情報漏洩
草原で暮らすケンタウロスは、大きめのテントを家としている。
遊牧民として生活している彼らは、多くの家畜を引き連れて縄張りを巡っているのだ。
そんなとあるケンタウロス部族の、とあるテント。
旅をしていたケンタウロスの兄妹を客人として招き、家畜の乳を発酵させた酒で楽しく宴を開いていたのだが……。
「二人とも、ぶっ殺しますよ? ぶっ〇しますよ?」
「我が妹よ、落ち着け」
「なんで俺まで……」
旅をしていたケンタウロスの妹が、兄とその部族の若人を正座(馬の正座)をさせて、自分は鉈を手に仁王立ちしている。
「まず兄さん、貴方は何をしましたか?」
「あそこに飾られている美しい弓に目を奪われました」
「ええ、大変美しい弓ですね」
このテントには、一つの美しい弓が飾られていた。
なんでも複数の部族が集まって行った祭で、それなりにいい順位を取ったことで勝ち取ったものらしい(優勝はしていないらしい)。
見るからに良い弓だった。
見たことのない光沢をした、素晴らしい装飾のされた弓だった。
ケンタウロスの兄妹が見惚れるほどである。
「で、兄さん。貴方は何と言いましたか?」
「あの弓がぜひ欲しい、妹を嫁にやるから俺にくれ、と言いました」
「チェスト!」
鉈で兄の頭を叩く妹。
血が吹きでるが、周囲のケンタウロスたちは誰も咎めない。
むしろ笑って見ていた。
「い、妹よ……血が……」
「安心してください、峰打ちです」
「イヤお前、血が出ているって……」
「もう一度峰打ちしますか? 死ぬまで峰打ちしますか?」
「ごめんなさい……」
いつから私はお前の所有物になったのか。
妹の怒りは極めてまっとうであった。
「まったく……それで、アナタ。それに対してなんと返事をしましたか?」
「は? 嫌だが? と言いました」
「チェスト!」
「いでえええ!」
「お前ら二人とも、私のことを何だと思っているのか? ふざけてるのか? ケンカを売ってるのか?」
弓一つで自分を売ろうとした兄も大概だが、要らねえよという相手も相手だ。
ケンタウロスの乙女心は、刃傷沙汰(峰打ち)待ったなしである。
「いやでもよお! 俺は悪くねえだろ!」
「ほう、言い訳があるのですか。その言い訳次第では、アナタを殺して兄も殺すことになりますがよろしいですか?」
「なぜ俺まで連帯責任になる……」
「兄さん、黙っていてください。兄さんを殺してこの人も殺すことになりますよ、順番を変えることになりますよ」
「結局殺すのかよ、おい……」
弓の持ち主である若きケンタウロスは、不快そうに答えた。
「いろいろ言いたいことはあるが、まず俺は女に不自由してねえんだよ。なんで嫌々嫁いでくる女を娶らないといけないんだよ。交渉にもならねえよ」
「それはそうですね、すみません。兄のせいで気が立っていました」
「謝罪がかなり手遅れなんだが?」
もう流血した後なので、いろんな意味で手遅れである。
これはもう居直り強盗と判断されても不思議ではない。
なお、周囲の大人は笑って許している模様。
「おまえなあ、断るならもうちょっと言葉を選べよ」
「そうだぞ~~、お前の嫁さんたちも『アレはない』って顔してるぞ~」
若きケンタウロスは、まだまだ人生経験が足りないようである。
なお断ったことは怒っていない模様。
「ここはどうでしょう。お詫びとして兄を差し出します。そこそこ腕も立ちますので、好きに使って構いません。その代わりあの弓を私にください」
「お詫びに対価を求めるんじゃねえよ!」
暴力系ヒロインを通り越して強盗系ヒロインであった。
弓の持ち主は大声で抗議する。
「あだだだ……とにかくだ、本当にいい弓だと思う。職人がいるのならぜひ会いたい、俺にも作ってほしいからな。作ってもらうのが無理なら、あのニスの作成法だけでも知りたい。妹……はいろんな意味で無理だが、弟子入りしてでも教わりたい」
