Ⅺ 勇者キホーテ
夕暮れ時、アリエス王国とジェミニ評議界共和国からなる連合軍は進軍の用意をいよいよ済ませるところまで来ていた。流星高原を離れる時が。
流星の旅団、そして彼らが属する都市国家連合は後方支援――主に食料や武器等の補給を改めて約束してくれたらしい。それを取り付けたのはイズルとのことだ。
残された時間は少ない。
ペルゼィックは昼間、あの遺跡跡から戻ってから、彼らしくもなく言葉数少なく、ずっと考え込んでいた。アロンソの事を考えていた。
結局彼は仕事場に戻ることもなく、炭鉱にいた男共にはほとほとと愛想を尽かされていた。当然だろう。今までは長老のイザヨイに頼み込まれて働かせてやっていたらしいのだが、その奇天烈な発言に振り回し、その癖仕事はまともにできなかった。
実際ペルゼィックも苛立ちしか感じなかった。彼の話を聞くまでは。
――アイツは単に頭のおかしなヤツではなかった。
そのアロンソは行方が分からなくなっていた。だが、誰も気にも留めない。どうせまたどこかで変な事を口走っているのだろうと。
唯一彼の身を案じていた長老のイザヨイに話をした。彼がいなくなる直前に妙な事を口走っていたことも全て。
「あの子、また迷惑を掛けたのね……許してあげて。転移者はあまねく星天の迷い子――元の世界を失くした者達なの」
転生者は、なんらかの要因で元の世界で魂が存在出来なくなった者が別の世界に流星となって落ち、この世界に新たな生を受ける。
大して転移者は元いた世界その物が消えたことで、その存在そのものが星となってこの世界へと舞い降りる。
似て異なる存在。アロンソは後者であり、記憶も断片的ながら持っているのだそうだ。以前の世界――崩壊していく世界の中で彼は何者にもなれず、何者も救えなかった側の人間なのだそうだ。
「んな話聞かされたら、放っておけねぇっての」
そんなわけでペルゼィックはアロンソの行方を探すことにした。長老の許可を得て都市内へと入り、彼の安否を唯一気に掛けていた少女ドルネシアの案内でアロンソの家にまで行った。
家には何冊かの本があった。都市国家連合では活版印刷技術が発展しており、アリエス王国と比べて庶民でも本書籍の入手はしやすい。それは魔導書や学問的な専門書、聖書の類だけではない。
「いつ見ても呆れるわ、この量の騎士道物語」
本棚に収まっているのは騎士道物語――騎士の吟遊、そして魔王を倒すまでの物語。その数々。何冊かさっと手にしてみる。勇ましい騎士の姿と悍ましく恐ろしい姿の魔王が描かれており、心躍るような期待の言葉が読者を煽り、物語への導入に繋がる。
「絵空事の限りを尽くした騎士道物語ばかり……、アンソロはお話の読み過ぎで、現実と虚構の区別ができなくなったと思うのよね」
ドルネシアは中々に辛辣だ。だが、その棘の中に彼に対する心配が垣間見える。本を撫でながら彼女は溜息を吐いた。
「空想……夢って、現実の中でちょっとした息抜きにあるくらいが丁度いいと思うの。夢が現実を呑み込んでしまったら戻ってこれなくなってしまうから」
彼女の言葉は一理ある。アロンソの読んでいたであろう本は何度も何度も読み返したのが分かるくらいにページが摩耗していた。
読む度にアロンソは自分がこうであったらと望んだのではないか。
前の世界でこうあれば、世界の崩壊を止められたのではないか――と。
ドルネシアの言う通り、彼は現実と夢の区別が付かないのだろう。だが、それはそうしなければ耐えられない程の苦難が彼にあるからなのではないか?
