Ⅳ 王の器
アリエス国王、レイ・リチャード・リュミエールは、赤毛に長身痩躯、上質な赤色のローブに金色の糸で装飾の施された真っ白なマント姿の男で玉座の間に鎮座していた。高潔さと威厳を兼ね備えているが、その瞳は厳しくも慈悲深い光を湛えている。
玉座にはイズルやヘレンの他に、魔道部隊――先程大変世話になった――の面々が同じく膝を突いていた。エメリナは面を下げたまま、後から入ってきたヘレン達をちらっと横目で見る。彼女は目敏くヘレンの腰にあるベルトに装着された短剣を見つけて「おやおや」と言いたげな笑みを浮かべた。
何を想像したか分からないが、後でうるさそうだなと、イズルは心内で溜息を付く。だが、レイ国王陛下の御前であり、感情を表に出すわけにはいかない。
玉座の間の床は白と控えめのブラウンを基調としており、上に伸びていくように作られた天井、アーチ状になっている壁、そして高窓から入る光が建物の内部に光を齎す。
百年前、かつての魔王軍との戦いが始まった頃に建造された物だ。魔族との戦いという闇に包まれいく世界の中で、当時の国王は、王城を最後の希望の光となるようにせよと建築家に命じたという。
結果、それまでのどっしりとして内部が狭く暗い様式とは打って変わって軽やかになり、数多の光が注ぐ開放的な様式となった。
エメリナの横で同じように片膝を突くと、ヘレンもその横で同様の姿勢になる。だが、ヘレンは眠たげな表情であり、イズルは危機感を抱く。以前ソル王子の前で居眠りをするという大失態を犯しているのだが、あまりに自然過ぎてバレなかったという嘘みたいな本当の前例がある。その時と同じように切り抜けられるかと一瞬頭に浮かぶが、即座にそれは馬鹿げていると斬り捨てる。
「陛下」
頭を垂れたまま、イズルは口を開く。
「ご拝謁を賜りまともに恐悦至極の限り――……こちらに控えますヘレン・ワーグナーなる者も同様でございます」
ヘレンは自分の名に一瞬反応するも、余計な事を言わないようにと事前に伝えてあるので、顔を伏せたまま動かない。長いふわふわとした髪が覆い隠しているので、寝ているのかどうかまでは分からないのが、イズルの不安を誘う。
「そなたらの話は聞き及んでいる。此度の戦での働き、見事であったぞ。お前達がおらねば、我はここに生きて座ることもなかっただろう」
ソル王子を指揮官とした王国北方の魔王軍討伐の為の戦い――アストレア村解放戦争と呼ばれることになる――は、レイ国王の暗殺未遂によりなし崩し的に失敗に終わった。一度は取り返したアストレア村も放棄され、王国と魔王軍の勢力図を変えるには至らなかった。
ソル・リュミエール王子は魔王軍との戦いを避け続けるレイ国王や厭戦気分の貴族達に、業を煮やし、王国の秘宝であり禁忌として封印されてきた魔法『エクリプス』を開放。国王、貴族はおろか兵の末端に至るまで洗脳して、アストレア村にまで進軍。自らが国王として魔王軍と戦うべく、現国王であるレイの謀殺を目論み、イズルやヘレン、寝返った聖女のコレット・アストレア、魔道部隊の面々によって阻止されたのだった。
「働きの大きなところはヘレン・ワーグナーによるものであります」
イズルは強調してそう告げる。ここまで彼女を持ち上げるのは、今後の彼女の振る舞いを鑑みてのものだ。
「ですが陛下――彼女は魔王タナトスより呪いを受け、常に微睡の中にいるような状態。彼女が今後、このような場で眠気に晒される事もありましょうが、それは全て魔王の呪いが悪いのです」
いや、実際のとこどうなんだろう……?と、ヘレンの元の状態を知らないイズルは薄っすら思ったが、ここまで来たら全部魔王の所業として押し付けてしまおうと考えた。
「ほう……それは初耳だ。否、そこにおるヘレン・ワーグナーが勇者一行の魔王討伐組から負傷を理由に除外されたことは聞き及んでおるが……」とレイの視線がふとヘレンへ注がれる。
「おぬし、勇者達から相当慕われていた――いや、可愛がられていたようだな?」
