気球が山に登る
ドワーフ。
人間より背が低いものの屈強な体をもち、頭が悪いわけでもなく手先も器用。
鉱山夫として優れた種族であり、古から多くの鉱山を掘り尽くしてきた。
結果、鉱山が尽きた。まあそうなるよね。
鉱物を食べているわけではないが、採掘は飯の種。
しかも大勢のドワーフを食わせていく素晴らしい仕事だったのに、それが無くなってしまったのだ。
仕事なんてものは選ばなければいくらでもあるが、なまじ手に職があると難しい。そもそもドワーフはかなり頑固なので、そのあたり柔軟な対応が難しかったりする。
もちろん、全ドワーフが失業したわけではない。
鉱山夫以外にも鍛冶屋などを営むドワーフはいる。
言うまでもなく(通常の意味での)エリートであり、ドワーフ全体からすれば憧れの仕事だ。
彼らの仕事は鉱山が枯れてもなくなることはない。
彼ら自身は困らないのだが、彼らにも鉱山夫をやっていた親族などがいるので、何とかしてやりたいと思うわけである。
そうして今回。
豪傑騎士団のスポンサー兼主取引先であるドワーフの鍛冶屋を通じて、多くのドワーフが集まり気球を制作することになったのである。
※
奇術騎士団本部、ガイカクの作業部屋。
とはいってもガイカクの作業部屋は多くあり、作業内容によって部屋を使い分けている。
つまり彼一人で多くの部屋を占拠しているのだが、研究開発は奇術騎士団の生命線であるため、誰も文句は言わない。
現在彼がいる場所は、製図用の作業部屋である。
とうぜんながら部屋の主役は製図台であった。
天板が斜めになった、机と一体化した定規などがある、精密な製図のための台であった。
ガイカクはその前に座って長く作業をしていたが、一区切りしたのか椅子から立ち上がって体を伸ばす。
淹れてあった茶を飲み一息入れていた。
そんな彼の作業結果である図面を見る、ガイカクをずっと監視している人物が一人。
憲兵副隊長そのヒトである。
彼は神妙な面持ちで、その図面を凝視していた。
言うまでもなく今度作成する動力付き気球の図面である。
仮に彼がこれを盗んで敵国に売れば、城一つもらえるであろう程の国家機密だった。
それが製図台に、無防備に置かれている。
描いた当の本人は、憲兵副隊長が凝視していることを咎めようとしない。
(恐ろしい男だ)
先日監禁されたことを不注意とは言いたくない。しかしあれだけのことがありながら、憲兵である己が相手とはいえなぜこうも無防備でいられるのか。
正直理解しがたい感性である。
「一応申し上げておきますが、それ一枚に大した価値はないですよ」
「肝心要の心臓について記載がないからですかな」
「おや、ご存じでしたか」
「水晶騎士団所属の正騎士、アルテミス卿から得た情報である程度の推測はできています。細かいところはわかりませんが、原理は、まあ」
「そっちの情報の方が重大だと思いますがね」
「ええ。なのでこれを知る者はごく少数……憲兵内では私と隊長だけです」
動力付き気球内部に入ったアルテミスは機関部で動いていた臓器を見て『心臓かなあ?』と思い報告を上げていた。
それを受けた上層部はものすごく吟味した魔導士(監禁済み)と議論し、培養した心臓で血液を送ってその圧力で水車を回し、車軸や歯車を通してプロペラに動力を伝えている……という原理には至っていた。
副隊長はそれを聞いた時なんだそりゃと思ったが、まあわからなくもないなと納得しつつ、そりゃ他の誰も思い至らないとも思っていた。
「正直に申し上げて、あなた以外に製造できるとは思えませんね」
「そうでもありませんよ。心臓と言っても医療用でない分機能面でのハードルは低いですし、十分な予算が投じられれば『それっぽいもの』はできます」
「小さめのプロペラを回転させられるミニチュア、などですか?」
「悪いように言いますがね、そういうのを経ないと完成には至りませんよ。私も最初はそうでしたし」
「それで納得するスポンサーはこの世にいませんよ」
培養された心臓を使って水車を回転させた魔導士が、興奮気味に『これが動力付き気球の原理です』と報告したらスポンサーは怒る。
構造が単純なので、これを大型化すればそりゃプロペラを回転させられるだろうけども、と理解してはくれるだろう。しかし『動力付き気球の完成はいつになる?』という質問には『あと数十年は無理ですね!』としか答えられまい。
