削除して逃げるって、それはなんか卑怯というか、ずるいじゃん!
※特定の誰かを攻撃する意図はないし、ちゃんと読めばそれは伝わると思います。が、念のため……
とりあえず最初に……
タイトルを見て「ああ、例の炎上エッセイのことか」と思った人がいたら、申し訳ない。
そっちのそれのことじゃないんだ。そこはまあ、勘弁して欲しい。
でもたぶん共通するところもあるとも思う。知らんけど。
……じゃあ何のことかっていうと、もっと個人的なことで、
具体的には、私のエッセイについたコメントのことです。
そのコメントを読んでいない人がほとんどだと思うから、超大雑把に概要だけかいつまむと……
1. 私の書いたエッセイに「作者名にリンクが張ってないから、残念ながら別作品を読めませんでした」みたいな感想がついた。
2. それを見た私が「念のため伝えておくと、作者名にリンクがなくても画面一番下の『作者マイページ』から作者ページに飛べますよ。あと、私がリンクを張ってないのは、今回の場合意図的ですよ」みたいな、返信をした。
3. 私の返信を見た件の読者が「早速アクセスしてみました。でもすいません、文字数の割に評価が低くて、読む気になれませんでした。今回は縁がなかったということで」みたいなコメントがついた。
4. それを見た私が「頼んでもないのに謝られるなんて、まるで告白する前に振られるみたいなことが、実際にあるんですね」みたいに返信した。
5. 気づいたら、二つのコメントが、コメント欄から消えていた。
みたいなことが、ありました。
何せ消えちゃってるから、全く正確な文章ではないんだけど、まあだいたいこんな感じ。
念のために、これは大事なことなのですが……
私に、コメント主を否定したり攻撃したりする意図は一切ありません。
むしろ今の私の感情は
「そんな面白いコメントを消してしまうなんて、もったいない!」
ということでした。
だって、こんなの狙ってできることではありませんよ!
コメント投稿者と、作者の返信が奇跡的にかみ合ってできた、コントのような。
私だったら、むしろみんなに自慢したいぐらいなのに……と、まあそう思うわけです。
いやあ、皮肉とかではなく、本当に消えてしまったことが、ただ惜しい……
でも、コメントが消されたなら消されたで、それはそれで面白い発見がありました。
転んでもただでは起きないのが、創作に携わる者の使命です。
と、いうことで、せっかくなので立場を入れ替えて考えてみたのですが……
相手の気持ちになって……というのは多分、人が人である限り不可能です。
でも、相手の気持ちを妄想することは、人が小説家である限り可能です。
ということで、今はもう消えたコメントの、真意をねつ造してみましょう。
気持ちは、わかります。
そう、きっと彼は恥ずかしかったのだろう、と。
レスバで完敗したという事実が、だからコメントを削除した。だとしたら、うん。私としても納得がいく。
これは手前味噌かもしれないだけど、あのレスバの勝敗は明らかだったから。
完膚なきまでに叩きのめされた。自分の死体を晒すのは耐えられない……
ならばいっそ、消してしまいたい。
そして小説家になろうには、自分の書いたコメントを消すという行為が、許されている。
(ただしなろうに登録しているユーザに限る)
だから、別に自分のコメントを消すことは、わるいことじゃない。
でもそれは、人が子供から大人になるために乗り越えるべき勘違いなんじゃないかとも、思ったわけです。
そもそも「負ける」というのは、別に恥ずかしいことじゃないのだから。
勝つ人がいれば、負ける人がいる。そんなのは当たり前。
勝つことがあれば負けることもある。そんなのも、当たり前。
だというのに、たまたま勝ったことばかりを自慢して、負けたことを隠そうとするから、いびつに見える。
百戦百勝など、うさんくさいはずなのに……不思議なことに、世の中にはそんなのばかりが溢れている。
だから、自分の負けが恥ずかしい。
そしてやがて、負けから目をそらすあまり、自分では何もできなくなってしまう。
挑戦しないことを自慢する、無勝無敗の無能になってしまう。
でもそんなのは、もったいないじゃん!
それに、負けたということは、勝負したということだから。
陰から笑う愚者どもを、むしろ笑ってやればいいのに。
あるいは、自分が間違ったことを言ったことが、恥ずかしかったのかな?
だとしたらそれは、それこそコメントを消すべきじゃなかった。
間違ったことを言う人がいたときにこそ、新しい発見があるのだから。
人は結局のところ「なぜ間違えたのか」からしか学べない。
そもそもそれが間違いだ、などというのは誰が決めるのだ?
百人中の九十九人が間違いだといってとしても、そのときのあなた自身がそれを正しいと信じていた限り、それは絶対に100%じゃないというのに。
現に、私が例のコメントを最初に読んだとき、第一感想は「ああ、こんなこと思う人もいるんだ……」だったので。
まあその上で、面白かったので殴り返したわけですが。
とはいえ人間の社会は不条理だ。
隙を見せたら突かれるような、厳しい世界だ。
敗者であるというだけで、石を投げられるのが当たり前の世界だ。
だから、傷跡を隠そうとするのは自然なことだと思う。
でもだからこそ、傷跡を隠さずにむしろ誇るのが当たり前の世界がうらやましい。
そんな世界がいつか来ないかと……いや、多分無理だと思いますけど。
あとがき
ちなみに……私は例のコメントを見て、やはり評価がつくことは重要なのだと再認識しました。
なにせ「評価が足りないと読む気にもならない」と公言する人が、確かにそこにいたわけなので。
乞食行為を嫌う人が一定数いたとしても、読んでもらうためには必要なことなのかもしれません。
評価してもらうためじゃなくて、読んでもらいたいために。
面白い作品を書きたい気持ちが第一だとしても、読んで欲しくないというのは、それは嘘じゃん!