羞恥プレイ
時系列で言えば、少し前の話だ。
奇術騎士団の初仕事といえば、アルヘナ伯爵領とワサト伯爵領の間で狼藉を働いていた山賊の逮捕である。
ガイカクはこれを手品のように解決したことで悪名を上げたのだが、手品めいた……というかもう殺人が起きていないだけの推理小説のような展開だったのだ。
パーティー会場には大勢の貴人が招かれており、ガイカクは彼らに密造酒をふるまった。
配膳はアルヘナ伯爵の部下が行っており、誰が誰に酒を注ぐかあらかじめ決められていたわけではない。
その密造酒を最後に呑んだのはアルヘナ伯爵であり、彼は一滴も飲まず、匂いを嗅いだだけで取り乱した。
そんなバカな、と連呼して他の客のグラスを検め、さらに取り乱していき……最後には怪しさ満点のガイカクを相手に自ら密談を持ち掛けた。
謎が謎を呼んだ、意味不明の状況。真相は闇の中。
真実につながりうる、残った酒樽は果たして……。
※
アルヘナ伯爵の屋敷内。
ロウソクの灯が揺れる狭い部屋の中に、件の酒樽が置かれていた。
今すぐにでも飲めるようになっており、もはや封印はされていない。
「この酒を、お前達にふるまいたい。さあ……どうぞ」
「貴方は飲まないのですか?」
「あ、いや……儂はもう、酒は一生いいかなって……ささ、お前たちで飲んでくれ」
「誰が飲みますか!」
アルヘナ伯爵の妻、息子夫婦に対して、アルヘナ伯爵は樽の中身を飲ませようとしていた。
もちろんこの三人もあのパーティーで同席しており、樽の酒もすでに飲んでいる。
だがそれはそれとして、あのオーバーリアクションを見た後だと口をつける気にもならなかった。
本人が飲む気を失っているのならなおさらである。もう怪しい毒にしか見えなかった。
「あの……父上、よろしいですか? あの件は結局、どういうことだったのです?」
「む、ぬ……」
「例の山賊は本当に父上が雇っていて、その潜伏先も本当に父上が用意していたのでしょう?」
「うぐ」
「奇術騎士団が作戦行動をした場所は、街の中の空き家です。潜伏するには都合のいい場所ですが、山賊が一朝一夕で見つけられるわけがありません。事前に調べていたとしても、いざという時に人が入る可能性もありますしね。そのうえ、あの空き家は比較的最近に人が出たもの。父上か父上に近い地位にいる者が手を貸したとしか思えないのです」
「そ、そうか……」
息子の教育にはしっかりと成功していたアルヘナ伯爵。
ばつが悪そうに、しかししっかりと頭を下げた。
「そのなんだ、お前の言う通りだ。すまない……全部私が」
「義父様! そんなことはどうでもいいのです!」
謝罪にかぶせてきたのは息子嫁であった。
彼女は怒っているのだが、義父の不正に怒っているわけではない。
「あの酒はなんなんですか! 凄い怖いんですけど! 気になって仕方ありません! いったいどんな手品だったんですか!?」
「ぐ、む……」
毒を飲んでしまったかもしれないので、彼女は不安に陥っている。
とてもまっとうな危機感なので、アルヘナ伯爵は少し考えた後真実を明かした。
どのみち、自分が山賊行為を幇助(というか主犯)していたことがバレれば、もう隠す意味も薄い。
「……ざっくりいうとだな。この酒は、まあ、その……とても珍しい酒なのだ。珍しかったのでびっくりして、どこで手に入れたのか聞きたくなってしまったのだ」
声に出して説明すると、とんでもなく情けない真実だった。
恥ずかしくて顔が赤くなりつつある。
「……そんな理由で、ですか?」
「うぐ……情けない話だが、それが真実だ」
「わからなくはありませんが、あんなに取り乱すほどですか? 珍しいと言いますが、いくらの値が付くのです?」
「値段、か……」
アルヘナ伯爵は、自分の足元に置かれている樽を見た。
これに値段をつけるとなれば、どうなるだろうか。
酒好きだった彼は、この難問に誠実な回答を示そうとする。
「哲学的な質問だな……」
「は? よいですから、はやく教えてくださいまし」
アルヘナ伯爵は大まじめだったのだが、息子嫁からすれば陶酔しているようにしか見えなかった。つまりふざけているようにしか見えなかった。
それももっともなので、アルヘナ伯爵は詳しく説明することにする。
「……値段のつけ方がむずかしいな。実際に飲んだのならわかると思うが、そこまで美味しいわけではないし、中毒症状が出るわけでもない。本当に珍しいだけの酒で、酒そのものに高い値段をつけることはできないだろう」
「それはたしかに、そうですわね。騎士団長が密造した酒ということで飲みましたが、仮にレストランで出てくれば顔をしかめたでしょう」
