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寝坊助姫、異世界から来たりし魔王を討伐しに行く  作者: 瞬々
EPⅣ 異世界から来たりし双星の御子
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ⅩⅢ 私は私になる

 ポルックスの澄み渡った蒼い空、太陽の輝きが結界越しに降り注ぐ。この街は昨日とまるで変わらない平穏さと呑気さを湛えていた。だが、ヘレンの心は嵐のように吹き荒れていた。


 セレーネが人を殺した?


 そんなことはあり得ない。普段何事にも大してこだわりを持たないヘレンが強固な意志を持って断ずる。足早に道を歩く彼女の瞳からは柔和さが消えていた。同行するエフィルミアがその緊迫した空気を感じ取ってか、ずっと両肩を張っている。


「ヘレン、少し――」


「………」


 イズルの呼びかける言葉は聞こえていた。それに返す余裕はヘレンには無かった。イズルはすっと息を吸ってから、落ち着いた優しい声音で再び話しかける。


「少し落ち着こう。俺も、エフィも、君の友達があんな酷い事をしたなんて信じていないから」


 ヘレンの歩みが緩やかになり、自然と止まる。今の自分が意固地になっていることは分かるが、どうしたらいいのか分からない。とにかくセレーネの行きそうなところを手当たり次第に探し出すしか考えつかなかった。遅くなればなるほど彼女の立場は悪くなるだろう。


「あぁ、俺もそいつに関しては同意だ。あの現場は色々とおかしな点があったしな」


 案内役であるはずのエミリオ・アマトが最後尾から同意を示した。ヘレンの独走を揶揄しているようで、ヘレンはちょっと腹が立って頬を膨らませた。


「だが、それもこれも、あいつに話を聞かないと始まらない……ヘレン、お前本当に武器は持ってこなくて良かったか? 万が一にも……」


「私は大丈夫――だって、セレーネはやってないから」


 そう言ってヘレンは顔を逸らして拳を握る。ふと視界の隅でレナッタの髪が揺れ、その拳の上にそっと彼女の手が添えられた。それはふんわりと降った雪が大地を冷やすように、ヘレンの中にある熱を解きほぐした。


「大丈夫! 何かあっても私が守るわ!」


「うん、ありがと…………あれ? レナッタ、なんでここに」


「レナッタ様、あんたは何しれっと一緒に付いてきてんだよ! 今すぐ大聖堂にお帰りを!!」


 エミリオは聞き分けの無い子どもを叱るように大聖堂の方を指さす。、が、レナッタは引かない。ふんっとそれこそ子どものように顔を逸らした。あの後、彼女を迎える為に従者達が来て一緒に大聖堂へと帰った筈なのだが、逃げ出して、ヘレン達に合流したのだろう。


――レナッタ、怪盗シーフとか斥候レンジャーになれそう。


「私の大親友が殺人の容疑を掛けられているのに、のこのこお家に帰って何をするというの?」


「いやあんたが一緒に居たって、大したことはできないだろうが……セレーネが犯人じゃなかったとしたら、それはそれでこの国に明確な敵意を持った何者かが野放しになっているということなんだからな」


 エミリオの言を聞き、イズルは考えるように腕を組んだ。


「確かにエミリオさんの言う通りだ。ただ、ここまで付いてきてしまった以上、今から戻るより俺達と一緒に居た方が安全かもしれない」


「俺は手持ちの武器がある。が、イズル様とヘレンは武器無し。レナッタ様をお守りするには些か――」


 するとイズルは懐から杖を一本取り出した。白樺の木を削って作られた物で、持ち手が湾曲した独特な形状をしている。エルフの国にて氏族王ティリオンから信頼の証として頂戴したものだ。


「評議界の許可を得て携帯している。大規模な魔法は無理だけど、人ひとりを護衛する程度には役立つ筈だ」


「そんな小さな杖で本当に大丈夫だろうな……?」


 エミリオは怪訝な顔で不安を口にした。ヘレンは詳しくないが、魔法の道具というのは実に複雑な構造を有しているらしい。より強力に様々な現象を引き起こす為には、魔力の籠った装飾を装着しなければならず、必然と杖は大きく、派手な形になりがちだ。