「くそっ」
居ても立っても居られなくなりアロンソの家を出て、アロンソをもう一度探そうと思ったその時、親友が前に立ちふさがった。ペルゼィックが造った神材の戦鎚《狂気の涓滴》を手にしている。その後ろにはヘレンとエフィルミアの姿もあった。
「……出発の時が近いのは知ってる」
「というか、もう過ぎているんだけどね。一言言ってくれれば良かったのに」
力づくでも突破するつもりでいたペルゼィックは面食らって目を見開いた。イズル達はイズル達で何やら事情があって出発できないらしい。長老のイザヨイにアロンソの捜索を依頼されたんだとイズルが話す。
「あの偽物君は嫌いだけど、イザヨイ婆ちゃんの頼み、だから」
「あはは……ヘレンちゃん、そんなこと言ってるけど、アロンソさんがいないって聞いてちょっとソワソワしてたじゃーん」
ヘレンが不服そうに言うと、エフィルミアがからかう。軽口を叩き合う彼女達にペルゼィックは少し心が軽くなるような気がした。
ペルゼィックはフンと鼻を鳴らして胸を張った。先程までらしくもなく、考え込んでいたのが嘘のように威張り散らす。
「いいだろう! お前らをアロンソ捜索隊の部下にしてやっても――いで」
「すーぐ調子乗る……」
イズルに戦槌で小突かれ、ペルゼィックは悶えた。相変わらず容赦の無い幼馴染だ。とはいえ、ようやく調子を取り戻したのもあって、悪い気はしない。心当たりはあるのかとイズルに聞かれて、ペルゼィックは自信に満ちた声で告げる。
「いいかお前ら、あいつは勇者に固執していた。だから、また現れるとしたらさっきの場所しかねぇ」
――この世界、今の世の中には勇者が必要だ。
男は常々そう感じていた。日々を穏やかに過ごし、太平だと大平だと皆は思い込もうとしている。だが、どうだ。ついこの前だってゾンビの群れに襲われ、何の力もない人間は蹂躙され、逃げ惑うことしかできなかった。
どこの誰かも分からないような勇者の手で街は救われた。その時にアロンソの心の中で何かが決定的に変わってしまった。
転移者で、勇者になれると星天の声に告げられた自分は結局何の力もない凡人だった。その事に耐えられず、男は自分が勇者であると思い込もうとした。想像の中では巨大な化け物を何体も倒し、姫を魔物の群れから救い出す救世主
だが、その思い込みにも限界はある。「現実」を見てしまったのなら尚の事。巨大な斧をいとも簡単に操り、敵を豪快に切り裂く少女。剣を手足のように巧みに操り、目にも留まらなぬ剣技を見せた青年。
アロンソが求めても決し手に入れられないその強さを彼らは持っていた。特に少女の方は本物だと思った。その無為な格差に、打ちのめされた。
「夢」から覚める時が来たのだ、と、アロンソは思い知らされる。だが、彼の頭の中に美しい女の声が響いた。
――かつてこの地で果てた勇者の剣。それがあなたにとっての試練となりましょう
それを抜けば、自分は勇者となれるのか? 心の中に浮かんだ疑問にも美女は応える。
――あなたのこれまでの苦難に見合う力を聖剣は与えてくれるでしょう。日の沈みし宵闇と共に剣を抜きその光で人々に知らしめるのです。貴方様は凡人アロンソから勇者へと生まれ変わる。それにふさわしい名前も与えましょう。
だから、彼は誰もいない夜まで身を潜め、そして再び神殿の跡地へと戻った。かつて勇者オルフェウスが魔王カオスを倒したとされる聖剣の刺さる場所へ。
アロンソはかの地へと足を踏み入れ、何人たりとも触れる事は許されないとされたその剣に触れた。それだけでは何も起こらなかった。ある種の期待がしぼむのと同時に少々の安堵すら感じた。
が、それも一瞬。彼は意を決してその柄を握りしめた。
その姿は突然現れた。目の前にいたのは美女だった。星の色に輝くアロンソと同じ色の――それでいて美しさは段違いな程、幻想的な――銀髪、長い耳が目を引く。真っ白なドレスに身を包んでいた。
思わず身を引いたのはその少女の瞳が虚ろだったからだ。感情の無い笑みを口元にたたえ、美女は言う。
「よく、ここまで来ました。あなたこそオルフェウスの剣を継ぐにふさわしい。勇者キホーテよ」
――”勇者”キホーテ、その響きは心地よかった。
手にした剣に力を込めると、まるで生まれ変わっていくかのような気持ちになる。髪は銀色から青に、みすぼらしかった服は立派なチェニックとがっしりと大地を踏みしめるブーツへと変わっていく。
本当に自分は生まれ変わるのだ……そんな期待に胸を膨らませようとした時だった。
「アロンソっ!」
青年――ペルゼィックの怒声が耳に響き、彼を現実に引き戻した。変わりかけていた自分の容姿は元のただの「アロンソ」になる。
「そこの女っ、てめぇ魔人だろ!! 何を企んでやがる!」
――魔人? この美少女が? 勇者を導く聖女様が……魔人だと言うのか?
「耳を貸してはなりません」
美女は意にも介さず、アロンソに耳打ちする。
「あの男はあなたにただの凡人でいて欲しいのです。勇者になられては困る、貴方様を見下すことができなくなる。だから――」
あぁ、そうだろう――と、アロンソは思った。誰が思うだろう? 妄想に耽り、妄言を散らす男が世界を救う勇者になるなどと? 街の皆の侮蔑や憐憫の視線を彼が感じてないとでも思ったか?
「今宵、貴方様を見下し、蔑んできた者達に天誅を加えるのです――そして高らかに宣言なさい、勇者キホーテの誕生を!」
剣は抜かれた。錆びて欠けた刃は魔力によって蘇り、漆黒に染まる。有り余る魔力が波動となって大地に響いた。
美女の顔が歪むのを見て、「アロンソ」は「やはり」と思った。幻想のどこかで彼はこの女が自分を唆していることを認知していた。それでもアロンソは欲望に抗う事は出来なかった。かつて自分が渇望しても届かなかった力がどんなものか知りたい――そんな欲に抗う事は出来なかったのだ。
そしてそんな認知も、胸から広がるどす黒い感情に塗りつぶされていく。彼の眼下に映るは、ペルゼィックそして、ヘレン・ワーグナー。この二人の戦士を今から超える。
それが勇者キホーテ、最初の偉業となる。
「勇者キホーテ、あぁ、いい響きだ。さて――ペルゼィックよ、まずはお前に決闘を申し込ませて頂く!」