原理の解明、基礎研究は確かに大事だが、大型化とか実用化にはハードルがいくつも存在している。
ガイカク一人でブレイクスルーを引き起こしまくっているだけで、それも彼がすでに培養臓器を製造する術を身に着けていたからであった。
臓器培養そのものが違法であり禁止されている現状では、プロペラを回せるほどの大型心臓を安定生産するには百年かかっても不思議ではない。
「だから私はそういうスポンサーが嫌いなんです。やっぱり好き勝手が一番ですよ」
(好き勝手にやったうえで利益を出せるのがこの男の凄いところだな)
「まあとにかく、この図面自体はそこまですごくありません。今回の件で働くドワーフの中には、もっといい図面を引く方もいらっしゃるでしょうねぇ」
ガイカクは天才魔導士を自認しているし、周囲からもそう思われている。
何が専門なのかよくわからないほど魔導に通じ、魔導以外でも異常に博識である。
しかしありとあらゆる分野で最高の腕を持っているわけではなく、分野によっては一人前程度で一流には遠いということもあった。
どうやら製図については一流ではないらしい。
専門の設計士ならもっといい仕事ができると彼も認めていた。
「それは、貴方の気球について深く理解すれば、ですよね?」
「それはもう」
「到底許容できません」
「ですよねえ、はははははは!」
ガイカク一人が何でもできる、というのはいい面もあれば悪い面もある。
先日のように彼がケガをしたら誰も治療できないというのは悪い面であり、機密保持が楽というのは間違いなく良い面だ。
彼に設計士としての能力がまったくなければ、その道の専門家を外部から雇用し、動力付き気球について深く理解してもらわなければならない。
そうなっていたら、その設計士にとっても残酷な行動を余儀なくされていただろう。
「でまあ、この設計図をどの程度ぼやかすかはご判断にお任せしますよ。このまんまドワーフたちに渡すわけにはいかないのでしょう?」
「ええ。できれば部品の製造だけお願いしたいのですが、組み立てにも参加してもらった方が雇用になります。なので、心苦しいですが、原本を貴方に保管していただいたうえで、カーボンコピーした写しにその、黒塗りをさせていただきます」
割とどうでもいい部分だけを残して、肝心な部分はしっかりと消す。
労力を割いて描いてもらったのに申し訳ないが、機密保持のためには必要なことだった。
「腕の立つドワーフから機密が漏れるのはよくあることです。『口が錠前のように固い』という言葉もありますからね」
「鍵が合ったらあっさり漏らす、という意味ですね。お酒だったりおだてられたり、ケンカになったり……プライドの高さが災いするという奴です」
ガイカクは自分が描いたばかりの図面を検めて確認した。
この図面のどこをどの程度隠すかは副隊長次第だが、いずれにせよそれが元でトラブルになることもあるだろう。
「副隊長殿。今回の件は公共事業であり、私個人の嗜好を反映しておりません」
(騎士団の業務も公務なのだから、騎士団長とはいえ嗜好を反映させるべきではないのだが……)
「なので注文通り、大勢の人が乗る気球を設計しましたが……多分描き直すことになるでしょうねえ。ひゃはははは!」
否。
トラブルになるに決まっていた。
ガイカクは愉快そうにけらけらと笑い、副隊長も少しだけ同意するのであった。
※
奇術騎士団の旗のもとに、名のあるドワーフ親方が集まることになった当日。
奇術騎士団団員、動力騎兵隊は全員がそわそわしていた。
奴隷になる前の彼女らは鉱山で働いていたのだが、奴隷と変わらない最底辺の鉱山土方。
現在のように華やかでクリエイティブで鮮やかな仕事ではなかった。(なお現在の仕事はガイカクの指示通りの模様)
そんな自分たちの元に、親方が仕事をもらいに来る。それも自分たちが担当する『軍事機密部分』ではなく、一般に公開されても問題ない部分だ。
「アタシらもぉ……出世、したもんだねえ」
二十人の動力騎兵隊は、そろってしみじみと感じ入っていた。
今まで何度も味わってきたことだが、逆転現象というのは心地よい。
実際のところ、彼女らも相応に重要人物だ。
以前に監禁されていた時は他の団員同様に人質だったが、気球の製造や運用、運転を担当していたと知れば全員合わせて城二つ分ぐらいの価値にはなっただろう。(ちなみに、心臓の製造にかかわっていた砲兵隊の方が価値が高い)
