Ⅲ 最悪の目覚めと不思議な邂逅
作戦会議そのものは、ソル王子の采配によって滞りなく、進んだ。集まってきた有象無象の軍を効率よく配置して、隊列を組んだ図をその場で作り上げる。ヴォルゴール家は後方の部隊だ。補給と負傷兵の回収が主な役割となる。イズル自身が癒しの魔法が使えるし、彼の部隊は兵の練度、規模からいっても妥当なところだろう。その他の部隊も構成される兵の適正、人数を配慮した配置にされた。他の者が口を挟む余地も無い程に合理的だった。
羊皮紙の地図にこちらの陣営が一通り、書き込まれると、ソル王子はそれを魔法陣の上に置く。するとイズル達の手元に置かれていた羊皮紙が魔法の光が発し、空中に陣容が浮かぶ。
「陣営の配置替えは全軍に共有される。私からの命令もこの地図を介して同様に、伝える事が可能だ」
「こちらの情報が敵に漏洩する危険性は?」
思わず、口を出してしまった。周囲から一斉に視線が集まり、イズルは少し圧倒されてしまう。この中には血気盛んな猛将、頭の中で知略を頭で巡らせている参謀もいる。いずれもいかにして敵軍を蹴散らすかに全神経を集中していた。その中でイズルの意見は水を差すことになるのではないか。
「貴様、王子の魔法を愚弄するかっ!」
案の定、王子の傍に座っていた貴族が吠えた。単に虎の威を借りる狐のようにも見えるのだが、ソルが直接手元に置いている臣下である以上、能力の高い人物なのだろうか。しかし、イズルは謝罪も意見を取り下げる事も無かった。
「どうか落ち着いて」と、その反対側から声が掛かった。
――聖女、コレット・アストレア。
夜空の星のように美しい金髪、真夏の空のように澄んだ蒼い眼の女性だ。男しかいないこの場において、派手過ぎないドレスに身を包んでいる。彼女は臆することなく、それでいて穏やかさを持つ彼女の声は、自然とソルの臣下の心を鎮めた。
彼女は、かつてこの地に平和をもたらした神聖なる星の女神の生まれ変わりと噂されている。その声は聞く者の気持ちを落ち着かせる心地の良さがあり、その凛とした迷いの無い真っ直ぐな眼は引き込まれる物がある。
人を導く者の姿を、イズルは感じた。だが、一方で、それは彼女の全てなのだろうかとも思った。
周囲が静まり返ったタイミングでソルが話を始める。彼は彼で、コレットに劣らないカリスマ性がある。赤髪の獅子とも称されるソル王子は、その端正な顔立ちの中に内なる情熱を秘めている。
「戦において、敗北のリスクは考えるべきだ」
「……仮にこの戦に勝利しても、こちらの手の内がバレるようなことにも繋がりかねませんし」
王子の言葉に便乗する形になるが、イズルは懸念点を洗い出していく。それを周りの臣下は面白くなさそうに聞いていたが、ソル王子は考え込むように腕を組んだ。
最大の懸念点は、地図が敵の手に渡る可能性だった。単純に敵に盗まれた場合や、部隊が壊滅した際等、漏洩の可能性はいくらでもある。情報は戦の要だ。それが敵の手に渡るというのは、急所を敵に曝け出しているも同然のことである。
「改良の余地はありそうだ。……後で魔道士大隊長に相談しておくとしよう。其の方、名はなんと言ったかな」
「ヴォルゴール家、イズルと申します」
覚えておこうとだけ告げられ、それからは再び作戦概要へと話が移り、イズルへの関心も失せたようだった。だが、話をされるだけされたイズルは作戦会議中、ずっと他の貴族からの視線を感じ、居心地が悪かった。
(これ終わったら誰かに絡まれる前にさっさと出よう)
ヘレンの顔が頭に浮かべ、早く終われと祈る。まさか、あの緊張感の欠片もない顔に癒されたいと思う時が来ようとは。
会議後、貴族達が部屋から出ていく。先程堂々と意見を述べた貴族――イズルと言ったか――が足早にその場を去っていくのが見えた。無理も無いだろうとコレットは苦笑する。地方の貴族が突然意見具申し、それが王子の目に留まる。周りの野心高い貴族、血気盛んな武人気質の騎士からすれば、面白くない筈だ。難癖の一つや二つぶつけられてもおかしくはない。