 イズルが持つ神材の戦鎚《狂気フロルの涓滴》等はその典型だろう。聖杯のような銀色の器、それを満たすように嵌る赤色の結晶は、彼が神聖魔法を扱う上で欠かせない魔法道具だ。


「エミリオ……、ここから近い『川』ってどこかにある? 水路とかでもいい。なるべく目立たないような場所。人目に付かないような」


「川だと? あぁ、まぁ近くにあるといえばあるが」


 そこに案内してと、ヘレンは頼んだ。セレーネがそこにいたら話すのは自分とレナッタだけにして、イズルとエミリオの二人には隠れていて欲しいとも。


 時間は無い。人通りが多くなり始めている。抜き身の血だらけの剣を持っている少女等、事情を知らない者が見ても大騒ぎになるだろう。焦燥に駆られ、ヘレンは歩みを早めた。




 石造りの拱橋きょうきょうの真下、川に面した岸にセレーネは居た。


 ひたすらに剣を水で濡らした布で拭く。一心不乱に……一点の汚れも逃さず、朝の冷たい水で肌が冷え、霜焼けで腫れようとも、その手は止まらない。


 川に赤い靄が流れていく。刃はすっかり輝きを取り戻したように見えた。だが、その手は止まらなかった。


「だめ……まだ落ちてないまだ……付いてる、もっと綺麗に……お父さんの剣は人々を魔王から護る剣……だから……お父さんもお母さんも役立たずなんかじゃ――」


 涙が刃に落ちる。その雫が跳ねる度に過去が溢れ出てくるようだった。


 かつてセレーネの父と母は英雄として先代魔王ニュクスと戦い、ジェミニを護った。その頃のこの国は、双星の御子が不在の時期があり、結界を持たないジェミニの国は二人の英雄を持て囃した。だが、ニュクスが勇者ソムヌスの手で倒された後――、タナトスが台頭すると事態は変わった。


 十年前、双星の御子が大聖堂の守護聖人に任命されたことで、ジェミニは結界の守りを得た。その力はタナトス自身の力さえも及ばないようで、魔王はただただ国の外からジェミニを眺めていた。何もしなければ、両親は死ななかったかもしれない。


 だが、セレーネの両親はタナトスを倒す為に結界の外に出て、タナトスと戦い――殺された。


 上流階級の中でも、心無い人々は無謀にも魔王と戦い殺された二人を嘲笑い、民衆へと吹聴して回った。


――国の外に出なければ殺されなかったのに、間抜けなものだ。


――己の力を誇示せずにはいられなかったのだろう。力に溺れた結果だ。


――戦うことでしか自分の価値を見出せなかったのだろう。哀れな。


 二人が何を思って結界の外に出たのか、魔王と対峙したのか、セレーネには分からない。けれど、それが自分達の力に溺れた結果などではないと信じている。


『この剣は、人々を護る為の剣だ。力無き人々が安寧の元で生きていく為の』


 セレーネの父はそう彼女に言い聞かせた。


『御子様がいれば、魔王ですらこの国に手を出す事は出来ない。そう信じる人々もいる。だが、自身に魔の手が伸びなければそれで良いのか?』


 言葉はセレーネにというより、自身に問いかけているようだった。


『あの手はいずれ別の誰かの元へと伸びる。無辜の民を手に掛ける事になる。先代の魔王がそうしたようにな』


 父は正義感が強い人物だった。頑固或いは融通が利かないとでも言おうか。それでも慕われたのは人柄の良さ、誰に対してでも優しいその人柄ゆえだ。セレーネもそんな父が好きだった。


『あの人は一度決めたら止められないから。でも大丈夫、危なくなったら私が引きずってでも連れて帰りますから』


 母はそう言ってほほ笑んだ。魔法使いであり、父が片刃剣ファルシオンに使っている魔光鉱石マナ・オーアを結晶に加工した人でもある。父とは対称的で物静かであり、一人で読書をするのを楽しむような控えめな性格だった。


