偽りの灯火 2
律になら、話してもいいような気がした。律であれば。そんな自分を受け入れてくれるかもしれない。受け入れるフリだったとしても、上手に演じてくれるはず。
「病院に、行く余裕もなかったの。あの頃は精神的にも、金銭的にも、落ち込んでて」
暗い空気にならないよう、笑みを浮かべながら続ける。
「今さら病院で治療するのもね。お金もないし、今は、自分のことは後回しなの。やっぱり、母親だからお金は子どものために使わなくちゃ。……あ、でも、結局ふらふら~っとこんなところに来ちゃってるんだけど。私ってば、母親失格だね」
「自分でそういうこと言うもんじゃないよ」
先ほどまでの甘さは一変、神妙な声が返ってきた。
不快な思いをさせてしまったかもしれないと、ユイはたじろぐ。
「普段からユイさんがたくさんがんばってるのは、見ててわかるよ。初めて会ったときからちゃんと、わかってる」
笑みを消した律の言葉が、妙に優しく感じた。
今のユイに痛いほど沁みこんでいく。
「どんなに完璧な人だろうと、すべてを投げ出したくなるときはあるんだよ。ユイさんだけじゃない。自分を卑下する必要なんてないんだ。ここで少し休んだら、いつものお母さんに戻ればいい」
ホストとしてギラギラしてるわけでもオラついているわけでもない。わかりやすいおべっかを並べ立てるわけでもなく、ユイの言葉尻をとって批判するわけでもない。
誰にも受け入れてもらえず、疲弊と罵倒に満ちたユイを、ただ、肯定してくれている。
「子どもの貯金で遊んでるわけじゃないんだし、一時間だけって線引きもできてる。大丈夫。ユイさんは母親失格なんかじゃない。普段から子どもを優先できる、いいお母さんだよ」
「そうかな」
「そう思うよ。だから、ね? この六十分は、好きに過ごそうね」
律はユイの手を取り、ひときわ美しく輝かしい笑みを浮かべた。
「ユイさんが大変だったこととか嫌なこととか、逆に楽しかったこととか、なんでも話していいんだ。俺はユイさんの話したことを誰かに言うことは絶対にしないし、話すことがないのに無理に話せとも言わない。でも、ここにきて、ユイさんが少しでも元気になれたらいいなって思ってる」
ホストとして計算しつくされた、偽りの言動なのかもしれない。自分を金として見ているからこそできる演技なのかもしれない。それでも、律のとなりは居心地がいい。この手を振り払うことは、できなかった。
ほかに指名の客がいない律は、ずっとユイのとなりにいて接客する。ホストクラブという独特な空気の中でも、ユイが快適に過ごせるよう終始気を配っていた。
そんな律に、ユイはため込んでいたものを一気に放出するよう話し続ける。やけどのことも子どものことも、元夫のことも、仕事のことも、そして、自分が目標にする夢のことも。普通だったら絶対に話さないようなことまで話していた。
ユイがなにを言おうと、律は否定せず、軽蔑することも下に見ることもない。ただ、気持ちに寄り添うよう相づちを打ち、真剣な顔でしっかりと聞いている。
スタッフがセット時間の終了を伝えに来たとき、一時間はこんなにも短かったかとユイは困惑した。前回来たときとは、明らかに時間の早さが違う。
名残惜しくても、これ以上はいられない。
会計を済ませて、律と一緒に地上のネオン街に出る。後ろ髪引かれる思いで律に手を振り、その場を後にした。
店にいたときは充実感でいっぱいだったのに、託児所へ近づくにつれ虚しさが募っていく。同時に、心の奥底に隠れていた罪悪感が、むくむくと大きくなっていた。
――ほんと、嫌な母親。
律はそれを否定してくれたものの、その事実は変わらない。ユイは結局、子どものために稼いだ金を、ホストクラブに使ってしまったのだ。
「すみません。遅くなってしまって」
託児所につくと、ぐっすりと眠っている娘を保育士から渡される。預けるときと違っておとなしく、ユイの肩に顎をのせるようにして、静かに寝息を立てていた。
「しばらく泣いてましたけど、そのあとはずっとおとなしかったですよ」
「そうですか。ありがとうございました」
娘を抱きしめながら、保育バッグを受け取り、託児所を後にする。
騒ぎの残る歓楽街から外れた、暗い細道をゆったりとした足取りで進んだ。
「ごめんね。こんな、ダメなママで」
寝ている子どもの背中をなでながら、つぶやく。
「でもママ、もっとがんばってお金稼ぐから。……これくらいは、許して」
†
見送りから戻った律は、キャッシャーを見て立ち止まる。そこには、カウンターに腕をのせて寄りかかる拓海がいた。目が合えば、なんとなしに尋ねてくる。
「あの客、育てるんすか?」
律は答えない。
ホストクラブで言う「育て」とは、金を多く使うエースになってもらうよう、時間をかけて育て上げる営業方法だ。昼職の女性相手だと日数を使うため、デリヘルやソープで働く女性によく仕掛けられる。
いまだに表情を変えず、なにを考えているのかわからない律の反応に、拓海はおそるおそる続けた。
「だって、あの人、デリでしょ? ……素質もありそうじゃないですか」
「おまえには関係ないだろ」
律はため息をつき、その場を通り過ぎた。




