ⅩⅣ エンディミオン家の矜持
エンディミオン家の屋敷は、元は砦だったものを改装したもので、随所にその名残が見て取れた。例えば星を見る為の展望台は元は見張塔であり、穀物の貯蔵庫としても使われているのは今も昔も同じ。梯子で出入りしていたのだが、改装されて洒落た螺旋階段になっている。
そして居館はこの「砦」の本体とも言える部分である。元の内装はエンディミオン家歴代の扱ってきた武器甲冑が飾られている程度の貴族としては質素かつ武骨な印象だったが、ルーカの世代になってからはガラッと印象が変わり貴族らしい華やかさを感じさせる装飾や美術品が飾られている。彼が敢えて変えたのだ。
ルーカは広間でロッソ・、ミネルヴァと共にいた。天井から吊られている豪奢なシャンデリアは内臓された魔光鉱石によって昼夜問わず部屋を照らし出す。
「お前の弟の件については騎士団の連中に調べさせてるとこだ。もう少し落ち着いたらどうだい」
「ふざけるな、その騎士団こそが下手人だと言う話ではないかっ!」
ロッソは怒りも露わに捲し立てた。もう随分の年の老人なのだが、元気なことだとルーカは思った。老人に見られるのが嫌だからという理由で、白髪を自分の魔法で赤色に染めているのだが、今朝はあまりの出来事のせいか、切れ掛かっている。化粧が水で洗い流されるように薄っすらと銀色が滲み出ていた。
事件当時、ロッソは別件でルーカの屋敷におり、弟の訃報に際してすぐにでも出向こうとしたのだが、安全を考えてルーカがこの場に留まらせたのだ。普段冷静な彼が苛立っているのはそれもあるだろう。
「何の為に?」
「私を評議界から蹴落とそうとする動きがあるのは知っている。議員の誰かが騎士団を通じて――」
「だとしたら、もっとひっそりやるだろうさ。茶に毒を盛るとかよ。それに蹴落とすつもりならこんな回りくどい手段は取らんだろ」
ロッソは明らかに狼狽し、疑心暗鬼となっている。弟を殺されるとこうもなるものなのだろうか、と兄弟のいないルーカは思った。自分にとって家族とは権力の共有を許す関係であり、それすらも時と場合によっては崩れる。
世の人が自分を冷徹だと囁くのもルーカは知っている。権力を用いればその声を黙らすことも出来るが、彼はそうしない。言うに任せた。人というのは権力者に対し負の感情があっても、それを口にすることを許されている限りはそうそう暴発はしないものだというのを知っていたからである。
「それよりも、もっと懸念すべき事がある。今回の件、ともすればこの国の安全に関わるやもしれんぞ。それもこの国が始まって以来の規模の」
「なんだと? 結界を張る守護聖人が不在だった時期ならいざ知らず――」
と、その時、大広間の扉が開いた。入ってきたのはルーカの息子、コルラード・エンディミオン、そしてガブリエーレに仕えていたメイドのミランダ。数人の衛兵が後ろを護っている。
「ご歓談中に失礼致します。ロッソ様、父上。ガブリエーレ様の件をご報告させて頂きたく」
コルラードは事件現場の様子を事細かに淡々と挙げていった。ルーカの命であの場を観察させた者達の言葉までつぶさに、だ。
――やはり、あの小娘。単に嵌められただけか?
