伝える力、受け取る力
ガイカクはまだ改良の済んでいないライヴスに乗って、配下を率いて道を走っていた。
最大速度こそ大したものではないが、やはり一定の速度を常に保てることは強く……。
奇術騎士団の先行部隊は、二日後の昼にはディケスの治める森へ到着していた。
「……うげえ」
「ああやだやだ……せっかく最近は他のエルフと会わなくてすんでたのに……」
「否が応でも、底辺だってことを思い知っちゃう……」
「それはいつも俺が言ってるだろうが」
「他の種族から言われるのと、自種族に囲まれて肩身が狭いのは、また別なんですよ……」
「いいから行くぞ……結局のところ、今回は一方的な被害者だからな」
砲兵隊から不満の声も出ていたが、そんなことをしている場合ではない。
既に立てこもり事件が始まってから、五日も経過している。
可及的速やかに、事態の解決を図らなければならなかった。
森の外にその車を止めていると、そこにこの森のエルフたちがやってくる。
全員が物々しい雰囲気をしており、厳戒態勢にあることを示していた。
「貴殿らが、救援の騎士団か……その紋章、奇術騎士団……アヴィオールを討った者たちか」
「……」
「違うのか?」
「いえ、その通りです」
ちょっとポップなデザインの隊旗は、ちゃんとライヴスのボディにも描いてある。
だがそれで識別されると、ちょっとセンチな気分になるガイカクであった。
しかしそんなことを考えている余裕はない。ガイカクは早々に気分を切り替えた。
「森長のディケス殿へ、早々にお会いしたい」
「はい! ディケス様も、貴方様をお待ちしておりますので……さあ!」
ガイカクたちは騎士団ということもあって、早々に森の中へ案内された。
普段であれば他種族の侵入にはそれなりに身分証明などの手間をかけるのだが、今は一周回ってそれどころではなかった。
凶暴なリザードマンが暴れたとあって、森の中にある建物は痛ましいほどにボロボロだった。
復旧作業も始まっていたが、まだ事件が解決していないこともあって、雰囲気はとても暗い。
ほどなくして、ガイカクたちは大きな建物、エルフの防衛隊本部についていた。
さすがに全員入る意味もないので、ガイカクだけが中に入っていく。
残された者たちは少々の視線にさらされていたが、そこに厭らしさはない。
むしろ期待さえ感じて、目を輝かせていた。
(居づらい……)
なお、本人たちは最底辺の模様。
その期待に応えられるだけの実力はないので、居づらそうにしていた。
唯一その期待に応えられる男は、防衛隊本部の作戦室に入る。
そこには血走った眼をしている、腰に細身の剣を下げたエルフの男性がいた。
エルフは非力な種族であるため、細身であっても鉄の剣を使えるということは、それだけ鍛錬を積んでいるということ。
その実力は、察するものがあった。
「この森を治める長のディケスだ……この度は救援に来てくださり、感謝の念に堪えない。まさかこれほど早く来てくださるとは……」
「お初にお目にかかります。奇術騎士団団長、ガイカク・ヒクメにございます。本来であれば古来の礼に則って挨拶をするべきでしょうが……今は事件解決を最優先にすべきかと」
「違いない……!」
ディケスは血走った眼をさらに燃え上がらせて、その細く小さい手を震わせていた。
「早く来てくださった、というのは嘘ではない。だがこの数日……一秒が一年に思うほどであった……!」
「ご息女が危機的な状況なのです、当然かと」
「呪わしいのは、何とか出来た、と思うからこそだ! 私がもっとちゃんとしていれば、そもそも奴らごときに森を荒らされることはなく……!」
「ディケス殿」
ガイカクは、フードを取った。
そこにいるのは、人間の顔だった。
とても冷静で、気品があり、知性のあふれる顔だった。その眼は、ただまっすぐ見つめてくる。
その彼を前にしていると、取り乱している己を恥じる気持ちがわいてくる。
「呪うのは、後にしましょう。責任や進退を民へ問うのは、まだ早いはず」
「……そうだな、申し訳ない」
彼が落ち着くところを見てから、ガイカクはフードを被りなおした。
「よろしければ、御屋敷の地図と、わかっていることを教えていただきたい」
「そうだな……屋敷の見取り図と、地図をお見せしよう」
とてもシンプルな地図が、会議室の机に広げられた。
