悪人は腹の底で笑う
魔導士であるガイカク・ヒクメの居住地は、街中にはない。
そこからかなり離れた、人が怖がって入らない深い森の奥の……日の当たる、長閑な雰囲気の農村である。
その農村そのものが、彼の家であり研究施設であった。
多くの薬草畑があり、家畜用の餌が育てられていて、資材用の材木が枝打ちされており、さらに多くの小屋が研究所や保管庫として機能している。
実のところ、魔導士や魔術師が見れば『ここは怪しい研究設備だ』と見抜けるのだが、そうではないダークエルフや獣人にとっては意外なほどの普通さだった。
ここは人間の国のただなかであるはずだが、ガイカク・ヒクメ以外の全員が人間ではなく、女子ばかりであり、なおかつ割と普通に農民をしていた。
身分的には農奴に当たるはずだが、作業内容もその忙しさも普通なので、割と気楽そうですらある。
もちろん『一般的な豪農』という範囲の『楽そう』であって本当に何もしなくていいわけでもないし、疲れないわけでもない。
とはいえ、下手をすれば大抵の平民よりも良好な職場環境に見えた。
「それじゃあ改めて、お前たちにはうちのメンバーと施設を紹介しよう!」
ダークエルフと獣人、および先輩たちが集まっている中で、とても得意げにガイカクは説明を始めた。
「まずはこの俺、人間、魔導士、お前たちのご主人様! ガイカク・ヒクメだ! 担当しているのはここ、研究施設だな!」
そこはこの村の中心にあり、二階建ての建物となっている。外観からすればただの『ちょっと立派な民家』にすぎず、二階建てと言っても一階と丸々同じ大きさの二階があるわけでもない。
階段を登ると大して広くない寝室が一つあるだけ、というわりとありがちな家だった。
とはいえ、一人暮らしであることを考えると、かなりの裕福な生活空間と言えた。
なお、その実態は、違法な研究の行われている研究所ではあるのだが。
「違法な魔導兵器の研究開発は、ここで俺一人が行っている! 他の奴は全員立ち入り禁止だ! もしも入ったら、何があっても保証しないぞ! なにせ違法な魔導に関する、危険な実験材料がわんさかだからな!」
目をキラキラさせながら、違法だとか危険だとかいう魔導士。
その姿は、なんとも怖かった。
「まあこの家に入りたいって思ってるのはエルフたちぐらいだがな」
「正しくは、この家に入りたいんじゃないんですよ……今の仕事がただの下働きばかりなので、もっと学問を教えてほしいんです」
「無料で教えることじゃねえっていつも言ってるだろう? たまには気分転換もかねて色々教えてるんだから、それで我慢しろよ。一応奴隷だろ?」
一応奴隷だろう、という言葉がすでに奴隷待遇ではないことの証明にも思えた。
やはり人間の国の世間一般からすれば、ガイカクの奴隷たちは比較的楽な生活をしているらしい。
「まあ……だ。とにかくここが、兵器開発のスタート地点だ。次のところに行こうぜ、ちょうどエルフたちのところだしな」
「はい……あの作業場ですね」
楽し気に説明を始めたガイカクと違って、エルフたちはとても嫌そうな顔をしていた。
おそらく、自分たちの仕事に誇りを持てていないのだと思われる。
※
さて、エルフという種族がいる。
この種族は魔力が高く、最低でも人間の二倍、最上位ならば数十倍は行く。
とはいえ、最上位など本当に少ない。下手をすれば数万人に一人、という希少さである。
五倍ぐらいの者が一番多く、これが『並』となっている。
では二倍ぐらい、最低値の者はどれぐらいいるかというと、数十人に一人ぐらいである。
つまりは『弱いうえで少数派』なのだ。人間の倍あったところで、並の者からしても半分以下なのだから下に見られる。
はっきり言って、エルフの集落では落ちこぼれ扱いだった。
では人間の国ではどうかというと、ハズレ扱いである。
エルフの中では最低値とはいえ、それでも一般的な魔術師の二倍ある。
