Ⅸ 勇者の末路
作戦会議を始めようか否かという時、チュチーリアが息を切らしながら入って来た。いつも冷静沈着……かはさておき、珍しい姿にイズルは驚いた。朝からペルゼィックの姿が見えなかったので、またどこかで彼女に迷惑を掛けているのではないかと心配していたが、どうやら杞憂だったらしい。
悪びれる様子があまりないチュチーリアにセレーネが厳しい視線を向ける。
「中々有意義な時間だった……これが終わったらまた」
「あの……まずは遅れた事に対して同盟国の方々への謝罪を……というか、ジェミニ軍指揮官の自覚をもっと持ってください」
「何を言っているんだ、セレーネ、指揮官は君だ。早く始めてくれ」
チュチーリアは堪えた様子もなく、セレーネは歯ぎしりしたが、他国の重鎮の手前、それ以上言い争うようなことはしなかった。アリエス王国の実質総指揮官であるユーゴ・レーヴが穏やかな性格であるのもあって、特に咎められることもなかったのはセレーネにとっては幸いだっただろうと、イズルは苦笑する。
「……先行したエミリオ・アマトから定期連絡が来ました。現地の抵抗勢力と接触を図っています。偵察情報を元に、進軍、城塞都市には攻城塔を用いて乗り込み、彼らと合流して魔王軍を殲滅するのがよろしいかと」
「抵抗勢力の戦力がどれ程残っているかによるな。状況によっては取り残された人々を脱出させる方を優先させよう」
地図上にインクが零れ、新たな情報と戦略が書き込まれていく。目標とするキャンサー帝国の手前の山上に砦を築き、軍の集結地点、民間人の避難場所とする事、その他補給の手配、戦力の分配等を決めていった。若い指揮官達のアイディアを経験豊かなユーゴが取り纏めてくれたおかげで話し合いはスムーズに進んでいく。
砦を築く間――発見され襲撃されれば、脆くも崩れさってしまうだろうその間、ヘレンを中心とした英雄級の強さを持つ少数の戦士をキャンサーに送り込み、奇襲を行う事も決まった。
「えへへ、もっと食べていいよー……沢山狩ったからー」
肝心のヘレンは机に突っ伏して眠ってしまっているのだが。彼女もまた重要な戦力なので……と、作戦会議に参加させたのだが、これではいる意味が無い。後で彼女には作戦の概要を分かりやすく説明するとしようと、イズルは彼女を起こさずにそのままにし、声を潜めてセレーネへ訊ねた。
「……抵抗勢力がここまで戦えているということは、”彼ら”勇者一行が手を貸している可能性はないだろうか?」
「前にも言いましたが、彼らは今はキャンサーにはいないようです。エミリオからの報告でも、今のところそれらしい人物は見当たらないとのことで」
ヘレンにとっての元仲間、勇者ジェイソンとその一行は一度キャンサー帝国の危機を救ったのだと、以前セレーネに明かされた。その事をイズルはヘレンには黙っている。彼女は元仲間のことを今でも尊敬し慕っている。だが、同時に負い目も感じている筈だった。
ヘレンは今でこそ眠ったままでも戦えるようになったとはいえ、それもリスクが伴うもので、何より呪いの根本的な解決には至っていない。呪いが原因で仲間の元を離れたのだ。今どこかで彼らと再会したらどうなることか。今でもヘレンが戦い続けている事を知った勇者達がどんな反応を示すか。それをヘレンは口にこそしないものの、気にしている筈だ。
まだ彼女には勇者と再会する用意が出来ていない、とイズルは考えていた。
気持ちよさそうに眠っているヘレンの髪を撫でてやりたい気持ちを抑え、「うん、話が逸れたね、ごめん」と作戦の話に戻った。
話が終わったのはそれから二時間後のことだった。
作戦会議後、イズルはヘレンを起こし――いつものように頬を捻って――、エフィルミアと共に、丘の上を歩いていた。共に旅をしてきた二人といるのは、感慨に耽る為ではない。
エフィルミアが仲間になるきっかけとなったエルフの国でのことだ。そこでイズルはエルフの氏族王ティリオンに、約束をした。
