仮面の微笑 1
ようやく解放される。
ユイは安堵の息をついて、地上につながる階段に足をのせた。先にのぼっていたリアと、その担当ホストを見上げながら、後に続く。
「はいこれ」
隣を歩く律が名刺を差し出した。店と自身の名前しか書かれていない、シンプルな名刺だ。
「え……?」
「よかったら、受け取って。俺のIDも書いてあるから。気軽に連絡してよ」
あいかわらずきれいに笑う律に、営業だと理解しながらも受け取った。
高級感に満ちた店とホールから地上に出れば、欲望にまみれるネオン街が目の前に広がる。
雨はちょうど、やんでいた。
ホスト二人に見送られながら店を後にするユイは、次の店に行くというリアとも離れる。子どもを迎えに行く道中、改めて名刺を見た。裏を見ると、直筆のメッセージが書いてある。
『今日はありがと! お仕事お疲れ様』
そのあとに、連絡アプリのIDが書かれていた。
これがホストのやり方だとわかっていながらも、頬が緩む。バッグにしまって、子どもを預けた託児所へと向かっていった。
†
見送りを終えたホストの二人は、客の姿が見えなくなると、その顔から笑みを消す。
「おつかれで~す」
リアの指名だったホストが先に階段を下りていった。律も遅れて下り始める。
「ほんと、やめてくださいよ、律さん。ねばれば延長いけたかもしれないじゃないすか。マジありえねえんすけど」
返事はしない。ホストの後ろ姿を、冷ややかに見据えるだけだ。
「あ~、だるっ。休憩はいりま~す」
出入り口で待ち構えていた店長が、先に入ったホストをスルーし、律を引きとめた。
「おい、このままじゃ早めに店閉めることになんぞ。ちょうど雨もやんでるみたいだし、今のうちに客呼んでくれ。おまえなら呼べるだろ」
「……なんで俺? そういうの役職持ちに言えば?」
役職持ちではない律は店長を通り過ぎ、バックヤードに向かう。
「あ、おい。……ったく」
連日雨が続き、客足が遠のいている店は盛り上がりに欠けていた。
本格的な梅雨に入ればそれこそ閑散期だ。売り上げの減少は避けられず、運営もプレイヤーたちも死に物狂いで営業に力を入れなければならない。
律はスマホを見ながら、バックヤードのドアを開けた。
「なあ、頼むよ、今月やばいんだって」
切羽詰まったホストの声に、立ち止まる。
ロッカーが並ぶ、決して広くはない部屋の中で、待機中のホストたちが電話をかけていた。
「もうすぐナンバー入れるんだ、もうおまえしかいねえんだよ。……いや、そういうこと言うなって!」
「てめえ、ただでさえ今月つけてんだろ! いい加減払いに来いよ!」
店に来るよう差し迫る彼らの言動に、余裕は一切ない。
情けない声が響くバックヤードに身を置くつもりはなかった。ドアを閉め、その場を後にする。
店内は相変わらず、客がちらほらといるだけだ。話し声より店内のBGMのほうが際立っている。
キャッシャーのカウンターに入り、女性スタッフの足元にしゃがんだ。女性スタッフは一瞥するだけでなにも言わない。
律は自身のスマホに視線を落とし、連絡アプリを確認した。今日はどの客も静かだ。いわゆる金払いの良い太客は望み薄。
連絡先に登録されている女性を選別し、メッセージを送る。さまざまな女性たちとやりとりを繰り返し、スマホの画面をタップし続けていた。
それからしばらく、階段を下りて来た女性客が一人、店前のホールに現れる。細身のOLといった服装で、傘の置き場所を探すようあたりを見渡しながら店に入ってきた。
「いらっしゃいませ~」
女性スタッフが声をかけると、その足元から律が立ち上がる。
「あ、律~」
手を振る女性客に、とびきりの笑みを見せて駆け寄った。
「本当に来てくれたんだ? うれしい!」
傘を預かり、スタッフから受け取ったナンバープレートを取り付ける。
「でも一時間だけだよ? 高いお酒も頼まないからね?」
「全然オッケー、ありがとうね」
傘立てに傘を入れ、店の奥から駆けつけたスタッフの案内についていく。
ここからが律の本番。腕の見せ所。
かぶりもなく、高級シャンパンも注文されない卓席で60分みっちりと接客し、笑顔で見送った。
引き続き、別の女性客が一人で店に入ってくる。
「あ、なつきちゃん久しぶり~。元気だったぁ?」
先ほどと同じように満面の笑みで女性を出迎え、傘を預かった。
「元気だよ。半年ぶり、くらい?」
「全然変わってないね。すぐになつきちゃんだって気づいたよ。突然呼び出しちゃってごめんね? ここまで来るの大変だったでしょ?」
「大丈夫だよ。こういう日じゃなきゃ、律、全然一緒にいてくんないもんね」
「俺も今日だったら一緒に過ごせる~と思って」
「よく言うわ」
ワンセットの時間、一人ずつ、指名客が訪れる。その誰もが、派手にシャンパンを頼むわけでもなく、律の体にべたべたと触れるわけでもない。金払いも常識の範囲内で、ひっきりなしに足を運ぶ常連でもなかった。
それでも二人の会話は尽きることなく、女性は終始笑顔で過ごし、満足げに帰っていく。




