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律と欲望の夜  作者: 冷泉 伽夜
第三夜 静寂と沈黙の雨
92/93

沈む足取り 1


 一週間後。みっちりと働き続けたユイはまた、「Aquarius(アクエリアス)」を訪れていた。


 この日は平日だというのに客数が多い。始めこそ出迎えてくれた律も、すぐに別の卓へと移動していく。


 ユイは、忘れていたのだ。律がこの店のナンバーワンだということを。


 酒をおろさないユイには当然、一時間で相手にしてもらえる機会はめったにこない。


 となりにずっと座っているのは、ヘルプのレオだ。一重の目を細め、愛嬌(あいきょう)のある笑顔をキープ。しかしどうにも盛り上げることができない。どうしても、ユイの顔に巻かれた包帯に目がいってしまう。


 それに気づいたユイは、苦笑した。


「ごめんね。怖いでしょ……」


「あ、いやいや、そんなことはないっすけど」


「大丈夫だよ、無理しなくて。こんな客のとなりにつくなんて、私も嫌だもん」


 壁を背にして座るユイは、広々とした店内の様子を見渡す。


 先ほどから、律は席を行ったり来たり、移動し続けていた。律が座った席で、規模の小さいシャンパンコールが行われる。ここがホストクラブだったことを思い出させる光景だ。


 ユイは身を乗り出し、シャンパンコールの一部始終を眺めていた。おろされたシャンパンをホストたちで飲み干すのを見て、レオに尋ねる。


「やっぱり、人気のホストって、高いお酒を頼んだ人のところにつくんだね」


「そりゃそういうシステムなんで」


 レオはあっけらかんと返した。


「みんなどうしてそんなにぽんぽん頼めちゃうんだろう。やっぱり、そういうお仕事をしている人たちが多いのかな」


「そうですね。多いと思います。夜職してる子は稼ぐし、そのぶん出すんで」


「そう……」


「だからって大金出す子が全員夜職ってわけでもないですけどね」


 ユイは再び、店内を見渡す。


 律が座っていた卓席を一つ一つ眺め、そこに座る女の子の顔を確認していく。


「女の子も、かわいい子ばかりだね」


 若く、おしゃれで……中にはスーツ姿の女性もいるがどこか華やかで。ユイだけが、やはり、浮いている。


 律が今座っている卓席に、視線を戻す。となりにいるのは高校生に見えるほど幼い、派手な女の子だった。


 ――私といるときより、楽しそう。


 ホストだって、人間だ。女性の容姿で対応を変えたとしてもおかしくない。


 ユイは律と一緒にいて安心できたとしても、律はあくまでも仕事で接してくれているだけなのだ。


 ――やっぱり、来るんじゃなかった。せめて連絡すればよかった。いつもすいていたから、そういうことを考えもしなかった。


 ユイは目を伏せ、膝の上で手をぎゅっと握り締める。


「ごめんごめん、だいぶ待たせちゃった」


 卓席に落ちる律の声。同時にレオが立ち上がり、席を離れていく。


 となりに座る律に、ユイは眉尻を下げた。


「こっちこそ、ごめんなさい。忙しいときに来ちゃって」


「いやいや謝らないで! 待たせてるのは俺のほうなんだから」


「私のことはいいの。気にしないで。ほかのお客さんに比べてお金も使ってないから、いてもいなくても、同じだろうし」


「ユイさんも大事なお姫様のひとりだよ」


「姫、ね……」


 客のことを姫と呼ぶ文化を、この店で初めて知った。いまだに慣れず、こっぱずかしくて顔をそらす。


「っていうか、せっかく戻ってこれたのにそんなこと言わないでよ。俺もまさか、こんなに指名されるとは思わなかったんだ。この時期はいつもすいてるもんだから」


 律は視線を落とし、減っているユイのグラスに水をそそぐ。


「律くんは人気者だし、これだけかっこいいんだもん。そりゃみんなそばにいてほしいって思うよ」


 ユイ自身がそうだった。律がとなりにいてくれるだけで、自分の居場所を作り上げてくれているような気がした。現実をすべて忘れられるような気分になった。


 パートでもデリヘルでもこわばっていた顔が、自然と緩む。


「お店のトップなら、どんなお客さんでも楽しませることができるんだろうし」


「え~? そんなことないよ。俺なんてやらかしたことのほうが多いくらいだもん」


 大きく手を振って苦笑する律に、ユイは茶化すように笑う。


「うそだぁ」


「ほんとほんと。最近だと、言葉選び間違えて灰皿で殴られる目にあっちゃって。あれ、すっごい痛かった」


「ええ? ほんとに? 律くんがそんなことされるの? 全然想像できない」


「そりゃユイさんが優しいからだよ~」


 律に注ぎ足してもらったグラスを持つユイは、神妙な顔つきで尋ねた。


「律くんはさ、そうやってお客様から嫌なことされたとき、辞めようって思わないの?」


「ん~、そうだなぁ……」


 上を見て考え込む律はしばらく、無言が続く。


 やがて、控えめな笑みを浮かべてみせた。


「思うときはあるよ、もちろん。でも、嫌なお姫様以上に、『律』のことを好きでいてくれるすてきなお姫様が多いからね。働いてて得られることはたくさんあるし、続ける価値があるとも思ってるから」


 ホストとして、完璧な答えだ。


「すごいね。律くんは」


 頭の中に、デリヘルで相手にしてきた男たちの光景が浮かんでくる。ユイの容姿を罵倒する声に、化け物を見るような目、はやく終わらせてほしいのを隠そうともしない態度。


 残念ながら、ユイは、律と同じような考え方はできない。同じ言葉を、律のようにさらりと言うこともできない。


 だからこそ、完璧な接客を貫き通す律が神々(こうごう)しくて。どんどん傾倒してしまうのだ。

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