄っすらとしか分からなかったわ……だけど口の生えた足が沢山あって、それでニコロをパクリと一呑みにしたの。あ、後、なんでも溶かす毒液も吐いてたわ!」
イズルからの問いに、レナッタは頭に浮かんだ光景を必死に言葉にするが、若干緊張感に欠ける言葉選びになった。だがイズルは笑うことなく真剣に彼女の言葉を聞いた。
「そいつは大聖堂の頂上にいるということか……」
扉を開け、セレーネ、コルラード、エミリオの三人が前に出て己の武器を構え、イズルはレナッタを護るように白樺の杖を構えた。ルーカはイズルの反対側について、大聖堂の中心にある昇降機の方を見た。頑強に作られた鉄製の扉はバラバラに砕かれていた。
昇降機は滑車にロープを巻き付けて、魔法ないし人力で籠を吊り上げるという方式で、上昇下降させることができる。国中に結界を張る必要性から、塔は可能な限り高くなるよう建造され、外敵が双星の御子に手出しが出来ないよう、また、御子が簡単に外に出られないようにこのような装置が作られた。
「昇降機のロープが切られているようだ」
コルラードが昇降機を簡潔に調べてそう告げた。これでは上に行くこともできない。御子を護る為に作られた仕組みが仇となってしまっていた。
ルーカは舌打ちするや否や、何もない壁の方へと歩いて行った。イズルとエフィルミアの二人が不思議そうに首を傾げている。ルーカとしては不承不承と言った感じだろうとレナッタは思った。
「仕方ねぇ、非常用の昇降機――あれ、使うぞ」
「よろしいのですか、父上?」
「国外の者もいるが、今はそんな事も言ってられんからな」
コルラードが確認すると、ルーカはあっさりと了承した。何のことか分からないイズル達が見ている前で、彼は壁を一定の奇妙なリズムで叩く。
――トントントン、トッー、トッー、トッ―、トントントン。
壁に紋様が浮かび、左右に開いた。人が数人乗れるだけの籠だ。その中心にはレナッタの身の丈程の杖が突きたてられていた。長い柄の先は、三日月状に湾曲し、その中心に黄金に輝く水晶がある。
この昇降機は魔力で生成されたロープを使い、魔光鉱石で上昇するが、基本は人力の物と変わらない。魔力の消費が大きい為、普段使いは出来ないが、頂上で異常が起きた際に使われる。
「問題は……誰かが下から操作しねぇと、中にいるやつは上に行けねぇってとこだが――」
ルーカからの視線に気づいてレナッタは腕を組んで、顔をぷいっと逸らした。
「なんと言われようと、私は弟を助けに行くから!」
「まだ何も言ってないだろ……お前にはむしろ、上に行ってもらわないと困る――結界をもう一度張り直して貰わないといけねぇからな」
この男は常に打算的だ。情に流されるようなことは無い。その考え方にこれまで幾度となく嫌悪したし、反発もしてきた。だが、今は意見が一致している。レナッタはニコロの事は勿論助けたいと思っている。だが、それ以外の人達も勿論守りたいと思っている。
「レナッタ嬢、杖の使い方は知っているな? そいつを使って結界を張り直せ。他の者はレナッタを守りつつ、魔人を倒すんだ。いいな? 失敗すればこの国は亡びると思え」
レナッタは即座に籠の中に入って杖を抜いた。己の魔力が杖に馴染み、水晶から星のように温かい光が漏れ出る。セレーネとエミリオ、コルラードの三人が後から乗り込む。
「失敗したら国が亡ぶねぇ……逆に言えば、救国の英雄になるチャンスってわけだ」
「よく言った。それでこそ、テンプルナイツの騎士だ」
エミリオの軽口に対して、コルラードは静かに鼓舞する。セレーネが隣に立ち、気遣うようにレナッタの杖を握る手に自分の手を重ねた。
「行きましょう、ニコロ様は必ずお助けします」
レナッタは静かに頷いた。最後にイズルとエフィルミアの二人が乗り込む。エフィルミアの方はこの状況に完全にはついていけてないようで、肩を強張らせて緊張していた。イズルもまた武器が心もとないからか、冷静な表情にも不安が滲み出ていた。
「すまねぇな、お前さん達はこの国の人間じゃねぇってのに、命張らせちまってよ」
「……この場の雰囲気に流されてしまってますけど、俺が望めばこのまま拒否することもできるんですよね」
珍しく情を見せていたかに見えたルーカは、即座に露悪的な笑みを浮かべて昇降装置を動かす取っ手を引く。扉が閉じて狸爺の顔が一瞬にして見えなくなった。
「してやられちゃったわね」
「いや、ニコロ様を助けたいのは俺も一緒ですよ。それに、この国が滅亡するかもしれないのに、一人で逃げ出すつもりも毛頭ない」
イズルはアリエス国の貴族だ。必要に駆られれば、気が合わない相手であろうと、手を組むし、頭も下げる。それが己のヴォルゴール家の使命。ただ――。
「ルーカにいいように扱われている感じが嫌?」
レナッタの言葉にイズルは苦笑した。その通りだが、実際に言われると自分が子どもっぽく感じる。ルーカの息子であるコルラードがいるのもあって気まずい。だが、イズルの意志は固い。石のように固い。
「俺は俺の意志でここにいますから」
そう告げた時、昇降機が止まった。扉が開くと同時に、視界一杯に触手が迫り、イズルはエフィルミアと共に飛び出した。後ろにいたテンプルナイツの面々も各々の武器で触手を迎え撃つ。
触手が四方八方から毒を吐いた。最初の攻撃を躱したイズルは杖に魔力を送った。銀色の光が周囲に展開し、線となって毒を貫き、浄化する。エフィルミアは籠手に覆われた両腕に焔を纏い、二人を叩き潰さんとする触手を燃やして、弾いた。
「我の宴にようこそ、人間の子らよ」
その声は、魂が震え上がるような恐ろしさと心が惹きつけられるような美しさを兼ね備えていた。
マゼンタに煌めく髪に青白い肌、蛇のような瞳が爛々と輝いてイズル達を見据える。下半身には幾つもの牙を持った目も鼻も無い顔面を持ち、無数の極太の触手が波打っていた。
「早速で悪いが、ぬしらには前菜になって貰おうか」