想定の範囲内の強さ
アーストリナ平原と、山々を挟んで反対側にあるメトパレアンテ平原。
騎士団との対決に臨む先代伯爵の軍は、6000名からなる兵を布陣したうえで待ち構えていた。
その中心前線に立つのは、当然ながら先代伯爵である。
精強なる猛者たちや、地元の有力者たちと肩を並べている彼は、それこそ得意満面で騎乗していた。
「戦線への復帰、おめでとうございます。先日は不幸な事故によって引退されてしまいましたが……ケガの治りは順調なようで」
「うむ……ようやくまともな医者に出会えたのでな」
「それはようございました……機会があれば、我らにも紹介していただきたいですな」
「ああ、もちろんだ」
先代伯爵の号令によって集まった者たちは、義理人情だけで参戦したわけではない。
仮に今代から同じ条件を並べられても、応じなかった可能性が高いので、義理と人情も多分に含んでいるが……。
彼が噂のガイカク・ヒクメを確保していると知り、そのおこぼれに与れると思ったからだ。
(先代殿の利き腕は、たしかに使えなくなっていた……それが今は、見るからに回復している)
(戦闘能力以外を評価されて騎士団に招聘された、唯一の男……天才魔導士ガイカク・ヒクメ。その彼を完全に乗りこなしているのなら、何でも叶う……富と名声があってなお足りない、不可能が可能になる!)
伯爵と近い立場にいたからこそ、彼らは伯爵の腕が治らないと知っていた。
それが治っているのだから、ガイカク・ヒクメという存在を察しても不思議ではない。
(失われた酒、禁じられた薬、読めない本、手に入らぬ食材……知恵や知識とされるものを網羅している、騎士団の智嚢!)
(ハグェ公爵家のパーティでは、名のある道化師を脱帽させたほどの腕前だとか……今から心が躍る!)
先代の知己である彼らは、当然ながら先代に近い精神性を持っている。
先代を頂点とする一方で、自分達もそれに次ぐ地位にあり、望んだものが手に入らないことを理不尽に受け止めてしまう者達だ。
それが目の前に落ちていれば、我慢できない人種なのである。
「しかし、賊も哀れですなあ。先代伯爵が戦線復帰されたタイミングで、このカーリーストス伯爵領に攻め込んでくるなど」
「ええ、ええ! どこかで手に入れたという騎士団の旗を掲げて、それらしく行進してくるとは! 今代様ならそれを信じて……失礼、慎重な判断をされるでしょうが……先代様は苛烈を良しとしますからね! どちらがいいという話ではありませんよ?」
「息子に気を使うことはない……慎重が悪いとは言わないが、果断さの重要性もわかっていないのだからな。その切り替えこそ、領主にとって重要だというのに。慎重であれば失敗しない、という思い込みに捕らわれているのだよ」
とはいえ、である。
彼らも心底から自分たちの正当性を信じているわけではない。
だからこそ兵へ騎士団が攻めてくるとは言わずに、騎士団の旗を奪った賊が、それで威嚇しながら好き放題にふるまっている……ということにしている。
伯爵軍の正面、山から下りてくる騎士団の旗。
それを見ても、彼らは『情報通りだな』と思って信じていた。
本物の騎士団とは思いもせず、むしろ正義の味方を騙る悪党をとっちめるぞ、という気分にさえなっている。
そうした士気を感じながら、先代伯爵は自分の正しさに酔いしれていた。
(そうだ、正しい情報を、真実を下々の者に教えてやる必要などない……必要だと判断した情報を、必要な分だけ与えてやればいい。そしてその情報は、私が作ってもいいのだ!)
この戦いに勝てば、この領地には莫大な富が生まれる。
多くの技術革新が起き、多くの有力者が接近しようと投資をしてきて、さらに後ろ暗い取引もやりたい放題になる。
騎士団そのものを潰してしまえば、誰も文句を言えない。騎士団は消えるのだし、騎士団に勝った自分たちを誰もが恐れるのだから。
(そうだ……勝利だ、勝利さえあればいい。この勝利は私だけの勝利ではない、下々の者にも幸福をもたらす、意義のある戦いなのだから!)
絶対に勝たなければならない戦いに、何も知らぬ兵たちを巻き込んでいる。
その事実に目を背け、あるいはどの戦いもそういうものだと解釈しているのか、彼は自分の正当性を裏付けしていく。
(勝てる!)