ならばエリート扱いされているかとおもいきや、そんなこともないのだ。
従業員として雇用するとしても、奴隷として購入するとしても、落ちこぼれをわざわざ選ぶことはない。
そういうことである。
そして、能力的な問題もある。
エルフは、そろって体が弱い。
これは魔力の量と一切関係なく、ほぼ一定値である。
つまり戦場で『最低値のエルフでも魔術師二人分ぐらいは働くだろう』と思っていたら、ちょっと走ったら疲れ果てるとか、石が頭に当たって即死ということにもなりかねない。
それなら人間の魔術師二人を雇うだろう、どう考えてもそっちの方が役に立つ。
並の者、五倍ぐらいあればまあ話は変わる。自力で身を守りつつ攻撃もできる。戦力を割いて守る価値もあるだろう。
というか、それぐらいなければ、戦場に連れていく価値はない。
だからこそ、最底辺のエルフたちは肩身が狭いのだ。
はっきり言って、奴隷としての価値も低いのである。
お前売れねえなあ、買うんじゃなかったぜ。
最底辺の奴隷商からそんなことを言われる、彼女たちの気持ちや如何に。
「てめえらだって、魔力なら私たちの半分以下なのによぅ……!」
エルフにあるまじき呪いを吐きながら、彼女たちは職場へと案内した。
そこはエルフたち二十人が働いている、というにはかなり大きな職場であった。
機械化されていない工房を想像すれば、だいたい合っている。
いくつもの竈があったり、調理器具にも見える刃物があったり、あるいはすり鉢や大きな鍋もある。
厨房にも見える、というか厨房としても機能するに違いない。
「はあ……ここは私たちの職場、兵器工房です。ここでは様々な薬品が調合されたり、あるいは砲塔や魔法陣の作成も行われています。先生の考案した兵器を実際に作ってみる場所、と思えば合っています。試作品なども多いですが、効果が証明された兵器の量産も行われています」
「私たちもここで働いてますよ~~!」
「……ああ、ゴブリンたちは、研究施設以外のどこでも働いています。彼女たちも私たちよりは力があるので、力仕事や雑用などを……まあ正直有難く思っていますね」
そう言って、エルフの一人が砲塔のひとつを触った。
木製のそれには、中央部に穴がない。
表面に魔法陣……文様が刻まれており、それが本体となっている。
「正直に言って……あんまり楽しい仕事ではないのです。戦場でごっそりと魔力を持っていかれるのも嫌ですけど、ここで地道に同じ仕事を繰り返すのも……はあ」
「仕事ってそういうもんだぞ」
薬品の加工や魔法陣の刻印は、魔力を要する作業も多い。
そのためエルフたちは比較的優秀な『魔導土方』であった。
楽しいとは口が裂けても言えない。
「……先ほども言いましたが、先生から魔導について教えてもらうことがあります。それはとても楽しいですよ」
「よく知っている奴の方が、指示もしやすいからな。息抜きにもなるし、たまにやるとこいつらの士気も上がる」
「……魔導はいいですよ。魔力が乏しくとも、忍耐と研鑽があれば大きなことができる。成功しなかったとしてもそれには原因があり、それを理解すれば成功に至れる」
エルフたちは、そろって誇らしげになった。
「私たちはどう努力をしても、凡人にも勝てない。その努力に、大した意味はない。でも魔導なら……努力すれば成果につながります。努力するほど前進していくのは、とても達成感があるのですよ……」
そしてチラチラと、ガイカクを見つめる。
「なのでもっと教えてほしいなぁなんて……」
「お前たちは覚えがいいからなあ……基本は覚えてくれたし、頻繁にやらなくてもいいかなって……」
「……前進したいです」
勉強もまた、一種の労働に他ならない。
仕事の種類を増やしたがるのだから、よほど好きなのだろうと察せるものがあった。
まあ、好きなことだけやれるわけもないのだが。