千年前の勇者、オルフェウスとエルフの女、エウリュディケとの間に起きた悲劇。オルフェウスの仲間になったエウリュディケが刺殺され、その遺体がベオーク高原へと転送された――その謎を解き明かすと約束したのだ。
イズルには霊や精霊等、此の世ならざる者の姿を見たり、声を聞く力がある。エルフの国で見せられた悲劇を記録した書物――エルフにとっての書物は人間のそれとは違い、誰かの記憶を水晶に封じ込めたもの――を通じ、エウリュディケの魂がどこで最期を迎えたのかが「視えた」
魔の這い出る「穴」より程近い、湖が見える丘の上。それがここ流星高原のどこかである事を、イズルは直感した。アリエス王国に居た頃、ヘレンと会って間もない頃、勇者にまつわる様々な伝説を彼は調べた。
オルフェウスとカオスの千年前の戦いは記録こそ殆ど残っていないが、最後の戦いが流星高原の奥地だったと言われている。氏族王達にその場で言わなかったのは、確証が無かったからだ。同盟を結ぶかどうかという瀬戸際で、下手なことは言えなかった。
代わりに悲劇の『真実』を調べ、事実を伝えると約束した。その約束を果たすべく、彼はこの大事な時にも拘らず、騎士団を離れ、二人とここへ来た。
丘の上に石の柱に囲まれた神殿跡が存在した。朽ちかけた大きな石造りの扉、そしてその前の壇に一本の剣が刺さっている。
――心がざわつく。
剣からは聞き取ることが出来ないくらい小さい囁き声が漏れ出ていた。だが、これが聞こえているのはイズルだけだろう。
「きっとここだ。ここが勇者オルフェウスの最期の地」
「魔王との最終決戦がこんな場所だったの?」
ヘレンが首を傾げる。激しい戦い――人間と魔王が雌雄を決する、人類の存亡を掛けた戦いの場と言うにはあまりに狭い。恐らく、最後の戦いは別の場所で行われた。だが、「勇者」の最期の地はここだったに違いない。
イズルは壇に刺さった朽ちた剣に手を触れようと手を伸ばす。囁き声が煩く、耳鳴りのように頭の中に響く。
「おやめなさい」
静かな声にイズルは熱い物に手を触れたかのように反射的に手を引っ込めた。
イズル達の背後にいたのは、長老のイザヨイ。彼女はいつもと同じ穏やかな笑顔を浮かべている。ここにいる誰もその気配に気が付かなかった。一切敵意が無かったからだろうが、それにしても、だ。
「おばあちゃん! ごめんなさい――けど……、私達はここで何が起きたかを知る必要があって……」
エフィルミアが思いっきり頭を下げて弁明する。イザヨイは特に怒っているわけでもなく「謝らなくてもいいのよ」と、穏やかに答えた。
「けれど、この剣にだけは――触れてはならないの。強い……邪念のこもった剣。これは魔剣と言っても差し支えないわ」
「それは勇者の使った聖剣ではないのですか……?」
イズルの問いにイザヨイは頷き、“魔剣”と呼んだその剣の前に立った。
「多くの命を救い、魔を祓った剣。それもまた事実。けれど、それはあくまでも勇者の心が正しい場所にあってこそできた事。一度使い方を間違えれば、聖なる者も闇へと堕ちる」
つまりこの壇に刺さっている剣はかつては聖剣だったが、今は魔剣ということだろうか。一体何が起きたのか知りたいという気持ちを汲み取り、イザヨイは三人に座るように伝える。石の冷たさを感じながら、イズルは耳を傾けた。
「オルフェウスは魔王カオスを確かに討ち取った。だが、その代償は高くついたのよ。彼は最愛の人、エウリュディケを喪った。これだけであればただの悲劇。だが、物語はそこでは終わらなかった」
イズルは無意識に勇者がどんな結末を辿るのかが分かった。それは霊的な物が見えるが故なのか、イズル自身も惹かれてやまない”禁忌”とも言える魔法。
「彼は黄泉に繋がる『冥界の門』を開き、エウリュディケの魂を連れ戻そうとした。そこにいた門番を倒し、冥界の主と交渉して、外へ連れ出そうと試みたの」