それはお屋敷の周辺地図と、そのお屋敷内部の簡単な図であった。
「端的に言えば、私の屋敷は広場の中心にある、と思ってくれ。周囲には木も家もなく、近づけばすぐわかるようになっている」
「エルフの森にしては珍しい場所ですな」
「だからこそ、特別な家だった……それが呪わしく思う」
何か遮蔽物でもあれば、と思わないでもない。
だがそんな『たられば』に、何の意味もなかった。
「屋敷だが……基本的に円形だと思っていい。どの部屋も窓があり、中をある程度見れるようになっている。だが……中央の広い茶室だけは、窓がない。そしておそらく、娘と侍女はそこにいる」
「……敵の人数は」
「五人だ……一人二人の差はあるかもしれないが、それぐらいだ」
「唯一のいい情報ですな」
当然だが、抜け穴だのパニックルームだの、非常用の脱出手段などない。
そんなものがあれば、とっくに事態は解決している。そもそも騎士団を呼ぶこともない。
だからこそ、一々言うこともなかった。
「何か要求は?」
「いや……近づこうとすれば、威嚇してくる程度だ。既に奴らには手傷を負わせてある、それが治るまで粘るつもりだろう。屋敷の中には食料の備蓄もある……リザードマンでも、食べられないわけではないからな」
「……傷が治った後、どうすると思いますか?」
「娘たちを体に縛り付けて、逃げ出すつもりだろう……そうなれば、もうどうあっても助けることはできない!」
ふるふると震える姿を見て、ガイカクはしばらく黙った。
彼の理性が、自力で立ち直る時を待ったのだ。
「リザードマンの生命力は強い。止血をして栄養を取り、日を置けば体力と共に大抵の傷がふさがる。もう猶予はないと思っていいだろう」
「慧眼ですな……私もそう思います。いえ、奴らは他に打てる手がない」
まさに膠着状態ではあるが、だからこそ敵の手は限られている。
こちら側の戦力が圧倒的に上回っており、だからこそ相手は人質をとり、それを殺すことができずにいた。
「忌々しい、バカはバカなりに知恵が回る!」
「……」
「私は夢の中でさえ、できることを考えていた。だが何一つ思いつかない……ガイカク卿!」
ここでディケスは、泣きそうな顔を見せた。
男として父として、涙をこらえている目だった。
「かのアヴィオールを討った実力と……いかなる事態も手品のように解決するという腕前……なんとかしていただけないでしょうか?」
ここで問題なのが、奇術騎士団の主力たる『灯点誘導魔力攻撃』が一切使えないことである。
なぜならあの攻撃は役割や負担を分担しているだけで、一流のエルフの攻撃と大差がない。
リザードマンはそれを警戒しているため、結果としてその狙撃が通じないのだ。
もちろん状況次第ではできなくもないが、リザードマンに対応した魔力攻撃では、流れ弾が当たる可能性を考えると使えない。
「はっきり申し上げますが」
だがそれでも、ガイカクには考えがあった。
ここに来るまでの一日で、何とか策を練っていた。
「確実に助けられる、という策はございません」
「賭けになると……?」
「ええ、まずは聞いていただきたいのですが……」
ガイカクは手順を話し始めた。
それはとても大雑把でいい加減で、なにより人質の命を危険にさらすものだった。
到底、自信をもって勧められるものではない。
「……それで行きましょう」
だがディケスは、その意見をそのまま受け入れた。
その顔には、理性的なものがある。だからこそ逆に、不安な要素が多かった。
「良いのですか?」
「構わない。どのみち私どもでは、強引に行くしかなかった。助かる可能性がある分、貴殿の策の方がよい。いや……というよりも、ここまで不利な状況で、人質を確実に奪還できる策などない。あり得ない」
ディケスの決断は、自棄と理性の混ざったものだった。
実際のところ、この条件で『絶対に成功する作戦』などあるわけもない。
「そして……仮にこの作戦の結果がどうであれ」
ディケスは、責任のありかをはっきりさせた。
「貴殿に責任はない」
「それは、違います」
だがそれを、ガイカクは否定する。
「私が派遣された以上、それは通らない。騎士団は無責任な集団だと、おっしゃるのなら別ですが」
「……そうだな、申し訳ない。貴殿と私の共同作戦だ……訂正させていただくよ」
