ⅩⅦ 反撃の刻(とき)
熱い日差しに照らされているにも関わらず街は、凍り付くような殺気が肌を刺す。魔族が放つ理解しがたい歪な殺気とも違う。生の人間から放たれる――理解が出来るがゆえの寒気がするような感情。その怒号にレナッタは一瞬怯んだ。
「いたぞ、あの小娘だ!」
「人殺しめっ!」
「騎士団の面汚しがっ」
ジェミニ国の街の治安は衛兵達の手で護られている。だが、それとは別に市民から選ばれた者からなる治安判事が存在する。彼らは犯罪者を捕らえる手段として周囲の市民を焚きつけ誘導して、追い込みを掛ける。
この仕組みは下手な治安維持組織よりも効果的に極悪人を捕らえることができた。
――追っている相手が本当に極悪人ならば、だ。
「皆、聞いて! ガブリエーレ様を殺したのはセレーネじゃないわ!」
詰め寄る民衆とセレーネの間に、レナッタが割って入った。民衆にとってレナッタはこの国を守る双子の御子だ。結構な頻度で聖堂を抜け出していた彼女は、市民からもよく顔を覚えられ親しまれている。
怒りに駆られた人々は困惑した表情でぎこちなく止まり、レナッタとセレーネの双方を見る。エミリオがレナッタの隣に立って牽制すると、彼らは手こそ出さなかったが口々にセレーネを非難した。
「御子様、そいつは危険です! あなたも殺されちまう!!」
「皆言ってますぜ、そいつが評議員を殺したって!!」
「鞘も無しに剣を握ってるのはどういうわけだ!」
止まりはしたものの、今にも八つ裂きにしそうな市民の声にレナッタは唇を噛んだ。二人を守る為にヘレンとイズル、エフィルミアの3人が前に出る。イズルは向けられる視線に怯むことなく毅然とした態度で呼びかけた。
「皆さん、どうか落ち着いてください。凶器として使われたのは確かに彼女の武器ですが、やったのは彼女では――」
「なんだてめぇは!? 見た奴がいるんだぞ!!」
「レナッタ様早くそいつから離れ――」
「甘いなぁ、イズルちゃんよ」
突然聞こえたその声は静かながらも、凄みがあった。雑多に集まっている民衆を肩で押しのけながら前に出てきたのは初老の男性だ。押されたことに腹を立てた若者が睨みつけようとして「おい、よせ」と他の人々に諫められる。男は意にも介していない様子だ。
ルーカ・エンディミオン。評議界のメンバー否、実質その頂点に立つ男。その後ろには息子であり、セレーネの師匠であるコルラード・エンディミオンもいる。彼はセレーネを見つけると心無しかホッとしたような表情となった。対して父親は冷淡に見えた。セレーネを見つけても眉一つ動かさない。この男が興味を持つのは権力と金に関することだけ。そんな印象をレナッタは持っている――のだが、本当の所は分からない。
「いいか、お前ら。誰から何を聞いたか知らんが、今から俺が言う事だけが事実だ――耳かっぽじって聞け。もしも、俺が言った事以外の噂を吹聴したら……お前らが行きつく先は断頭台だと思え」
ルーカの瞳はそれだけで人を殺せそうなくらいに冷たい。実際、彼はそれが必要とされるなら人を殺す事も躊躇しない人物だと言われている。
「俺にそんなことさせんなよ?」
その口元が優し気に緩むと、背筋に氷を直接当てられたかのようだ。だが、その効果は絶大で、市民は誰も彼に口答えはおろか、疑問を差し挟むことすらしない。
――すごいけど、怖い……。
ルーカの行為は恫喝に等しい。それでも今は時間が惜しい。震える市民を気の毒に思いながらも、レナッタは口を挟まなかった。
「いいか、お前ら。今回の騒動は魔人の仕業だ。千年前にこの国を騒がせたヤツと同じ――人間に化ける力を持った魔人だ」
――二重に歩く影。それがこの国の前身である王国を混乱に陥れた魔人の名だ。
「奴は誰にでも化ける事が出来る。今から全員家に帰れ。一人になるな――誰かと一緒にいるんだ。独り身の者、或いは戦う意思がある奴は俺達と来い――分かったらさっさと行けっ!」
呆けている市民にルーカは発破を掛けると、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。残ったのは戦う意志がある者と、独り身の者だけ。ルーカを睨んでいた若者もこの場に残っていた。
「レナッタ嬢、あんたはいい加減聖堂に戻れ。あそこがこの国じゃ一番安全だからな……弟と一緒にいるんだ」