「鍛冶屋の親方と言えばドワーフの頂点、大看板。そんなお人が集まって棟梁の下に就く、ってのは、アタシらの下に親方が就くと言っても過言じゃないねえ」
「それも短期だけの仕事づきあい。傘下だけじゃなくて親方衆ですら棟梁の部下にもなれない。たまんないねえ」
言葉一つ一つを区切りながら、情感を込めて浸る彼女ら。
思えば一気に成り上がったもんだ、と満足気である。
つい先日監禁されていたのだが、心の傷など既に治っていた。
この自己肯定感に比べれば、全滅した負け犬共に噛まれたことなど些細である。
「そう、アタシらは騎士団! 鍛冶屋の親方衆が全ドワーフの憧れなら、騎士は全種族の憧れ! 負けてるどころか勝ってるのさ!」
なかなかデカいことをいう彼女らだが、一人がぽつりとつぶやいた。
「あのさ、もしもだけどさ……棟梁が親方を部下にする、とか言い出したらどうする?」
びしりと全員の動きが止まった。
彼女は成り上がったのだが、能力が劇的に向上したわけではないと自分でもわかっている。
親方衆やその候補者が機会を得れば、あっさりと自分たちをぶち抜いていくだろう。
今までも何度か同じような妄想をしてきたが、今回はそれが色濃い未来になってきたのだ。
「いや、さすがにそれは無いだろ。アタシらは底辺で、アタシら以下はいないんだぜ? それでも棟梁はアタシらを雇ってくれたじゃないか。それも騎士団として名を上げた後もだぜ? 今更新しいのを入れるか?」
「だよなあ! 不安になることをいうんじゃねえよ!」
「悪い悪い、悪い悪い……悪かったよ」
先ほどまではゆったりじっとりとしゃべっていたが、今は慌ててまくし立てている。
全員一気に余裕を失っていたのだ。
(親方が団員になって、アタシらの上司になるのならまだいい。でもクビにされたらどうしよう)
騎士団団員が夜ごと考えてしまう、唯一にして最大の不安。
自分たちが特別でも優秀でもないという動かしがたい事実。
実力でここにいるわけではないからこそ、簡単に動かせてしまえる現状。
やがて言葉を失った彼女らは、奇術騎士団本部の敷地で立ち尽くしていた。
そんな彼女らに、憲兵が近づき声をかける。
「失礼だが、既に鍛冶屋の親方衆が集まっている。君たちも来てほしい」
「あ、はい……すぐ行きます」
意気消沈という雰囲気で、二十人は憲兵の指示に従った。
憲兵に従っているという意味では正しい表情だったが、内情は全然別である。
彼女らは自分達で作った憩いの場所、時計小屋に入った。
小屋の中は時計の内部そのものであり、歯車や車軸が規則正しく動き時を刻んでいる。
秩序だった部屋の中にはガイカクと憲兵副隊長に加えて、強面のドワーフたちがどっしりと椅子に腰かけていた。
誰もが無言で、こちこちという時計の音だけが満ちている。
異様な緊張感に、動力騎兵隊はしり込みした。
「読ませてもらったぜ」
親方衆の一人が、手に持っていた図面をばさりと小屋の中の机に置いた。
他の面々も同様で、周囲の構造を拝見しながら評価を下す。
それぞれが鍛冶屋の親方であり、傘下のドワーフを多く抱える権力者たちは、この時計小屋の設計図を読んでいたのだ。
「百点だな」
堅い声で『百点だ』と評した。
あえて強く表現するが、一人として絶賛はしていない。
百点という言葉に百点満点という要素は微塵も含まれていない。
それもそのはず。
ドワーフにとって百点とは『店に卸せるギリギリの点数』であり、及第点であるというだけのこと。
仮に九十九点だったのなら『こんなもん店に出せるか!』と怒鳴っているようなものだ。
とはいえ及第点ではある、というのはホッとする評価だった。
ガイカクですらすこし息を吐いており、憲兵副隊長も安堵。
動力騎兵隊など腰を抜かしたほどである。
「この設計図を描いたのは騎士団長さんってことだが、騎士団のお仕事の片手間って割りには達者だな」
「実際につくったのはそこの小娘どもだろ? そいつらの腕も考慮して、できるだけ簡略化しているな。ま、悪くはねえ」
「この腕なら、まあ、一緒に仕事をしてもいい」
上から目線の発言を繰り返しているが、モノづくりについて自信のあるドワーフならば当然の態度であった。
もうこういうものだ、と割り切るしかない。
