ⅩⅣ 神を喰らう者
王家の秘宝にして禁忌の魔導書――『エクリプス』の詳細を聞いて、イズルは背筋が凍る思いがした。有体に言えば『人々を洗脳する』魔法といえばいいか。エメリナはその魔法の発動に気づいた瞬間から『透明化』と『音消し』の魔法を用いてソル王子の声が届かないよう対策していたらしい。その回避も王子に気取られないように行った為、今のところは疑われてはいない――と彼女は語る。
今朝もその魔法で魔道部隊を守り、表面的には魔法に掛かった振りをしていたのだという。
エメリナとイズルの二人は魔道部隊数名を伴って、国王の部隊に合流しようとしていた。彼らには先日と同様、近衛騎士団から魔法による援護の任があった為、陣地に大半の魔法使いを残してきているが、魔法の羊皮紙や地図を通じて、連絡を取り合う手筈になっている。
ソル王子はそんなものを持ち出してまで、国王を殺そうとしているのか? だとしてもこんな大規模な軍を動かすという回りくどい方法を取る必要があったのか? 疑問だらけだったが、エメリナはそれに対して彼女なりの答えを示す。
「ソル王子は魔族に対して徹底抗戦するべきっていうお考えの持ち主で、国王はその逆――厭戦派で、国の立て直しをまず図るべきという方なのは――ご存知だよな?」
貴族への話のなってなさは、この際無視してイズルは頷く。
「その対立がどれだけ根深いのかは本人じゃなきゃわからんとこだけども、王子は国を魔族から取り戻すべきだと主張されていてね。中でも、アストレア村にご執心なんだ。なんでも幼少の頃に来訪したことがあるとかって話なんだけど」
確かコレットもあの村で力に目覚めたのだったかと、イズルは思い起こす。
ソルとコレット、表面通りの繋がり以上の物がありそうだ。だが、そんなことよりも――。
「殿下はどうやって国王陛下を殺すつもりなんだ?」
「その死は、最も高潔で気高い物でなくてはならない――と考えてるかはぁともかくとして、戦場であれば、ソル殿下が自分の手を汚さず、誰にも悟られることなく殺す方法があるだろ?」
勿体ぶるような言い方だが、イズルは察しがついた。
――勇猛果敢に戦い、華々しく散る。民衆が気に入りそうな話だ。
「戦死か」
「そう、当たりぃ。エクリプスの魔法に完全に掛かっていれば、自らの意志で国王は戦いに赴くだろう。命を顧みずにな」
エメリナは偽悪的な笑みを浮かべて楽しそうに言う。国家を揺るがす出来事が起ころうとしているというのに、こうも自分とは感性が違うものか、とイズルは呆れていた。それでも彼女がこれから起ころうとしていることを防ごうとしているのだから、と、特に何か思ったことを口にすることは無かった。
「陛下の周囲もエクリプスの魔法に掛かってしまってるから、止めることすらしないんだな、これが」
「けど、陛下はソル王子の動きを警戒していたんじゃないのか? なのに何故ノコノコとこんなとこへと――」
そんなイズルの疑問にもエメリナは「あぁ、うん――」と困った顔で答える。
「実のとこ、自分が陛下は暗殺されるとまでは思ってなかったんだ。私は王子の動向がおかしいから見張っていてくれと頼まれただけでね。王子の殺意には気づけたけど、まさか禁忌の魔導書まで持ち出してると気づいた時は驚かされたさ」
そんな彼女もエクリプスの魔法をまともに喰らっていたら不味かったらしい。その発動に気づけたのは、伊達に魔道隊長をやっているわけではないというわけか。
「ヘレンは――」
「ヘレンはどうだろうなぁ……悪運が強いのか、王子が話してる時、大体寝てたからな、あいつ」
そばかすをぽりぽり搔きながら、安心していいのか困る言い方でエメリナは告げる。
「あいつが魔法に掛かっていたかどうか――イズルはどう見えた? あいつは操られているように見えたか?」
そう言われて、イズルはヘレンの眼を思い起こす。あの時はイズルの方が洗脳されていた。ヘレンに対し戦果を期待するような眼で見ていた気がする……それでヘレンは――。
「彼女が近衛騎士団に行ったのは彼女の意志だ……俺のせいで」
「あー、それは私のせいでもあるからさ、あんま抱え込みなさんな」とエメリナはバツの悪い顔でイズルを励ました。
「私があいつをおだてちゃったのもあるからな、うん。けど! 別にあいつらだってヘレンを死地に送るつもりなんてないだろ。近衛騎士団の重要な戦力って思ってるうちは大丈夫だ」
「けど、ヘレンが『エクリプス』に掛かってないと知ったら――」
「はは、あいつ普段からぼーっとしてるし、誰もあいつが掛かってないことなんて気づくわけないない!」
そうだといいのだが――とイズルは嫌な予感が拭えなかった。
魔道部隊の魔法使い――男だった――がエメリナに何かを耳打ちする。陣地に残っている魔道部隊から連絡があったらしい。
「我らがソル王子殿下がアストレア村を手中に収めたらしい。村周辺の魔物は一掃できたみたいだな」
「肝心の国王陛下は?」
イズルの問いに、エメリナは前方を指さした。
「未だ森の中で残敵相手に奮戦中で手出し無用だってよ。物は言いようだな」
急がねば――とひとまず、ヘレンの事を頭から押しやる。彼女なら何があってもどうにか切り抜けられるだろう、根拠はこれといって無いが。
今は自分達の心配をしなくてはと、手にした戦槌を見る――それは魔法によって鍛えられており、本来は味方の傷を癒し、穢れを祓う為のものだ。
――出来れば、血に塗れさせたくはなかったんだけど、そうも言ってられないかな。
程なくしてイズル達は、レイ国王――かつては獅子王とさえ呼ばれ、武の誉を欲しいままにした――の部隊へ合流する。
そこでイズルは凄惨な光景を目の当たりにする。散らばった人間の死体、おびただしい血が大地を濡らす中に立つ――真っ白な獣。
「おや、ヘレン・ワーグナーは今日はいないのだな? 奴を誘き出せる物と思ったのに」
倒れ伏した国王を踏みつけ、白い毛並みの魔狼は人間の言葉で話した。否、それはただの魔狼ではない。
「お前は――一体」
白き獣は、新たな獲物を目にして、にたりとその口角を上げた。裂けた口の中には無数の血に汚れた牙が並ぶ。よく見るとその首には、飼い犬のように紐が掛けられていた。だが、誰かに飼われているとは――誰かが彼女を制御しているとははとても思えなかった。
「我は神を喰らう者フェンリル――魔王タナトス様の配下で……まぁ、覚えなくても結構だ」
その瞳が赤く染まり、咆哮が山を震わした。
「――貴様らの絶望はどんな味がするのかな?」