『だから、私達が帰るまで留守を頼みますね、セレーネ』


 父も母も帰ってこなかった。一時期は、そのことに強い怒りを感じたこともある。自分一人を残して逝ってしまったことに。だが、何も知らない民衆のようにただ二人の行いを罵倒したいわけではない。自分の感情が愛憎でどうにかなってしまいそうだった。


 そんな時だった。今の師匠コルラード・エンディミオンが両親の剣をセレーネに託したのは。


『二人がたえず望んでいたのは、君の幸せだった。この剣を託すことをあの二人は快く思わないだろう。だがもしも――』


 鞘から抜いた刃は、光り輝き、自身の顔が見えた。


『君だけだ。あの二人に着せられた汚名を払拭し、名誉を取り戻せるのは』


 その刃が、今は血に濡れている。


「セレーネ?」


 声がすると同時に、セレーネは跳び退った。刃の切っ先が捉えるのは、若草色の髪の娘。武器は持っていない。どころかこちらを一切警戒する様子すら無かった。あまりにも無防備。仮に彼女が武装していたらセレーネは勝てないだろう。


 ヘレン・ワーグナーは、セレーネの心に憧れの光を灯した人物だ。だがその光は強くなればなるほど、影も濃くなる。劣等感、嫉妬心、自分はどうしてこうなれないのだろうという歪んだ感情。


「それ以上……近づかないで、もしも近づいたら」

 

 セレーネはそう言いながらも、自分の構えがあまりに頼りないことを自覚していた。


――それ以上近づいたら、何? 殺すの?


 剣が小刻みに震える。その気になれば抑え込むことなど容易い筈だ。だが、ヘレンは馬鹿正直にも歩みを止めた。


「セレーネ、迎えに来たよ」


「どこに? 地下牢? それとも処刑台?」


 そんなつもりは無いのだろう。その行動と同じく、彼女の言葉は正直なのも知っている。それでも自分のこの気持ちは理解できない。


「私はあなたはやってないって信じてるから……あなたのお師匠さん、それにレナッタも」


「でも私の――父と母の剣は人殺しの業を背負った」


 この剣は父と母の形見――人生そのもの。セレーネにとって両親の魂その物と言ってもよかった。今回の出来事は二人に着せられた汚名をすすぐどころか、より重い罪を背負わせるに等しい。


「あなたにはわからない。自分の無力さ……愛する者が逝くのを止められない虚しさ、これまでのありとあらゆる努力が粉々に打ち砕かれる瞬間を」


 自身の無実等どうでも良かった。血に塗れた剣が床に落ちているのを見た時から彼女の中で決まってしまったことだ。


「私はセレーネじゃない。だからきっとあなたの気持ちは本当の意味では分からないかもしれない」


 だけどね、とヘレンは続けた。


「その剣がセレーネにとって掛け替えの無い物で、それが穢されてしまったことが許せない事は分かる。それに自分の無力さ……私も似たような事は感じたことある。だから心配なの」


 魔王に永遠の眠りの呪いを掛けられた時の事を言っているのだろう。あの時のヘレンは見るに堪えないくらい落ち込んでいた。自分の憧れ、頼もしい存在のそんな姿を見たくなくて、セレーネは酷い言葉を彼女にぶつけてしまったことがある。


「いいえ、分からないわ。だって、私はあなたみたいに強くはないもの。魔王の呪いを受けてそれでも戦おうなんてきっと思えない。心が折れてそのまま朽ち果てるに決まってる」


「……そんなこと無いと思う。大袈裟過ぎ、私はそんなに強く無い」


 ヘレンはそっと気まずそうに視線を逸らした。その控えめさは人によっては好感に映るだろうが、セレーネにとっては不快だった。


「いいえ、大袈裟でもなんでもないわ。あなたは私にとって……」


「ヘレンはあなたの憧れだったものね!」


 背後から声がした。聞き馴染んだ声だ。剣をそっとおろして、セレーネは振り返った。レナッタが両手を組んで立っていた。橋下のアーチ状に光が満ちてその姿を照らしている。セレーネにとっての太陽。彼女が守るべき存在だ。