そして、勝ち目があるかどうか、という点に関しては疑っていなかった。
なにせ敵の十倍の戦力を用意したうえで、真正面からぶつかるのである。
ごく普通に、負ける余地がない。
(相手は山道を通過する事情もあって、全員が徒歩だ。兵糧に余裕もないので、一気に決めに来るしかない。つまり、負ける要素はない!)
一応念のため補足するが、彼は騎士団の戦力を評価している。
そうでなければ、十倍もの戦力を用意しない。
(従騎士が全員精鋭だったとして……私直属の古参兵と同等だったとして、それが600人ほどいるとして、だからなんだ? それに30人ほどのトップエリートが加わったとして、だからなんだ? そんなもの、私は何度も倒してきた!)
10倍の兵がいるということは、理論的には10倍の回数攻撃できるということ。
いくら精鋭、いくらエリートと言えども、命は一つしかない。
そんなことは、貴人でありながら事故によって引退せざるを得なかった、彼こそが良く把握している。
(私たちは弓に魔術に銃と、遠距離攻撃の準備は潤沢だ。腰を据えてお前たちを迎え撃つ。張り付かれても騎兵で背後から襲う。それだけでいい!)
彼の立てた作戦は、猛将らしいシンプルな作戦だった。
だがシンプルだからこそ、寄せ集めた兵隊でも十分にこなせる。
大軍であることもあって、最善の策と言っていいだろう。
これを破る戦術など、徒歩の寡兵には存在しない。
(どんな作戦で来る? まあどう来たところで、削り殺してやるがな……!)
猛将たる彼にとって最上の喜びは、どうしようもない戦力差を覆そうとして無謀な策をとる者を蹂躙することである。
またそれに次ぐ喜びは、己の才能に酔いしれるエリートを、自分の実力と兵で押しつぶすことであった。
それを同時にかなえられるということで、彼は高ぶっていた。
そうしていると騎士団が、山のふもとに整列し、ゆっくりと前進してくるではないか。
わかりきっていたことではあるが、敵は真っ向からぶつかってくる構えのようである。
それも、愚か極まることに、広く横に並んで、兵を一気にぶつけてくる構えだった。
「ふっ」
兵一人一人の実力に自信がある、ということだろう。
一人一人で十人倒せば勝てる、という無茶な計算なのだろう。
相手が腰を据えて遠距離攻撃の準備をしているのなら、自殺同然の作戦だった。
ふと、自分の腕の傷が痛んだ。
彼に教訓と屈辱を与えた、挫折の傷みだった。
(この私ですら、傷を受ける時は受ける……騎士様方に、現実の厳しさを教えてやろう!)
今にも飛び出したい気持ちを抑えて、彼は部下たちに待ったをかける。
「まだ撃つな……まだだ、まだだぞ!」
ゆっくりと接近してくる騎士団。
彼らが遠距離攻撃が有効な距離に達するまで、先代伯爵は号令を待たせていた。
あと少し、あと少しで有効射程に入る。
この一発目ですべて決するかもしれないな。
そんな考え、期待さえしながら彼はその時を捕らえていた。
「撃て!!」
弓矢が、銃が、魔術が。
それぞれが、前方にいる騎士団へと降り注ぐ。
当然ながら、最前線にいるのは従騎士隊である。
精鋭ではあるものの、エリートですらない、平均的な能力の人間達である。
彼らはどこにでもいる普通の兵のように、もっている盾や剣で、攻撃を受け止めながら前進していく。
何も驚くべきことはしていない、だが異常なのは、一人も倒れなかったこと、一人も崩れなかったことだ。
遠距離攻撃によって一方的に撃たれながらも、彼らはただまっすぐ行進を続けているのである。
「……!?」
その光景に、兵士達や先代伯爵は『アレ?』と疑問を覚えた。
しかしそれがやがて巨大な圧力となり、彼らの心にのしかかる。
「撃て、撃て、撃て!」
戦場の下士官たちは、自分の部下に攻撃の指令を出す。
もちろん兵士たちも涙目になりながら攻撃する。
しかし、まったくひるまずに敵は接近してくる。
「交代だ! 重歩兵隊、前に出ろ! 弓兵、銃兵は下がれ! 騎兵隊、背後に回り始めろ!」
だがそれでも、先代伯爵は適切な判断を下していた。
兵を交替させるタイミングを間違えず、部隊に適切な指示を出す。
彼らは慌てながら、しかしそれに従っていた。
接近戦に備えて、槍兵隊が前に出ていた。
「攻撃魔術、開始」
