Ⅹ 星月の歌姫の声は人知れず宵闇に
ヘレン達と別れポルックス大聖堂へと辿り着いたセレーネは、慌ただしく走り回る衛兵達の姿を目にして「あぁ、またか」と頭を抱えた。一人がセレーネに気が付き弱り果てた顔で近寄ってくる。
「セレーネ様、良い所に……実はまた」
「宵闇に紛れ、妖精は星に上がる……ね」
「は?」
呆然としている衛兵に「私が探してくる。皆はいつも通り、見張りに戻って」とセレーネは一言。「妖精」の行方がどこか推理するのに没頭していて、相手に当惑されていることにすら気が付かなかった。
「で、ですが……」
「不安は伝播する。民衆が今のあなた達を見たらどう思う?」
大勢で双星の御子を探していると市民に知られたら、軽い騒ぎになるだろう。だから彼女の事を良く知っているセレーネが探しに行くしかない。
――あの人もそういう算段で動いているんでしょうね。
衛兵はまだ不安そうだったが、それを呑み込み「では、発見次第直ちに衛兵隊にお知らせください」と背筋を伸ばして答えると、彼らは所定の位置へと散っていく。
衛兵達が遠ざかったのを見て、セレーネはすっとその場にしゃがんだ。舗装された石畳みの道、石と石の間に一枚――銀貨が落ちているのを見つける。
「……闇雲に探しても見つからない。悪戯好きな妖精は目立ちたがり屋。本当に気が付いて欲しい人の為に証を残す」
銀貨の裏にはジェミニ評議界共和国の国の紋章である双子が魔法によって彫られていた。結界を張った初代の御子は異世界から来た英雄だと伝説には残っている。コインの右上には小さな切り傷が付いていた。
――北東。ポルックス聖堂はジェミニ評議界共和国の中心部に位置する。そこから北東と言えば『大劇場』。ヘレン達と一緒に劇を見た場所だ。
「困った方ね」
ぼやくセレーネの口角は微かに上がっていた。その足取りは軽い。
劇場に辿り着くと辺りは静まり返っていた。辺りに人はいない。中は特に鍵が掛かっているわけでもない。劇団は各地を転々としているし、中にあるのはサーカスや劇で使う小道具ばかりで、泥棒に盗まれるような何かがあるわけでもない。
臆することなく暗い建物内を通り抜けていくと、何百もの席の列が円形に階段式で下に向って広がってた劇場へと出た。階段を下った先、舞台の上に人影が見えた。
その人影は長い杖を地面に突き立て、ランタンを宙へ放った。そのランタンは魔力によってふわふわと浮き、パッと光る。
プラチナブロンドの長い髪が光を受けて、星のように明るい輝きを放ち、その肌は月のような温かな熱を持った。
杖から広がった球状の光は淡い金色で劇場を包み込んだ。その光がセレーネを通り過ぎた時、心の底から温かくなる感覚を覚えた。
舞台を一人で整えた娘がすっと息を呑むと、世界が変わった。屈託のない朗らかな歌声が響き渡って結界内を優しく包み込む。セレーネはしばらく自分の役目も忘れてその歌声に聞き惚れていた。
まるで時が止まってしまったかのように。
その歌が止んだ時、セレーネは静かに拍手していた。声の主は無邪気な笑みを浮かべてセレーネの元へと歩み寄ってくる。
「セレーネ会えて嬉しいわ! ニコロに聞いたの、ヘレンはどこ? あなたと一緒に来るかなーって」
「レナッタ様、少しはしゃぎ過ぎですよ、衛兵達が気を揉んでました。あなたが無事かどうか知るまで彼らは眠れない夜を過ごすことでしょう」
レナッタと呼ばれた少女はセレーネが咎めるとむすっと頬を膨らませた。手の掛かる妹のようだったが、レナッタはセレーネよりも年上だ。ヘレンといい、このお嬢様といい、どうして自分の周りの年上の女性はこうも奔放なのだろうかと、セレーネは溜息を吐いた。
「最近の衛兵は弛んでいる。少しは緊張感を持って任務に当たるべきだろう」
静かな空間に響く男の声。さっきからその気配を感じていたセレーネは冷静だった。