「そうですね……アレだけの美品を作れるのなら、秘伝扱いでしょう。私も兄と一緒に弟子入りしたいですね」
ケンタウロスの兄妹は、ともにエリートであった。
そのうえで弓職人に弟子入りしてもいい、というのはそれだけほれ込んでいる証拠だろう。
妹をやる、兄をやる云々は冗談だとしても、弓を手に入れることを諦める気はないらしい。
しかしここで、客人を迎えていた部族の顔が緊張していた。
生半ならぬ事情を感じさせるものだったが、兄妹からすれば想定内である。
「やはり秘伝……宗教やらも関わるものだったか?」
「神職が年に一度だけ作る、ということでしょうか。それも納得の品ですが」
「ああ、いや……ちょっと違うんだよな」
弓の持ち主は、周囲の大人を見る。
隠す意味も薄い、という判断なのか大人たちは頷いて促した。
それを受けて、説明を始める。
「あの弓は新品で、少し前に作られたばかりだ。だが……もう作る予定が無いんだ」
「……なぜ?」
「細かいことはお前らも興味がないだろうから省くが、この間の祭でもめ事があってな。その解消のために、噂の奇術騎士団団長が作ってくれたもんなんだよ。弓じゃなくて、ニスの方をな」
弓に塗られたニスの作成者は、ケンタウロスではなく人間だという。
それでも誰なのかはっきりしているので、兄と妹は頷きあっていた。
おそらく騎士団長に頼むつもりなのだろうが……。
「お前たちのためにも言っておくが、何があっても絶対に作ってくれないと思うぞ」
「ずいぶん断言するな……」
「なにがあっても絶対に、とは大きく出ましたね」
「あのニスを作っているところは俺たちも見ていたんだが、すげえ……大変そうだったぞ」
暑苦しくて動きにくそうな対BC装備をつけて、公害レベルの猛毒を相手に奮闘していたのである。
出来上がるのがニスという点からしても、相当不本意なことだったに違いない。
「なんだかんだ言って、俺たちのところの部族は騎士団とも関係があるんで作ってくれたが、そうでもないお前らが上がり込んで『作ってくれ』と頼んでも『ウチは武器屋じゃねえ』って言われて終わりだ。実際のところ、暇でもないだろうしな」
ガイカクからすれば、この説明をされることも不本意だろう。
しかし隠してもいずれは『ああ、バリウスのニスか』という方向でばれてしまうので、それを避けるためには必要なことである。
「むむ……確かにこれだけの美品を作るとなれば、相応の手間がかかるだろうな」
「やはり兄では釣り合いませんね」
情報の出し方がうまかったからか、兄と妹は都合よく解釈しつつ納得していた。
これには部族のケンタウロスたちも納得である。
そして弓の持ち主もまた、羨ましがられていることに鼻高々であった。
曰く付きであっても美品に変わりはないのだから、やっぱり自慢したくなるものである。
「ふっ、好きなだけ眺めて、行く先々で自慢してくれ。これは俺の栄光として、子々孫々まで伝えていく部族の宝なんだからな。喧伝してくれた方が嬉しい」
そしてガイカクがこれ以上作る予定がないことや、実際作るとなればとんでもなく大変であること。
希少価値、プレミアムが半端ないことになっており、彼は得意満面であった。
「……おっと。奇術騎士団の団長については黙っといてくれよ。誰がどうやって作ったかについてはごまかしてくれや」
「おう、それはわかった。しかしこれだけの美品があるとすれば、多くの部族がやってきて、俺や妹のように交渉するだろうな」
「部族の格を示すには、とても良い代物ですしね……どれだけの家畜を差し出すことか」
(……実は同じ弓があと十一個あるんだが、それについても噂が出回っているのかねえ)
彼の懸念通り、先日の祭で『自分用のバリウスニスの弓』を得た若人たちはそれを旅人や客人に自慢し、それによってちょっとしたトラブルなども生じていくのだが……。
ケンタウロスたちからすれば、むしろ嬉しいまであるのだった。




