ⅩⅡ 違和感
ガブリエーレの邸宅は緊迫した空気で張り詰めていた。テンプルナイツの面々が屋敷に乗り込み、辺り一面は憲兵隊が封鎖を行う。そこにコルラードの手配により、馬車で到着したイズルとヘレン、エフィルミア――それとレナッタ。彼女はガブリエーレの死を聞いて一番動揺していた。大聖堂に留まるように言っても聞かぬような状態であり、「また勝手に抜け出されるよりは」と、同行を許可されたのだった。
「孤児だった彼女とニコロ様を見出し、双星の御子として育てあげたのがガブリエーレ様なのです」と、道中でイズルはコルラードに教えられた。二人にとっては親も同然の人間ということだ。
部屋の中は入った瞬間、冷え切るような寒気を感じた。整えられた本棚と机、日常的な生活感の残るその空間の中心に、ガブリエーレの遺体があった。彼は椅子にもたれかかったまま、息絶えていた。腹に空いた刺し傷が死因だろう。活気に満ちていた瞳が今は色を失い、虚空を眺めていた。
その傍には剣の鞘だけが落ちている。それには見覚えがあった。セレーネ・ヒュペリオンが使っていた得物――片刃剣の鞘だ。
戦場で人の死は何度も見てきたが、それでもイズルはこの凄惨な現場に顔が険しくなる。と同時に違和感も覚えた。
「おじさまっ、いやぁっ!!」
駆け寄ろうとしたレナッタを既に部屋にいた人物が止めた。テンプルナイツのチュチーリアだ。丸眼鏡の奥から覗く厳しい視線がレナッタを制止する。中には他に同じテンプルナイツのエミリオ・アマトの他、ガブリエーレの給仕を担当しているのであろうメイドが二人いた。一人は年配の、そしてもう一人は年若い。どちらも酷く動揺していてとても話せる雰囲気ではなかった。
「申し訳ないが、御子様。調べが終わるまでお待ちくださいませ。ヘレンは――来ているな」
チュチーリアに呼ばれてヘレンがイズルの後ろからそっと前に出る。彼女もまた心を痛めているように胸の前に手を合わせていた。多くの人の死をヘレンも見てきているはずだ。だが、それに『慣れる』ということは決して無いのだろう。
その後ろにいるエフィルミアは口を両手で抑えて震えていた。エルフにとって『死』とは恐らく最も縁の無い概念だ。エフィルミアが人の死を見たのもこれが初めてだろう。
「エフィ、無理はしなくていい」
イズルはエフィルミアに部屋の外で待つように告げつつ、ガブリエーレの遺体を注意深く観察する。彼には霊的な存在を感じ取る神聖な力がある。だが、それは常にあるわけではないが――。
「率直に聞こう、ヘレン・ワーグナー」
イズルが集中するのを余所に、チュチーリアはヘレンに尋ねた。淡々としたその口調はともすれば、冷徹にすら見える。
「この傷を見て、お前はこれがセレーネ・ヒュペリオンの仕業だと思うか?」
この為に自分達――厳密にはヘレンを呼んだのかと、イズルは今更ながら合点がいった。ヘレンは昨晩セレーネと決闘場で共闘している。その時の戦い方を一番間近で見ていた筈の人間だ。今回のガブリエーレの殺害に関しても何か気が付くことがあるかもしれないと思っての招集なのだろう。
――あの戦い、ヘレン途中で寝ちゃってたけど。
ヘレンはじっとガブリエーレの遺体を見つめ、それから傷痕、周囲の状況を確認する。特に傷痕は何度も何度も確認した。一点の逃しもしないようにと。だが、最終的に諦めたように首を振った。
「……わかんない。セレーネでも出来たとは思う――けど」
「使われたのは恐らく彼女の剣。鞘だけがこの現場に落ちていた。さて、なんとも面妖だとは思わないか?」
チュチーリアは意味深にそう問いかけ、部屋の中にいたメイドの二人に話しかけた。
「ミランダ、ジネーヴラ、そろそろ落ち着いただろう? 話を聞かせてくれないか」
「ジネーヴラって……確か君の弟子だろう?」
「ゴーレム技師の弟子ってのは仕事が無い暇な時は、稼ぎが良くなくてね。ジネーヴラは仕事が無い時はここで住み込みのメイドなんかをさせてもらってるのさ」
チュチーリアが補足するように説明してくれた。言われるまで気が付かなかった。昨晩は継ぎはぎのようなローブを着ていたジネーヴラだが、今は議員に仕える為に用意されたのだろう清潔な黒のエプロンドレスを身に纏っていた。おどおどとした様子は相変わらずだが、今は無理もない。
