ⅩⅤ 孤独なる天才
螺旋階段を降り切ると木造りの古びた扉があった。チュチーリアは躊躇いも無くそれを開ける。その先は崖となっていて、下からは目立たないようになっている。いざ降りて見るとそこは見慣れた光景があった。
広い通路に敷き詰められたトロッコ用の線路。魔光鉱石、魔導式自立人形を運搬する為の物だ。そこを少し行くと、ゴーレムを多数収容できる保管庫へと繋がっている。鉄で出来た扉で普段は厳重に保管されているのだが、その扉は内側からひしゃげてこじ開けられていた。
「私のゴーレムを動かして内側から開けさせた……か? ふむ。そんな芸当が出来るとはとても」
「ちゅ、チュチーリア様……暴走したゴーレムがまだうろついているかもしれないんですよ?」
ジネーヴラが裾を引っ張るが、チュチーリアは深く思考していてその場を離れず、揺らされてマントの中で様々な金属が賑やかな音を立てる。
「ゴーレム技師がゴーレムを怖がっているようじゃまだまだ半人前だぞ、ジネーヴラ」
「ひぃい……ですけど、暴走しているんですよ? チュチーリア様はいつもゴーレムの危険性を理解しておけと」
「危険性を的確に理解するのと、意味も無く振るえて怖がるのは違うぞ」
保管庫に残っているゴーレムは一体のみ。それは内側から穴が開いていた。ふつふつと沸き立つ怒りでうっすらと血管が浮きだった。恐ろしい形相にジネーヴラがびくっと震えるのを尻目に唯一残ったゴーレムを調べる。
「魔光鉱石は抜かれている……が、犯人はゴーレムの中に入り込んだのか? 少なくとも人間に出来る芸当ではない」
「ひっ、魔物の仕業ということですか?」
ジネーヴラは今にも気絶しそうな程に顔を青ざめさせた。彼女は一か月前に祖国であるキャンサー帝国を魔王軍の手で滅ぼされている。今あそこは国としては機能しておらず、僅かな生き残りが抵抗を続けていると聞く。
ここに来た頃のジネーヴラは常に何かに怯えていた。夜に悲鳴を上げた事も一度や二度ではない。最近は夜に叫ぶ事も無く、やっと落ち着いてきたが、トラウマが消えたわけではないだろう。
「……一人で戻ってもいいぞ。ここからは私が調べる」
「ま、待ってください……し、師匠を一人にするつもりはありません」
ジネーヴラの目は焦点がまともに合っていないように見えた。チュチーリアは彼女を一人にして帰す危険性と、一緒にいることによる危険性を天秤に掛ける。どちらも同じくらい危険だが、それなら一緒に居た方がまだマシだろうと判断した。
「なら、ついて来ればいい……だが、怖いんだろ?」
「い、いえ、怖くなど」
「怖い筈だ。国が滅び、家族も目の前で殺されたんだろう?」
この国に逃げ込んできた者達の事をチュチーリアは覚えている。皆、恐怖に打ちのめされ、生気が無くなってしまったかのような虚無の眼差しをしていた。そうした者達をチュチーリアはゴーレム研究の補佐として雇った。多くは単純な力仕事だ。研究をやる上でそこまでの必要性は無かったのだが、とにかく彼らを忙しくさせた。
トラウマ等考えている暇が無い程に。
そんな中でジネーヴラは魔法の才能があり、ゴーレムの構造をすぐに理解出来る程、呑み込みが早かったから弟子に取った。人生初の弟子故に接し方は試行錯誤の連続であるが、悪くないとチュチーリアは思っていたのだが……。
「チュチーリア様には……理解できないでしょう」
「どうだろうな、だが話してくれなければ、分かる物も分からない。だから聞いているんだ」
「この世には話したところで分からない感覚があるのです。誰もいない時に響く頭の声……、壁の染みが恐ろしい化け物に変わっていく様」
マントの中から取り出した金属製の杖に魔法の光を灯し、トンネルの奥へと向かって行く。話していくうちにジネーヴラの声が落ち着いていくのをチュチーリアは感じた。その顔は道化師が劇で使う面のようだ。
――また無神経な事を言って怒らせてしまったか?