その言葉にヘレンが自然と面を上げる。隣にいたエメリナが慌てたが「構わぬ、お前達も面を上げよ」と命じる。
「呪いの中身――悪しき心を持った者が聞けば、蔑み、悪名を広げていたところであろう。少なくとも勇者達がそなたに関する悪い話を一切話さなかった筈だ」
ヘレンにとっては正直、自分の評判等には頓着がない。良くも悪くもだ。そんな彼女でも、自分が抜けた後の勇者達が自分をどう思っているのかは気になっている。これから魔王を討伐しに行くというのに抜けたヘレンを心の中では責めているのか。それとも邪魔が消えて清々としているのか。心の底ではそんな不安が拭いきれずにいた。
「良き仲間を持ったな、ヘレン・ワーグナーよ」
国王の言葉にヘレンは深々と顔を下げた。これはイズルが事前にそうしろと言った指示の中には無い。ごく自然に身体が反応してしまっていた。言葉に対する敬意と感謝の現れ。イズルは改めてレイ王の真なる王としての器の大きさを知った。彼が危険を冒してでも救おうと決めた理由全てがヘレンに対する言葉に詰まっている。
「さて、イズル・ヴォルゴールよ。そなたの言いたい事は分かった。故にヘレン・ワーグナーが寝そうになったら――」と、レイ王の瞳が悪戯っぽく輝く。
「おぬしが全力で起こすのだ。いいな?」
「……仰せのままに」
え、寝かせてくれないの?というヘレンの驚いた顔に対し、イズルはフっと意地悪な笑みを浮かべた。
「そういうわけだから、ここでは眠気には全力で抗うように」
「そんなぁ……」
雑談はここまで。国王は集まった全員を集めると玉座を出て隣にある会議室へと全員を集めた。神々しく荘厳だった玉座と違い、こちらは幾分か質素な作りの部屋で、高窓が一つ、白を基調とした壁に木材がアーチを描いてアクセントとなって組み合わさっており、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
丸いテーブルは窓側に座った国王を中心にイズルとエメリナが左右に座り、ヘレンや魔道部隊の面々が着席していった。
「ここにそなたらを呼んだのは呼んだのは他でもない。此度の戦の事、そして今後の王国の行く末を話す為である」
「陛下……恐れ多くも申し上げますが」と早速エメリナが頭を低くしながら進言する。彼女は普段はお調子者ではあるが、時と場と身分を弁えない程ではない。
「それであるならば、――私が申すのもおかしなことですが、魔道部隊などではなく、ウォンゴール家意外にも貴族の方々を招集するのが良いのでは?」
尤もな話である。確かに前回の戦いで正気を保って戦えたのはイズルとヘレン、それに魔道部隊のごく少数ではあるのだが、政治に精通しているのはイズルだけだ。その彼にしても国の行く末までを決めるのは荷が重い。
「馬鹿息子がエクリプス等を持ち出さなければ……謀殺という手で王座を狙わなければ、そうであろうな……この会合は非公式の物だ。表向きはおぬしらの働きを我が直接労う場――ということになっておるでな」
つまりここで決めた事は全て、王国――レイ国王の命によるものではないし、この場も歴史上の記録にすら残らない会合ということになる。
「貴族達とは改めて会合を開くことになるが……その前に、魔王軍との戦いに備え、そなたらの意見を聞く。そして、我の手足となって動いてもらいたいのだ」
「こそこそしなくても、王様が直接命令すればいいんじゃないの……?」
ふとヘレンが呟き……呟いた口をイズルが慌てて塞いだ。だが、レイ国王は寛大な心持で「よいよい」とにこやかに告げる。
「王というのはなんでも出来るようで、その実、小回りが利かぬものよ。王は王であるから玉座におるのではなく、王たるが故に玉座に座れる。貴族も民も付いて来ねば、それは王ではない」
レイ国王の話にヘレンは分かったような分からないような顔でいる。イズルはいつヘレンが無礼な事を言い出さないかハラハラした。
