ⅩⅩⅤ 黄昏の時
かつて、少女は絶望した。それまでの日常を蹂躙され、思い出の地を破壊された。
頭に響く星天からの声に恐怖を覚えた。
――私はあなたをアストレアの後継とし、あなたを祝福し、
祝福の言葉が呪いのように響いた。
――あなたの名を大きくしよう。
響いた言葉を拒むことはできなかった。
――あなたが祝福する者を私も祝福しよう。
誰がそんなものを望んだだろうか
――あなたが呪う者を私も呪おう。
そんなもの誰が判断できようか
――地の全てがあなたの祝福で満ちるまで、
一人に託すにはあまりに大きすぎる。
――魔の全てがこの地に満ちぬように。
小さな身で何ができるものか。
そんな少女の手を取った少年は太陽のように輝いて見えた。
少年は言ってくれた。何もかも自分で背負う必要はないと。
一国の王としてその使命を果たして見せようと。
それが少女――コレット・アストレアにとって生きる希望となった。生きる全てとなった。何もかもを投げうって構わないと。
彼女に生きる意味を与えてくれた太陽は、今苦しんでいた。
心から彼の抱える使命に向き合う者は殆どいなかった。理解者のいなくなった彼は次第に思いつめ、自身が王になる他ないと考えるようになった。コレットはその思いにどこか不安を抱きつつも支持してきた。
(私も同罪……いえ、そもそもこの事態に至るまで私が星の乙女の役目を果たせなかったせい)
「何故お前が止めるっ!」
ソルの声は震えていた。もはやこの戦いに勝ったところで、コレットが味方に付かなければ、彼が王になる意味はない。そしてもう彼は自分では引き返せない場所まで来てしまっていた。
「お前を誰よりも信じた私を何故裏切ろうとする!?」
戦いは止まっていた。だが、昂るような魔力を纏ったソルがこのまま剣を収めるようなことはしないだろう。
「信じてくれたからこそ、止めねばならないのです。これ以上『星のお告げ』のせいで、あなたに傷ついて欲しくない……誰かを傷つけて欲しくない」
この期に及んで、ここまで付いてきておいて、このような話をするのは卑劣だろう。けれど、過去に囚われ苦しんでいるのは自分達だけではない――そんな当たり前のことにヘレンに気づかされた。
人間同士で争う事を毅然と止めようとする彼女の姿に、自分の間違いに気づかされた。
「誰かがやらねばならないのだ……! 世界を導き、人類を纏めねば、魔族に滅ぼされる!!」
これまでのソルのその努力を身近で見てきた。その憤り、焦燥、絶望を共に感じた。胸が苦しくなるほどに。
「力が必要なのだ……、この理不尽な蹂躙と殺戮に終止符を打つ為にはっ……!」
不意に頭上が真っ赤な光に染まった。ソルは自らの魔力を命が潰えるギリギリまで絞りだし、真紅に燃え上がる太陽を生み出していた。
この場にいる者全てを焼き尽くし、全てを灰燼に帰す。だが、この位置ではソルも無事では済まないだろう。コレットの言葉すらも最早彼には届かない。
――黄昏の灯
強すぎる光は全てを滅ぼし――最後には何も残らない。深い闇以外には。
「皆を無理やり従わせて魔族を倒しても、誰も救われないよ」
ヘレンが初めて口を出した。体中ボロボロで血に塗れ、両手は潰れた水ぶくれでボロボロになっていた。体力も限界に来ているのか大斧を引きずっていた。
ただ、その瞳――豊かな命の森を宿した若草色の眼は、真っ直ぐ太陽の光を見据えていた。最後の力を振り絞って、身を沈めて構える。
「そんなことさせないー……」
ヘレンがゆっくりと瞳を閉じる。寝てしまったのか、それとも集中する為に力を溜めているのかコレットには分からない。だが。
「君に賭けるよ、ヘレン」
イズルの神聖術がヘレンの身体を癒していく。傷が塞がり、潰れた皮膚が、裁縫された服のように修復されていく。
コレットもまた、星の加護を掛ける。ヘレンにではなく、彼女の得物である大斧に。
その柄に触れると大斧が金色の星の輝きを放ち始めた。彼女が持つ星の加護は肌で直接触れることで掛けることができる。彼女の加護は、対象を傷つけようとする呪い、魔法から身を護り、害そうとする武器を弾く。想いが強ければ強い程、その護りは固くなる。
「私の想いをあなたに託しました――だから」
死なないで。その言葉を耳にヘレンは跳躍する。
限界の体力の中、死中に活を求めて放たれるその一撃。
――起死回生・斬断
金色の刃が迫りくる太陽とぶつかる。焔が波打ち、熱風が溢れ――真っ白な光が膨れ上がり、辺り一面を包み、
弾けた。
白と赤と金色の光の花が宙に咲き、地面に降り注いだ。空を満たした光はゆっくりと消え、森は再び静けさを取り戻した。
ソル・リュミエールは仰向けに倒れていた。すぐ傍にヘレンは降り立つ。大斧は握っていたが、腕は振るえて、持ち上げる力も残っていない。
「……何を待っている? さっさとトドメを刺すがいい。父上も生きている今、誰もお前を反逆の罪に問おう等とは思うまい」
ヘレンはソルの傍で膝を突いた。
「馬鹿だなぁ……、王子様は。そんなことしたらコレットが悲しむでしょ」
そのコレットが駆け寄り、ソルを抱き起こす。彼女の顔を見て王子はどんな言葉も浮かばずに黙り込んでいた。コレットもまた掛ける言葉が思いつかなかったようだ。
「帰りましょう、殿下……私も同罪です。共に罰を受けましょう」
どうにかそれだけ掛けるとその肩に手を貸して起こす。反対側にイズルが立ち同じように手を貸した。
「ヘレンを侮辱したこと、俺は許してませんからね、殿下」
イズルの言葉は容赦がない。ヘレン自身は「へ?」と、いつ侮辱されたのか理解していないようで首をかしげていた。そしてイズルは言葉程怒ってないのではないかとヘレンは直感的に思った。
「おーい、さっさとここから逃げようぜ」
エメリナと魔道部隊が国王レイの身体を支えながら、ヘレン達と合流する。エメリナ達はイズルの神聖術によって万全とは言えないが体力を回復していた。国王も意識を取り戻しており、ソルに対して視線を向ける。
「……全くとんでもないことをしでかしおって。王家の歴史に残る愚行となろう」
王子はギラギラとした瞳で睨み返し、周囲が警戒する中、ヘレンだけは呑気に欠伸を漏らした。
「……歴史に残る親子喧嘩だねー」
「洒落にならんわ、全く――とはいえ、この事態は儂にも責任があろう」
「何を今更……」とソルは国王の言葉に冷たく呟いた。
自分に出来る事はここまでだとヘレンは何も言わなかった。権力抗争に明るくない彼女は「親子なんだし話合えば解決できるだろう」と楽観的に考えている。傍でイズルが「これからが大変だろうな」と頭を抱えているのとは対照的だ。
話を終わらせようとエメリナが手を叩いた。
「よーし、ゴタゴタは一旦終わり。全員一旦砦まで戻ろうか。あそこに転移魔法の陣を描いてあるからな。アストレア村にいる連中もエクリプス切れてるだろうし、一旦全軍引き上げさせ――」
何もかもが終わった。そう誰もが思った時。
日が傾き始めた黄昏時、狼の咆哮が森中に響き渡り、その場に緊張が走った。
鬱蒼とした森の中、暗闇に光る無数の血に飢えた瞳――魔王軍が進撃を開始する。