君たちの人生に贅沢な悩みをプレゼント
幸福っていうのは、環境も大事ですが考え方も大事ですよね。
カドケイタ侯爵の治めるカドケイタという街がある。
ライナガンマよりも小さいが、それでもかなり大きな街である。
この街には多くのエルフが務める工房がある。
近年奇術騎士団の活躍によって魔導研究の需要が上がったため、それに応える形で作られた工房だ。
この工房では純度の高い純水や、中和目的の薬剤が作られている。
魔導研究で使用される器具の洗浄や、魔導廃液の中和に用いられている。
いうまでもなく、まったく完全にホワイトである。
労働時間、労働内容、労働強度、報酬、休日、社員寮。
どれをとっても合法だ。それも最低限ではなく、労働強度相応の額である。
そう……この労働はそれなりに辛い。
作業自体は単純なのだが、間違っても体毛や体液が混入しないように、自分たちから薬品を守るという目的での防護服が義務付けられている。
これは嫌がらせではなく魔導的根拠のある、純粋に必要な装備である。
エルフである彼らにとっては負担になる動きにくい服装だが、だからこそ彼らにはしかるべき報酬が与えられている。
少なくともここで働く彼らは、これよりいい仕事に就くことはできない、と思っていた。
こう言っては何だが、合法、ホワイトというだけで価値が高い。
安定した、一切後ろめたいことのない仕事、というのは理想的だ。
税金を納めたうえで少しは貯金できて、たまには豪華な食事ができる。
睡眠時間、休日も十分だ。
ーーーまあそうでもないと死ぬのがエルフなのだが。
ともあれ、この工房で働く何十人ものエルフは、ある『カテゴライズ』によって集められている。
そのカテゴライズに属する者たちは基本的にあまり裕福ではないため、学習に十分な予算を割くことができない。
一部の例外はいるが、基本的に今以上の仕事に就くことはできないのだ。
彼ら彼女らはそのように諦めていた。
この世の中なんてそんなものである。
人生なんてものは、生まれたときにもう決まっている。
裕福な家に生まれなければ、地道な労働に人生をささげるしかない。
だがエリートが生まれれば話が違う。
自分がエリートである場合もそうだが、家族からエリートが生まれた場合もそうだ。
希少で強力な個体は、相対的に弱い側であっても出世が見込める。
それだけエリートは希少であり……望むのが空しくなるほどの幸運だということだ。
だからこそ今日を、合法的に生きられることに感謝して、上を目指すことを諦めて生きていくしかない。
もともとこの世界はそういうものだ。
そうやって妥協できていたところに、時折劇薬が放り込まれてくる。
『俺は奇術騎士団に協力して、動力付き気球を作ったのさ』
設備のメンテナンスを担当している凄腕ドワーフたちが、エルフたちに自慢をするのだ。
一応補足しておくが、彼ら自身はそもそも凄腕の鍛冶職人である。
だからこそ騎士団に協力していたということにも説得力はあるが、基本的には他人事だ。
仮にこの場のエルフたちが騎士団に協力することがあったとしても、大したことはできないのだから。
『見ろよ、この金属板に写された写真を。俺たちは本当に動力付き気球を作れたんだぜ』
『他の工房の奴らもすごかったが、俺たちの作った気球の方がすごかった……!』
『他の親分も言っていたが、あと何百年かすれば、世界中で飛行する機械が作られるようになる! そうなったらドワーフの時代だ!』
『ま、それまでは……まあ、ろくに仕事もないだろう。腕がある俺たちでも、奇術騎士団に雇われたってハクがなきゃ、この仕事にもつけなかったしな』
『まあでもよ、今から俺たちドワーフを確保しようって考えているお偉いさんもいらっしゃるらしいぜ。全員が救われているわけじゃねえけど、まあマシだ』
そんな凄腕でも苦労しているのだ、と思うと少し幸せになれた。
やはり運だ。
人生は運が重要だ。
少し前までは、ドワーフはドワーフというだけで価値があった。
鉱山で働くのは彼らと決まっていた。
だが鉱山が枯れて新しい鉱山が見つかっていない今、彼らは働き口を失い苦労している。
それに比べれば、自分たちはまだ幸運だ。
そう思うことができるのは、わずかな時間だった。
『でだ……奇術騎士団は噂通り、変なところだったぜ。騎士団って言えば、全員がエリートだろ? 従騎士もいい生まれのお騎士様だ。だがあそこだけは違った』
『従騎士、じゃなかった、歩兵隊はさすがに普通の人間だったが……他は全種族が底辺の数値しかなかった。俺たちと同じドワーフもいたが、鉱山が生きていた時代も雑用やってたやつらだったよ』
