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天使は現る


 高校の門の手前で裕也ははあはあと息を切らしていた。自転車通学を始めたはいいがなかなか遠い上に高校は丘の上にあった。最寄り駅から歩いたほうが楽なのは確かだった。朝から汗だくになりながら、彼は「入学おめでとう」と書かれた校門を通過して駐輪場に自転車を留める。


 リリスは駅に置いてきた。流石に2人乗りで来るのはきついし、なにより恥ずかしかった。


「朝から疲れた」


 裕也は歩きだす。


「今日はいい天気ですね」


 甘い声がした。ふとあの日のリリスの声を裕也は思い出した。


 裕也がはっと横を見るとそこには黒い髪の美少女が立っていた。凛とした目が彼を見つめている。裕也はたじろぐ。いきなりなんなのだろうと彼は思った。そんな困惑する彼に向ってその少女は指を突き付ける。


 ブレザーに赤いリボン。それにチェックのスカートの彼女は黒髪を風に揺らしながら叫ぶ。


「あなたに危機が迫っています!」

「は?」

「私の名は、そうですね相沢天使とでも名乗っておきましょう。私は貴方を救いに来ました」

「……」


 裕也は目をそらした。


「あっ! あなたは今すさまじい勘違いをしましたね。私を怪しいものと勝手に思ったでしょう!」

「い、いえそんなことはありません」


 むきーと顔を赤くして天使はすぐにこほんと息を吐く。


「ま、まあいいでしょう! 詳しい話はあとでしましょう。今日のお昼休みに屋上に来てください!」

「え?」

「いいですね! 屋上ですよ!」


 そういうと天使は走り去っていった。裕也は呆然と立っていたが、ふと我に返った。


「たしか今日は午前だけでは……?」


 昼休みなどはなかったはずだ。午前中には始業式とクラス分けされた後であいさつをすると聞いていた。裕也はどうしようかと思ったがとにかく始業式に出るために校舎に入っていく。


 入学して初めて入る校舎は不思議な感じがした。高校に入ったという実感を何となくじんわり感じた。


「うわっ」


 その裕也の背中に誰かが当たった。彼が振り返ると小柄な少年がいた。栗色の髪をした大きな瞳をした彼はむっと裕也をにらむ。


「いきなり立ち止まるな!」

「ご、ごめん」

「まったく」


 くりっとした瞳に丸みのある眉毛。かわいらしい容姿だが、鋭くにらまれるとなかなか迫力があった。彼はふんと鼻を鳴らして歩いていく。その後ろを裕也が歩く。そして同じ教室に入る直前で小柄な少年は「げっ」と声をだした。


「お前。同じクラスか」

「そうみたいだね……あ、おれ北島 裕也、よろしく」

「……(むじな)(づか)

「は? むじな?」

「名前! 俺は狸塚っていうんだ」

「珍しい苗字だ」

「けっ。よく言われるよ」


 不機嫌そうに狸塚は中に入っていく。小さな体なのに肩をいからせて入っていくのは少し可愛らしかった。


 教室には生徒がそれなりに来ていた。もう少しすれば全員集まるのだろう。その中にあの黒い髪の少女はいた。


 ぎょっとした顔で相沢天使は裕也を見たが、すぐに目を背けていた。さっき宣言をした手前で実は同じクラスだったということが恥ずかしいのだろう。裕也は気にせず黒板に張り出された席順に沿って机に向かう。


「げっ」


 狸塚はその真後ろだった。今日二度目のその声に裕也は苦笑した。彼は席に着くと後ろを振りかえっていう。


「よろしく、ムジ」

「変なあだ名をつけるな!」


 ぐるると獣のようにうなる彼。それを見て笑い声がした。裕也たちの一つ前の席だった。


 青みがかったショートヘアの女の子が振り返る。制服を着崩して胸元のリボンが緩く結ばれている。彼女はにやにやとして、頬杖を突きながら言う。


「君たち。最初から仲がいいね。私も仲間に入れてくれよ。あ、私は早乙女」


 早乙女は立ち上がってにっこりとする。背が高い。すらっとした体つきの彼女に狸塚は気圧されるように黙り込んでしまった。


「あ、俺」

「北島君だろう? 前の席順で確認しているよ。そっちのたぬきづかくんも」

「ムジナヅカだ!」

「ごめんごめん。そんな風に読むんだね。それにしてもこの席順てきとうだね。五十音順ですらない」


 裕也はそういえばそうだなと思ったが、どうでもいいのかとすぐに打ち消した。だがその姿をじろじろと教室の隅から天使が見ていた。



 一日はあっという間に過ぎた。裕也はどっと疲れた気がした。なれない場所は思ったよりも緊張するものだと感じた。その彼をぺしぺしと背中を叩く奴いた。狸塚だった。


「おい、帰るなら一緒に帰ろう」


 思ったより仲良くなった。


 裕也は裕也は「ちょっと約束があるんだ」と言って立ち上がった。ごめんなと手で示して彼は教室を出る。すでに教室には相沢天使はいない。


 屋上に行く道をはどこかわからないが階段を上がっていけばすぐだろうと上っていく。上級生とすれ違う。ネクタイやリボンの色が違うのですぐにわかった。


「あれ。何してんの?」


 リリスが背中を叩いた。ふわっとした甘い匂いがする。


「姉ちゃん……屋上ってどこ?」

「屋上? 何の用があるの」

「女の子に呼ばれた」


 その瞬間だった。リリスが驚いたように目を開いてそれから笑いをこらえた顔をする。


「あんたが、女の子に? 入学していきなり……」


 両手で口元を抑えてリリスはくっくと笑う。それから彼女は彼の背中を押す。


「それなら屋上はこちらこちら。ほらお姉ちゃんがついてってあげるからさ」


 面白半分でリリスはついてくる。裕也も気恥ずかしいが今朝の感じでは天使はそんな風ではなかった。救いに来たという話をされてもよくわからない。彼は階段を上っていくと屋上の手前で体操すわりをしている少女がいた。


 日の光の中でうつむいている黒髪の少女。裕也は話しかけた。リリスはいつの間にか物陰に隠れている。


「何してんの?」

「……いや、その、屋上の扉には鍵がかかっていまして」


 天使の後ろには扉があった。彼女の言う通り閉まっているのだろう。彼女は言う。


「大切な話があるのでできれば人の来ない場所がいいのですよ。でも、どうしよう。閉まっているとは思いませんでした」


 こんなことで落ち込むのはどうかと思うが裕也はリリスに目をやった。白い髪の彼女は手でこいこいと手招く。裕也は天使がうつむいているのを見て階段をゆっくりと降りる。


「ほい」


 リリスが鍵を渡してくる。


(姉ちゃん……なんでこんなもの……たぶん屋上の鍵だよな……)


 深く考えないようにした。


 とにかく裕也は屋上のドアの前に行って鍵を開ける。がちゃりと音がして、天使が「は?」と顔を上げる。


「話って何?」


 裕也が扉を開く。


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