ⅩⅢ 勇者の本音
――勇者は君を冥府から呼び戻そうとした。生死、自然の摂理、霊魂の掟に逆らってでも君を取り戻そうとした。想像してみたまえ。あの男との生活を。運命にも使命にも縛られない二人だけの穏やかな暮らしを。だが、奴らは自ら勇者と称えたあの男を殺してでも阻止したのだ。
深い闇の中に落ちる中、誰かの手に捕まれ、意識を引きずり出された。
その魂は『聖剣』に縛り付けられた。呪いの魔剣として何人たりとも触れられない剣として、そして流星の民の『罪』として、封印された。
イズル達がエウリュディケと戦っていたその頃、ペルゼィックと勇者キホーテの戦いも始まっていた。ペルゼィックが知る男の面影は無い。闘気に満ちた剣戟、そして何よりも――。
――あの魔剣が厄介だ。
度々投擲される魔剣は曲線を描いて向かってくる。予測も回避も難しい。ペルゼィックは向かってくるそれを走り回り、距離を離す。
魔剣は動きの予測こそ難しいが、狙いはペルゼィックだ。距離さえ離してしまえば、こっちを追いかけるだけの単調な動きにならざるを得ない。
飛んできた魔剣を右手に握った斬撃長剣で弾き、同時に足に力を込めて跳躍、一気にキホーテへと距離を詰める。
突き出した刺突剣の狙いはキホーテの右腕。
「ちっ」
が、魔剣が唸りを上げ凄まじい勢いで戻ってくる気配を感じ、ペルゼィックは刺突剣の刃を叩きつけるように投げつける。
軌道が変わった魔剣はペルゼィックの横を通り過ぎてキホーテの手に収まる。距離を取っていては決着は付けられない。斬撃長剣を魔剣に叩き付ける。
「あのクソいけすかねぇ女がいないからもう一度聞くぞ。お前はその力で何をするつもりだ」
「おかしなことを聞く。強大な力があったら何か為さないといけないと? そんな義務があるとでも?」
キホーテが魔剣を振り回す。その”剣”の技はまるで達人そのものだ。だが、ペルゼィックはキホーテの腕の動きをよく見ていた。剣の力に振り回されている。キホーテ――アロンソ自身の力ではないのだ。弧を描いた長剣が魔剣の攻撃の悉くをいなす。
「お笑いだなぁ、何から何まで魔剣頼みでこの程度の力しか出ねぇ勇者様よぉ!」
だが、アロンソには響いていない。先程の問答に頭が支配されてしまったかのように呟く。
「ここに来た英雄達……力がある連中はいつもそうだ……自分達が世界を変えられると……自分達の行い一つで、その力で世界を救えると信じている。……ご立派なことだ」
力を持つ者は傲慢になる、と。彼の目にはそう見えていたのだろう。
「力の無い者は抗うことも、変えることも出来ない! 平凡な生活の中で、静かに滅びを待つしかない!」
その悲痛な叫びは、前世の記憶が呼び起こしたものなのか。それまで魔剣に振り回されていただけのアロンソの手が魔剣を自らの意志を乗せて振るう。魔剣の切っ先が頬を浅く裂いた。
「言いたい事はそれだけかぁ?」
「……ペルゼィック、なんとなく君なら分かってくれるんじゃないかと思ったのだが」
同意を求めるアロンソはペルゼィックに何を見出したのだろうか。思えば彼はヘレンの手柄を横取りしようとはしたものの、ペルゼィックに対してはどことなく対等に接していたような気もする。単に彼自身の凄みに圧されていただけだと思っていたが、 妙な親近感を持たれていたのかもしれない。
「平凡な生活がそんなに嫌かぁ!? だが、お前が言う力のあるやつらの中にはそんな平凡な生活を求めてる奴もいるんじゃねぇええか?」
例えばイズル。世界を救う為の対魔王軍の騎士団団長などという大層な役目を担わされた。ペルゼィックは茶化しつつも、彼のその功績を称えた。