対する年配のメイドはミランダというらしい。ジネーヴラよりも落ち着いてはいたが、それでも動悸を抑えるように胸に手を当てている。
「ミランダ、まず異変に気付いたのは君だな?」
「はい……チュチーリア様。早朝の日が昇り始めた頃でございます。私はいつものように誰よりも早く起きて、旦那様の執務室をお掃除しようとしたのですわ」
その際、部屋の外からセレーネがガブリエーレを刺す所を見たのだという。気が動転したミランダは助けを呼びに屋敷を飛び出した。その際、ジネーヴラは使用人の部屋の寝床で寝ていたのだという。
「……ハウスキーパーたる者が殺された主人も屋敷も使用人も置き去りにして逃げる、か」
コルラードが低く厳しい声音でそう発するも、ミランダは無表情のまま目線をコルラードへと向けた。
「そもそも貴方様のお弟子が、ご主人様を殺さなければ――」
「セレーネは殺していないとも」
今度の言葉ははっきりと聞こえた。二人の会話を黙って見守っていたヘレンとレナッタの二人が無心で激しく首を縦に振っている。レナッタは勿論、ヘレンにとってもセレーネは大事な友達だろう。彼女の無実を信じるのは当然と言える。だが、如何に熱い感情があろうとそれは彼女の無実を証するには至らない。
「私が嘘を言っていると仰りたいのですかっ? それとも見間違いだったとでもっ?」
ミランダが声を荒げるも、コルラードは無言のまま何か別の事を考えているようだった。イズルもまた、現場を凝視していた。
彼にはこの場にいる者達には見えない物が見えていた。ぼんやりとしたそれはさっきからずっと同じ言葉を囁き続けているが、それはあまりに掠れていて上手く聞き取れない。
――だが、これは……名前。
イズルが冷や汗をかいたその時、ヘレンがそっと耳打ちしてきた。
「何か見えた……それとも聞こえた?」
「……いいや」
イズルはそっと目を閉じて嘯く。再び開くとぼんやりとした何かはいなくなっていた。もしかしたらこの事件を解き明かす手がかりとなり得たかもしれない。だが――。
(命ある者の手で明かすべきだ)
死者の、それも命を奪われた者の声だけを頼りに頭を動かさないのは、愚か者のすることだ。改めて部屋を観察する。ふと、被害者――ガブリエーレがもたれ掛かる椅子の後ろの床――石畳がズレている事に気が付いた。地下に通じる為の隠し扉だろうか。
「それで、ジネーヴラは何を見た?」
武人とメイドが睨み合うのを余所に、チュチーリアはジネーヴラへと問いかけていた。長身でやせ細ったチュチーリアの弟子は、声に詰まりつつ話す。
「あ、わ、わたしは、起きたらその……、ミランダさんもおらず……、それで、ふとガブリエーレ様の執務室の扉が開いていることに気が付いて――、行ってみたら、セレーネ様が剣を手に……」
「――その時、鞘は今の位置にあったかい?」
イズルが口を挟んだ。鞘は床上に転がっていた。ガブリエーレの近くにだ。仮に殺す前に投げ捨てたのだとしたら、落ちている位置が不自然に思える。それに――。
「は、はい――そうだとおもい、ますけど、何かおかしいですか?」
「剣は手にあったのに鞘だけ落としたというのはどういうことだろう? それにこの位置はどうにも……まるでセレーネが殺しましたと丁寧に説明しているかのように意図的だ。隠す気が一切無い」
この部屋に入った時に感じた一番の違和感の正体がこれだ。遺体のすぐ傍に凶器が収まっていた鞘。まるでそれらが関係があると示されているかのようだ。これが計画的な殺人であるならば、少しでも隠す素振りがあってしかるべきだし、逆に衝動的に起こした殺人であるならば、殺したその瞬間そのものが残されているだろう。
この場は、そのどちらにも反している。殺人の証拠は隠すどころか目立つ場所に落ちているが、殺す前に落としたとは思えない。
「動揺していて鞘だけ落とした、か?」
顎に手を添えチュチーリアはいまひとつ納得の行っていない顔で考えを述べる。あり得ない話ではないが――、抜き身の剣だけを持って逃げるだろうか。動揺していたのであれば鞘と一緒に剣も落として逃げるのではないか。
「全ては彼女を捕えれば分かることでしょう? これ以上犠牲者が出る前になんとしてでも――」
ミランダはもうセレーネが犯人であると決めて掛かっているようで、彼女がいつまた事件を起こすか気が気ではないらしい。