※
さて、オーガたちの担当する建物、素材工房である。
伐採場や畑などで採集された素材を一旦加工する場であり、兵器工房に持ち込まれる素材はここを経由することになる。
オーガが作業すること、持ち込まれる素材の大きさもあって、とんでもなく大きな工房であった。
一階建てではあるが、天井がとても高い。それこそ二階建て、三階建てほどもあった。
「私たちは普段、ここで働いてます。私たちは力があるので、ゴブリンさんたちは兵器工房と逆に細かい作業を手伝ってくれています」
その中は、やはり工場だった。
とても広く、整理されていて、しかし大量の工具が設置されている。
「……私たち、ここで作業していると思うんですよ。やっぱり人間二人分でも役に立つって、役立たず扱いされるのは納得できないって」
「まあ評価するのは他人だからな、それに平均以下なのは事実だし」
「……そうですね」
闇を見せるオーガたちだが、ガイカクからの真実を照らす光に対抗できなかった。
「獣人たちには、平時においてここで働いてもらう予定だ。ゴブリンたちはもう、ここでは働かせない」
「……わかりました」
獣人たちは、その提案を受け入れた。
エルフのような魔力を要する作業よりは、故郷でもやっていたような大工仕事のほうが好ましかった。
平時、と言われたのも大きい。ずっとこの仕事をしていろと言われたら、反発していた可能性がたかかった。
「ではその分のゴブリンたちは、兵器工房に来るのですか?」
「いや、畑を増やしたいからそっちを任せるつもりだ。あとは……ちょっと労働時間の見直しだな。ゴブリンたちはよく頑張ってくれているし、仕事をちょっと減らして休憩時間を多めにしたい」
「……エルフよりもゴブリンへの配慮が行き届いていく」
奴隷の主が垣間見せたやさしさに、エルフは涙を禁じえない。
※
「でだ……ダークエルフたちにはここでの仕事を任せたい」
ガイカクの拠点、その端にある岩壁。そこには、深い洞窟があった。
真昼であるにもかかわらず、常人の目には奥まで見ることができない。
だがダークエルフたちには、かなり奥まで見渡せるようである。
「こ、ここで何をするんですか?」
「最終的には、ここで暗所専用の素材を育成したい。具体的には、暗いところでしか育たないコケとかキノコだな。だがまだその前段階だ、まずは整地を頼む。足元をきれいにしないと、運搬とか面倒だしな」
「……はい」
奥が見えないほど暗い洞窟、その内部の整地。
それは道具を渡されたとしても辛いだろう、ダークエルフたちは早くも嫌な気分になっていた。
「でだ……平時での仕事はここまで。戦う時の役目と、それに備えての訓練について話そうか」
邪悪に笑うガイカク。それを見てダークエルフたちはさらに怯え、獣人たちは期待で獰猛な顔になっていた。
※
ガイカクは定期的にボリック伯爵の下を訪れている。
その時に仕事をもらって対応を行うのだが、ごくまれに『すぐ来い』と命令されることもある。
ガイカクが違法魔導士であることさえ知らないボリック伯爵ではあるが、その彼の視点においてさえ怪しげな男を呼ぶのはいいことではない。
つまり……それだけ急ぎの案件ということだった。
ガイカクは配下へいつでも出陣できるように準備しておけと命じてから、ボリック伯爵の下へと向かった。
城で彼を待っていたボリックは、やや興奮した様子で文句を言う。
「遅いぞ、ガイカク・ヒクメ。雇い主がすぐに来いと言えば、すぐに来るのが道理であろう」
「お許しください、伯爵様。このガイカク、伯爵様の迷惑にならぬよう道を選んでおりましたので……」
「ふん、まあいい……私は寛大なので、許してやるとしよう」
そう言って、ボリックは数枚の人相書きを渡してきた。
それには顔と名前が書かれており、まさに手配書である。
