沈む足取り 2
†
律と話をした時間は、十分にも満たなかった。それでも、律に会いに行くのをやめようとは思わない。律は、短い時間の中でも、ユイのことを癒やしてくれるのだから。
金を払えないユイが、席についてくれないことに文句は言う資格はない。若い女の子のように「なんでもっと一緒にいてくれないの」と責めることもない。心地よさと虚しさを同時に感じながら、律に見送られて店を後にする。
「ゆーいさん」
店を出てしばらく、背後から声をかけられた。聞き覚えのある声だ。
振り向けば、白い涙袋が特徴的な女の子、リアがそこにいた。電子タバコ片手に、煙を吐いている。
「な、なに?」
「さっき、あたしも店にいたんです。気づかなかったでしょ? ユイさん、全然目合わせてくれないんだもん」
「そ、そうなんだ。でも、私もう帰るから」
先を進もうとするユイの腕を、リアが握る。にっこりと笑うリアはその手を離してはくれない。
「律にハマっちゃってかわいそうだね、ユイさん。律、人気だからなかなか席についてくれないでしょ」
「そうね、でも、しかたないよ」
へら……と笑ってその場をどう切り抜けようか考える。そのあいだも、リアはしたり顔で続けていた。
「どうすれば律と一緒にいられるか知ってる? アルマンドとか、エンジェルとか、高い酒入れればいいの」
「いや、でも、そこまでするほどのことじゃないし」
「一時間いてさ、律が一切座らないこともザラにあるんだよ、今は良いけどそのうちそうなるよ。だって、金出せない客は、店にとってもホストにとっても迷惑なだけだもん」
ユイはなにも返せなかった。自分でもかすかに感じていた現実を、これでもかとつきつけられる。
「やっぱさー、金だよね、金。ユイさんがたくさん稼ぐようになれば、律も好き好き言ってくれるよ。いい方法、教えてあげる」
リアはユイに顔を寄せ、口元を隠すよう手を当てながら、ささやいた。
「あのね、デリの客と、裏引きすればいいんだよ」
「え?」
「デリで客と本番して金をもらう、とかもアリだよ」
顔を離すリアは、無邪気に笑っていた。
「みんなやってるよ~、言わないだけで。スタッフたちも知ってるもん」
ユイの顔から、血の気が引いていく。これ以上、聞いていたくない。
「ただでさえ閑散期なんだし、搾り取れるだけ搾り取ったほうがよくない? それに律だけじゃなくって、子どもを育てるなら金あって困ることはないっしょ?」
ユイの心は、揺れる。それも正しいのかもしれない。いや、やっぱりしてはいけない行為だ。でもそれでお金が稼げるのなら――。いろんな感情や思考が、頭の中をぐるぐると駆け巡っている。
――怖い。この子と一緒にいるのが怖い。この子の話を、聞いてはいけない。
「ごめん。もう、行かなくちゃ」
「あ……」
腕をつかむリアの手を振り払い、急ぎ足で離れていく。その背中に、リアは顔をゆがませながら舌打ちした。
†
律の指名客は、閉店の一時間前にもなると全員帰宅した。先ほどまでのにぎやかさがウソだったかのように、店は静まりかえっている。
律は連絡アプリに登録された女性たちに、お礼のメッセージを送りながら厨房に入った。
「今日も来てましたね、あの人」
声をかけられ、足を止める。
休憩を終えて厨房を出ようとしたホストと鉢合わせた。キャバクラで下品なふるまいをしていたそいつは、リアの指名でもある。
「お互い、細い客相手に大変すよね」
それだけ言うと、そのホストは気だるげに厨房を出ていった。
奥で並ぶパイプ椅子に座る志乃が、手をあげて律を呼ぶ。
「おつかれ~」
たばこをくわえ、ピッチャーの水をグラスに注ぎ、律に差し出した。スマホを見ながら黙って受け取る律に、志乃は煙を吐き出して尋ねる。
「あの人、デリやってんだって?」
「どの人?」
「包帯の人」
「ああ……誰に聞いた? レオ?」
志乃は厨房の出入り口に顎をしゃくる。
「枝らしいじゃん?」
枝、とは、店に指名のいる女性(幹)がつれてくる、初回客のことだ。
誰が漏らしたか察した律は、ため息をついた。
「どいつもこいつも客の情報ぺらぺらしゃべりやがって」
「デリったってさ。あの見た目で客取れんの? デリヘル事務所の社長としてどう思うよ?」
志乃の辛辣な言葉に、律は返事をしない。
「よりにもよってホストにハマっちゃうなんて、あの人もかわいそ~」
「ホストクラブに来るやつなんて、しょせんかわいそうなやつばっかりだろ」
「ひどい言い草~」
「どんなにかわいそうでも、接客して機嫌よくして金を落とさせるのが俺らの仕事だ」
「はいはい、正論っすね」
灰皿に灰を落とし、志乃は再び口にくわえる。
「……にしても、律目当てでよかったな、あの人」
律の視線が、スマホから志乃に移る。志乃は煙を細く吹き出していた。
「ほかのホストだったら、俺だったら、早々に見切りつけるような客だし。見込みあったとしても骨の髄までしゃぶってるよ」
「それ、拓海にも同じようなこと言われた」
「げえ? まじ? あいつと発想が同じなのすげえ嫌だわ」
「同じ店のホストなんだしそりゃ似たり寄ったりの考えになるだろ」
「あいつと一緒にすんな。俺はあいつほど下品じゃねえぞ」
苦々しく顔をゆがめながら、まじめな声色で続ける。
「……ま、その点おまえはな。そこまで外道にはなれねえだろ」
律はスマホに視線を戻す。画面を暗転し、ジャケットの内に入れた。
「この店に来るなと言わない時点で、俺も外道だよ」