『騎士として戦えるわけねえだろ。あいつらは仕事……奇術騎士団の手品を作る仕事をしていたのさ。お前たちと同じエルフと協力してな』
『……そうだ。あいつらは噂の奇術騎士団団長、ガイカク・ヒクメから仕事を習ってるのさ』
『羨ましいもんだ。ウチの棟梁だって『あの兄ちゃんから仕事を教われるんなら何でもするぜ』とか言ってたのに、あの姉ちゃんたちはいつもそれをやってるんだぜ。エルフ……砲兵隊もそうなんだとよ』
『ああ? もちろん全員がお騎士様だぜ。パーティーだとかパレードだとかにも主賓扱いされたんだと』
『まあそりゃそうだわな。奇術騎士団の工員とか、そりゃもう雲の上の人が崇める神の眷属様だぜ』
『俺たちもなりてえな~~。奇術騎士団の団員』
彼らの人生に希望のルートが生じてしまった。
これから先、どうやったって絶対に叶わないはずの夢が叶うルートがあると知ってしまった。
いや、実際にはあると聞いてはいた。
その保証がされてしまったのだ。
ガイカク・ヒクメの部下になれれば、仕事を教えてもらえる。
騎士として周囲から尊敬と賞賛を集められる。
なにより、それにはエリートである必要がない。
彼は奴隷にすら己の知恵を与え、仕事を授けているという。
もしかしたら、自分たちもなれるかも?
そんな希望が胸の内に生じてしまった。
この生活で満足していたエルフたちは、諦めきることができなくなった。
悪いことに、ドワーフたちは定期的にメンテナンスを行う。
彼らはここに来るたびに自慢話をするのだ。
『聞けよ! この前にヒクメ卿がまた気球を作ったんだよ! 基本的には前と同じ型だったんだけどよ、前回の成果を元に改良できたんだぜ!』
『今回のは教習用でも強襲用でも観覧用でもないけどよ、その分俺らに調整を許してくれたんだ!』
『やべえよ……改良型の気球を妄想していたら、それを実際に作れたんだぜ!?』
『上手くはいかなかった、前より悪くなっていることもあった。だけどよ……それって新しい改良点が見つかったってことだぜ!? 問題点があるってことは、何が問題なのか知れたってことだぜ!?』
『次、次の機会があったら、それを改良できるってことだぜ!? それまで改良型を考えられるってことだぜ!?』
『でよ~~! それを見ていた動力騎兵隊の奴ら……わかる、ってどや顔をしてきたんだ! あああああ~~! ムカつく! あいつらはいつもそれをやってるんだぜ!? 代わってくれ!』
ドワーフたちの自慢話は、時折アップデートされて報告される。
彼らの話はあまりにもクリエイティブだった。
ーーー人は時に単純労働をバカにする。
実際には単純労働も立派な仕事であり、決して馬鹿にされるべきではない。
むしろ単純労働に従事する者を侮辱する者こそ侮辱に値する愚か者だ。
だがそれはそれとして、単純労働が辛いことは事実だ。
辛いことをやっているから偉いのだが、偉いと言われてもうれしくはないのだ。
クリエイティブな仕事をしたうえで称賛されたい。
エルフたちの中に夢が蘇ってしまった。
目の前に実例があって、その実例がルートの実在を保障している。
そして少し街に繰り出せば、今も奇術騎士団を称える声が溢れている。
彼らにとって、観測できる世界中のすべての人が、同じ夢を持ってしまっている。
むしろ推奨されている。
親は子供へ奇術騎士団に入れるぐらい勉強すればいいと教え、親方は奇術騎士団からお声がかかるぐらいの腕前になれと唾を飛ばし、一般兵たちは奇術騎士団からお声がかかるように奮起している。
誰にでもチャンスがある、と思っている。
奇術騎士団団長以外の全員が替えの利く存在だと知っているからこそ、その席を求めてやまないのだ。
その席が、増やそうと思えば増やせるのだからなおさらに。
奇術騎士団は普通の騎士団の倍ほどの規模がある。
これはその気になれば増やせるということだろう。
そのように焦がれていた彼らの前に、奇跡が訪れるのだった。
※
カドケイタ侯爵や工房長、他にも多くの人々やエルフが工房に集まっていた。
上流階級であるはずの彼らは、そわそわしながら作業員を集め、主賓を迎える準備をしている。
整備を担当しているドワーフやエルフの作業員が何事かと思っていると、騎士団旗を掲げる集団が現れた。
「どうも、工房の皆様。奇術騎士団団長、ガイカク・ヒクメでございます」
「あああああ~~! アンタ、騎士団長サマじゃねえか!」