「……エミリオ殿、一緒に外出するのであれば、衛兵隊長殿に一言言ってくれていればいいものを」
一束に結ばれた長い黒髪、紫色のマフラーが目を引く青年は影の向こう側から現れた。エミリオ・アマト。騎士団に最近入団したばかりの者で、諜報活動を主任務としている男だ。嘘か誠か、極東の島国から伝わる忍びの業を会得しているのだという。
「お嬢様が、それではスリルに欠けると申されたのでね。確かにと思ってな」
「エミリオはノリが良くて助かるわ!」
至極真面目な顔のエミリオに、悪戯っぽい笑みを浮かべるレナッタ。この場においてまともなのは自分だけらしい。
「ヘレンに会わせて貰えれば、私はすぐにでも戻るわ! そうしたら衛兵さんたちも一安心でしょ!」
「……ヘレンがこんな時間に起きていると思いますか?」
ヘレンの寝坊助ぶりは、彼女と一度でも関わったことがあるなら誰もが知るところだ。流石に戦闘中に眠っているところを見たのは、セレーネも初めてで驚いたが、今日一日を見た限りでは、呪いを受ける前と大して変わってはいない。
――最後に会った時よりも元気になっていたのは嬉しいけど。
「それはぁ……うーん、朝まで待った方がいいかしら……ね、寝顔だけでも見るというのは」
「彼女、今はアリエス王国貴族の御付きとして来ていますので、突然訪問なされるのは流石に……」
「もう、じゃあどうしたらいいの!」
素直に大聖堂に戻って寝るのがいいのでは、とセレーネはレナッタを宥めた。
彼女は活力に溢れている。いや、使命によって抑えつけられていた活力が暴走している……とでも言うべきか。彼女は『双星の御子』――その末裔として、結界を張っている。
『双星の御子』は、ジェミニにとって国防の要だ。ニコロとレナッタはその末裔とされるが、厳密に言うと、初代の『双星の御子』との血の繋がりは無い。
国土結界を張る御子は国内に現れるという『英雄』――その中には異世界からの転移者、転生者もいる――から選ばれる。選ばれた双子は、先代『双星の御子』のどちらかの養子という扱いになり、先代の力が衰えたタイミングで世代を交代する。
今までの歴史においても『双星の御子』が存在しなかった期間も短いながらも存在する。それもつい十年前までのことだ。今の双子が誕生するよりも前。
『双星の御子』は不在で、テンプルナイツがこの国を護っていた時期があり、先代の魔王との戦いは熾烈を極め、現魔王であるタナトス率いる魔王軍と戦ったこともある。その際にセレーネの父と母は戦死した。レナッタとニコロの二人が『双星の御子』に選ばれ、国土結界が再び張られたのはその後のことだ。
そのことに何か思う事が無いわけではない。人々はテンプルナイツの些細な犠牲などよりも、『双星の御子』の国土結界を讃え崇めた。その事に怒りすら感じたこともある。
だが、レナッタとニコロに出会ってからは、その怒りも春解けの雪のように溶けた。
「今から何もしないまま寝るなんてできそうにないわ。結界を張っている間ってね、ずっと夢の中にいるみたいな感覚なのよ?」
双子は半日ごとに交代で結界を張っている。昼から夜までをレナッタが、夜から昼までをニコロが担っている。結界を張っている状態は眠りについているような感覚になるらしく、睡眠不足になることはないそうだ。
「……なら、しばらくおしゃべりするのはどうでしょうか。昼間のヘレンの事全部お話しましょう。彼女、エルフの友達ができたみたいなんですよ」
「なにそれ聞きたいわ! ありがと、セレーネ。あ……でも、もしもあなたが眠いなら私朝まで我慢するわ」
ここに来てレナッタはセレーネの体調を気にして、勢いを落とした。セレーネは苦笑した。ここまで来たら最後まで付き合おう。
「いえ、私も話したいと思っていたところですから」
夜の談笑は、穏やかな風に吹かれて空へと消えていく。