それを言えば、コレット等は表面上は「聖女」と崇め奉られてはいるものの、彼女は元は平凡な町娘だった。
それがある時、星の神からのお告げを聞き、神掛り的な勘と授かった星の乙女の力でもって、魔王軍の魔人や魔物を蹴散らし、アリエス国の領土の一部を人間の手に戻した。
それから、周りの彼女に対する目は変わった。人々はコレットの言動全てに何か意味があると思い、コレットに尊敬と感謝の念を持って接し、コレットに導かれることを望んだ。
コレットもその想いに応えたいと願い、人々が望む女神のように振る舞うようになった。……その姿を嘘偽りだとは思わない。
だけど、それは本当の自分の姿なのだろうか。謀略渦巻き、腹の中では互いの事などどれだけ利用できるかとしか考えていない貴族達を諫め、戦いを導く。
迷い一つなく、ただただ真っ直ぐに進む。その姿を民衆に見せ鼓舞することが、コレットに求められた戦いにおける役割。
「どうしてこんなところに来てしまったんでしょうね」
平和な世界になって欲しいという想いはある。だが、自分はどうなりたいのか。今の自分は、聖女「アストレア」であって「コレット」ではない。
思い耽っていると、ふと何か背後に気配を感じた。樽の中だ。そんなところに潜んでいる者は限られる。獣かそれとも――
「誰っ?」
魔王軍の魔物か? こちらの作戦、配置も漏れただろうか?
(今すぐに樽を破壊すれば中にいるモンスターごと……)
と、その時樽が大きく揺れて倒れた。腰の剣に手を掛けながらゆっくりとコレットが近づく。さっと足で樽を蹴ると、中にいた何者かが出てきた。
「んぇ……もう、朝?」
翠の髪の少女が目を擦り、のそのそと樽から這い出てくる。『聖女』としての顔も忘れて、コレットは唖然とした表情で、あわあわとヘレンに駆け寄る。
「え……、おんなの……こ? な、なんでこんなところで寝てたんですか⁉」
「んー……林檎の香りして気持ち良かったから? ……誰かさんが蹴らなければ気持ちのいい目覚めだったんだけどー」
じとっと見つめられ、コレットは思わず「ご、ごめんなさい。モンスターが侵入したのかと……」と謝ってしまう。彼女を信奉している民衆が見たら憤怒のあまり少女を縛り上げて生きたまま燃やしただろう。
「別にいいよー……あんなところに人が入ってるなんて思わないだろうし」
「ちゃんとその自覚はあるんですね⁉」
あれ、なんで謝っちゃったんだろうとげんなりする気持ちを、咳払いと共に捨てて、どうにか「聖女」の表情に切り替える。
「その、貴女はどこの部隊の者でしょうか? こんなところにいないで兵舎にお戻りなさい」
少女は言葉を聞いて固まった。コレットの声を聞いた者は大概似たような反応になる。その声には不思議と惹かれるような力が――、
「……え、どうしたの急にー」
怪訝そうな顔をされて、コレットはまたしても動揺した。『聖女』としての顔が若干引き攣る。
「……なんでしょう?」
「なんか喋り方が急に変わったから―」
樽の中から人が出てきた事があまりに衝撃的で、素の喋り方になっていたのをしっかり聞かれていた。寝起きの癖になんでそんなところは鋭いのかと、コレットは心の中で文句をぶつける。
「私の事はいいのです、ここではちゃんといるべき場所にいないと、規律の乱れ―――」
「ぐぅ」
話している目の前で居眠りを始められた。『聖女』の顔に薄く血管が走った。
「起ーきーなーさーいー!!」
叫んだ。叫んでしまった。叫んでからハッとなって、項垂れる。『聖女』にあるまじき行為に、彼女は恥ずかしさのあまり悶える。
幸いにして誰も聞いていなかった。彼女の叫び声も、恥ずかしさのあまり悶えて漏れた声も。
――調子が狂う。
そんなことを思いながら、コレットはヘレンの頬を軽く何度も叩いてなんとか起こした。
「にぇ……起きる、起きるからー……」
その緊張感の欠片も無い顔を見て、コレットはなんだか自分の先程の悩みが、――全てが馬鹿馬鹿しくなるような思いになった。不思議な少女だ。純粋に興味が湧いて彼女は尋ねる。
「……あなたのお名前、聞いてもいいですか?」