Ⅷ エルフと狩人と火起こしの仕方
ヘレンはエルフを拾った。おかげでエルフは命拾いした。エルフの名前はエフィルミアと言うらしい。風になびく桃色の髪、眼窩にエメラルドをはめ込んだような輝きを持つ瞳、肌は白磁のように夕日に照らされて輝いていた。
だがその美貌も今は空腹の虫の音と泣きべそで台無しになっていたが。
ヘレンがあげた携行食料(パンにチーズ、干しブドウにクルミ等など)を最初は警戒していたが、空腹に耐えかねてクルミを手に取ると冬ごもり前のリスみたいにかりかりかりと食べ始めた。
「あいがほうござはいまふあいがおお」
「死骸扱いしたおわびだよー……けどあんまり食べ過ぎない方がいいよ」
なんで?と既にパンやチーズを頬張りニコニコなエフィルミアに、ヘレンは広げた携行食料を一旦鞄にしまい直しつつ、話す。
「いざという時にお腹一杯だと動けない。消化に時間掛かっちゃうから休憩が長くなる――つまり無防備な時間が長くなる。後は……食料が傷んじゃってた場合、沢山食べると大惨事」
おー……とエフィルミアは感嘆の声を上げてから、自分が手に取ったパンを訝し気に見つめる。
「えっと……これは大丈夫なのかな?」
「イズルがくれたパンだから大丈夫、多分」
特に根拠はないが、ヘレンは即答した。この旅に出る前にイズルと一緒に念入りに食料の状態を確認したので、一日、二日で腐るなんてこともないだろう。
「へぇ……あ、いざという時というのは?」
ヘレンの答えは恐ろしい獣の唸り声で掻き消された。ドスンと大地を揺らす程の足音、喉の奥底で鳴るは、心を震え上がらせる程の恐怖の音色。
声の主は真っ黒な剛毛に覆われた大熊だった。
「これがその『いざという時』」
「ぎゃああーっ!!」
口から心臓でも飛び出るのではないかと思う程の絶叫。背を向けて逃げようとするエフィルミアをヘレンが、がしっと掴みつつ、空いてる手で戦斧を抜く。
「へ、ヘレンちゃん!? な、何してるの!?」
「熊相手に叫んだり、背を向けて逃げるのは悪手――こっちが追われる得物と認識されちゃうから」
エフィルミアの事はまだ名前しか知らないが、どうにも森の事に疎すぎるように感じた。これでどうやってここまで旅ができたのかと不思議に思う。
「そ、そっか!! じゃあ、殴って大人しくさせればいいんだね!!」
極端が過ぎる。
全速力で逃げようとしたのはなんだったのか、エフィルミアは拳を突き出して熊に立ち向かっていこうとするので、またしても首根っこを捕まえてストップを掛ける。
「どうどう……エフィルミアは熊と殴り合ったことがあるのー?」
「えっと……無いけどー」
勢いだけで言っているのか、それともエフィルミアが――というかエルフが、腕っぷしに自信があるから言っているのか判別が付かなかった。
だが、一瞬見えたエフィルミアの腕の構え方は出鱈目でも虚勢でもなく、達人の武術の使い手のそれだった。
そして肝心の熊はと言うと、ヘレンの持つ武器やエフィルミアが立ち向かってきた事は意にも介さず、というか二人への関心が薄れたのか、欠伸を上げて踵を返して行った。
「気紛れな子だったみたいー……」
「はー……ドキドキしちゃった。ヘレンちゃん、熊に全く動じてなかったし、すごい武器持ってるし……もしかして普段からあんなのと戦ってたりするの?」
「うんまぁ……私狩人もしてたし。熊は美味しいし沢山肉が取れるんだけど、流石に旅の途中の携行食料には向かない……かな。狩るだけ狩ってお肉残すのは失礼だし」
え、熊って食べれるの?というかヘレンちゃんも食べるの?? というエフィルミアの驚愕の表情をヘレンは真顔で見つめ返す。何も考えてないだけなのだが、何を思ったのかエフィルミアはヘレンの手を取るや否や。
「い、一緒に付いて行ってもいい!?」
「いいけどー……私人探してるから」
イズルがあまりに自然に消えてしまった為、危機感が無かったが、なんで消えたのか、どこにいるのか、魔人の仕業なのかすらも分からない。非常に危険な状態にある可能性もある。
「うー……思い出したら不安になってきた」
表情にまるで出ないが、身体が小刻みに震えていた。エフィルミアが傍でおろおろとしながら、落ち着かせようとしている。
「あ、あの、私も人を探していて……だから、一緒にヘレンちゃんが探してる人も探そ?」
「おぉ……そうなんだ。うん、じゃあ一緒にイズル探して、エフィルミアの探し人もみつけよー」
おー!と二人は腕を突き上げた。凸凹コンビここに結成である。
……エフィルミアがイズルと入れ替わりで現れた事だとか、『エルフの森の神隠し』の話等は既にヘレンの頭から抜けていた。イズルが今この場を見たら頭を抱えたことだろう。