「え、そうなの?」


「い、いや、違うわよ! なんで私があなたなんかに憧れ――」


「前にヘレンが故郷に帰ってしまった後に確かに聞いたわ! 『ヘレンは私にとっての目標――憧れなんです……そんな彼女が何もかも諦めてしまうそんな姿は見たくなかった』って!」


 慌てて否定しようとしたセレーネの言葉を遮るように、レナッタは捲し立てる。ヘレンが「おぉっ」と顔を輝かせる。今すぐこの二人を黙らせたいとセレーネは思ったが、二人は勝手に盛り上がっていく。


「こっそりヘレンの動きを真似して訓練してる話とか、どうしたら彼女みたいになれるのかとか相談されたりしたわ! 私戦いの事はさっぱりだから全然相談に乗れなかったけど!!」


「えへへ、そっか……そうなんだぁ」


「やめて……やめてください、レナッタ様。今すぐに」


 恥ずかしさのあまり、セレーネはその場に崩れ落ちた。だが、同時に張り詰めていた緊張の糸が、弾けるように切れた感覚がした。それでも心中に渦巻く影は未だ晴れなかった。ヘレンがそっと慎重に近づいてくる。


「……大丈夫?」


「いいえ……今すぐ消えたい気分よ。この剣は……私の両親が残してくれた物。父も母も魔王タナトスに殺されたの。当時の人は好き勝手に言ったわ。結界の外に出て魔王に戦いを挑む等なんて愚かなことをしたのか、勇者にでもなりたかったのか――と」


 言葉はナイフのようにセレーネの心に刺さり、抜けることは決してない。


「二人は……ヒュペリオン家の愚か者として人々の記憶に刻まれた。それを払拭する為に私はこれまで鍛錬を続けてきた。私が両親の残したこの剣で、いつか魔王を倒せばきっと人々も思い直す筈。そう愚かにも信じ続けてきたわ。でも、私はあなたや勇者のようにはなれない」


 ヘレンがそっと隣に座るのをセレーネは感じた。顔を膝に埋めているせいで、ヘレンがどんな表情をしているのかは窺い知れないが、その声音はとても優しかった。


「セレーネは信じないかもしれないけど……私もセレーネのようになれたらって思う事あるよ」


「嘘つき、私を慰めようとしてるだけでしょ?」


「うぅん……だって、朝ちゃんと起きられるし、偉い人の話とか全部聞いて全部理解してるんだもん。後、」


 自分はひょっとしてまたしてもからかわれているのではないか? セレーネはそっと顔を上げてヘレンの顔を盗み見た。だが、彼女の顔は真剣そのものだ。


「どんなことがあっても諦めない……『しんねん』ってやつがあるから。私はちょっと何かあるといつも挫けちゃうし、誰かに助けてもらってばっかり――覚えてないかもしれないけど、故郷に帰る前にセレーネが言ってくれたあの言葉が無かったら私は再び立ち上がれなかったかもしれないから」

 

――あなたがいなくなっても、いつか誰かが魔王を倒すでしょう。英雄なんて呼ばれていても、結局代わりなんていくらでもいるのかもしれないわ。

――けど、あなたはそれでいいの? 自分の仲間が自分の知らないところで魔王を倒す――或いは名前も知らない誰かが倒して……それでいいの?


 かつて掛けた言葉は今のセレーネ自身にもそのまま跳ね返ってくる。


――諦めるというのも一つの決意よ。それがあなたの選択なら。だけど、葡萄を諦めた狐みたいにはならないで


 自分でヘレンに掛けた言葉すら忘れているなんて、自分はなんて愚かなのだろう。


「はぁ、やっぱり、あなたなんか憧れでもなんでもないわ。あなたのようになりたいなんて思わない」


「へっ? あ、そ、そっか……そうだよね」


 見るからに落ち込むヘレンの手をそっと取り、立ち上がる。その顔にはもう曇りは無かった。


「私は――私になるの。私にしか出来ない事を成し遂げてみせる。あなたにも勇者にも出来ないようなことをね」


 ヘレンの顔が晴れ、レナッタが二人を後ろから抱きしめた。一度崩れたセレーネの心が再び元に戻る。強固な石となって。


「戻りましょう。そして全て話すわ」

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