ディケスは頼るべき相手を、援軍を求めていた。
ならば責任がないとは、言えるはずもなかった。
※
リザードマンたちの療養は、外の者たちが思うほど芳しくはなかった。
なにせ敵に囲まれているのである、そうすやすやと眠って休めるわけもない。
また栄養状態も十分とは言いがたい。なにせエルフの食糧と言えば、脂身がないのだ。
リザードマンたちからすれば、ダイエット食品を大量に、無理やり食べているようなものである。
それでは傷の治りがいいわけもない。
彼らはぶつくさと文句を言っていた。
「ああもう……なあ、表のエルフどもに『肉よこせ!』って言わねえか?!」
「俺がエルフなら、それに遅効性のしびれ薬でも混ぜるな。それで効いてきたころ合いに襲い掛かってきて、袋叩きにするぜ」
「うっ……ちくしょう!」
若きリザードマンたちは、バカなりに学習していた。
追い詰められたからこそ、慎重になっている、ともいえる。
悪事を働く前に慎重になっていれば、こんなことにならなかったであろうに。
まったく、愚かというのは双方にとって嫌なことである。
「……一応聞くけどな、人質はどうしてる?」
「ああ、真ん中のデカい部屋に閉じ込めてるぜ。口枷を咥えさせてるから、全員おとなしくしてるよ」
「まったく、表のエルフもそれぐらい賢ければいいのになあ!」
追い詰められているのは彼らも同じだった。
だが助かる見込みがあると信じて、時が経つのを待っていた。
彼らにとっても、この籠城戦は忍耐を要するものだったのだ。
その忍耐を削るかのように、外から音が入ってきた。
騒音とかではない、楽曲である。多くの楽器を使った曲が、外から聞こえてくるのだ。
「……な、なんだあ?!」
「おい、表を見ろ! 一応言うが、狙撃に気を付けながらな!」
「わかってる! カーテンをちょいと開けるだけだ!」
かなりの大音量であったため、リザードマンたちは慌てる。
一体何が始まっているのかと思って、外の様子をうかがった。
するとそこには、他でもないディケスが立っていた。
彼の背後にはオーケストラのような楽団がおり、全員で楽器を鳴らして、曲を奏でている。
「聞くがいい、リザードマンよ! お前たちに提案を持ってきた!」
その曲が収まると同時に、ディケスが声を張り上げる。
「どうか、私の娘だけでも解放してほしい! 代わりに私自身や、私の妻を人質として差し出そう! 決して悪い話ではないはずだ!」
屋敷からかなり離れている彼の声は、リザードマンたちにも聞こえていた。
それこそ、よほどの大声を出しているのだろう。
その言葉からは、真剣さと芝居が、同時に感じられた。
「どうする?」
「どうするもこうするもねえだろう」
「そうだな……ふざけんな! 次に来たら、お前の娘をぶっ殺すからな! とっととどっか行け!」
それに対してリザードマンは、顔も出さずに叫んで対応する。
「ぬぅ……撤収!」
ディケスは忌々しそうに、楽団へ撤収の指示をした。
エルフたちは速やかに離れていき、この屋敷に静寂が戻る。
リザードマンたちは一息ついて、呆れていた。
気持ちはわからないでもないが、呑むわけがない話だった。
「まったく、なんの騒ぎかと思ったら……あほなことを言いだしやがって」
「よっぽど娘が可愛いんだろうな……そうでなけりゃあ、あんなことを言うわけがねえ」
「やっぱり、あの娘が生命線だな。何があっても逃がすな……殺すなよ?」
「わかってるよ!」
リザードマンたちは、ディケスの娘、アスピの価値を再確認していた。
やはり彼女がいる限り、自分たちはまだなんとかなる。
安心材料を得たかのように、彼らは表情を緩めていた。
そして、そのリザードマンたちと同じ屋敷にいる、中央の部屋に閉じ込められた娘たち。
アスピとその侍女たちには……父であるディケスの声は届かなかった。
さすがに部屋を隔てれば、声が聞こえなかったのである。
だが、肝心なものは届いていた。
そう、内部へ作戦を伝えるという目的は達成されたのだ。
「お嬢様、今の『曲』は……わかりますね?」
「ええ、で、でも……! でも!」
「お嬢様、お父様を信じてください。そして私たちのことも……!」
アスピは震えていたが、侍女たちはもう震えていなかった。
自分たちが何をすべきか、すべて理解したがゆえに。
「私たちが、貴方をお守りいたします!」