Ⅻ エルフの花嫁
その姿を見た瞬間、イズル達3人は驚愕に目を瞠った。アロンソの勇者となった姿、そしてその後ろにいる美女の容姿――それは彼らがこの旅で追い求めていた悲劇の勇者とエルフそのものだった。
青髪の勇者オルフェウスと銀髪のエルフの美女、エウリュディケ。うちオルフェウスの姿をしている男はアロンソ――今はキホーテが化けただけの偽物……の筈だが本人よりもその手に握られた魔剣の方が脅威だろう。
身構える四人を前に、オルフェウスはその黒い剣を――
投擲した。魔剣は風を切り、円となってペルゼィックの首に迫る。
鉄と鉄のぶつかる甲高い音と共に弾かれる。ヘレンが抜いた大斧によって真上に吹き飛んだ魔剣は驚いた事にキホーテの手に戻っていく。
「よう、妹助かったぜぇ」
「え、私君の妹になったつもりは――」
「イズルと俺は兄弟みたいなもんだ。んで、イズルの女って事は俺にとっちゃ妹みたいなもんってことだな!」
ペルゼィックは彼自身の謎理論に従い、勝手にヘレンを「妹」と呼ぶことにしたらしい。ヘレンは夜でもはっきり分かるくらい顔を赤くしている。当然だろう。誤解もいいところで聞いているこちらが恥ずかしい。イズルはペルゼィックの頭を思いっきり――幼馴染故の遠慮なさで――殴った。
「いてぇなっ、何すんだ!」
「ヘレンは誰の女でもない。自由な子だ――それはそうと、早くあの勇者かぶれの馬鹿をどうにかしないと」
ふざけている場合ではない。勇者キホーテとエウリュディケらしきエルフの姿をした魔人は、ゆっくりとこちらに歩いてきている。魔人はそっとキホーテに耳打ちしていた。
「この者達はあなたを陰で噂し、その力の無さを嘲笑っていたに違いない。お前の真の力を見せつけてやりなさい」
「……俺、の」
キホーテの剣が震える。イズルが反論しようとすると、ペルゼィックが前に出た。普段の彼からは想像もできないような神妙な面持ちで、キホーテに話しかける。
「よう、勇者。これで満足か? その力で何を為すつもりだ?」
「俺、は――」
ペルゼィックの問いに、キホーテが怯む。その隙にヘレンがイズルとエフィルミアに耳打ちしてくる。
「あのバカは、ペル君に任せて、私達はあっちを」
「分かった」
返事を待つ間もなく、エウリュディケに向ってヘレンは突進する。巨大な大斧が唸りを上げ、女神の如き美しさを持つエルフの頭を狙う。彼女は優雅に銀髪を揺らし、ダンスでも踊るようにその攻撃を躱す。
大斧が地面に刺さり、柄が反動で宙に上がる。それを利用してヘレンは空に跳び、背中から新たに戦斧を二本抜いて、一本をエウリュディケが避けた先へと投擲する。数多の魔人の首を刎ねてきた刃はエウリュディケの鼻先で止まる。
エウリュディケは両手を掲げ、宙に結界を展開していた。戦斧が弾かれヘレンはそれを空中でキャッチする。間髪入れずに死角からエフィルミアが殴り掛かる。ルーンの輝きの炎を籠手から吹き出した。
「ヘレンちゃん!」
辺り一面を焼き尽くすその炎の上でエウリュディケの姿が照らし出されていた。二人の攻撃を危なげなく躱し続けるその所作こそ、流石勇者の仲間だったことを証するかのようだった……が。
――彼女は本物のエウリュディケなのか?
そんな疑問がイズルの頭を支配する。エウリュディケはこの地で死んだ。その遺体はエルフの国へと転送されたのだと、エルフの氏族王達は言い、実際にその様子を記録した本を見せられた。
その死の真相を知る為に、イズル達はこの地を調べに来たのだ。今対面している彼女は恐らく魔人だ。その気配を強く感じる。溢れる殺意が肌を刺すような感覚。瞳は虚ろで生気を一切感じない。
それに、その魂がエウリュディケその物であれば、イズルは感じ取れる――という自信があったが、今は確信が無い。彼女の魂はキホーテとの繋がりを感じる。これは彼女が魔剣をキホーテに与えた故だろう。
「……お前は魔人か?」
「魔人じゃなかったら殺せないかしら? 特にそこの同胞のお嬢さんは」
話しかけられてエフィルミアは息を呑んだ。硬直したその一瞬をエウリュディケは逃さない。結界となっていた魔力の形をほんの少し変えて茨の槍となる。イズルがしまったと思った時には槍は放たれていた。
間に合わない。
血飛沫が飛んだ。真っ白な腕に茨の槍、その切っ先が刺さって止まる。
「うぐ」
「へ、ヘレンちゃん! そんな――」
ヘレンがエフィルミアの前に割って入った。槍は腕を貫通することなく、傷は浅い。だが、エウリュディケは手加減したわけではない。茨の槍は柄の部分に脈打つ心臓を持ち、それが赤く光ると、ヘレンの腕から血を抜き始める。
「やめて!」
エフィルミアが槍を掴んで燃やす。刃は熱で溶け落ちる。イズルが駆け寄り、すぐさまヘレンの腕の傷に触れる。イズルは魂と生命力を視覚的に見る力がある。その力を活かし、治癒魔法を最大限に扱うことができた。