事件の報告が最初に上がった際から感じていた違和感は確信に変わる。それはコルラードと同じく、彼もまたセレーネの事を心から信頼していたからでは……勿論無い。もしも彼女が下手人であるのであれば、法の元に処刑することもルーカは厭わないし、そこに一切の慈悲は皆無だ。
国を預かる者が情に流されて動くなど、愚の骨頂であるからという確固たる信念故に、だ。
だが、それは彼が情を理解していないという事と同義ではない。セレーネ・ヒュペリオンという娘を彼は知っている。或いは彼女の父についての方が詳しいかもしれない。
ジュゼッペ・ヒュペリオンは人情で動く男だった。ルーカとは真逆の人物だ。
「――以上から考えるに、セレーネがやったとは断定できない状況でして」
「馬鹿な、貴様は弟子に情があるからそのように見えるだけだ、その小娘の仕業に決まっ――」
「ロッソよぉ……、一旦あんたは落ち着いて――そろそろ弟君に会って来たらどうだね。衛兵を護衛につかせよう」
コルラードが衛兵に目配せする中、ロッソは未だ納得できない様子だったが、ルーカの目を見て黙った。
「……分かった」
――ミネルヴァ家もまだ完全には堕ちてはいないようだ。他の英雄の末裔共に比べれば、だが。
ロッソを見送った後、ルーカはコルラードに人払いをさせて、ミランダを自室に呼んだ。メイドに過ぎない彼女を労い、椅子に座らせて紅茶と茶菓子まで出した。その対面に執務机を挟んで座り、ルーカは努めてリラックスな姿勢を取った。
「大変だったねぇ、ミランダだったか? 仕事の事だとか今後のことだとか心配だろうが、安心しろ。エンディミオン家で面倒を見るからよ」
「ほ、本当にございますか? 感謝致します。なんと言っていいか――」
「ところでよ、事件の犯人ってやっぱお前はセレーネの嬢ちゃんだと思うか?」
ミランダは感謝の言葉を止める。動揺らしい動揺はなかった。彼女は至って冷静に見える。ルーカはその様子をじっと見たが、何の感情も読み取れなかった。
「えぇ、間違いなく私はあの時、彼女を見ました。彼女がやったのですよ」
「そうか、一応確認しときたかったんだよ。となると、やっぱ……“ドッペルゲンガー”の仕業ということになるかな」
ミランダの顔が一瞬引き攣った。この国の民であれば、その怪物の名を知らぬ者はいない。
およそ千年程前、この国には王政が敷かれていたが、人間に成りすました魔人によって乗っ取られてしまった。その魔人の名こそ『ドッペルゲンガー』だ。この化け物は王に成りすまし、人間の国を内側から破壊したのだが、当時異世界から転移してきた者達によって討ち取られた、と伝説にはある。
「そんなまさか――……ドッペルゲンガーは千年前に討たれている筈でしょう?」
「あぁ、そうだ。仮に俺らのご先祖様が仕損じてたとしても、“国外に逃げた筈だ”。そして再び入ろうとすれば、国境沿いに配置している魔導部隊が探知出来た筈だ」
魔人や魔物の外からの侵入は現状、双星の御子が張り巡らした結界によって阻まれる。だが、それを絶対の守りと過信せず、ジェミニ評議界は、魔導部隊と呼ばれる魔法使いからなる部隊を配置し、『見破りの魔法』をもってして、密かに国境を渡ろうとする魔人がいないか見張らせていた。
「もしもセレーネの嬢ちゃんが無実で、ドッペルゲンガーがこの国に紛れ込んでいたとしたら?」
この国は千年もの間、存続してきた。国内の権力争いは絶えず存在し、政権の形態も時代によって変化し続けた。それでも外敵によって支配されることも、滅びることもなく生き続けたのだ。
それが魔人一人の手で変わりかねない。それは小さな可能性であっても、ルーカからしたら無視できないものだった。
「セレーネの嬢ちゃんに化けた奴がいる。恐らく奴はガブリエーレの屋敷の地下から逃げたに違いない。チュチーリアの奴が見つける事ができればいいが、恐らく空振りだろうさ」
ルーカはふと立ち上がって背後の壁に振り向いた。自身の先祖――英雄と称えられたその人物の肖像画が飾られていた。その周囲に並ぶ武器は、エンディミオン家が輩出してきた多くの武人が取った物だ。ルーカは思いを馳せるように手を伸ばす。
「となると残された手は一つ。戒厳令を敷き、国内にいる連中を残らず調べるしかないだろう。緩み切ったこの国じゃドッペルゲンガーの復活なんざ誰も信じはしないだろうが、俺が命じさえすれば――」
血飛沫が肖像画を汚した。真っ白な手が宙を飛び、壁に当たって跳ね返り、開いた指からナイフが落ちた。
「……なっ」
「言っただろう、ミランダちゃん」
ルーカは捕食者さながらの狂暴な笑顔を浮かべ告げた。握った柄には半円を描いた護拳、緩やかな曲線を描いた分厚い刃は血が滴っている。壁に立てかけてあったのは歴代のエンディミオン家が使用した物。そして、ルーカもまたその一人ではあるのだ。
湾刀の切っ先をミランダの顔の一歩手前で止める。
「お前の面倒はエンディミオン家が見るってさ――あぁ、それともこう言った方がいいか、ドッペルゲンガーちゃん?」