「おや、ゲンノウ工房のドワーフ殿ではありませんか。いつぞやは私の気球製作に協力してくださりありがとうございました。今後もお声をかけさせていただくこともあるかと……その時はよろしくお願いしますね」
フードを被った、紳士的なふるまいの人間男性。
ドワーフたちが何度も会っことがある、奇術騎士団の団長、ガイカク・ヒクメであった。
「今後もなんて、よそよそしいぜ! 何時でもどころか、今からだってお役に立つぞ!」
「それは頼もしい。ですが今は皆様だけではなく、他の作業員の皆様へ感謝の意を伝えたいのです。今はどうかご容赦を」
「……普段とずいぶん態度が違うじゃねえか」
「今回は真剣な場ですので」
彼は二十人ほどのエルフを引き連れていた。
全員が若い女性であり、見るからに魔力が乏しかった。
おそらくエルフとしては最低値の雑魚だろう。
だが全員がオーダーメイドであろう高級な服を着ていた。
全員が違う服、それぞれが最高級の服を着ている。
肌や髪そのものも最高の状態である。
それこそお姫様のような姿だった。
彼女らは淑女のようにニコニコと微笑みながら並び、同じエルフである作業員たちを見ている。
何度も何度も予行練習したかのように、笑顔を張り付けていた。
そんな彼女らも主賓側だった。
最上級の敬意を貴人たちから向けられている。
貴人たちが彼女らをもてなしているのだ。
「改めまして……カドケイタ工房の皆様。どうも初めまして。私は奇術騎士団団長、ガイカク・ヒクメでございます」
その敬意の根源が作業員たちにへりくだっていた。
「皆様の生産されている純水や中和薬は私どもも使用させていただいております。とても高品質な上に大量の納品に感謝しております。これには皆様の不断の努力あってこそでしょう……厳しい生産管理がどれだけ辛いのか、私どももよく知るところです」
砲兵隊であろうエルフたちは、ニコニコしながら頷いていた。
「貴方達のような作業員がいらっしゃるからこそ、魔導技術は成立するのです。どうか今後も尽力をお願いします」
うやうやしく頭を下げるガイカク。
それに倣い、砲兵隊もそろって頭を下げた。
うれしい、うれしいが……。
この場の作業員であるエルフたちが求めている言葉は出なかった。
否、一滴だけ漏れていた。
「……おや、もしやそこにいらっしゃるのはディケスの森のトゥレイス殿では?」
「は、はい! 覚えていてくださったのですね!」
「もちろんです! あの森の任務は、私にとって苦いものでした……当時のことは昨日のように覚えているのですよ」
作業員の中に名前を憶えられている者がいた。エルフの若者であった。
ガイカクはニコニコと笑ったまま彼に近づき、対等な目線で話をしている。
「で、では、私が伝えた言葉も覚えていらっしゃいますか?」
「もちろんです。確かに貴方はとても優秀な方でしたね」
「おお……!」
「私どものところに納められる薬品が高品質なのも、貴方のように素晴らしいエルフがいらっしゃるからでしょう」
ガイカクは鉛のように甘い毒を言葉にして届けていた。
「どうか今後も、魔導の未来にご協力ください」
「あ……」
「それでは失礼します。この後も予定が入っておりますので……」
ガイカクはあくまでも礼儀を崩さず、作業員たちのもとから去っていった。
そのすぐ周囲に貴人たちが集まった。雲の上の人々は雲の上に帰っていく。
この後の予定……きっと素敵なパーティーなのだろう。
砲兵隊のドレス姿を見れば、そうとしか考えられない。
きっと夢にも描けないような、素敵で豪華なパーティーなのだろう。
そこでも最高の主賓として歓待されるに違いない。
「ほらお前たち、作業に戻れ。もちろんノルマは普段より少なくていいから、普段と変わらない品質で頼むぞ」
工房長は普段通りの態度で作業員たちへ指示を出す。
日常が一気に戻ってきた。
何の変化もない日常が続行した瞬間だった。
明日も明後日も同じことを続けるのだ。
幸せなはずの生活を不幸に感じる人生が……少なくとも当分続くと確定した。
淡い期待を維持させておくことこそが、最高の報復だと知らぬままに。
彼らは今後も何気ない幸せが与えられつつ、それに満足できない環境も与えられ続けるのだ。
※
工房から去った奇術騎士団の進路から、南国の怪鳥の叫び声のような笑いが長時間聞こえてきたが……。
その発生源はようとして知れない。
この後砲兵隊は地面にのたうち回りながら大爆笑し、せっかくのドレスを台無しにしてガイカクから怒られました。
でも彼も最後には笑顔で優しく許したそうです。




