沈む足取り 1
一週間後。みっちりと働き続けたユイはまた、「Aquarius」を訪れていた。
この日は平日だというのに客数が多い。始めこそ出迎えてくれた律も、すぐに別の卓へと移動していく。
ユイは、忘れていたのだ。律がこの店のナンバーワンだということを。
酒をおろさないユイには当然、一時間で相手にしてもらえる機会はめったにこない。
となりにずっと座っているのは、ヘルプのレオだ。一重の目を細め、愛嬌のある笑顔をキープ。しかしどうにも盛り上げることができない。どうしても、ユイの顔に巻かれた包帯に目がいってしまう。
それに気づいたユイは、苦笑した。
「ごめんね。怖いでしょ……」
「あ、いやいや、そんなことはないっすけど」
「大丈夫だよ、無理しなくて。こんな客のとなりにつくなんて、私も嫌だもん」
壁を背にして座るユイは、広々とした店内の様子を見渡す。
先ほどから、律は席を行ったり来たり、移動し続けていた。律が座った席で、規模の小さいシャンパンコールが行われる。ここがホストクラブだったことを思い出させる光景だ。
ユイは身を乗り出し、シャンパンコールの一部始終を眺めていた。おろされたシャンパンをホストたちで飲み干すのを見て、レオに尋ねる。
「やっぱり、人気のホストって、高いお酒を頼んだ人のところにつくんだね」
「そりゃそういうシステムなんで」
レオはあっけらかんと返した。
「みんなどうしてそんなにぽんぽん頼めちゃうんだろう。やっぱり、そういうお仕事をしている人たちが多いのかな」
「そうですね。多いと思います。夜職してる子は稼ぐし、そのぶん出すんで」
「そう……」
「だからって大金出す子が全員夜職ってわけでもないですけどね」
ユイは再び、店内を見渡す。
律が座っていた卓席を一つ一つ眺め、そこに座る女の子の顔を確認していく。
「女の子も、かわいい子ばかりだね」
若く、おしゃれで……中にはスーツ姿の女性もいるがどこか華やかで。ユイだけが、やはり、浮いている。
律が今座っている卓席に、視線を戻す。となりにいるのは高校生に見えるほど幼い、派手な女の子だった。
――私といるときより、楽しそう。
ホストだって、人間だ。女性の容姿で対応を変えたとしてもおかしくない。
ユイは律と一緒にいて安心できたとしても、律はあくまでも仕事で接してくれているだけなのだ。
――やっぱり、来るんじゃなかった。せめて連絡すればよかった。いつもすいていたから、そういうことを考えもしなかった。
ユイは目を伏せ、膝の上で手をぎゅっと握り締める。
「ごめんごめん、だいぶ待たせちゃった」
卓席に落ちる律の声。同時にレオが立ち上がり、席を離れていく。
となりに座る律に、ユイは眉尻を下げた。
「こっちこそ、ごめんなさい。忙しいときに来ちゃって」
「いやいや謝らないで! 待たせてるのは俺のほうなんだから」
「私のことはいいの。気にしないで。ほかのお客さんに比べてお金も使ってないから、いてもいなくても、同じだろうし」
「ユイさんも大事なお姫様のひとりだよ」
「姫、ね……」
客のことを姫と呼ぶ文化を、この店で初めて知った。いまだに慣れず、こっぱずかしくて顔をそらす。
「っていうか、せっかく戻ってこれたのにそんなこと言わないでよ。俺もまさか、こんなに指名されるとは思わなかったんだ。この時期はいつもすいてるもんだから」
律は視線を落とし、減っているユイのグラスに水をそそぐ。
「律くんは人気者だし、これだけかっこいいんだもん。そりゃみんなそばにいてほしいって思うよ」
ユイ自身がそうだった。律がとなりにいてくれるだけで、自分の居場所を作り上げてくれているような気がした。現実をすべて忘れられるような気分になった。
パートでもデリヘルでもこわばっていた顔が、自然と緩む。
「お店のトップなら、どんなお客さんでも楽しませることができるんだろうし」
「え~? そんなことないよ。俺なんてやらかしたことのほうが多いくらいだもん」
大きく手を振って苦笑する律に、ユイは茶化すように笑う。
「うそだぁ」
「ほんとほんと。最近だと、言葉選び間違えて灰皿で殴られる目にあっちゃって。あれ、すっごい痛かった」
「ええ? ほんとに? 律くんがそんなことされるの? 全然想像できない」
「そりゃユイさんが優しいからだよ~」
律に注ぎ足してもらったグラスを持つユイは、神妙な顔つきで尋ねた。
「律くんはさ、そうやってお客様から嫌なことされたとき、辞めようって思わないの?」
「ん~、そうだなぁ……」
上を見て考え込む律はしばらく、無言が続く。
やがて、控えめな笑みを浮かべてみせた。
「思うときはあるよ、もちろん。でも、嫌なお姫様以上に、『律』のことを好きでいてくれるすてきなお姫様が多いからね。働いてて得られることはたくさんあるし、続ける価値があるとも思ってるから」
ホストとして、完璧な答えだ。
「すごいね。律くんは」
頭の中に、デリヘルで相手にしてきた男たちの光景が浮かんでくる。ユイの容姿を罵倒する声に、化け物を見るような目、はやく終わらせてほしいのを隠そうともしない態度。
残念ながら、ユイは、律と同じような考え方はできない。同じ言葉を、律のようにさらりと言うこともできない。
だからこそ、完璧な接客を貫き通す律が神々しくて。どんどん傾倒してしまうのだ。