「しかしなあ、この時計小屋……いや、悪くはない、悪くはないんだぜ? 観光客から見物料をとってもいいレベルではある。ドワーフのための慰安施設だって話だが、コンセプトもいいし実際に見て悪い気はしねえ。だがなあ……」
もったいない、と言わんばかりの目で、親方の一人が感想を述べた。
「歯車の工作精度が高くないことを前提にしているだろう? 俺んところの若いもんなら、もっと小型化できるんだがなぁ」
まったく悪気はないし、適切であった。
これより高度な工作を求められても、動力騎兵隊では応えられなかっただろう。
期待の新人枠ならもっといい物を作れるというのは、ごもっともであった。
「お前はいつもそれだな。小型化がそんなに重要か? それよりもだなあ、そもそも時計の中に部屋を作ってくつろぐってのがイヤだね。これじゃあ精密機械が台無しじゃねえか!」
別の親方が別の文句を言い出した。
実際のところ、時計小屋というコンセプトは『時計』という精密機械と相性が悪い。
歯車が動くところを観れるのだから、歯車の隙間にホコリが入ってくるなどのトラブルが起きる。
時計に思い入れのある者なら、頻繫に狂うことが前提の時計など最悪だろう。
「気持ちはわかるけどよお、俺はいいと思う。ちょいと工夫をすれば時計が狂わないようにもできるだろうよ。それよりもっとからくり仕掛けをふやした方がいいと思うぜ。一時間ごとに違う人形が動くとかよ」
また別の親方がそんなことをいいだした。
これもまた正しく……。
「んなことよりも、整備性が大事だろうが! このままじゃあバラすだけでも一仕事だぞ?! 楽しめる奴ばっかりじゃないんだ、配慮したほうが普及する!」
「それよりも精密さが欠けているだろうが! 調節が不十分だ、もっと精密に作れ!」
「簡略化すれば安価で各地に作れるぞ! そっちの方が最新だ!」
「この際だ、もっと大型化しようぜ!! 鐘だ、鐘をつけたい! からくりが鐘を突く奴だ!」
「耐久年数! 耐久年数! 長年残ってこそ時計だ!」
全員が好き勝手に、思い思いの改良点を喋り出した。
どれもが正しく、また各々で実現可能である。
自分が考えた最強の時計小屋について討論し始めていた。
先ほどまでの静謐さなどもう微塵も残っていない。
「ひひひひ! やっぱりこうなりましたねえ」
「ええ、まあ……悪いことではないのでしょうが……」
ガイカクと憲兵副隊長はさもありなん、という反応であった。
腕に自信のある親方衆……それぞれが親方、社長という者たちを集めればこうなるのが当然だ。
親方王とかがいるわけでもないし、それぞれが互いの言いたいことも分かっているので、だからこそ逆に誰も譲らないのだ。
ちなみに、こうなっていなかった場合。
つまり自分と一緒に仕事をするに値しない者であると判断すれば、怒って無言で帰るまである。
「しかし気球を作る前からこうなるとは、さすがに想定外でした。気球を作るときは収まっているでしょうか?」
「逆ですよ。俺の腕を知ったうえでブラックボックスの存在を知らされれば『俺なら改良できるって! 俺を監禁してもいいから原本をくれ!』とか言い出しますよ。全員が。しかも知った者は今と同じように、それぞれが基本コンセプトをゆずりません」
「ではどうしますか? 上は全員に一つの気球を作らせるつもりのようですし、貴方にもそれを依頼していましたよ」
「組ごとに一つずつ作らせた方がいいんじゃないですか? 一機しか作っていなかったら、本番で飛ばないとかもあり得ますし。責任問題もわかりやすいかと」
「……ではあなたに描き直してもらうことになりそうですね」
「俺が描き直すって言ったら、設計室に入れろとか言い出しますよ! ははははははは!」
ある意味段取り通りになっているので、ガイカクは笑っていた。
なお、親方衆の側近である凄腕鍛冶屋は全員が同じような性格の模様。
親方に会ったこともない動力騎兵隊は、熱い情熱をぶつけ合って火花を散らす会議を目の当たりにしてふと納得した。
(こいつらは棟梁の部下になれないな。アタシらの座は安泰だな)
特別で優秀な者たちだからといって、仕事を円滑に進められるわけではない。
自分達には素直で従順、という美点があるのだと彼女らは理解したのだった。
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