Ⅸ 見た目は子ども、頭脳は大人、態度は子ども、ゴーレム技師チュチーリア・ヘファイストス
チュチーリアが剣呑な顔で、観客席からふわりと降りた。彼女は足元から僅かに浮いていた。八枚の羽根が付いた小型の絡繰機械の上に小さな身体が乗っていた。あちこちピンピンと跳ねた癖の付いた長い栗色の髪がふわりと揺れている。
可憐な少女然とした姿だが、セレーネやヘレンよりもずっと年上の女性だ。その彼女は、無惨な姿になって倒れ伏しているゴーレム達を目にして、大事な玩具を壊された子どものように怒っていた。
「誰の指示だっ!? 勝手に私のゴーレムを持ち出しやがってぇっ!」
大荒れだ。これだけ怒号が響いて尚、ヘレンはセレーネに寄りかかったまますやすや眠っていた。その寝顔を見てイズルが穏やかな微笑を浮かべていた。チュチーリアの怒り等どこを吹く風と言った様子だが、ここに居る誰もが、ゴーレムの事は聞かされていなかった――いわば巻き込まれた側だ。
セレーネは頭を抑えながら、怒り心頭のチュチーリアを宥める。
「あ、あのチュチーリア様、お気を鎮めください。今回の件はルーカ様のお考えで」
「また、あのクソダヌキかっ……フフっ、今日と言う今日は許さない。しばき倒してやる」
勘弁してくださいと、セレーネが項垂れたその時だった。
腹の底に響くような鐘の音が辺りに響き渡る。ふと空を見上げると、結界の光が消えていくのが見えた。水の止まった噴水のように光の残滓がキラキラと降り注ぐ。
――双星の御子が入れ替わる。
ニコロがこの場にいないのは、結界を張る使命を果たす為だった。彼は二人の戦いを見届けられない事を残念がり、無事を祈ってくれた。
ジェミニ評議界共和国の国土結界は、今では魔光鉱石のおかげで、御子一人の力で稼働することが可能となっていた。そして二人が入れ替わりで結界を展開することで、ジェミニは常に守られる。入れ替わる際に結界を一度解除し再展開する手間はあるが、二人で同時に展開しないといけなかった頃と比べれば、微々たるものだ。
(少なくとも、この国の人々にとっては、今の方がいいのでしょう)
「セレーネ、まだその結晶を使っているのかい?」
物思いに耽っていると、チュチーリアが話しかけてきた。彼女は破壊されたゴーレムを調べ、どうにか使える部品が無いかと頭を巡らせているその一方でセレーネの持つ片刃剣――その鞘の中にある結晶についても考えているようだった。
否、考えるまでもなく、彼女の中で得物への評価は既に下っている。その使い手であるセレーネとの相性を。
「その剣……すごく特殊な物だね。鞘に何か仕掛けがあるみたいだ」
イズルはあの戦いの中で片刃剣の仕組みを看破したようだった。ただの貴族かと思ったが、魔法に対する知見もかなりの物であるとセレーネは見た。
「魔光鉱石を加工した結晶を仕込んだ鞘さ。結晶は、魔力を自然と回復する生きた鉱石といった代物でね」
チュチーリアが淡々とイズルに向けて説明する。その視線は自らのゴーレムに向けられたままだ。
「そして、結晶として加工する過程として、魔力が込められた血を受ける必要があるんだけど――その結晶は、今は亡き父上のもので――」
熱気が鞘から漏れ出た。柄を握る手が軋む。
「喋りすぎですよ、チュチーリア様」
セレーネの視線を背中に受け、ゴーレムを調べるチュチーリアの手が止まった。緊張の瞬間。イズルの隣でエフィルミアが「えっ、えっ!?」と慌てている。
「ごめん、聞いてはいけない事だったようだ。ここで聞いた事は全部忘れる」
イズルが即座にそう告げると、セレーネは柄から手を放した。どうやら大人げないのは自分も同じだったようだ、と自省する。
