Ⅱ 眠り姫は、樽の中で
食料貯蔵庫の中、そこの樽の中からすやすやと寝息が聞こえてくる。ヴォルゴール家当主、イズルは自分の耳を疑った。彼は癖のある茶色の髪、アメジストのような輝きを持つ瞳の青年だ。貴族らしく誇り高く――と両親が長年しつけてきたこともあり、彼は屋敷の中であっても、皴も汚れも一つも無いシャツとチュニックをぴっしりと着込み、ベルトには一切の緩みが無い。この家に仕える執事とメイドの熟練の洗濯技術と、汚れを落とす漂白魔法のおかげだ。
イズルは、まだ若いが人一倍責任感が強い。何者であれ、侵入を許したとあっては示しが付かない。
一瞬、獣でも迷い込んだのかと思ったが、樽を覗き込んでみるとそこにいたのは、人間の娘だった。
――なんでこの人、こんなとこで‥‥…いや、入る時に誰も気づかなかったのか、寝床を探していたにしてもこんなとこを選ばなくても…………。
等など、真面目に考察していると、ぱちっと娘が目を覚ました。
「……よく寝た」
イズルが目の前にいることに驚きもせず、というか気にも留めずに体をぐぐーっと伸ばす。唖然としているイズルの目の前で樽から出てきて彼女は、ベルトについた革製のポシェットからなにやら羊皮紙を取り出し、イズルに向けて手渡してくる。
「熊退治の依頼受けたから……ここの当主さんに会わせて欲しいんだけど……あ、後」と、娘は後ろの樽を見て、若干罪悪感を抱いたのか、罰が悪そうな顔で人差し指を口の前に当てる。
「ここで寝てたことは当主さんには黙っていて欲しい」
「あー……、俺がその、ここのヴォルゴール家の当主なんだけどね」
明かして数秒、娘はイズルの目を見たまま固まっていた。若くして当主となった彼にとっては珍しくない反応ではあるのだが。
娘の表情が寸分も変わらない為、時が止まったのかと錯覚させられる。が、娘は表情はそのままに、小さく口を開けて小刻みに体を震わせて、
「えっと……その、申し訳なく、大変失礼恐悦至極ございます」
「い、いや、気にしてないから、その変な敬語は止めて……あー……とりあえず、広間に行こうか。話はそれから」
無駄に張った緊張の糸が緩んだ。確かに数日前に熊の討伐依頼をハンター組合に出してはいた。だが、せっかく来てくれた彼女には大変申し訳ないが、こんなのを寄越してくるとは、ハンターもいよいよ人材不足なのだろうかとイズルは思う。
――だが、
「あ、武器も黙ってここに置いてしまって、ゴメンナイ」
「え?」
イズルは彼女が壁に立てかけてあった巨大な斧を、棒切れでも持つかのように軽く持ち上げたのを見て、目が飛び出そうになる程驚いた。樽で寝るとかいう娘のあまりの破天荒な行動に意識を持っていかれていてあまりに自然に壁に立てかけられていた大斧に気づけなかった。
「インショウサイアクかもしれないけど、これでも狩りには自信あるつもりーなので……」
驚いてるイズルに気づいて、ヘレンはてへへと愛想笑いを浮かべた。なんだか手の掛かる妹が生えてきたようなというか、おかしな気持ちになってイズルは小さく噴き出した。
「面白い娘だね、君は。俺はイズル、ヴォルゴール家の当主だよ」
「ヘレン・ワーグナー……レムノスの森の狩人だよ」