チュチーリアは子どもの頃から魔法――とりわけゴーレムに関する知識にしか興味が無く、特に誰かとの人間関係には関心が薄かった。会話を適当に流すか、無視してしまったことで、恨まれた事もある。尊敬していた当時の師匠に「お前はもっと人に関心を持て」と言われ、理解はできないものの、努力はするようにしてきたが、上手く行っている感覚は無い。
「逃げても隠れても、どこまでも追いかけてくる――頭の中を搔きむしられて」
「全て妄想だ……この国を訪れた無告の民は皆、いつも何かに怯えていた。魔人も魔物も入り込めないこの楽天地に辿り着いて尚、何を怖がる?」
「怖い?」
二人は十字路に出た。分岐路によってトロッコの行先を変える場所であり、四方に伸びる線路はそれぞれ行き先が違う。いずれも重要拠点へと繋がっている。
立ち止まったジネーヴラの視線が、自分の背中に突き刺さるのをチュチーリアは感じた。振動が周囲一帯から広がってくる。
岩石の手足と身体、無機質で惚れ惚れするような巨体、真っ白な甲冑が槍を手に周囲を護衛するように浮遊している。全てチュチーリアの作ったゴーレムだ。その関節部からは牙を持つ目鼻の無い頭が突き出ていた。
「ジネーヴラ」
「さっき言いましたよね、師匠。危険性を的確に理解するのと、意味も無く振るえて怖がるのは違う……と。私は理解したんですよ」
ジネーヴラは服のポケットからトンボ型の手板を取り出した。金色の魔力が糸となってゴーレム達へと繋がる。
「お前……やってくれたな。この国に魔物を入り込ませたなっ」
「どんな加護があろうと、結界に護られていようとも、誰も逃げられない……隠れる事も出来ない――けれど、それを受け入れたら?」
それは恍惚とした幸せそうな笑顔だった。檻から解き放たれた鳥のように軽やかな姿。背筋に悪寒が走る。ジネーヴラの口から漏れる笑い声は、話せば理解できるかもしれないと思った先程の自分を嘲るかのようだった。
「魔人に唆されてでもしたか? いつからだ」
「夜に悪夢を見なくなったころからですよ――なんて言ってもそれがいつからかなんてあなたが覚えてるわけないですよね。アリエス王国からの使者が来る少し前と言った方が良かったですか?」
その言葉は覚悟していた以上にチュチーリアの心を抉った。自分が弟子の様子を気にしていないと思われている事、そしてジネーヴラがここしばらくでようやく落ち着いたと勘違いしていた事に対して。
「ゴーレムの体内に施した対魔法探知用結界……そいつを利用して魔物共を国内に引き入れたか」
魔光鉱石を動力源とするゴーレムは、そこを破壊されてしまうと動けなくなる。魔力の元を探知出来る魔法使い相手の場合、急所を常に晒すようなものだ。そこでチュチーリアはゴーレムの体内に魔力の探知対策用の結界を施した。
それが完全に裏目に出た形になった。
「それだけではありません。魔物が持つ魔力は人間の比ではございません。魔光鉱石の助け無しでは発動するのも困難なチュチーリア様のゴーレムもこの通りです」
「……見るに堪えないな。ジネーヴラ、お前はゴーレム技師の恥さらしだよ」
唾棄も罵倒も今のジネーヴラには一切響かない。手板を引くとゴーレムが徐々にチュチーリアへと距離を詰めていく。
「嫉妬ですか? 弟子に越されて悔しいですか?」
「お前は何も分かっちゃいないよ……だから、最後のレッスンだ」
ゴーレムの動きは緩慢だ。こちらの恐怖を煽るつもりなのだろうが、チュチーリアにとってゴーレム達は自分の子どもも同然だ。愛する子どもを醜悪な化け物に変えられて彼女は怒り心頭だった。怒りが一線を越した結果、今の彼女は却って冷静になっていた。
取り囲むように展開した6体の甲冑型が槍を突き出す直前、チュチーリアはマントの留め具を外した。肩の上を滑って地面にそれが落ちるよりも先に、手にした杖が上下に分かれた。
杖の先端の輝きが、一閃する刃を照らす。湾刀の鞘が槍を叩き落とし、もう一方がゴーレム達の胸を切り裂いた。
「なっ――嘘っ、どうして!?」
ジネーヴラの動揺を余所に、チュチーリアは鞘を捨てて、腰に差してあった幾つもの杖の内の一本を抜くや否や宙へと放り投げた。杖は上下に分割されて刃に変化した。それを無造作に四本。宙に浮いた刃は無数の魔力の糸でチュチーリアへと繋がっている。
足元まで届く程に伸びた長い髪の元、後頭部の髪飾りへと。
「なぁ、なんで私が武闘派のテンプルナイツなんかに所属していると思う?」
宙に浮く剣が高速回転し、控えていた甲冑型のゴーレムを切り裂いていく。取り落された槍にも魔力の糸は絡みついては宙に浮き、加勢に加わった。それはゴーレムに取り付いている魔物の醜悪な頭を的確に貫いた。