「オルフェウスの根気に負けた冥界の主はエウリュディケの魂を彼に託したの。エウリュディケの魂は俯いたまま、彼と手をつなぎ一言も発さなかった」
『決して振り向いてはいけない』と冥界の主は言ったのだそうだ。ヘレンとエフィルミアは息を呑んでそれからどうなったのか、イザヨイのその次の言葉を待った。だが、二人も薄々気が付いているだろう。
――オルフェウスは振り向いた。
その光景はイズルの脳裏で鮮やかに想像できた。イザヨイの語りは続く。
「美しきエウリュディケの身体は崩れ去り、宝石の如き輝きを放つ瞳は溶け落ちてその眼窩に闇を溜め込んだ」
かつて愛した者は化け物となり、勇者を現世まで追いかけ、そして――。
「ひぃいいいっ!!」
エルフの絶叫で、イズルは現実に引き戻される。エフィルミアは恐怖のあまりヘレンの体にしがみついており、そのあまりの強さにヘレンは落ちる寸前だった。
「怖すぎるよぉっ、愛する人にとり殺されるなんてぇ!」
「今まさに同じ事が起きようとしてるんだけど、エフィルミア?」
イズルが指摘すると、エフィルミアは抱きしめてるヘレンを見て「きゃああ、ヘレンちゃん、ごごごごめんねっ」と慌てて解放するもヘレンはそのまま動かなかった。寝てる。
「責任持って陣地までおぶってあげるように」
さめざめと泣くエフィルミアに、イズルはやれやれと額を抑えた。イザヨイは穏やかな笑みを浮かべている。
「良く出来たお話でしょう? 怖い思いをさせたならごめんなさいね」
「待った……、“良く出来た”? この話はどこからどこまでが作り話なのですか?」
イズルが問うと、イザヨイは静かな自嘲気味の笑みを浮かべた。考えてみれば千年も前の話だ。神話は人から人へと伝わる内に意図的或いは意図せずして変化していく。だが、オルフェウスの話は恐らく前者、意図をもって事実と異なる話が表向きに伝わってきたのだろう。
「……勇者がエウリュディケを喪ったところまでは嘘偽りないわ。けれど、ごめんなさい。真実は流星の旅団の中で知っているのは我が一族だけ。そして、それを私の口から話すことはできないの」
「ならば、せめて少しだけ――その剣に触らせてはいただけないでしょうか?」
「言ったでしょう、この魔剣は危険なの。触れた者の魂を取り込み、己が糧とする」
そんな危険な代物を何故残しているのか? 疑問は尽きないが、今は何よりオルフェウスとエウリュディケの悲劇の真実を知らなければならない。神話と事実が異なるのであれば、このまま何も知らずに帰るわけにはいかない。
「必要な事なのです。俺は霊的な物に触れればその記憶を断片的に読み取る力があります。彼女――エフィルミアの父君、エルフの王に約束したんです。かつてこの地でエルフの姫君、エウリュディケに何があったか真実を調べる、と。それがエルフの人達が人類に協力し、魔王討伐に力を貸してくれる為の条件なんです。単なる伝聞ではなく、事実を知らなければならない」
人嫌いで有名なエルフとの繋がりは、人類の歴史にとって千載一遇の機会であり、これを逃せば二度と繋がりを持つことはできないだろう。イズルはそう確信していた。流星の旅団の長老であるイザヨイもエルフの国が発見されたという噂は知っているようだが、まさかそんな約束がされているとは思いもしなかったのだろう。低く唸り考え込むように顎を手で撫でる。
「少なくとも、この状態の魔剣に触れるわけにはいかないわ。魔剣の邪気を一時的にでも鎮めなくては。旅団の者達と相談してから――けれど確約はできないわ」
「分かりました。その時はイザヨイさん、一族に伝わっているという真実をお聞かせください。エルフの氏族王以外に他言はしませんので、どうか」
可能性が低い中でもイズルは抜け目がない。不快に思われる事を恐れず、真実を知る手立てを諦めない。その根気というか頑固さに折れてイザヨイは遂に頷いた。
「わかったわ、でもまずは戻りましょう。ここはとても居心地が悪いもの」