しかしそのタイミングになって、騎士団の従騎士隊は攻撃魔術を展開した。
詠唱により魔法陣が展開され、攻撃魔術として魔力の弾が飛んでいく。
もちろん槍兵たちも盾を持っているのだが、それでも吹き飛ばす、陣形を崩すには十分な威力があった。
「突撃」
ティストリアの声に応じて、従騎士隊は突っ込んでいく。
「おおおおおおおおお!」
国内最精鋭を自負する彼らは、目の前にいる敵と大差のない戦法で、一気にぶつかっていく。
陣形を崩された兵たちは、それでも抵抗しようとするが、一気に飲まれていく。
「ずいぶんと良い武装をしているな……だがそれを差し引いても情けない!」
ここでも先代伯爵は冷静だった。
従騎士隊が善戦できた道理を、彼らの装備が良いものだからと理解していた。
それこそ自分が着ているような、人間用としては最上級の装備なのだと察する。
だからこそ矢玉にも耐えたのだろう。しかしそれでも、ただの人間ではないか。こうも崩されるのは情けないことである。
「私に続け!」
騎乗している先代伯爵は、猛者を引き連れて突撃する。
向かってくる従騎士と、真正面からぶつかっていく。
(いつもと同じだ……私が一人二人と蹴散らせば、士気は一気に高まる! そうすれば敵の勢いを押し返し、そのまま一気に全滅だ!)
彼は騎乗したまま、力の戻った手で徒歩の従騎士と戦う。
ガンガンガン、と攻防が続き、従騎士の方がおいこまれていった。
(さすがは精鋭……思ったより強い!)
だが先代としては、手こずっているという認識だった。
自分が全盛期を過ぎていること、久しぶりの実戦であるということを踏まえても、従騎士は強かった。
(若いのによくやる……!?)
先代はここで、背後からの殺気を感じ取っていた。
振り向きざまに、槍を振るう。
そこには別の従騎士がおり、こちらに剣を振るっていた。
「ぐぅ、私の部下は……!?」
ここで彼は気づいた。
自分の信頼する、古強者たち。
彼らが皆、地面に倒れていたと。
(マズい……!!)
そう思った瞬間、他の従騎士の魔術が彼の乗る馬を撃っていた。
当然持ちこたえることはできず、彼の馬は地面に倒れる。
常人ならそのまま死んでも不思議ではないが、彼は落馬しつつも戦闘態勢をとっていた。
(まず、まず……マズい、そんな、そんなバカな……!? こっちの方が人数は上なんだぞ、なぜ私に戦力が集中でき……!?)
ここで彼は、自分が突出していることに気付いた。
自分の周囲に居た猛者たちは全員倒れ、更に前線の兵達も蹴散らされている。
なぜか。従騎士隊が思ったより強かったからである。
他種族のエリートのように、十人を吹き飛ばしながら進む、ということはできない。
だが隣に立つ仲間と共に、二、三人を切り裂きながら前進することはできていた。
「ぐぅ……がああああ!」
これが、相手が正騎士、トップエリートなら退けたかもしれない。
しかし彼と戦っているのは、あくまでも従騎士に過ぎなかった。
敵の、一人の兵士に過ぎなかった。
「おおおお!」
先代伯爵は、従騎士が思うより強かった。
三人の従騎士と戦って、なんとか持ちこたえる程度には強かった。
しかし、四人目が来た瞬間に、それは決壊する。
「ぐぁ……!」
彼も、エリート側なのだろう。
常人の二倍三倍の実力を持ち、それを鍛えていたのだろう。
だがそれでも、命は一つしかない。
彼は深手を負い、地面に倒れていた。
「せ、先代様! 先代様を助けろ~~!」
「敵を足止めしろ!」
幸いと言うべきか、彼の部下たちが死力を尽くして彼を前線から下げていく。
そう……まだ前線が崩れただけであり、伯爵軍全体は健在だった。
少し下がれば、安全圏に避難できるはずだった。
「騎兵隊が回り込んできてくれたぞ! このまま一気に挟め!」
「後方に布陣しろ! もう一度遠距離攻撃をするんだ!」
寄せ集めの軍隊であることが功を奏してか、各部隊はそれぞれに判断をし、目の前の詐称騎士団を倒そうとする。
そう、結局は数。従騎士がどれだけ頑張っても、大局を変えることはできない。その前に力尽きる。
「そろそろ我らの出番ですね」
だが彼らが力尽きる前に、温存されていたトップエリートたちが暴れだすのだ。
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