「もっと言えば、今の王国は情勢が不安定だ。此度の派兵は失敗。いや、たとえ成功していようとも、魔族の手で不毛な地に変えられてしまった領土を得ても、その土地の復興、領民の移住等、手間と金の掛かるこの戦いは貴族の間でも賛否は分かれておる」
戦は大義だけで行える物ではない。兵士となる者の為の食料、武器、褒賞諸々、戦いにおける傷病、戦死した者の家族への手当等々。これらを無視して戦を行うことは出来ない。それは相手が魔王軍であろうとも同じだ。
国の中でも比較的魔王軍――魔人や魔物との戦いを経験している辺境の領地程、打倒魔王軍に燃えている。ヴォルゴール家も辺境の中では比較的穏やかな領地とはいえ、魔人や魔物に幾度と領地を脅かされてきた経験がある。
イズル自身もアストレア村の戦いの直前に起きた、絡新婦との戦いで魔人の脅威について改めて――身を以て知った。だからこそ、ソル王子の行動にも一定の理解は示したわけだが。
王都を中心とした安全が確保された土地の貴族達は、安定した今の暮らしこそを望んでいる。それもまた事実であるし、簡単には否定できないことでもある。
「今までの王家の否、世界の歴史上、魔王の討伐に際しては、勇者一行を始めとした冒険者達、魔王討伐を掲げる傭兵等に事の対処を任せてきていた。今までは、“魔の王となる者さえ倒せば”王の手で直接生み出された魔族も消滅し、国家規模で彼奴らの勢力を削ることができた」
平時であれば冒険者等、一攫千金を狙う夢想家の変人か命知らずの愚か者の集まりに過ぎないし、傭兵に回ってくる仕事などたかが知れている。だが、今は魔人と魔物が『軍』を形成できるほどにまで勢力を伸ばしてきており、どこでも引く手あまたである。
「ここ十年……かつてない程に魔族は力を増し『軍』を形成出来るほどの統率と勢力を作り出した。魔王タナトスの手腕だろう」
その魔王タナトスはかつて異世界から舞い降りた勇者であったとも言われるが、真偽の程は定かではない。だが、ヘレンがいた勇者一行を単騎で相手し、勇者達は歯が立たなかったというのは、動かしようがない事実である。
「そしてこれはまだ一部の者にだけが知りうる他言無用の事だが――つい先日……。大陸東の果てにあるキャンサー帝国が魔王軍の侵攻により滅亡したらしい。不幸中の幸いにして皇帝を始めとして国から脱出し、生き残った民もおり、各国へと散り散りに亡命しているようではあるがな」
国が滅んだ――その事実は動揺となって周囲に伝播した。キャンサー帝国は、イズルも地図と書物上でしか見た事が無い国ではあるが、海に面した小国ながらも強力な海軍を保有していると聞いていた。
それが滅ぼされた――地図上から消滅した。この未だ平和なアリエス王国の中でそれを聞くと、空恐ろしくもある。
「つまるところ――我が愚息の懸念も、一蹴できる程ではなかったということになる。さりとて焦燥に駆られての出兵がどんな結果になったかは、諸君らに今更伝えるまでもないであろう?」
アストレア村の戦いは、無駄に国力を削るだけの徒労に終わった。ソル王子の暴走が無ければまた結果は違ったかもしれないが、人間と魔王軍の勢力の差は如実に明らかとなった。自分達の今のこの平和も、薄氷の上にあるに過ぎない。
「我が王国は仮に戦力を上げても勢力を覆すには不十分。せいぜいがこの危うい均衡を保つ程度というわけだ。そこで――」
とレイ国王がパンと手を叩くと、魔道部隊の一人が地図を机の上に広げた。十二の国――正確には今は十一の国だが――と中小様々な都市国家や集落までもが書き記されている。その十二の国に囲まれるようにした中心点。世界の『穴』とも呼ばれる場所が存在し、そこから元祖の魔族達は生まれてくるのだと、人々には信じられている。実際、そこは現在の魔王軍の最重要拠点があるとされている。
「アリエス王国は、勇者の魔王討伐を待たずして、各国と同盟を結び――対魔王軍包囲網を形成することとする」