ふとヘレンは頭上を見上げると、日が傾き始めていた。傍にある白樺の木に登り、夕日に手をかざし、日が沈むまでの時間を計測する。もう半刻もしないうちに夜になるだろう。
「今すぐにでも探しに行きたいんだけど……もう日も沈みそうだし、ひとまず火を起こそうか」
「そんなことまで分かるんだ!!」
すっかり感心されてしまい、ヘレンはかなり恥ずかしかった。彼女にとっては、というか旅をしている者にとっては当たり前の事で、例えるなら日常生活をいつも通り過ごしているだけで褒められるようなもの。
「あ。火は魔法で起こすの!?」
「その方法が無いわけじゃないけど……勿体ないから今は魔法使わない……枯れ木とか落ち葉集めてきて」
そしてエルフだからなのか、火は魔法で起こす物という固定概念があった。ヘレンはまず火を起こす場所を確保する。周りが火事にならないよう、石ばかりの平けた地面を選ぶ。
それからメノウ石と火打金を取り出し、炭化した麻を火口とし、メノウ石と重ねる。カチンと火打石をぶつけると火花が散って麻に移る。それを火種にしてエフィルミアが集めてきた落ち葉に移す。次第にパチパチとした火が、辺りに熱気を伝える炎へと変わる。それを焚き木台に移し、白樺の木の皮や枝をくべると、火の勢いは更に増した。
「わぁ……すごい。私の国だと魔法で付ける方法しか知らなかったから……」
「……魔法で付けるのも、火打石を使うのも結局手順はそこまで変わらないと思うよ」
魔法には詳しくはないが、一緒に旅をしていた魔女のメディアでさえ、火を起こすのにいちいち魔法は使ってはいなかった事を、ヘレンは思い出した。魔法で起こす火は道具がいらず手軽だが、力の加減調整が難しく、最終的な手順は、今ヘレンがやった事と同じことをしなければならない。エルフがどんな生活をしているのか、エフィルミアの話を聞いてますます想像がつかなくなった。
「そっかー……外の世界は魔法使わなくてもいいんだね」
「……エフィルミアは魔法使いたくないの?」
エルフは誰しもが魔法を使う。魔法で物を考えている。そんな印象がヘレンの中にはある。だが、エフィルミアは少し悲しそうな笑みを浮かべて首を振った。
「私はね、魔法使いたくても使えないの。情けないよね……エルフなのに」
自嘲気味に語るエフィルミアの横顔を炎が照らす。ヘレンにはその感覚は正直よく分からない。分からないが、分からないなりにエフィルミアが抱える悩みを考える。
「私も魔法は使えないし……すぐ寝ちゃうし、バカだけど……それでもなんとか生きてるからー……気に病まなくても大丈夫だよ」
がばりとエフィルミアが顔をスゴい勢いで上げてヘレンを凝視した。もしかしたら気に障る事を言ったかもしれないと思ったヘレンは、「あ、えっとー」とどもる。
エフィルミアのエメラルド色の瞳が潤んで、ヘレンに抱きついた。
「魔法使えなくてもっ……大丈夫なんて、そんなこと言われたの初めて――ありがと、ヘレンちゃん! 後、ヘレンちゃんは馬鹿じゃないよ! 魔法無いのに火も起こせる天才だよ!!」
その抱擁は身体が砕けるかと思う程強く、ヘレンは「ぐぇー……ぎぶぎぶ」と呻きながらエフィルミアの背中を叩く。
「わわっごめんなさい!!」
エフィルミアが慌てて離れてヘレンは「ふぅ」と安堵の溜息を吐く。案外、あのまま熊に襲われてもエフィルミアなら撃退できたかもしれない。
「あ、あの、そういえば火を起こしたのはいいんですけど、その、イズルさんって方は探さなくていいの?」
「イズルがどこに行ったのか分からないから……夜中に闇雲に探すのは危険……暗いとこで火は目立つから、イズルの方から気づく可能性もある」
忽然とした消え方から考えるに、イズルの失踪は普通ではない。常識的な方法がこの現状で一体どこまで通用するかは分からないが、全くの無意味でも無いだろう。
(イズルなら変なとこに入っても出てこれそうだし)
と、ヘレンはふと思った。これは根拠のない信頼ではなく、イズルがこうした不可思議な現象に精通しているように思えたからだ。いなくなったのが自分ではなくて良かったと思う程だ。
「二人で火の番……順番に寝て……見張り……する」
「な、成程! 流石頭いい! ってヘレンちゃん?」
ヘレンは既に寝ており、エフィルミアは一人取り残されてしまった。どのくらいの時間で交代すればいいのか、何か異変が起きたらどうすればいいのかとか、一切説明されることなく。
「ヘレンちゃん!? あ、あの、私どうしたらいいの!?」
「むにゃ……エフィルミアはエルフだから800歳くらいなのかな……」
既にヘレンは夢の中。ついでにとても失礼な妄想が寝言で垂れ流しにされていた。
「待ってヘレンちゃん、私エルフだけどそんなおばさんじゃない!! まだ18ですからねぇ!?」