「この兵士たちを討ち取ってこい。もちろん可能な限り顔を無事にして……欲を言えば先日のエルフのように、五体満足でな。アレについては……ああ、本当にお褒めの言葉をいただけた」
「さようですか……伯爵様がお喜びならば、それに勝るものはありません。しかしながら非才な私では、お約束は……」
「よい。先日とはちがって……そこまで重要でもないのでな。たかが一兵士と、その取り巻きが犯罪者に落ちただけのこと。無理なら無理でかまわんさ」
「……?」
ガイカクは伯爵がここに呼びつけた理由も、こんなにも上機嫌である理由もわからない。
緊急性の低い仕事なら、伯爵にとっても危険となる呼び出しをする理由がなかった。
「……」
(なんか聞いてほしそうだな……)
どうやら私情的な理由であるらしい。
ガイカクはやや呆れつつ、接待モードで話しかけた。
「伯爵様……なにやら浮かれているご様子。よろしければ、私めにもその喜びを分けてくださいませぬか」
「うむ? この私が喜ぶようなことを、お前に教えろと? 弁えぬ男よなあ……」
(自慢したいくせに……)
「まあよかろう……本来口外無用だが、お前に知られたところでなんということもない」
彼はとんでもないほどの大声で、体を揺らしながら叫んだ。
「この、私に!」
(大声でいいのか?)
「この! 私に! このボリック伯爵に! 王家からお声がかかったのだ!」
(まああのエリートエルフを五体満足で死体にすればなあ……)
「騎士団に、騎士として、魔術師として参加しないかとな!」
望外の喜びであるとばかりに、全身で歓喜していた。
「まさかこんな日が来るとは……信じられんよ」
「伯爵様の働きが知られれば、当然かと……」
「うむ、だがそれは幸運をつかんでこそ。いかに才気があれども、運が無ければ埋もれるだけよ……」
実力がない者ほど言いそうなことを、実力のない男が口にする。
なんとも笑える状況に、ガイカクは思わず笑いかけた。
いや、笑ってはいいのだが、爆笑してはいけなかった。塩梅が難しいところである。
「では名残惜しいことですが、私との縁もそれまでですなあ。私のごときものと高貴なる騎士様が頻繁に会えば、それこそ足を引っ張ることになりましょう」
「ふん、もうすでに騎士となることが決まったかのような物言いだな。確かに騎士となることは名誉だが……私には伯爵としての職務がある。そうそう動けんよ……」
(まあさすがに実力がないってバレるしな……そういう口実で断るわな)
伯爵はガイカクの手品を理解していないが、それでもさすがに自分に実力がないことは把握している。
そして自分の手品師であるガイカクが、騎士よりもはるかに劣ると知っている。いや正しく言えば、こんな奴が騎士よりすごいと嫌なので、劣っていると信じている。
そのため、手品を披露すればバレるだろうとわかっていた。
「とはいえ、名誉なことではある。私が喜ぶのも当然だろう」
「ええ、おっしゃる通りでございます」
「ではこの件が片付き次第、また報酬を渡してやろう。今後もな」
「へへぇ」
へりくだるガイカクを見て、伯爵は邪悪な笑みを見せた。
(安い金で使われる……日陰者は哀れなものよのう……)
(とか思ってるんだろうな、このデブ)
なお、ガイカクも同じように邪悪な笑みを浮かべている。
(俺はアンタの領地にいるのに、一文だって納税していない……それがどれだけ俺の得か、わかってねえんだろうなあ)
ガイカクが広い土地を占拠し、なおかつ多大な財産(奴隷も財産)を築いていられるのは、伯爵から高額の報酬を受け取っているだけではなく、単に納税していないからである。
あくまでも結果的にではあるが、伯爵は報酬の中抜きをしている以上に脱税されているので、ものすごく損をしているのだ。
(アンタに顔が利くおかげで、俺は楽をさせてもらってるぜ。きひひひ……今後も太ってくれよう、伯爵様!)
次回は12:00投稿予定です。