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律と欲望の夜  作者: 冷泉 伽夜
第三夜 静寂と沈黙の雨
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夜明の邂逅 1


 ユイが連れていかれたのは、ひときわ大きいビルの地下にある、老舗の高級ホストクラブだ。


 同じ卓席に座るリアは、担当のホストが来るとそちらに意識を向け、ホストクラブが初めてのユイをほったらかし。最初から来る気のなかったユイが楽しめるはずもなかった。


 救いだったのは、「Aquarius(アクエリアス)」が王道スタイルを貫き、スーツ姿の落ち着いた男性が多かったことだ。ラフで、若く、カジュアルに着飾る派手なホストたちであれば、ユイは呼吸すらままならなかっただろう。


 とはいえ、店の豪華な内装や、男性たちから漂う雰囲気、整った顔面はホストそのもの。別の卓で行われたシャンパンコールには生きた心地がしなかった。


「ほらほら、ユイさんも飲んでよ!」


 卓にはリアがおろしたMOET&CHANDONモエシャンのピンクがアイスペールに浸かっている。


 ボトルを握るリアに、両手を振った。


「私、お酒強くないから」


 この空気に飲み込まれてはいけないような気がした。先ほどからずっと、シャンパンは遠慮して水を飲んでいる。


「え、マジで飲まないの?」


「……ごめんね」


「はー、ユイさん。マジで空気読めないわ。ここは酒飲む場所なんだからさ~」


「さすがに酔っぱらって子どもを迎えに行くわけにはいかないから」


「いやいやこっちはユイさんのためを思って酒をすすめてんだよ? ぱあって盛り上がれるようにさ。こんなお酒、今まで飲んだことないでしょー?」


 セット時間だけ、そのあとは絶対に帰る。そう決めたユイだったが、時間はなかなか進んでくれない。


 リアの担当ホストがユイの顔を指さした。


「ってか、ユイさんってなんで包帯してんの?」


 思わず隠すように、包帯の上から手を当てる。


「え、っと」


「やけどしてるんだってぇ」


 程よく酔いが回ってきたリアは、大声で続けた。


「めっちゃやばいよ。顔半分ドロドロ!」


「まじぃ? 一回見せてみてよ」


「やめたほうがいいって! トラウマもんだから」


 ユイのとなりに座るヘルプのホストが反応に困り、ぎこちなく笑っている。場の空気を壊さないよう、ユイもひきつった笑みを浮かべていた。


 視線が痛い。言葉が痛い。笑い声が痛い。誰の顔も見ることができない。とにかくここから、早く出たい。


 スタッフに呼ばれ、ヘルプのホストが卓から抜けていく。これで二度目だ。また別のホストがとなりにつくのかと、ユイはため息をついた。


 そのとき、別の卓席から抜けてきた律が、ユイがいる卓席の前を通りすぎていく。キャッシャーの手前にまでくれば、近寄ってきたこわもての店長に耳打ちされた。


 その内容に、律は首を振る。


「ダメだ。あんな醜悪な空気吸ってられるか」


 店長の指示を無視して厨房へと向かう。本来、ホストがスタッフや上の指示を聞かないのはご法度だ。しかし店長は注意するでもなく、ほかのスタッフにインカムで指示を出し始めた。


 厨房に向かうはずだった律は、キャッシャーに近い待機席の前でとまる。


「やばいやばい、あれはやばい」


「だろ? 包帯まくのへたなんかな? ちょっと見えてんだよな」


 ずらりと並んで待機しているホストたちが、ユイの話で盛り上がっていた。


「下半分ぐじゅぐじゅでさー、あれ包帯なかったらもうホラーじゃん?」


「気ぃ遣うから困るわ~。まじでつきたくないんだが」


「もはや罰ゲームだわ」


 客が少ない店内では、ホストたちの陰口がばっちりと聞き取れる。冷ややかな視線を送る律のもとに、再び店長がやってきた。待機席のホストから一人、卓についてもらうためだ。


 誰に行ってもらおうか吟味する店長に、ホストたちは戦々恐々。店長が名前を呼ぶのを、律が遮った。


「俺が行く」


「ああ?」


 顔をゆがませた店長の返事を聞くまでもなく、店の奥、壁際にある卓席に向かっていく。暗い照明の中、ユイの白い包帯が目立っていた。


「おい、律」


 後を追う店長が、怪訝(けげん)な顔で声を潜める。


「おまえさっきつかないって」


「気が変わった。待機席よりマシ。それに、ほかのヤツつけたってしょうがないぞ、俺ならうまくやれる」


「……わかった。じゃあ、おまえに任せる」


 律の背中をポンと押し、店長は(きびす)を返す。律はしっかりとした足取りで向かっていった。


「ねえ、どっちがタイプだった?」


 卓席で、リアがユイに尋ねる。ユイは首をひねった。


「いや、ちょっとわかんないかな」


 店の空気に委縮するばかりで、ヘルプについたホストの顔をじっくりと見る余裕もなかった。


「送り指名したら帰りに外まで送ってくれるんだよ~?」


「へえ……」


 そこまでしてもらうには気が引ける。正直、してもらわなくても構わない。


「ねえねえ、タイプの男いそうにないの? ほら、男本見てみなよ~。いろんなやついるんだからさぁ~」


 リアは卓に置かれた男本――タブレットをユイに寄せる。画面にはホストの宣材写真が写っており、スワイプするとほかのホストの写真に切り替わる仕様だ。


「いや、私には若い子たちばかりだから……」


「そんなん言わずに~。ちょっと年いってるやつもいるからさ~、この千隼とかもそこそこよくね?」


 強引に男本をめくって見せてくるリアに、苦笑することしかできない。強く拒絶できない自分のこともまた、嫌になっていく。


「こんばんはぁ、おとなり失礼します」


 ユイのとなりに、また新たなホストが腰を下ろした。スパイシーな大人の匂いが、ユイの鼻にふわりと届く。先についた二人とは違う香水。思わず顔を向けたユイは、固まる。


「律です。よろしく、ユイさん」

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