「いいえ、別に聞かれて困るような話じゃないのです。けど、チュチーリア様は人のプライベートな事を軽率になんでも話し過ぎです」
「悪いねぇ、魔法関連の話になると、どうも口が軽くなってしまってね。聞かれた事には全部答えちまう」
振り向いたチュチーリアはバツの悪そうな顔をしていた。眼鏡の奥の視線は気まずそうで、セレーネと目が合わない。呆れつつもセレーネはそれ以上は追及しなかった。
「にしても、こいつはホントに酷い扱いだ。あんまりだよ。補修パーツとして使えるヤツすら殆ど残ってない……廃棄するしかないか」
その文句は、この決闘を提案したルーカ財団長に言って欲しいと、セレーネが思っている横で、イズルが頭を下げていた。
「すまない、俺がルーカ殿の提案を呑んでしまったばかりに。まさかチュチーリアさんに迷惑が掛かるとは思いもよらず」
「……あの男はかなり曲者だからな。やつと交渉するつもりなら、言葉に気を付けることだ」
幾分か冷静になったチュチーリアは、イズルの謝罪に少し面食らった様子だった。貴族特有のプライドの高さを彼からは感じない。そして他人に媚びへつらうでもない。
誰に対してでも誠実なのだ。
程なくして、ゴーレムを回収する為に兵達とそれに紛れてチュチーリアの弟子がコロシアムの中へとやってきた。屈強な男達が数人がかりで、台車へ巨人達を載せていく中、チュチーリアに弟子が駆け寄ってくる。
「し、師匠ぉ、申し訳ありません、ルーカ財団長の命であるって言われて押し切られてしまって――その」
「分かってるよ、ジネーヴラ。お前のせいじゃない。あの狸野郎――この場にいたらボコボコにしてやるのに」
きれきれのパンチを素早く繰り出すチュチーリアに「そんなことしたらまた始末書物ですよぉ」とジネーヴラと呼ばれた少女は宥めている。チュチーリアよりもずっと背の高いひょろりとした背で、ところどころほつれたマントとローブに、煤だらけの肌とボサボサの赤毛が目を引く。
「彼女は魔王軍に滅ぼされたキャンサー帝国からの亡命者で、チュチーリア様のお手伝いをしているの」と、セレーネはイズル達に簡潔に説明した。
こちらに気が付いたジネーヴラは、勢いを付けて頭を地面に叩き付ける勢いでお辞儀をした。
「じ、ジネーヴラと申します。ゴーレム技師見習いをさせていただいておりまする!!」
「あぁ、そんなかしこまらなくても……。俺はイズル・ヴォルゴール、こっちはエフィルミアで――そっちで寝てるのはヘレンだ」
イズルが丁寧に紹介すると、ジネーヴラは恐縮し、頭を下げたまま、後ずさりしてゴーレムの方へと向かって行った。彼女は人と話すことが苦手で、気まずくなるとすぐに逃げ出す癖があった。
丁度深夜を知らせる鐘の音が鳴った。と、同時に結界が再び空に張り巡らされる。
『双星の御子』その弟であるニコロ・クストーデの手によるものだ。
――ということは、姉のレナッタ様は今頃……。
セレーネは未だ子どものように眠っているヘレンをイズルに渡した。
「申し訳ありません、イズル様。私はこれから用事がありまして――エフィルミア、ありがとう。今夜はすごく楽しかった。ヘレンにも後で『今夜はありがとう』と伝えて頂いてもいいですか?」
「君が直接言った方がヘレンは喜ぶと思うよ?」
イズルに笑顔で言われ、エフィルミアもうんうん!と頷かれる。セレーネは渋い表情でヘレンの顔を見た。まるで全部聞いていたかのように彼女の寝顔は満足そうだった。
――やっぱり起きてるでしょ、この人。
セレーネは顔を赤くしながら咳払いを一つ。
「あ、ありがと。劇も結構楽しめた」
口早にそう告げると踵を返した。その背に慌ててエフィルミアが問いかけてくる。
「あ、セレーネちゃん、どこに行くの?」
「――お転婆な姫様をお迎えに」




