ⅩⅣ 昇る魂は流星となりて
――どうしよう、どうしよう、なんとかしなきゃ。
エフィルミアは動揺する頭で考える。
ヘレンが自分のせいで傷を負った。イズルが魔法で癒したが、血を抜かれたらしく顔は蒼白。エウリュディケの姿をした魔人は、イズルの言葉に動きを止めていた。
何故彼女は死後に自分の周囲で起きた事を知っているのか?
史上初の人間の勇者の仲間になったエルフ。悲劇の英雄。エフィルミアにとっては同胞でもある――エウリュディケの殺意に満ちた視線を感じた。
――魔人でなければ殺せないか?
その問い、裏を返せば「たとえ同胞でも魔人となったなら殺すか?」と聞いているのだろう。
エフィルミアに答えは出せない。
彼女の最期は断片的にしか知らない。何が真実かも分からない。だが、この元同胞からは哀しく、孤独な気配がした。かつて自分に武術を教えてくれたサリという名のダークエルフと同じ気配。
――サリさんなら何って声掛けるんだろう。
サリは今、エフィルミアとは別の道で世界を巡っている。別れる前、彼女はこれからの旅に期待と不安の入り混じったエフィルミアにアドバイスをくれた。
『何かに迷ったら、そうだな――私は本能的にだめだと思う事は選択肢から外す。何が正解かなんて選んでみないと分からないが、取返しのつかないことは心が警告してくれる』
エルフの国を出ることが本当に正しい事なのか、そこに迷いを覚えたエフィルミアにサリはそう言って微笑んでくれた。その笑みに救われた。
――この人をこのまま怪物として死なせてはいけない。
「天啓、が、降り、たの――死の、淵、闇、の中に、沈む、私の魂を、声、が導い、て、しん、じつを教、え、導いて、くれ、た。あの剣の元へと、ね」
エウリュディケの声は途切れ途切れだった。眼の焦点が合わない。次にどんな動きをするのかが予測できず、ヘレンもイズルも動けずにいた。
「エウリュディケ! それは本当に真実だと思う!?」
エフィルミアは叫んでいた。間髪入れずに飛来した茨の槍を籠手で掴み、中ほどから折って燃やす。このエルフの事を全部知っているわけではない。けれど、本来の彼女はエルフの掟に縛られない、人間を信じた自由な人なのではないかとエフィルミアは思っている。
勇者オルフェウスを心から愛していた。だから、もうこの世に彼がいない事に絶望し、何者かが吹き込んだ『真実』は彼女をこの世に繋ぎ留めた。
――絶対に人間を許さない、と。
「あなたを――魔人にしようと企んだ誰かが吹き込んだ嘘かもしれな」
「ならば何故、人間達はここを避ける? 禁足の地とした? 魔剣には決して触れるなと?」
駄目だ。エフィルミアに出来るのも『憶測』でしかない。それはエウリュディケの心を動かすには至らない。自分の無力さにエフィルミアは打ちのめされそうになる。エルフの国でサリに対して何も出来なかった時と同じように――
「おいっ、そこの悪女野郎!!」
突然湧きあがった怒鳴り声にエフィルミアはびくっと跳ねあがった。声の主はペルゼィック。隣にいるのはアロンソ。元の銀髪、整ってはいるがどことなく頼りない顔立ちに戻っていた。その手に握っているのは刀身が砕け散った魔剣。その柄だけだ。
それを見たイズルが叫んだ。
「その魔剣をよこしてくれ!」
アロンソが魔剣を投げる。エウリュディケの周囲に浮遊していた茨の槍が反応しその魔剣を捉えようと伸びる。ガントレットに嵌めこまれた魔光鉱石が赤々と燃え上がり、彫り込んだ魔法陣へと光が通い、ルーン語で『ケナズ』と刻まれた文字が燦々と輝く。
火の玉が5つ宙に浮かぶ。それをガントレットで殴りつける。赤い流星となって空を走り、茨の槍の上で弾けた。
魔剣の柄はイズルの手に。彼の瞳に星が映った。そんな気がした。まるで魔剣を通して記憶が鮮明に映し出されたかのようだ。
神材の戦鎚《狂気の涓滴》を大地に突き立てた。
「エルフの国の魔法技術“記憶の書”は当然知っているだろう、エウリュディケ。俺は君の”弟”のスールディルから、この魔法を使って君の死の真実を記録するように頼まれたんだ」
銀色の霧が球状に広がる。魔剣――かつては聖剣だったその剣に残った記憶が映し出される。
――青髪の勇者オルフェウスが、魔王カオスを倒すその瞬間。
凄まじい閃光と斬撃にカオスの体が塵と消える。地獄の底から響くような断末魔、それは消えることなくエウリュディケの耳に残り――そして彼女は新たな魔王の依り代に選ばれた。
魔人へと変化していく中、エウリュディケは「私を殺して!」と叫んだ。オルフェウスは剣を構えたものの躊躇った。その手をエウリュディケが握り――自ら剣を突き立てた。
暗転する。場面が変わる。オルフェウスは大地に聖剣を立てていた。勇者に与えられた星天からの加護、全身全霊を注いで顕現させた『冥界の門』
オルフェウスの周囲には流星の高原の民がいた。イザヨイと同じ服装をした長老と思しき人物も。彼らはオルフェウスの儀式に協力していた。
死者を復活させると伝えられていたそれは、開くと同時に無数の手が這い出、勇者を取り込んだ。自らの過ちを悟り、彼は流星の民に向かって叫んだ。
――俺を殺せ、と。
