Ⅰ 春の宝石の名を持つエルフ
アリエス国より東、ジェミニ共和国との間に広がる、ベオーク高原。白樺の木々が日の光に照らされ、土は溢れんばかりの生命力に満ち満ちていた。鳴き声と囀りが木霊し、ありとあらゆる生き物が一瞬一瞬の命を輝かせては……消えていく。
生とは常に死と隣り合わせ。誰かの生は何かの死によって成り立っている。生きている限りは死からは逃れられない。
そう、ごく一部の神聖で高度な種族を除いては。
伝説によれば「ベオーク高原」はかつて荒地だった。「はじまり」を齎したのは、耳長と呼ばれる者達なのだという。一本の白樺が大地に緑を芽吹かせ、生命の息吹が風となって命を育んだのだと。
大地にとっての母となった初代エルフは、自らの命を糧に「神樹」と同化し、ベオークに「エルフの国」を作った。
五人の氏族王が治めるその国は、人間や他種族の規模で言えばとても『国』と呼べる物ではない。大きな村程度の大きさだった。
木々と様々な鉱石で象られた建築物は、まるで生き物が成長したかのような構造をしている。木が絡み合って一つの家と為し、ドアや窓は切ったり、張り付けたような痕跡は無く、住人が住みやすいように季節によって変化する。
夏は吹き抜けの窓が、冬は太い幹が絡み合って隙間風を通さないようにする。それを可能としているのは全て『魔法』の力。
エルフは魔法と共にある。
氏族王は必ず魔法の才に長ける者から選ばれる。
その中でもアグラディア家は「魔法を使えぬはアグラディア家にあらず」とした家訓を掲げる程の魔法偏重主義であり、それを標榜するだけの人材を輩出してきた。
――尤も、エルフの寿命は数世紀単位ということもあって、子どもを作ることは稀だ。
エフィルミアは約百年ぶりに『エルフの国』に生まれた子である。
【春の宝石】の名を持つかの娘は、アグラディア家の生まれであって――アグラディア家にあらぬ子であった。
幼少の頃は魔法が使えずとも何も言われなかった。知能が魔法の才に追いついていないだけ――と、アグラディア家の者は冷静だった。百年前に生まれた兄ローミオンーー薄暮の息子を意味するも、5歳を過ぎる頃には自然と使えたのだから、と。
彼女は15を過ぎても魔法の才が開花することは無かった。
――どうしてこんな魔法も使えないのか?
――どうしてこの程度の魔法理論が理解出来ないのか?
見えるのはエフィルミアを囲う幾つもの影。
――本当にこの家の子なのか?
――才能がない、教えるだけ無駄だ。
浴びせられる無数の言葉達。
家族の中にエフィルミアに味方はいなかった。
「魔法が使えないなら、他の才能を伸ばせばいいじゃない」
そう言ってくれたのは褐色、銀髪のダークエルフだったか。やる気と諦めの悪さだけは人一倍強いエフィルミアは色んな事に挑み――そしてどれも上手くいかなかった。やる気と不器用の歯車は決して噛み合う事が無く。
唯一、習得できたのはダークエルフから教わった『武術』。この魔法偏重主義の『エルフの国』でダークエルフがどうやってそれを習得したのか、エフィルミアは知らなかった。彼女は度々この国を抜け出しては、外の世界に触れていたのだということを。
ある時、エフィルミアは『武術』を家族に披露した。魔法は使えなくても、自分に出来る事があると証明してみせたかった。それはあまりに幼い考え――家族は真っ青になり、誰にそれを教わったのかと、詰め寄った。
決して口を割らなかった彼女に父ティリオン――エルフの監視者を意味する――は業を煮やし、洗脳魔法を用いて聞き出し――ダークエルフを流刑に処した。
チャームの解けたエフィルミアは全てを知り、絶望した。ダークエルフの名前も忘れてしまっていた。忘却の魔法を掛けられたのだと悟る。
自分を責めた。
自分の無能を
自分の無知を
自分の無力を
一晩膝を抱いて泣き腫らし、――朝になる頃には寝床を出ていた。
人一倍諦めの悪さを持つエルフは名前も忘却の彼方にあるダークエルフを探しに行くことにした。
「待っててね――名前も知らない誰かさん」