腕の傷、途切れた『糸』と『糸』を繋ぐ。血管が継がれ、新たな皮膚を形成する。傷口が浅いのもあってほんの一瞬で回復した。
「あ、ぁ、ヘレンちゃんごめんね――私がぼっとしていたから」
「大丈夫、あれはやっぱり魔人。耳を貸す必要なんか無い」
ヘレンが決意を込めた目で見る。エウリュディケは彼女に関心を寄せたようだ。正確には彼女の『血』に。
先程の茨の槍、切っ先は破壊されたものの、ヘレンの血を吸った心臓部分は生きている。それに手を這わせてエウリュディケは笑みを深めた。
「へぇ、あなた面白い――けど、聞き捨てならない。『魔人』の言う事は耳を貸さなくていいだなんて……」
二対の戦斧が別々の軌道を描いてエウリュディケへと向かう。が、地面から突き出た幾つもの茨の槍がそれを弾き返した。見ると大地に幾つもの魔法陣が描かれている。四大精霊魔法の内の一つ、土属性の魔法だろう。その魔法陣の一つ一つはイズルも知っているような基礎的な魔法だ。だが、恐ろしく精密かつこうしている間にも魔法陣は増えていく。
「人間の言う事の方が信用ならない――そうは思わない?」
ヘレンが負けじと空中で二対の戦斧を掴み、茨を切り裂く先で新たに生えてきた茨が巻き付いて再生していく。エフィルミアの拳が燃やした茨は灰となったが、その灰から新たに芽吹き、一瞬にして茨が伸びていく。
キリが無い。
「エウリュディケ!」
ヘレンとエフィルミアの為にとにかく隙を作る。その為には彼女の意識を自分に向ける必要があると感じた。イズルの言葉に彼女は興味こそ薄いものの反応した。
「俺はあなたの生前の姿をエルフの国で見た。オルフェウスと約束したあの日の事だ。あなたは世界を救う為に勇者と共に歩んだ――違うのか?」
「忌々しい記憶――若く、愚かで、無知な小娘それが私」
魔人となって尚、彼女の中には記憶が残っているらしい。刃と拳と茨が舞う中心点で、エウリュディケの瞳に憎しみの火が灯る。
「この地で、魔王を殺した。オルフェウスと私と仲間達の手で――けれど、多くは死んだわ」
「あなたも――その時に亡くなったのだろう?」
「私は生きていたわ」
エウリュディケはにっこりと笑って答えた。茨の動きが止まる。明らかな隙にも関わらず、三人は彼女のその先の言葉を待って止まった。それが彼女にとって思う壺だったとしても、動くけなかった。
――やはり、伝説は真実ではなかった。
彼らがエルフの王から求められていたのは真実。エウリュディケの顛末だ。
「私は勇者と将来を誓い合っていた。人間とエルフの新たな未来となりたかった」
嫌な汗が顔を流れた。この先の真実は、イズルとヘレン、それにエフィルミアの心を深く抉るだろう。
「魔王カオス――彼女が死んだ際、身体を失い、行き場を失くした魔王の魂は新たな身体を求めた――新たな継承者にふさわしい『力』を持つ者を求めた。その場にいた中で選ばれたのが私」
イズルはその先を想像した。エウリュディケは恐らく『魔王』にはならなかった。何故なら――、
「魔王の魂が憑いた私を――オルフェウスは殺した。分かる? 人類の未来と一人の愛人――彼は世界を取ったの」
「だが、それは――あなたが人類の敵に、誰かを殺す事が無いようにと――」
空しい言葉を発しながら、彼女が耳を貸すわけが無いとイズルは思った。そんな理屈で止まるくらいなら彼女の魂は魔人と化していない。だが、エウリュディケは怒っていなかった。
「けどね、私は彼を恨んでないわ――むしろ一層愛したわ。私の事を想って――一緒にいられないことを悔やんだ。そして、それはあの人も同じだった。彼方に繋がる門を開こうとした」
『冥界の門』
勇者オルフェウスはエウリュディケを蘇らせようと、その門を開こうとしたのだった。伝説によれば、それは成功した――。そこまで思考し、イズルはある違和感を覚えた。
「けれど、それは阻止されたわ。流星の民……彼らはオルフェウスが禁忌を犯したと非難し、門を開こうとした彼を――」
イズルの頭の中で何かが引っかかる。その違和感はエウリュディケが語る『真実』によってより深まっていく。彼女のその先の言葉をイズルは予言できた。
「――民が襲って殺した?」
「そうよ――ねぇ、世界を救った人間が愛する人の魂を呼び戻そうとする、それはそんなに悪いことかしら?」
エウリュディケの問いに答える意味はない。何故ならば。
「……エウリュディケ。君は何故、オルフェウスが殺された事を知っている?」
彼女の言葉はその殆どが真実なのだろう。イズル達が最も動揺するのは誤魔化しようの無い残酷な真実。
それにこれは直感ではあるが、エウリュディケは自身の立場を正当化させたがっているように思えた。魔人に堕ちたとはいえ、かつては勇者と共に世界を救おうとした人間だ。自身に一切の落ち度等無く、世界こそが悪だったのだと証明したいのではないだろうか?
「答えろ――それを教えたのは誰だ。君に『真実』を告げたのは」