集まった者をコルラードが纏め上げているのを横目に、ルーカはにべもなくレナッタにそう告げた。セレーネの疑いは既に晴れたようだし、ここにいても出来ることはない。こうして自分が街にいることで、非常時だというのに騎士団の面々は自由に動けない。
「えぇ、分かりました。だけど、あんまり皆を脅さないでくださいね?」
「手厳しいねぇ」
頭に手をやっておどけるも、レナッタの言葉を了承したとは言わない。この男は常にそうやってぬらりくらりと言葉を躱してきた。エミリオが聖堂までお護衛に付くと申し出たその時。
地響きが街を襲った。断続的に続いたそれはレナッタ達の足元を通り過ぎ、聖堂の方角へと向かう。その振動でバランスを崩したレナッタをセレーネが支えた。ありがとうと伝える間もなく、一段と激しい爆音が聖堂の方で鳴り響いた。頭上の結界の光が揺らぐ。
「全員、聖堂へ向えっ!」
結界は未だ消えてはいない。だが、レナッタの心臓は早鐘のように激しく鼓動を打った。今の爆発はまず間違いなく聖堂を狙った魔人による攻撃だろう。ドッペルゲンガーによるものか、それとも……。
「コルラード、お前はチュチーリアを探し、“外”から来る敵に備えろ」
「その必要は無い」
チュチーリアが数体のゴーレムを引き連れて現れた。いずれも満身創痍で、チュチーリア自身もいつも羽織っているマントを捨てていた。
「どうやら、セレーネの疑惑は晴れたらしいな……安心したよ」
珍しく心の底から安堵しているようにチュチーリアは控えめな笑みを浮かべた。レナッタはそこでジネーヴラの姿が無い事に気が付いた。ルーカが手短に状況を伝える。
「ガブリエーレを殺したのはドッペルゲンガーという魔人の仕業だった。ヤツがセレーネに化けて殺したんだ。その後はミランダに化けて俺達の中に紛れていやがった」
「ドッペルゲンガー……? そうか、ジネーヴラを唆したのもそいつか……」
「おいおい、まさか……ジネーヴラも黒なのか?」
ルーカが本気で驚いたような声を出した。レナッタにはまだチュチーリアの言葉が上手く呑み込めない。ゴーレム技師の顔は無表情だった。まるで心に蓋をしたかのように、何ひとつとして感情が読み取れない。
「あいつ……ジネーヴラに、国の外から内側へのゴーレムの運搬を任せたことがある。外に出た時に脅されたのか、唆されたか――いずれにせよ、あいつは魔人側についた。ゴーレムの内側に魔人を忍ばせて、この国に招き入れたんだ」
「で、裏切者のジネーヴラをお前はどうした」
「安心しろ、私の手で殺した――軽蔑してくれて構わないよ」
ルーカの問いにチュチーリアは即答しつつ、レナッタに視線だけ向けた。そんなことを思うわけが無いと言いたかったが、言葉が出なかった。きっと酷い顔になっていたのだろう。
「レナッタはそんなこと思ってないよ。あ、私もだけど……」
それまで静かにしていたヘレンが告げると、チュチーリアはバツが悪そうに顔をそむけた。恐らく本心ではないのだろう。
「ちっ、じゃあドッペルゲンガー以外にも入り込んでいると考えていいか……すぐにでも動くぞ」
ルーカがそう告げた時、遠くから衛兵が手に武器を抱えて駆け寄ってきた。
「ルーカ様、コルラード様――申し訳ありません、武器庫が襲撃を受けまして、お客人の武器で持ちだせたのはこれだけになります」
戦斧が二振り、これはヘレンの武器だ。そして、ルーン文字と魔法陣の刻まれた籠手は彼女の友達のエフィルミアの物らしい。二人はすぐにそれを受け取った。
「すまねぇなイズルちゃん、お前さんはどこかに隠れて貰うしかなさそうだが」
「いや、俺にはまだこれがありますから。何かの役には立つでしょう」
そう言って取り出したのは白樺の杖だ。ルーカは「そこまで言うなら自分の身は自分で守れよ」とだけ告げる。一同が双星ポルックス大聖堂に向おうと動く中、ヘレンは一点を見つめて立ち止まっていた。その両手には戦斧が握られていた。
「どうしたの、ヘレン?」
レナッタが問い、イズルとエフィルミアも振り返る。
「ねぇ、ドッペルゲンガーは人間に化けるんだよね」
その問いにレナッタは「そうみたいね、でも誰に化けているかまでは――」と言いかけて口を噤む。ヘレンは何かを見つけたのではないか?
「皆は行って――ドッペルゲンガーは私がやる」