「ゴーレムの動きは、使い手の想像に大きく左右される。使い手がヘボなら、ゴーレムの動きもまた然り。じゃあ、私自身が武術を極めればどうか? ゴーレムの動きにもキレが出るだろう?」
「あり得ない……そんな無茶苦茶な!」
ジネーヴラの言い分は正しい。魔法使いの多くはその能力の研鑽に時間を費やす。武術を学ぶ者もいるが、出来て護身程度にしかならず、武術家には遠く及ばない。中途半端な技術を身につけるくらいならば、魔法を極めた方がいいと言える。
逆に武術家は日々身体を鍛え、精神を統一することで体内に流れるマナーー魔法使いであれば魔力に変換する自然に流れる源だ――をコントロールし、常人ではあり得ない程の力を発揮する。だが、マナを魔力へと変換する才能が無ければ、武術家は決して魔法を扱うことは出来ない。
魔法使いと武術家は相反する存在と言える。
だが、チュチーリアが扱う魔法は特殊だ。ゴーレムを意のままに操ると言えば、聞こえはいいが、使い手の中に明確な想像が無ければ、木偶の坊に過ぎず、数に任せた力押ししかできない。あまりにも単調で、発展のし甲斐が無いと思った。だから、彼女は魔法使いなら誰もがやらないであろうことに挑戦した。
「生憎、理論上は出来ると言われたら試してみたくなるタチでね」
襲い来る岩石のゴーレムの拳をステップで躱し、装甲の合間、関節部に湾刀を突き立て、中で動力源代わりになっている魔物を潰す。
「あぁ、これだから嫌になる――天才というやつは」
ゴーレムの挙動が乱れる。蛹から羽化するように、腕が突き出て、チュチーリアの体を掴んだ。それを皮切りに残ったゴーレムから続々と無数の腕が生えて群がる。宙に浮いていた武器は糸が切れ、音を立てて地面に落下する。
「私の嫌いな言葉だ」
気味の悪い肉の壁の隙間から、勝利を確信したジネーヴラの笑みが歪むのが見えた。突き立てた湾刀が徐々に押し返す。
「この私が、天から才能を授けられたとでも思っているのか? 違う」
ゴーレムの一体が自身に憑いている魔物を引きちぎった。チュチーリアが伸ばした魔法の糸がゴーレムの制御を取り戻していた。武器を手放したのはジネーヴラの油断を誘う為に過ぎない。
「私を哀れに思った女神がお前の苦労をずっと見ていたとでも言いながら、力を授けたか? 違う」
幾つもの糸が倒れているゴーレムへと繋がる。その多くが損壊しているにも関わらず、ジネーヴラが動かしていた時と比べ格段に動きが良くなる。
「幾度となく挫折し、その度にそこから這い上がる。千の失敗の後に掴んだ一つの成功、それをお前は天才の一言で片づけるか――だからお前は何も成し遂げられないんだ」
チュチーリアの顔には嫌な汗が噴き出していた。これ程の数のゴーレムを魔光鉱石の助け無しに、自前の魔力だけで操るのは無理が生じる。それでも、彼女は弟子に示してみせなければならない。
「私のゴーレムに、魔物の力――見てみろ、何一つとしてお前の物は無い。模倣未満の力に縋って、満足か?」
ジネーヴラが発狂の声を上げる。ゴーレムから追い出された魔物がその体へと飛び掛かり融合していく。チュチーリアは魔力の糸を放し、手に握ったサーベルをジネーヴラの身体へ突き立てた。体内に宿った魔物が消滅する。
「ぐふっ――師匠」
致命傷だ。一瞬、今すぐ治療すれば助かるのではないかという希望が湧いたが、その体は急速に冷たくなっていく。魔物に憑かれた時点で彼女の運命は決まっていたのだ。
ジネーヴラの手がチュチーリアの頬を触った。
「やっぱり……あなたは天才です。だって――」
「…………」
チュチーリアは黙って彼女の次の言葉を待ったがいつまでも来なかった。その手は身体の横に落ちる。
――その言葉は嫌いだと言っただろう。
心の中で呟いた。本物の『天才』と言う存在を彼女は実際に目の当たりにしたことがある。
勇者と呼ばれる存在とその仲間達。その戦いを目にした彼女は、自分のこれまでの努力、研鑽、長年の時を掛けてきた物が崩れ去るような気持ちになった。
『天才』という存在は軽やかに、そして無慈悲に自分達を超えていくものだ。
『チュチーにしか出来ないことも沢山あるよ』
勇者の仲間、若草色の少女はそんなことを言って励ましてくれたが、却って彼女にとっては屈辱だった。そんな言葉を掛ける彼女のことをその時は嫌った。だから、ジネーヴラが自分にぶつけた憎悪も理解はできる。
見開かれた瞳をそっと下し、その手を組ませた。
「お前にしか出来ないことも沢山あったさ……それを気づかせてやれなかったのは師匠たる私の失態だ」