斬られた腕はまるで蜘蛛のように蠢いて飛び、切られた根本へと粘土のように吸収される。ミランダの顔全体が物理的に歪む。見えない陶芸家の手で作り直されるようにその顔が、身体が変化する。
セレーネの姿だ。その背後で扉が開き、コルラードが長柄武器を構えた。片刃が弟子の姿をした偽物を捉える。
「どうして分かったのかしら?」
「人間に対するお勉強が足りてねぇな。お前、ガブリエーレだけでなく、ミランダも殺したな?」
くすくすとセレーネは、元の本人が絶対に浮かべないであろう歪んだ笑みを浮かべた。その手は軟体動物じみた動きでルーカへと伸びる。湾刀でそれを切り払おうとする直前、迫る手は反撃を躱し、背後にあった武器を取った。巨大な斧だ。それを取るや否や、腕が引き延ばされた弦のように反転し、ドッペルゲンガーの元へと戻った。ルーカがしゃがむと巨大な刃が彼の首があった場所を通過する。
動揺の欠片も無く、ルーカは話し続ける。
「お前はまずセレーネに化けたんだろう。本物の方にはガブリエーレを装って手紙でも送って呼び出したか? まずお前はガブリエーレのヤツを殺した。そこでミランダに見られたのか、それとも最初から殺して成りすますつもりだったかは分からんが、とにかく殺して成り済ました」
「えー、そこまで分かってたなら、さっさと殺せば良かったのにー」
「確信が無かった。この仮定全部、俺の推測に過ぎねぇからな。そうやってこちらを疑心暗鬼にさせるのがお前の思惑なんだろ?」
誰も信じられない状態にして無実の者を排除し、最後には同士討ちを起こさせる。それが千年前のドッペルゲンガーの伝説のあらましだ。
セレーネがガブリエーレを殺したかもしれないという報告、目撃者が複数、セレーネを見ている。それを聞いたルーカは二つの可能性を考えた。
一つはセレーネが本当にガブリエーレを殺した可能性。人情に厚く、心優しい少女の皮の下でえげつない陰謀を巡らせている可能性は決して0ではない。結局の所、人間の本心は、本人にしか分からないものだ。
だが、セレーネが剣を持って逃げだしたという話、その場にいたジネーヴラには一切手を出さなかったと聞いて、ルーカは違和感を覚えた。容疑が晴れたわけではないが、直感的にセレーネは犯人ではないのではと考えた。
そして二つ目が――結局こちらが正解だったわけだが、伝説上の魔人ドッペルゲンガーが化けている可能性。そうでなくても、何者かがセレーネの振りをして、ガブリエーレを殺したのではないかと疑った。
この可能性を高めたのが、事件当時のミランダの反応だ。ドッペルゲンガーがどこまで彼女を知っていたのかは分からないが、本来の彼女は自身の仕事に対する矜持を持ち、ガブリエーレに対しては絶対の忠誠を誓っており、その厳しさは自他共に認める程だった。
コルラードがミランダの当時の行動をルーカに説明した際、彼は怪訝な顔だった。普段の彼女の噂を知っていたからだ。
それがまるで別人と入れ替わったのような行動。
「お前、エンディミオン家が面倒を見るって言った時、めちゃくちゃ嬉しそうな反応だったろ? あれが決め手さ。あいつが同じ状況ならそんな言葉を口にはしないさ」
こうして対峙していても、ドッペルゲンガーは人間と瓜二つなだけでなく、魔人から感じる特有の気配――それは強烈な殺気に近い――を感じない。これで完璧にミランダを演じてみせたら、ここまで自信満々に見破ることは出来なかっただろう。
「そっか、ニンゲンさんってやっぱり難しいね。私には一生理解出来そうにないや」
「する必要は無い。今ここでお前を殺せば済む話だからな――その前に一つ、お前ミランダの死体はどうした」
「言葉そっくりそのまんまお返ししちゃんだけど、これから殺されるジジイが知る必要は無いよね?」
こちらはコルラードも合わせて2対1。おまけに本来のセレーネと同じ実力であるならば、苦戦すらしないだろう。おまけに彼女が持っているのは使い慣れていない大斧だ。
「あぁ、そっか。この雑魚の姿じゃ勝てないよね――失敬失敬」
ドッペルゲンガーの背後から怒りの声と共に、突撃が繰り出される。その刃が彼女を串刺しにする――筈だった。
「何っ」
セレーネの姿をしたそれは空中に飛びあがって躱した。否、それは既にセレーネの身体をしていなかった。若草色の髪がふわりと舞うのと同時に、巨大な斧が断頭台の刃の如く振り下される。
それを避ける事が出来たのは殆ど奇跡に近い。長年の経験と勘が今すぐに動けと命じたおかげだった。貴族のエレガントさなどかなぐり捨てる程の勢いで横に転がると、さっきまでいた場所に裂け目が出来ていた。立ち上がると既にドッペルゲンガーの姿はどこにも無い。
エンディミオン家にも地下室はある。それは万が一の際に、外へと逃げる為の避難通路であるのだが、皮肉にもドッペルゲンガーの逃走路として使われたらしい。
――逃げられた。
その憤りが湧くよりも先に口が動く。
「奴は地下だ。騎士団、魔道部隊、衛兵総動員で探し出せっ」