だが、その時のイズルは「静かに領地を治めている方が自分は似合っている」と言っていた。彼を助ける為に共に戦うと決めたヘレン・ワーグナーにしてもエフィルミアにしてもそうだ。
ヘレンは話す度に故郷の事か、狩りの話ばかりする。
――今度、狩りの仕方教えてあげる。それでどっちが沢山獲れるか勝負だねー。
森の生き物獲り尽くしかねないから駄目だとイズルに釘を刺されていた。
エフィルミアにはこの国で初めて出会い、まともに会話したこともないが、夜、駐屯地でヘレンと話しているのを少しだけ聞いた。
――エルフの国の皆今頃どうしてるかなぁ……魔王倒したら、人も出入りできるようになったらいいのに。
――そしたら、ヘレンちゃんやイズル君とか……色んないい人間が出入りして、あの頭かっちかちなお父様達の考えもちょっとは良くなると思うの。
イズルと同じく騎士団団長として派遣された男――イズルの姉が嫁いだ――ユーゴ・レーヴはペルゼィックの身分では気軽に話すこともできないが、噂を聞いた。
――ユーゴ団長は暇さえあれば妻に手紙を書いているらしい。
或いはジェミニ評議界共和国のゴーレム使い。夜、彼女からどうしても話が聞きたくて後をつけた。その時、長老が話しているのが断片的に聞こえた。弟子を失い、消えない傷を心に負っていた事を知った。
「てめぇは知らねぇだろうがなぁ、てめぇが言う力がある人間の中には平凡な生活を望んでいるヤツだっていんだよ!」
「あぁ、そうだろうとも! 自分の思い通りの世界にした後で、平凡な生活を――ふげっ!」
魔剣を長剣で地面に叩き付け、空いた手でアロンソの頬を殴りつけた。鉄拳制裁、聞き分けの悪い子どもはこうだ!とよくペルゼィックは親父からやられたものだ。
「……本気でそんなこと思ってやがるのか? 全員そんなこと考えてると、本気で?」
返ってくる答えは剣戟。正面から迎え撃つと、魔剣に微かにヒビが入る音が聞こえた。
「俺の知っている連中は、自分の事以上に、力のねぇ奴の為に戦っていた。いや、今も戦っていやがる! 誰かの平凡な生活の為に、だ!」
ぶつかりあう金属音、この斬撃長剣はペルゼィック自身が作り上げた一品だ。武骨で荒削りだが、頼りになる。少なくとも朽ち果てていた魔剣なんぞよりはずっと。
「てめぇが自分の名誉の為だけに戦いたいってぇなら止めはしねぇし、力がある連中が皆自分の為に戦っていると思い込みたいなら自由にしろ。だが――」
このどうしようもない困った男にもまだ大切に思っている人間がいることをペルゼィックは知っている。
「長老のババァや世話焼き娘の事はどうする?」
熱い物にでも触れたように、アロンソの体が震えた。大上段から長剣がまたしても叩きつけられ、魔剣の歪な輝きが散っていく。
「炭鉱で共に働いていたヤツらだって、呆れちゃいたが、お前の事は心配していた」
なぁ、とペルゼィックは語り掛ける。
「もっかい聞くぜ、お前の言う『力』、一体何の為に使うんだ?」
――転移者はあまねく星天の迷い子
――元の世界を失くした者達
その喪失感は如何ほどの物か。ペルゼィックは想像もつかない。その心の穴を埋めることなど決してできないだろう。だが、それでも、この世界にはまだ彼の居場所がある。それにすら気づかないようであれば――。
「俺は、俺はなぁ――俺にだってぇ!」
喉の奥から絞るような声でアロンソはやぶれかぶれに魔剣を叩きつける。
「この世界を護れる力があるって!! 証明してぇんだぁっ!」
長剣に触れる寸前、魔剣が自ら砕けた。歪な光は宵闇の中に溶けた。
「だったら――もっと身体鍛えろや、優男が」