(信じたくはないし、直感が彼女が犯人ではないと告げてもいる――だけど、もしも)
セレーネが本当に犯人なのだとしたら、次は他の議員が狙われるかもしれない。状況を理解する為にも彼女を見つけ出す必要がある。
「衛兵達が探している……中々見つからぬようだが、私もすぐに捜索に加わり――」
「いいや、君は急ぎ、ここで調べたことをお父上に報告すべきだろう」
コルラードの言葉に対し、チュチーリアは別の提案をした。
「他の議員共は、此度の件に、びびって自分の館にこもりっきりで話にならん。犯人が捕まるまで出てこないだろう。が、ルーカ殿はセレーネ捜索の為、衛兵の指揮をとっておられる。ここでの我々の調査の報告も挙げるべきだろう」
「しかし、セレーネは恐らく衛兵では見つけられまい」
コルラードはあくまでも食い下がろうとしたところで、それまで黙っていたヘレンがおずおずと、前に出てきた。
「えっと、それなら私が探しに行く……よ?」
「彼女の行きそうな場所に心当たりがあるのか?」
「師匠と弟子程の長い付き合いがあるわけじゃないけど……、あの子が行きそうなところは多分分かると思う――案内役が一人欲しいけど」
その役にレナッタが申し出た。彼女はガブリエーレという恩人の死にショックを受けていたが、それがセレーネの仕業だとは微塵も信じていない様子だった。
「私が彼女の無実を晴らして見せるわ! そして、真犯人にきっちりその罪を償ってもらわなきゃ……」
「熱くなりすぎるなよ、お嬢様――あんた知らないかもしれないが、この国じゃ早々替えの利かない人材なんだからよ」
怒り心頭のレナッタに対し、テンプルナイツのエミリオ・アマトが釘を刺した。彼もまた同行するつもりらしい。チュチーリアは「よろしい」というように頷くと、椅子の隣の石畳――イズルがさっきから気になっていた場所だ――を見下ろした。
「私はジネーヴラとここを調べる」
「そこ……なんなんですか? まるで地下室への隠し扉のように見えますが」
イズルの指摘に対して、チュチーリアは「もう今となっては隠す意味も無いようなものだ」と失笑しながら説明してくれた。
「目敏いな。この下はゴーレムの格納庫となっている。ガブリエーレ殿の個人的な資産の一つさ。ここの入口は事件が起きたその時のままにしてあるが、誰かが開けたかのような痕跡があってね。事件に関係あるやもと思って、斥候を送っておいたのだが――」
と、その時、ごとんと石畳が動いた。螺旋状になった階段が露わとなり、中から汗だくの兵士が蒼白な顔でチュチーリアへと報告する。
「下に保管してあったゴーレムが突如、動き出しました。術者らしき人物は近くにはおらず――」
「ほう――? そいつは興味深い! 行くとしようじゃないか」
それまで無気力にすら見えたチュチーリアの顔が好奇心で輝いた。こんな状況で「興味深い」等と言えるのは、イズルにはとても理解出来ない思考だが、彼女はゴーレムの専門家だ。この事件に繋がる何かを見つけてくれるかもしれない。
「待て、チュチーリア。ジネーヴラも一緒に連れて行くというのか?」
「なんだ? 聞きたいことは一通り聞いただろう。地下でゴーレムが暴走しているとなれば、少しでも専門知識のある者が必要だし、何か事件に繋がる物を見つけられるかもしれないだろうが」
コルラードの言葉に対して、チュチーリアはそう端的に告げ、斥候を隠し通路から追い出して自らが先頭に立って、地下の闇奥深くへと進んでいく。ジネーヴラは一瞬ためらったが、闇から伸びたチュチーリアの手に捕まって引きずり込まれた。
「これだから、研究者というやつは――」
コルラードは片手で眉間を抑え、溜息を吐いた。その気苦労は察しに余ると、イズルはテンプルナイツの長を気の毒に思った。方向性は違うが、イズルも誰かに振り回されるのが日常茶飯事となりつつある。
「イズル殿、外交の折にこのような事件に巻き込んでしまい申し訳ございません。そして、無礼を重ねることを承知でお願いしたい。ヘレンの力をお貸し頂いてもよろしいか?」
コルラードが深々と頭を下げた。イズルの返答は決まっている。
「ヘレンは俺の家来ではなく友人です。彼女がそうしたいというのなら、俺が反対する理由はありませんよ」




