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律と欲望の夜  作者: 冷泉 伽夜
第三夜 静寂と沈黙の雨
93/94

沈む足取り 2




          †




 律と話をした時間は、十分にも満たなかった。それでも、律に会いに行くのをやめようとは思わない。律は、短い時間の中でも、ユイのことを癒やしてくれるのだから。


 金を払えないユイが、席についてくれないことに文句は言う資格はない。若い女の子のように「なんでもっと一緒にいてくれないの」と責めることもない。心地よさと虚しさを同時に感じながら、律に見送られて店を後にする。


「ゆーいさん」


 店を出てしばらく、背後から声をかけられた。聞き覚えのある声だ。


 振り向けば、白い涙袋が特徴的な女の子、リアがそこにいた。電子タバコ片手に、煙を吐いている。


「な、なに?」


「さっき、あたしも店にいたんです。気づかなかったでしょ? ユイさん、全然目合わせてくれないんだもん」


「そ、そうなんだ。でも、私もう帰るから」


 先を進もうとするユイの腕を、リアが握る。にっこりと笑うリアはその手を離してはくれない。


「律にハマっちゃってかわいそうだね、ユイさん。律、人気だからなかなか席についてくれないでしょ」


「そうね、でも、しかたないよ」


 へら……と笑ってその場をどう切り抜けようか考える。そのあいだも、リアはしたり顔で続けていた。


「どうすれば律と一緒にいられるか知ってる? アルマンドとか、エンジェルとか、高い酒入れればいいの」


「いや、でも、そこまでするほどのことじゃないし」


「一時間いてさ、律が一切座らないこともザラにあるんだよ、今は良いけどそのうちそうなるよ。だって、金出せない客は、店にとってもホストにとっても迷惑なだけだもん」


 ユイはなにも返せなかった。自分でもかすかに感じていた現実を、これでもかとつきつけられる。


「やっぱさー、金だよね、金。ユイさんがたくさん稼ぐようになれば、律も好き好き言ってくれるよ。いい方法、教えてあげる」


 リアはユイに顔を寄せ、口元を隠すよう手を当てながら、ささやいた。


「あのね、デリの客と、裏引きすればいいんだよ」


「え?」


「デリで客と本番して金をもらう、とかもアリだよ」


 顔を離すリアは、無邪気に笑っていた。


「みんなやってるよ~、言わないだけで。スタッフたちも知ってるもん」


 ユイの顔から、血の気が引いていく。これ以上、聞いていたくない。


「ただでさえ閑散期なんだし、搾り取れるだけ搾り取ったほうがよくない? それに律だけじゃなくって、子どもを育てるなら金あって困ることはないっしょ?」


 ユイの心は、揺れる。それも正しいのかもしれない。いや、やっぱりしてはいけない行為だ。でもそれでお金が稼げるのなら――。いろんな感情や思考が、頭の中をぐるぐると駆け巡っている。


 ――怖い。この子と一緒にいるのが怖い。この子の話を、聞いてはいけない。


「ごめん。もう、行かなくちゃ」


「あ……」


 腕をつかむリアの手を振り払い、急ぎ足で離れていく。その背中に、リアは顔をゆがませながら舌打ちした。




          †




 律の指名客は、閉店の一時間前にもなると全員帰宅した。先ほどまでのにぎやかさがウソだったかのように、店は静まりかえっている。


 律は連絡アプリに登録された女性たちに、お礼のメッセージを送りながら厨房に入った。


「今日も来てましたね、あの人」


 声をかけられ、足を止める。


 休憩を終えて厨房を出ようとしたホストと鉢合わせた。キャバクラで下品なふるまいをしていたそいつは、リアの指名でもある。


「お互い、細い客相手に大変すよね」


 それだけ言うと、そのホストは気だるげに厨房を出ていった。


 奥で並ぶパイプ椅子に座る志乃が、手をあげて律を呼ぶ。


「おつかれ~」


 たばこをくわえ、ピッチャーの水をグラスに注ぎ、律に差し出した。スマホを見ながら黙って受け取る律に、志乃は煙を吐き出して尋ねる。


「あの人、デリやってんだって?」


「どの人?」


「包帯の人」


「ああ……誰に聞いた? レオ?」


 志乃は厨房の出入り口に顎をしゃくる。


「枝らしいじゃん?」


 枝、とは、店に指名のいる女性(幹)がつれてくる、初回客のことだ。


 誰が漏らしたか察した律は、ため息をついた。


「どいつもこいつも客の情報ぺらぺらしゃべりやがって」


「デリったってさ。あの見た目で客取れんの? デリヘル事務所の社長としてどう思うよ?」


 志乃の辛辣(しんらつ)な言葉に、律は返事をしない。


「よりにもよってホストにハマっちゃうなんて、あの人もかわいそ~」


「ホストクラブに来るやつなんて、しょせんかわいそうなやつばっかりだろ」


「ひどい言い草~」


「どんなにかわいそうでも、接客して機嫌よくして金を落とさせるのが俺らの仕事だ」


「はいはい、正論っすね」


 灰皿に灰を落とし、志乃は再び口にくわえる。


「……にしても、律目当てでよかったな、あの人」


 律の視線が、スマホから志乃に移る。志乃は煙を細く吹き出していた。


「ほかのホストだったら、俺だったら、早々に見切りつけるような客だし。見込みあったとしても骨の髄までしゃぶってるよ」


「それ、拓海にも同じようなこと言われた」


「げえ? まじ? あいつと発想が同じなのすげえ嫌だわ」


「同じ店のホストなんだしそりゃ似たり寄ったりの考えになるだろ」


「あいつと一緒にすんな。俺はあいつほど下品じゃねえぞ」


 苦々しく顔をゆがめながら、まじめな声色で続ける。


「……ま、その点おまえはな。そこまで外道にはなれねえだろ」


 律はスマホに視線を戻す。画面を暗転し、ジャケットの内に入れた。


「この店に来るなと言わない時点で、俺も外道だよ」


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