ガイカクの出した酒は、マズい、というほどではない。ウマいかマズいかでいえば、間違いなく旨かった。
しかしとんでもなく美味しいかと言われればそうではないし、高級店で出されたら場違いだと思うだろう。
珍しいだけで高級品ではない、というのは納得できる話だった。
「ではあなたは、珍しいというだけの酒で大騒ぎしたのですか? みっともない」
「仕方ないだろう。樽を作るための木が絶滅したので、もう製造することができないのだから」
「……絶滅!?」
今まで呆れていた三人だが、一気に目の色が変わった。
とんでもないお宝を見る目で、伯爵の足元に置かれている樽を注視する。
「そうだ。あの酒を造るには特別な木が必要なのだが、乱獲され過ぎて絶滅してしまった。そう思っていたのだが、ヒクメ卿は原木の苗を所持しており、自分で楽しむ分を作ることはできるらしい」
アルヘナ伯爵は改めて、この酒の値段を考える。
以前の自分なら、かなりの高額をつけるだろう。
だがそれは自分が過去に飲んだことがあるからであり、本物だとわかるからだ。
この酒は本物であるものの、『粗悪品』でもある。
少し舌が肥えているだけの富豪が大金を払ってこの酒を買って飲んだ場合『なんだコレ、素人が作った酒だろ! 騙された!』と怒るはずだ。
それはそれで間違った評価ではない。美味しくない酒に高値が付く方が不健全だろう。
まったくもって、値段をつけにくい酒であった。
「しいて言えば、この樽の存在……絶滅したはずの木をヒクメ卿が所有していることを知られる、という意味での価値はあるな」
「絶滅……もう飲めない……ヒクメ卿に頼るしかない……」
人間とは奇妙なもので、飲めないとわかると惜しく思い、付加価値を感じてしまう。
そこそこ美味しいだけだと評していても、うかつに手が出せなくなっていた。
「でだ……事件を解決した後でヒクメ卿は私に『これに懲りたら馬鹿な真似はよせ』と強い忠告をしたのだ。ごもっともだったのでな、私はもう酒の道から離れることにした。とはいえ、この酒に罪はない。お前たちに飲んでほしかったのだが……」
「父上、こう言ってはなんですが……そんなに珍しい酒だと知っていれば、そうそう飲むことはできません」
「む? だ、だがなあ……捨てるのはもったいないし、私が飲むのも気がすすまない。売ったり譲ったり、というのもヒクメ卿に申し訳ない」
やはり『美味しいね』と飲んでもらうのが一番であろう。それが叶わなかったことが残念である。
「ごほん! では、アナタ……これは私がいったん預かります。もちろんソムリエに頼んで、きちんと保管してもらいますので、安心を」
「む……できればこの場で飲んでほしいのだが」
「いいですね!」
「……うむ」
かくて、飲んでもそこまで美味しいわけではない酒が、無駄に保管されることになった。
真実と謎がこの酒の付加価値となり、無意味に求められることとなるだろう。
これはこれで、酒のトラブルを巡る事件の決着にふさわしいと言えなくもない。
※
時系列は、奇術騎士団が帰還したという報告が各地へ行き届いた段階に進む。
そろそろ息子に家督を託そうと考えていたアルヘナ伯爵は、少し驚いた顔で手紙を読んでいた。
「そうか……ヒクメ卿は生きておられたか」
当然ながら、アルヘナ伯爵はまず奇術騎士団が全員死んだ、という公式発表を受け取っている。
その時の心は『実は生きてる』が三割で、『本当に死んでる』が七割という考えであった。
彼が見たガイカクは『色々なものを持っている男』に過ぎないのだから無理もない。
「無事を知らせるために催しを開く、と。きっといろいろと珍しいものが準備されているのだろうなあ」
叶わぬ願いであると把握しているからこそ、彼は素直に惜しんでいた。
自分がバカなことをしなければ、酒の弟子であるワサト伯爵と共に楽しむことができただろう。
これは自分が悪いのだと割り切り、あがこうともしなかった。
「ちょっと、アナタ! 聞きましたか!? ヒクメ卿が催しを開くそうよ! きっと珍しいもの、楽しいものがたくさんあるわ!」
なお、それは本人の理屈である。
周囲からすればたまったものではない模様。
「それなのにそれなのに! アナタのせいで、私たちも恥ずかしくて出席できないじゃありませんか! 私たちだけじゃありませんよ、孫ちゃんたちは行きたがっていて……どうやって行けないと説明すればいいんですか!」
「ああ、うん……そうだな、私から謝っておくよ」
「何を偉そうに、上から目線で喋っているのですか! この犯罪者!」
返す言葉もないとは、まさにこの通りであった。
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