その先
三十六計逃げるに如かず、という言葉がある。
武術の世界では、走って逃げることこそ最善と誰もが口をそろえている。
だが、戦場において撤退を始めた軍隊というのは、とても脆い。
それが混乱のさなかにあり、なおかつ敵がその撤退や混乱を想定していればなおのことだ。
「逃げるな~~! 前線で散った仲間の犠牲を無駄にするな~~!」
「バカ言え! どう見ても相手は本物の騎士団だろうが!」
「だとしても、全員で突っ込めば絶対に勝てる! 相手の体力も無限ではない!」
「最後の一兵になるまで戦えってか!? じゃあお前がまず死ね!」
敵が本物の騎士団だと悟った時点で、兵士たちの士気はガタガタになっていた。
だが指揮官を務める現地の有力者たちは、そうはいかない。
(すでに多くの兵が倒れた……ここで退いたら、私は破産だ!)
現地の有力者たちにとっても、兵は財産である。
それが大勢殺されているのだから、なにがしかのリターンが無ければ割に合わない。
というよりも、極めて直接的に破産の危機に陥っている。
(この戦いに勝てさえすれば、すべて解決する……!)
普通なら、もう取り返しがつかない。
しかしなまじガイカクを確保しているからこそ、彼はそれに踏み切ることができなかった。
この戦いで勝てば、すべての帳尻が合う。失った以上の物を、掌中に収められるのだ。
「この戦いは、お前たちのためでもあるのだ! この戦いでお前たちが死んでも、お前たちの家族の面倒は見てやる! もし騎士を討ち取ることができれば、報酬は約束してやる! だから戦え!」
その言葉に、嘘はなかった。
だがそれを信じるか、あるいは受け止めるかと言えば話は別だ。
「やってられるか!」
もうすでに嘘をつかれているのだから、信頼性など下がっている。
そもそも彼らにとって、自分の命は唯一無二だ。
それをかけて戦うには、相手が強すぎた。
そして……。
「ルナ、やっちゃいなさい!」
「よおし……いけえええ!」
水晶騎士団団長、エリートゴブリン、ルナによる魔術攻撃が伯爵軍に降り注ぐ。
殺意の雨は敵陣の混乱に拍車をかけ、もはや逃げることもままならない。
「あ、ああっ……」
「死ぬ、死んじまう……!」
ーーー先代伯爵は、優秀だった。
だからこそ、この領地の者達は、騎士団の強さを知らずに生きていた。
それはそれで幸福なことだったが、実際に騎士団とぶつかる事態になった以上、それは情報不足、愚かさに直結する。
(コレが、騎士団……国家の最精鋭……ライナガンマの英雄……)
気付いた時にはもう遅い、自分達の10倍以上の兵力を圧殺していく姿を前に、足が震えて腰が抜ける。
その恐怖が騎士団の進撃をより容易にし、蹂躙が加速していく。
そんな中で、一部の兵達が投降を始めていた。
「もう、もうやめてくれ! 俺たちは、アンタたちが本物の騎士団だって知らなかったんだ!」
「なんでもするから、殺さないでくれ!」
敵国ではなく、自国の精鋭、正義の味方。
そう知っているからこそ、多くの兵達が騎士団へ降伏していく。
しかし、騎士団はそれを取り合わなかった。
「あいにくだが、ティストリア様の命令だ。全員殺す」
三ツ星騎士団団長、オリオン。
彼は一切取り合わず、降参する兵さえも殺していく。
目の前で自分と同じように命乞いをする者が殺されて行っても、伯爵側の兵士たちは戦うことを選べない。
「た、頼む……騎士団は、正義の味方なんだろ?」
「そうだな。だからこそ、その旗に立ち向かうものは『悪』だ」
オリオンは憤慨さえ覚えながら、投降しようとする者達を殺していく。
「まったく……盗まれた旗だろうが何だろうが、騎士団の旗を見たのなら逃げるべきだったな」
この行動に義があるかと言えば、あるのだ。
あってしまっているのだ。
自分たちは騎士団であると旗を掲げていた。
であれば、知らなかった、偽物だと思ったなど通じるわけもない。
獣人であるオリオンは何よりも舐められることを嫌う。
脅威ではないと判断されることに、恐怖さえ覚える。
「お前達は救援に応じて参戦し、苦戦の末勝利に導いた者を不当に拘束するのだろう? それならば、投降の意思も信じられん。殺し尽くすしかない」
現在騎士団は、一種の人間不信に陥っている。
その不信感をぬぐうには、見せしめの血が大量に必要だった。
※
メトパレアンテ平原での戦いは、一日で終了していた。
逃げ切れたものはほぼおらず、戦場には伯爵軍の死体が多く転がっている。
それを成し終えた騎士団は、息を荒くしながらティストリアの元に集まっていた。
「皆さんよくやってくれました。これにて敵の軍は壊滅状態と言っていいでしょう。それでは皆さんは、野城に戻ってください。私は直属の正騎士だけを連れて、ヒクメ卿の奪還に向かいます」
たったの六人ほどで、城に捕らわれているであろうガイカク・ヒクメを救助する。
それも一戦を終えた後で。
そんな無理を、彼女はこともなさそうに言い切った。
それを騎士団の誰もが、止めることもない。
「皆さんの活躍によって、城の守りは手薄でしょう。ヒクメ卿を奪還するならば、今を置いて他にありませんからね。では直属正騎士……行きましょう」
「はっ!」
常人の20倍以上の体力を誇る彼らは、まだ戦い足りぬとばかりにティストリアに続く。