「彼“も”異世界からの転移者だった――だからこの世界で愛したあなたを失ったことを認めたくなかった。流星の民も彼に同情し、協力してくれたのでしょう」
転移者は元の世界が崩壊し、流星となってこの地に降ってくるのだと、エルフの国では語り伝えられてきた。イズルにも前にそのように聞いた事がある。
「死者を呼び戻すその試みは失敗に終わった。おそらくエウリュディケが魔王の魂に憑かれていたからだろう。魔王の魂が完全に出て勇者の体に憑依する前に、彼は民の手で殺された――いや、殺して貰った」
だが恐らくエウリュディケの魂だけは残り、聖剣に憑いた。
「アロンソが魔剣の使い手に選ばれたのは同じく彼も“星の子”転移者だったからに他ならない。エウリュディケ、君が何者かの声に誘われて魔剣に憑いたように、彼を誘惑し、その柄を握らせたんじゃないのかい?」
そう、オルフェウスは元々この世界の住人ではなかった。アロンソもそうだ。真の勇者で魔王カオスを倒す偉業を為した男と、偽りの勇者で何もなし得ない空虚の男。
正反対なようで共通点のある者達。
ただ利用しやすいから選ばれたわけはなかった。
「彼の中には、常に無力な自分への空虚、そして孤独を感じたの――えぇ、私の良く知る人と同じ匂い。だからきっと同志になって貰えると思った」
エウリュディケの周囲で茨が生い茂る。いまだ殺意は消えていない。
「もういいだろう、エウリュディケ。オルフェウスは確かに人間に殺された――けれど、それは」
無数の茨が、術を発動中の無防備なイズルに向かって放たれる。二対の斧が閃いて切り裂いた。イズルの前に出たヘレンが大股に進む。戦斧が右へ左へ閃き、向かってくる茨の刃を枝を斬り捨てていく。甘ったるい程の香りが辺りに立ち込めた。ヘレンはエウリュディケがこれまで戦ったどんな魔物よりも強く、恐ろしい。
「待ってヘレンちゃん!」
ヘレンの魔人に対する殺意は時々怖いくらいの物だ。まだ、話したい――分かり合えると信じているエフィルミアは手を伸ばした。
エウリュディケの眼前に迫ったヘレンはそこで立ち止まる。
「……エウリュディケ、あなたはまだ誰も殺してない。戻ってこられるよ」
エウリュディケの手が一瞬止まる。穏やかな微笑がその口に浮かんだ。
「なら、お前が最初の犠牲者になる?」
その右手に握られた茨の槍が突き出され、ヘレンの眼を貫く――。
血飛沫と共に腕が宙を舞った。エウリュディケは左手を突き出す。黒曜石のナイフをヘレンの頭上へと振り下そうとして、その腕も斬り飛ばされた。エフィルミアが見ている前で、最も恐れていた事が生々しく、容赦なく、止まる事なく行われる。
がっくりと膝を突いたエウリュディケの前でヘレンは無表情に彼女を見下ろした。
「なんで?」
言葉を失うエフィルミアの前で、ヘレンがエウリュディケに問う。
「……私が誰も殺していない? 私はあの時、オルフェウスに自分を殺すよう懇願した。そのせいで彼は死んだ」
「それは誰にも止められなかった事だよ」
「えぇ、そうかもね――けど」
ヘレンが突然膝を突いた。
「もう、戻れないのよ――彼が生きていた頃の自分には」
「うっ……」
四肢から力が抜けたヘレンを茨が縛り上げる。甘ったるい香りは茨から漏れた呪毒だった。イズルが術を解き、駆けるが間に合わない。
「彼のいない孤独、心に空いた穴が全然塞がらない。誰かの苦しみだけが私の心を満たしていく――喰らい尽くしてその魂を糧にしてやろう」
エウリュディケは既に魔人としての覚醒を始めていた。その槍の切っ先がヘレンの心臓を貫かんとしたその瞬間、
「もうやめて――!!」
エウリュディケの体が炎に包まれた。エフィルミアが最大の力を込めた魔法、魔光鉱石の魔力が尽き果てる程の炎がかつてのエルフの英雄の魂を焼いた。
茨が緩んでヘレンを解放する。その茨にも炎は達し、一瞬にして灰燼と帰した。
「それでいい――魔人は全て殺すべきなのだから」
「そんな、でも――あなたは」
エウリュディケが満足そうにエフィルミアを賞賛する。殺したくなどなかった。きっとまだ話せば、分かり合えた筈だった。エウリュディケにはまだ心が残っていたとエフィルミアは信じている。
「気に病むことは無い。私は本当なら既に死んでいる身……あの人は、きっとまた一人だろうから――私が行ってあげないと」
そう言ってエウリュディケは天を仰いだ。その体は炎に煽られ、ボロボロに崩れ去り、吹いた風に運ばれて行く。
その風の中で声が聞こえた。
――あなた、名前は?
「エフィルミア、私は自由なエルフ――エフィルミアです」
――エフィルミア、どうか“その子”を護ってあげてね。“どうか私と同じ道を歩まぬように”
声は風に運ばれた。夜空が青白く光る。その中で無数の流れ星が尾を引いては闇の中へと溶けていった。
エウリュディケの声は波紋のようにエフィルミアの頭の中に響き、次第に消えた。
イズルがヘレンを助け起こし、そこにペルゼィックも加わり、後ろでアロンソは気まずそうにしていた。ヘレンは――ぷへっと泡を吹いたが、エウリュディケが倒された影響か、呪毒は身体から消失し、いつもの寝顔を晒していた。
「護る、うん、護るよ、エウリュディケ」
エフィルミアは流れる星々の一つとなった彼女の魂に約束し、ヘレン達の元へと駆け寄った。