彼女達ならば必ずやガイカクを救助できると信じ、騎士団はその背中を見送ったのだった。
※
深手を負った先代伯爵は、兵がほとんどいない城に運び込まれた。
側近である古強者たちは、致命傷を負っている先代伯爵をガイカクの前に運び込む。
「せ、先代様を助けてくれ! この通り、深手を負っているのだ!」
「ん~~……なるほど、これは重傷だな。いいぞ、治してやる」
「た、頼む! 私たちは……戦場に戻らねば……ならぬ、な!」
「あとは、任せる」
既にボロボロの猛者たちは、多くのことを覚悟して城の一室から出ていった。
残ったのはガイカクと、長い机の上に寝かされている先代伯爵だけであった。
「ぐ、が……」
「お、意識が戻ったな。安心しろ、ここはアンタの城だ。致命傷を負っているが、俺が治してやるところだ」
そして先代伯爵は、大量に出血しながらも意識を取り戻していた。
悲しいことに状況を理解している彼は、自分の最後の時であると理解していた。
「お前の予測通り……騎士団は強かった。私の手勢は負けるだろう……」
「おいおい、お前が抜けたあと大逆転しているかもしれないだろ?」
「私が勝てない者に、私の部下が勝ってたまるか!」
「はははは! 豪快だねえ。でもまあ、負けを受け入れたのはいいことだ」
先代伯爵は、なぜこうなったのか理解できなかった。
自分は偉大な領主であり、常に勝ってきた。常に領地を繁栄に導き、多くの支持を得ていた。
それがほんの一瞬で、すべて瓦解していた。
悪夢としても描いたことがないのに、これが現実だというのだから嘆くしかない。
いや、彼はこの期に及んでも悪を探していた。
自分が咎めていい悪を、自分が正義でいるために求めていた。
「お前は……何なのだ!」
ガイカク・ヒクメ。
彼さえいなければ、自分は偉大な領主のままでいられた。
この男の存在さえなければ、道を踏み外すこともなかった。
そんな攻撃性から絞り出された言葉を、ガイカクはそのまま受け止めていた。
「ん、俺について知りたいのか?」
外科手術の準備をしながら、ガイカクは私語に付き合おうとしていた。
「いいぞ、教えてやる。これはティストリア様にも、部下にも教えたことがないんだが……特別にな」
「……」
「そうだなあ……どこから話すか」
流血によって意識が途絶えかけていくなかで、先代伯爵の脳は水でも浴びたかのように鮮明になっていた。
もしや自分は、とんでもないことを知ろうとしているのではないか?
本能的にそれを察したのか、体の傷みも忘れてガイカクの言葉に耳を傾けていた。
「俺は少し前に、オーロラエ地方のケンタウロスに、ちょっとした事件の解決を求められたんだ。そこではバリウスニスの弓が祀られていたんだが……その製造法は司祭の一族しか知らなかった。これは製造するためにコブラリコリスっていう毒草が必要で、それを精製する過程でさらに有毒な物質ができてしまうからなんだが……」
てきぱきと準備をしながら、ガイカクは軽快に笑っていた。
「つまり、ケンタウロスにとって『コブラリコリスの精製』は違法行為ではないんだ」
つまりはこの時代、この世界において違法行為の定義を語っていた。
「なにせケンタウロスには『コブラリコリスの精製をしてはならない』なんて法律はないんだからな」
「何が言いたい」
「法律に書くってことは、説明の必要があるってことだよ」
違法行為とは『これをしてはいけない』と周知されているものだ。
その禁じられている行動は、大抵が悪事だ。よって変な話だが、法律の本は悪事の指南書でもある。
「オーロラエ地方のケンタウロスにとって、コブラリコリスを精製するとバリウスのニスが精製できるっていうのは、法律にも書けないぐらいの『禁』だそうだ」
「……まさか」
「その通り」
ーーーガイカク・ヒクメはどこで知識を得たのか。
国中、あるいは世界中の誰もが求める答えを、先代は冥途の土産に受け取ろうとしている。
「人間にも、魔導士にもあるんだよ……法律にかけないようなことがな。魔導士はそれを『禁忌』と呼んでいる」
違法行為にすらできなかった、知られてはならないこと。
まさに禁忌の知識、その存在を彼は知ることになる。
「死者蘇生、若返り、不老長寿、非エリートをエリートにすること、完全なる人心操作。それらが該当する」
「そんなものが……実在するのか? それをお前は、操れるのか?」
目を輝かせる先代伯爵。今まさに、彼が必要としているものであるがゆえに。
もったいぶるように、ガイカクは話を逸らす。
「違法行為の定義が『法律にやってはいけないと書いてあること』ならば、禁忌の定義は二つ。一つは今言った『法律にも書けないような研究内容であること』もう一つは……」
「なんだ」
「『 』だ」
定義について語っているだけなのに、伯爵は一度あっけにとられた。
「……は?」
「まあ、そんなうまい話はないってことだな」
「……いや、おい、待て、まさか」
「その通り。この定義を知ったものは、みんなこう考える。第一の定義には当てはまるが、第二の定義には当てはまらない技術もあるのではないか、ってな」
あっけにとられたあとで、禁忌の先に気付く。
「魔導士はそれを、大禁忌と呼ぶ」
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